父の遺言状

@kanae777

第1話

 父がこの世を去って1ヵ月。春の気配は着々と近づいている。なにぶん実家は広く、私は母と思い出話に花咲かせつつ、いまだにちまちまと遺品整理をしている。そんな時、私は父の書斎の整理をしているなかで一通の手紙を見つけた。表には「浩太郎へ」。どうやら私に宛てた手紙のようだ。サプライズか?あの父にしてはなかなか粋な計らいじゃないか。私は封を解き、便箋を取り出した。

『聖なる亡者が落ちる時、お天道様は破られるッ!!これこそが梯子の中に迸るパトスの結晶!!なんてヤハヴェの褒め言葉!!私は解放される!!』

おっと…なんだこの、カルトじみた内容は…


 母からよく聞かされていた。「父は『冒険家』だった。」と。「この世界には僕の知らないたくさんの謎が溢れてるんだ!」そう目を輝かせながら世界を飛び回った父は、その道中の体験談を、箱入り娘のお嬢様だった母に面白可笑しく語っていた。そんな父に惚れたのだと、母の十八番の惚気話だ。よく覚えている。だが私の知る父は、仕事熱心な、遊び心とは無縁の堅物だ。母が言うには、私が産まれてから、父の中の『冒険家』はなりを潜めてしまったらしい。


 しかし、しかしである。今の問題はこの手紙だ。刺激的な文面にたじろぎつつ、私は書斎から持ち出した手紙を母に見せた。母は手紙を読み始めたとたん、微笑みを見せ、

「あの人ったら、ほんと不器用なんだから。これはね、お父さんからの謎解きよ。」

「謎解き?」

「ええ、このビックリマークつけるようなテンション高めの文を書いてる時はいつも決まって謎解きだったのよ。デートの行き先をこんな風にして解かせてきたりしてね。私も悩まされたわ…。でも母さんから言えることはこれ以上ないわよ~?あなた宛ての手紙なんだから、この謎は浩太郎、あなたが解いてあげなさい。」

唐突に謎解きを課されてしまった。どうやら、父の中の『冒険家』が私に牙を向けたようだ。本当に粋なことをしてくれるじゃないか。なんだかどうにも胸が躍る。まったく、こんなところで父との血の繋がりを感じるとは…



 数十分後、私は手紙とにらめっこしていた。おそらくだが、この手紙が指しているのは”宝の場所”だろう。だが、地元の名家である母の屋敷はそれなりに広い。やみくもに探していては日が暮れ夜が明け、もう一度日が暮れててしまう。ならば、この手紙は文章の一つの区切りを一つの謎として、入れ子構造のように、場所を特定し絞り込んでいくことで答えに辿り着けるはずではないだろうか。謎を紐解く方向性は決まった。


 では本題のこの手紙の頭、『聖なる亡者が落ちる時』はどこを指しているのだろうか。『聖なる亡者』というキーワードから、死者と関係するのだろうが…死者である父が住んでいた屋敷だ。どこもかしこも関連深く感じてしまう。『落ちる時』とも絡めて考えてみよう。亡者が落ちるといえばやはり地獄だろうか。家の中で地獄に相当する場所………うん、一つ浮かんだ。

「鬼門か?」

鬼門とは、北東のことだ。家の鬼門は鬼の出入り口、玄関や厨房などの水回りを避けるのが習わしとされている。…この屋敷の北東に位置しているのは

「行ってみるか、寝室。」


 とりあえず寝室へ足を運んだのはいいものの、次の謎を考えなければいけない。私は畳まれた布団に腰掛け、思考を巡らせる。次の文は『お天道様は破られる』。おや、これは身に覚えがある。寝室の障子窓、上から3つ目、右から4つ目の障子は『破られている』…。まあ破ったのは他でもない私だが。なんとも懐かしい…。

 私がまだ幼いころ、父と母と私がこの寝室で川の字になって寝ていたころの話だ。私が夜中、トイレに起きたとき、暗がりで父につまづき勢い余って障子をぶち抜いた。その日の朝、破れた障子から朝日が差し込み、スポットライトのように父の顔を照らしていたのはいい笑い話だった。こっぴどく怒られはしたが。


 まあ、つまりは、この謎の意味は障子の穴から見える景色だろう。私は障子の穴を覗き込んだ。

「ここから蔵が見えてたのか…。」

そこには、遺品整理の最難関として後回しにしていた、我が家の蔵があった。

 

 「中は意外と綺麗だな…。」

木製の仮面に細かい装飾の施された布、所狭しと並べられた異国情緒あふれる品々。おおよそこんな日本っぷりの凄まじい蔵には似つかわしくないそれらは、父が『冒険家』だった証拠だろう。「危ないから蔵には入るな」とさんざん注意されていた私がこれらを目にしたことは今までなかった。次の謎は『これこそが梯子の中に迸るパトスの結晶』だったか。梯子は目の前にある。だがなにぶん物が溢れかえっているこの場所じゃ梯子の周りというヒントでは特定に至るには物足りない。

