太陽の消えた世界で

綾崎 翡翠

第1話 再会

「人はね、一人で生きていく訳では無いの。貴方達と共に未来を生きようとする人が必ずいるから」


 規則正しい電子音が響き渡り、アルコールの匂いが鼻をかすめる。窓から差し込んだ夕暮れの日差しが祖母の顔を赤く染める。だが、その日差しのせいだろうか。祖母の輪郭が溶けるように揺らめきはっきりとしない。何か柔らかいものが頭に触れ、遅れてそれが祖母の手だと気づく。自分の体温よりも低いその手が、優しく頭を撫で眠気が俺を襲う。


「だから、忘れないでね。湊、秋葉、貴方達は一人じゃない」


どこか遠くで祖母の声がした気がした。






 ジリリリと、けたけましく鳴り響くアラームに目が覚める。布団から手を出し、枕元に置いておいたスマホを手探りで見つけ音を止めると午前7時を過ぎたところだった。いつもなら即二度寝を決め込む時間だけど、懐かしい夢を見たせいか妙に目が冴えてしまった。二度寝は諦めのろのろと起き上がりリビングに向かうと、ちょうど母が家を出るところだった。


「......母さん」

「ああ、湊。母さんもう行かなきゃいけないから、テーブルにおいてあるお金でご飯好きなの買ってね。じゃあ、行ってきます」

「あ......」


 ガチャンと鍵を閉める音が静まり返った部屋の中に妙に響き渡り静かにため息をつく。昔から、母さんも父さんも仕事の関係で家にいること自体少なかったし、それを今まで寂しいと思ったこともないけど。テーブルに置かれたままのマグカップに目を向けるとまだ半分ほど残っているコーヒーからほのかに湯気が上がっていた。


「おはようくらい言ってくれてもいいだろ」


 おはようと言えないことが、言ってもらえないことが酷く寂しい。ばあちゃんと姉ちゃんがこの家にいたときはこんな気持抱くことはなかったのに。ピロンというスマホのメールの着信音に意識が現実へと戻される。スマホを手に取り伊月さんと表示された画面に静かに息を止める。


 それは、姉の旧友からの2年ぶりの連絡だった。


 伊月さん、姉の同級生同じ写真部に所属していた人だった。姉の初めての男友達というのと飄々とした態度も相まってあまり好きにはなれない人ではあったけど。


『一ノ瀬くん 今日空いてる?』

『秋葉に会いに行こうと思うんだ。あと、一ノ瀬くんに渡したいものもあるんだけど』


 少し思案し空いてますとだけ送ると、奇妙な生き物が小躍りしているスタンプと詳細が送られてきた。時計を確認するとまだ数時間は待ち合わせまで時間がある。素早く着替え、オーブントースターに賞味期限ギリギリの食パンを突っ込み、部屋の窓際に飾っていた向日葵の花瓶をそっと掴む。


 数日前、庭から切り取った9本の小さなオレンジ色の向日葵。元は祖母が育てていたものだが、祖母が亡くなったあとは姉が世話をし、今は俺が育てている。植物を育てるのはあまり得意ではないのだが、毎年姉の誕生日に向日葵を送る約束をしているから、今年も無事花を咲かせたことに安堵する。カレンダーに目を向ける。そして、明日は姉の誕生日。


 9本の向日葵を素早く輪ゴムで束ね水で濡らしたティッシュを先端に巻き付け新聞で包む。姉には雑だと怒られそうだが、そんなに遠くもないし許してくれるだろう。向日葵を紙袋に入れ玄関に置く。大輪の花びらがふわりと小さく揺れた。





 ◇



 伊月さんに指定された待ち合わせ場所は、姉に連れられてよく来ていた家の近くの小さな古びれた喫茶店だった。姉のところに行くには、喫茶店の近くを走るバスに乗らなければいけないのでバスが来るまでそこで少し話さないかということだった。扉を開くと、お昼時にも関わらずガランとした店内には2,3人のお客さんがそれぞれくつろいで過ごしていた。その中で最も目立つ長身の男を見つけゆっくりと近づく。


