35_式典当日

 花火が上がる音がする。

 あちこちで賑わう人々の楽しげな声が、風に乗って耳に届く。


 今日からアストリア帝国との国交樹立十周年を祝した式典が開かれ、ブロモンド王国はお祝いモード一色である。

 十年前のようなパレードこそ行われはしないものの、街は鮮やかな花やガーランドで飾られて、見る人を楽しませている。


 アイビスは、以前ヴェルナーと訪れたオープンテラスのカフェで、一人カップを傾けて道行く人々を見つめていた。


(あの日、チャーノが路地裏に入り込んでいく姿を見て、ここから飛び降りたのよね…流石に見境がなかったわ)


 あの時と同じ席に通された時は、思わず苦笑いをしてしまったけれど、ここからだと辺りがよく見渡せる。


「あっ」


 笑顔を咲かせながら通り過ぎていく人々の波間に、待ち人を見つけたアイビスはひらりと手を振った。

 ちょうど紅茶を飲み終えたところだったので、勘定を済ませて街道へと降りていく。


「ヴェル。お疲れ様」

「ああ、待たせてすまない。行こうか」


 約束通りアイビスとの時間を捻出してくれたヴェルナーに腕を絡ませて、二人は雑踏に紛れた。


「随分賑わっているな」

「ええ、久しぶりのお祭りだものね。みんなとっても楽しそう」

までもう少しある。今のうちに腹ごしらえをしておこう」

「いいわね」


 アイビスとヴェルナーは、露店で焼きたてのソーセージを挟んだホットドッグと珈琲を購入して、ゆっくりと街並みを眺めながら歩みを進めた。


「アストリア帝国の大公爵も無事に王城に到着したし、ちょうど今頃王家との食事を楽しんでいるだろう」

「そう。ルーズベルト殿下も大変ね」

「あいつは政治的な交流が得意ではないからな。腹の探り合いが苦手なんだろう」


 二人は会話に花を咲かせつつ、少しずつ入り組んだ路地へと進んでいく。


「アイビス様っ」

「ベティ!お祭りは楽しめた?」

「はい。調子は万全です」


 一本筋を入った小道の影から、ベティが飛び出してきた。アイビスは難なくベティを抱き止めると、ぎゅうっとその華奢な身体を抱きしめた。


 約束の時間ぴったりだ。


「いい?もし本当に誘拐犯たちに捉えられることがあったら、絶対に抵抗しないこと。ここぞという時まで我慢するのよ。それから、タオルを当てられたら息を止めて、眠ったふりをすること。お祭りに乗じて子供を運ぶとしたら、積荷業者に紛れるでしょう。不安だと思うけど、信じて待っていてちょうだい?必ずあなたの跡を追うから」

「はい!」


 アイビスはベティと視線を合わせて、今日まで準備してきたことを再確認する。

 十年前とベティの一件、どちらも犯行は路地裏深くで行われた。もし、アイビスたちの推論が正しければ、誘拐犯、そして主犯の人物はが迫っていることに焦りを覚えているだろう。

 きっと、いや必ず、今日事件は起こる。この街のどこかに奴らが潜んでいると思うと、アイビスの肩にはどうしても力が入ってしまう。

 ベティの事件以降、街の警備が強化されたため、犯人たちが改めて犯行ルートを確認する余地はない。これまでの経験や準備で培った土地勘に頼る他なかろう。

 つまり、犯行が起きるとしたらこれまでと同様、路地裏深く。だから、あえてこの辺りの路地裏の警備に穴を作った。もちろんアイザックに協力してもらってのことである。最後までアイビスたちの策に渋い顔をしていたが、何とか説得をして協力を仰ぐことができた。


『いいか、アイビス。お前は絶対に手を出さないこと。犯人は俺たちが捕まえるからな』


 アイザックには口を酸っぱくして注意されたが、それは時と場合によるであろう。もちろんアイビスだって、自分の出る幕がなく終焉することを望んでいる。


(さて、いよいよね)


 アイビスはもう一度強くベティを抱き締めると、そっとその背中を押した。

 ベティも大きく頷いて、ゆっくりと、まるで路地裏に迷い込んだか弱い少女のように不安げに奥へ奥へと進んでいった。


 アイビスとヴェルナーは顔を見合わせると、場所を移動する。

 今日のために、路地裏に面した住居を一軒借りているのだ。これはルーズベルトの計らいである。

 素早く建物に滑り込んだ二人は、階段を静かに駆け上がると、路地裏の開けた空間が見下ろせる部屋に入った。


 そっと窓際に近寄る。どこに見張りがいるか分からないため、慎重に、気配を殺して外の様子を伺う。


 ちょうどベティが路地裏に迷い込んできたようで、不安げにあたりをキョロキョロ見渡している。

 ベティは一度捉えられてはいるが、その時の犯人は今は檻の中だ。とはいえ、他の誘拐犯に顔を見られているかもしれない。そのため、ベティは髪型や化粧によっていつもと違った雰囲気を作り出している。


 間も無く、ベティの背後の物陰から大袋を持った男がゆらりと姿を現した。


 アッと思った時にはベティは袋を被せられてしまい、犯人の男の肩に乗せられた。思わず身を乗り出しそうになるアイビスを、ヴェルナーがぐいっと抱き寄せる。


「大丈夫だ。必ず助ける。ここは彼女を信じよう」

「……ええ、そうね」


 ベティを入れた袋は荷車に乗せられ、複数人の男たちが何事もなかったかのように荷車を引いて大通りへと向かって行く。

 アイビスとヴェルナーは目配せをして荷車の追跡するべく、住居を後にした。

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