31_伝えたい想い
「アイビス、今日はサロンで二人だけのお茶会なんてどうだ?」
「あら、素敵ね。でも急にどうしたの?」
次の休み、朝食後に道場に向かう用意をしていると、ヴェルナーがお茶会に誘ってくれた。
これまでも二人でお茶やお菓子を楽しむことはあったので快諾するが、僅かな違和感のため尋ねてみると、ヴェルナーは少し顔を背けて頬を掻いた。
「いや、エリザベス嬢とベティ嬢との稽古の後、いつもサロンでお茶会をしているのだろう?それが、その、羨ましくてな」
気まずそうに話すヴェルナーの頬が赤い。
アイビスは目をぱちくり瞬いて、思わず小さく吹き出した。
「……ぷっ」
「おい、笑うなよ」
「ぷ、くく……ごめんなさい。あなたがあまりにも可愛いから、つい」
「可愛いなんて言われても嬉しくない」
笑われたことと、可愛いと言われたことに明らかに不服そうなヴェルナーは、仕返しとばかりにアイビスの腰を抱き寄せた。
「ひゃあっ!?ちょ、ちょっと、急に何するの……ん」
「……可愛いのはアイビスのための言葉だから、俺には使わないで」
「わ、分かったわよ……」
軽く唇を啄まれて、あっという間にヴェルナーよりも顔が真っ赤に染まる。
さっきまで可愛らしい反応を見せていたヴェルナーはすっかり男の顔に戻っていた。
何だかそれが悔しくて、むぅ、と唇を尖らせてみるが、見つかったらまた啄まれること必至なので、さりげなく顔を背けて拘束から逃れた。
「じゃ、じゃあ朝稽古をしたら準備をして、サロンに向かうわね」
「ああ。昼食もサロンで取ろう。手配しておくよ」
「あら、いいわね。いつも以上に気合が入るわ」
腕をぐるんと大きく回し、アイビスは意気揚々と実家の道場へと向かった。
見えなくなるまでその背を見送りながら、ヴェルナーは口元に微笑を携えていた。
◇◇◇
稽古を終えたアイビスは、シャワーと着替えを済ませるとヴェルナーの待つサロンへと急いだ。
「お待たせ」
「アイビス、ちょうど昼食の用意が整ったところだ」
「わぁっ!美味しそう」
特別に用意されたテーブルは、色とりどりの花が飾られていて、料理と共にアイビスの目を楽しませてくれる。
給仕してくれたサラやシェフに礼を言い、早速食べ始める。使用人たちを下がらせて、夫婦二人の時間を楽しんだ。
食事を終え、食後のデザートに用意されていたイチジクのケーキにフォークを入れつつ、ヴェルナーが話題を変えた。
「そうだ。来月の末にアステラス帝国との国交樹立十周年を祝して使節団がやって来ることが正式に決まった。今回はパレードのような大掛かりなものはないが、街はお祭りモード一色になるだろうな」
「あら!そうなのね。祝い事は嬉しいわ。ヴェルナーは第二王子殿下のお付きだから忙しくなりそうね」
そう言うと、ヴェルナーは前髪をくしゃりと掻き上げながら溜息をついた。
「十年前のように街の賑わいに乗じて犯罪が起こる可能性もある。軍部とも密に連携を取らないといけない。それにこの訪問が無事に終われば、次はいよいよジェームズ殿下の立太子が控えている。怪しい動きをする重役がいないかどうかにも目を光らせておかないと」
「た、大変ね」
流石のビッグイベントとあって、仕事が山積みのようだ。一瞬疲れた顔を覗かせたヴェルナーであったが、おどけたように肩をすくめるといつもの優しい表情でアイビスを見つめた。
「まあな。アイビスと街を回る時間は意地でも捻出するから、一緒に祭り気分を味わおう」
「本当?嬉しいわ」
あまり無理はして欲しくないけれども、ここはヴェルナーの厚意に素直に甘える。
きっと、夫婦二人で過ごす時間が彼を癒すことに繋がると、今のアイビスには分かるから。
そんなヴェルナーの気持ちが嬉しくて、アイビスの表情も自然と綻ぶ。
ヴェルナーはいつの間にか、フォークを置いてアイビスの頬を撫でている。くすぐったくて身を捩るが、一方で心地が良いとも感じてしまう。
「ねぇ、ヴェル」
「ん?なんだ?」
今なら自然に、ようやく認めた気持ちを告げることができる。
そう思ったら言葉が口から漏れ出ていた。