「……伊月さん」


 その男、伊月さんは振り返るとまるで親しい友人にあったかのようにニコッと微笑んだ。


「やあ、湊くん、久しぶりだね。2年ぶりかな?」

「……そうですね。あと、ちゃっかり名前で呼ぶのはやめてください」

「ごめんごめん、一ノ瀬くん」


 ため息をつきながら席に着き改めて伊月さんを見上げる。2年ぶりに会った伊月さんはやはりというべきか高校2年生だったあの頃とほとんど変わっていない。制服姿が見慣れていたから私服というところに多少違和感はあるけど、切れ長の瞳にモデルと見紛うようなスタイルの良さ、飄々とした態度は憎たらしいほどあの頃のままだ。


「突然呼び出してごめんね。大丈夫だった?」

「大丈夫じゃなければわざわざ来ませんよ。メール無視して布団の中で二度寝します」

「ハハッ確かに君ならやりかねない」


 やりかねないと思われているところに多少ムッとしたが、黙っておく。そこでちょうど店員が来たので伊月さんはアイスココア、俺はアイスコーヒーを頼んだ。


「ほんとに君、コーヒー好きだよね。僕はいくつになっても飲める気がしないよ。苦くなければ飲めるんだけどね」

「苦いのがいいから飲むんじゃないですか。苦くなかったらそれはコーヒーじゃありません」


 きっぱりと言い切ると、伊月さんは苦笑を漏らしながらそれもそうだねと答えた。そこでふと、伊月さんの横に大きめの袋が置いてあることに気づく。


「あの、その袋何が入ってるんですか?」

「ん?ああ、これかい?」


 そう言って、伊月さんが袋から取り出したのは11本の大輪の向日葵の花束だった。静かに伊月さんを睨む。なぜ伊月さんのほうが本数が多いだ。というか、この人はひまわりの本数によって花言葉が変わることを知っていて選んだのだろうか。


「そういえば、一ノ瀬くんも袋持ってたよね?」


 俺の態度など意に返さず笑顔で聞いてくる伊月さんに呆れてため息をつきながら9本の向日葵を取り出す。新聞で雑に包まれた向日葵に、伊月さんが雑だねと苦笑しながら言うので、これでも俺なりに頑張ったんですと言い返す。


すると、おまたせしましたと先程注文した飲み物が運ばれてきた。コーヒーを口に含むと程よい苦味が口の中に広がる。その苦味が、俺を平常心へと戻してくれる。


「そういえば向日葵って、ずっと太陽を追いかけて動くわけじゃないらしいですね」

「そうなの?」

「姉ちゃんが前話してたんです」


 瑞々しく咲き誇る向日葵に目を向ける。向日葵が太陽と同じように動くのは、成長期の間だけ。成長しきった向日葵は太陽が昇る東の方向を向いたまま静止する。


「俺はいつまでも、未熟な向日葵のままなんですよね」


 太陽を、憧れてやまないものを追いかけ続ける。太陽にはなれないと、どれだけ手を伸ばしても届かないと分かっていても、手を伸ばすことを、見つめることをやめることが出来ない。


「もしも、太陽が消えてしまったら向日葵はどうなるんでしょうね」


 ずっと追いかけてきたものが、標が、失くなってしまったら。何もなせずただ朽ち果てるのか。それとも、自分が朽ち果てることもいとわず、ただ一心に東を見つめ続けるのだろうか。


「秋葉に会えば、その答えも分かるかもしれないね」


 伊月さんが俺を見つめ静かに微笑んだ。その優しい表情に俺は静かにそうかも知れませんねと答えた。


 伊月さんが腕時計に視線を走らせる。俺もつられてスマホの画面を開くと、バス到着の5分前になっていた。残り一口のコーヒーを流し込みグラスを置くと、伊月さんもちょうど飲み終わったところだった。


「じゃあ、そろそろ行こうか。秋葉に会いに」



 














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