「『パトスの結晶』…。」

パトス、すなわち感情。プラトンだったかアリストテレスだったかの倫理学の用語だ。つまり『パトスの結晶』というのは感情の集合体、想いの詰まったもの。そう考えるのが妥当だろう。私は梯子の周りを漁ってみる。

「マトリョーシカ…違う。ンジャメナ…だっけ?違う。なんだこの…なんだ?多分違う。」

こりゃ遺品整理のときは骨が折れる…。

「…これか。」

手にしたのはずっしりとした木製の箱、表面にはdiaryと刻まれていることから、中身は父の日記だろう。おそらくはこれが父の謎のゴールだ。しかし、箱の側面についた鍵穴が謎解きがまだ終わっていないことを教えてくれている。


 となれば、手紙の残りの文章から推察するに『なんてヤハヴェの褒め言葉』が鍵のありか。『私は解き放たれる』というのは日記が箱から取り出されることを言っているのだろう。では最後の謎、『なんてヤハヴェの褒め言葉』を解読だ。


 「さっぱりだ…。」

私は日記の入った箱を前に頭を抱えていた。というのも、日記を見つけたことで場所としての絞り込みはリセットされ、再び屋敷全体に焦点を当てなければいけないというのに『なんてヤハヴェの褒め言葉』なんて言われても見当がつかないのだ。『ヤハヴェ』はイスラエルの絶対的な神の名だが、我が家にヤハヴェとの関わりは一切ない。場所じゃないのか…?いや、だとするとヤハヴェっていうのは…人のことか?となると父にとっての絶対的…

「もしかして…?いやまさか…。」

「浩太郎~!おうどん食べましょ~!」

おっと、もう夕食の時間か。つい時間を忘れてしまっていた。だがグッドタイミングだ。


 母とふたり、食卓を囲む。『ヤハヴェの褒め言葉』の解釈があってるとすれば…

「母さん、今度温泉旅行でも行こうか。」

「あら、急に親孝行する気になったのね~。」

「うん、父さんから手紙で、母さんに褒められるようなことをしてあげなさいって言われちゃったからさ。」

「フフ、お父さんの茶目っ気に気付いたのね。えらいわね~浩太郎。えらいえらい。」

母に頭を優しく撫でられる。少し照れ臭いが、温かい気持ちになれる。

「ほらこれ、お父さんの日記の鍵よ。」

「ありがとう母さん。」

自分の妻を絶対神に置き換えるとは…。本当にウチの両親は惚気話が好きだな。

「おうどん、伸びちゃうからはやく食べちゃいなさい?」

「うん、いただきます。」


 父の書斎、私は椅子に腰かけ、日記を閉じ込めている箱の鍵穴にゆっくりと鍵を差し込む。指先から鍵と鍵穴が噛み合い、鮮やかに回り合う感触が伝わってくる。かちりと音を立て、箱のふたは開いた。

「父さんの日記…。」

私は表紙をひと撫でし、日記を開いた。


『1999/4/12 僕たちの間に子供が生まれた。元気な男の子だ。目は少し僕に似てたかな。せっかくなので今日から日記を書いていこうと思う。浩太郎の健やかな成長を祈って。』

『1999/9/22 浩太郎が僕のことをパパと呼んでくれた。ゆり子ばっかりママと呼ばれていて羨ましかったのも今日までだ。』

『2005/4/2 浩太郎も今日から小学生だ。入学式に行きたかったのにまた仕事。最近ますます仕事が忙しくなって、浩太郎のそばにいられない時間が増えた。家族のためだ、仕方ない。』

『2012/9/6 浩太郎と会話が続かない。反抗期とはいえ、子供のことを分かってあげられないのはつらい。』

『2016/11/28 受験勉強も大詰めだ。頑張れ、浩太郎。』

『2019/8/7 重度の肺がんと診断された。持って1年と半年だそうだ。こんなことになるならと、後悔の念が尽きない。心配かけたくないから余命の話は浩太郎には黙っておく。』

『2020/12/31 僕が迎えられる最後の大晦日ということで、一時退院させてもらった。それからこの家に謎を仕掛けておいた。ちょっといじわるかもしれないけど、どうか浩太郎が解いてくれますように。』


『浩太郎へ、これが最後』

『父さんからの謎を解いてくれてありがとう。母さんと仲良くやるんだよ。父さんは傍にいてやれないけど、キミへの想いはこの日記に詰め込まれてる。愛してるよ、浩太郎。』

「……」


「浩太郎?」

「父さんって本当に不器用だったんだね。」

「まったくだわ、最後まで直接面と向かって言うのは照れ臭かったみたい。」

「母さん、この日記、貰っていいかな。」

「あなたが持ってないでどうするのよ、大事にしなさい。」

「うん、大事にする。」


 あの手紙の最後の文、『私は解放される』か…。

この夏は、海外旅行にでも行ってみよう。

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