「私、あなたのことが好きよ。長い間待たせてしまってごめんなさい。私自身も気持ちの変化に戸惑っていたの……自覚したのは最近だけど、きっと、結婚を申し込まれた時から――私の心はあなたに向かって転がり始めていたんだわ」
頬を撫でる大きな手に、自らの手を包み込むように添えて、真っ直ぐに琥珀色に輝く瞳を見つめる。
いつも自分を映してくれる優しい瞳。アイビスはこの瞳が好きだと改めて愛おしさを噛み締めていた。
その美しい瞳が、アイビスの言葉を理解したのちに激しく揺れ動き、ゆっくりと見開かれていく。
「アイビス……?」
「なに?」
「いや、え?つまり、その……好きっていうのは、幼馴染や友人としてではなく――?」
珍しく狼狽えているヴェルナーがおかしい。
アイビスは思わず、ぷはっと吹き出してしまった。
「もうっ、あなたのことが男として好きだって言ってるでしょう?あまり何度も言わせないでよ、私だって恥ずかしいんだから……」
「――っ、アイビス」
頬を染めながら改めて気持ちを伝えると、ヴェルナーに強く抱きしめられた。ぎゅうぎゅうと、もう逃がさないとでも言うように締め付けてくる逞しい腕。
少し苦しいけれど、それ以上に、ようやく心の通った真の夫婦になれたことが嬉しくてたまらない。
「本当だな?今更嘘だと言っても遅いからな?」
「ヴェルったら……私が嘘が嫌いなことは知ってるでしょう?」
「ああ……はぁ、信じられない。こんな幸せな日が訪れるなんて」
「ふふ、大袈裟よ」
アイビスがくすりと笑うと、ヴェルナーはアイビスの耳元で熱い吐息を溢した。くすぐったさと共に、愛おしさがじんわりと胸に広がっていく。
「大袈裟なものか。何年片想いしてきたと思っているんだ」
「ヴェル……ずっと私を想ってくれてありがとう。ねぇ、ヴェル。あなたはお試しだと思って構わないと言ってくれたわよね?躊躇う私の背中を押すために。でもね、私は一度もあなたとの結婚生活をお試しだとは思っていなかったの」
ヴェルナーの腕の中で顔を上げて、真っ直ぐに琥珀色の瞳を見つめる。その瞳は、困惑や熱情、色んな感情が混じり合って色を濃くしている。
アイビスが伝えようとしていることを聞き逃すまいと、ヴェルナーは額同士をくっつけて正面からアイビスの視線を受け止めてくれる。
「私、無意識にあなたの求婚を受ける理由を探していたわ。それってつまり、あなたと結婚したいってことじゃない」
ヴェルナーは、自分との結婚をお試しだと思って利用しろと言った。
そこにはもちろん、アイビスと結婚するための打算も含まれていただろう。
けれども、何よりもアイビスへの気遣いや配慮が多く内包された優しい提案だったと、アイビスはそう理解していた。
ヴェルナーへの恋心は、始めは気付かないほど小さな種のようだった。たっぷりと愛情を注ぎ込まれ、種は静かに芽吹いて大輪の花を咲かせた。
「ゆっくりあなたへの恋心を育てさせてくれてありがとう」
「はぁ……もう絶対に離してやらないからな」
「ええ、もちろん。離さないでちょうだいね」
両頬を包み込むように手で挟まれ、視界がヴェルナーに覆い尽くされる。
「気持ちが通ったということは、もう遠慮はいらないんだな?」
そして、吐息混じりに囁かれた言葉に、アイビスは激しく瞳を揺らした。
「う、それは……というか遠慮なんてしていたの?」
「していた、つもりだが……よく箍は外れてしまっているな」
「本当よ。まったく……ヴェルが言いたいのは、その、キスの先…のことよね?」
恐る恐る問いかけると、ヴェルナーはごくりと生唾を飲んだ。ヴェルナーの表情を窺うアイビスは、本人に自覚はないが上目遣いで瞳は潤み、頬はほんのり上気していて恐ろしいほどに扇状的だった。
「はっきり言うな……ま、まあ、そうだな。だが、やっと好きだと思って貰えたんだ。先を急ぐつもりもないし、アイビスのペースに合わせるさ」
「ヴェル……ありがとう。そういう思い遣りのあるところも大好きよ」
「~っ!ったく、途端に素直になりやがって…理性がぶっ飛んで押し倒すことになっても怒るなよ」
「ええっ!?そ、それは…うう」
ヴェルナーの手のひらに伝わる体温が上昇した。
アイビスの顔は熟れた林檎のように真っ赤に染まっている。
「……心の準備ができたら、あの扉を開けてヴェルに会いに行くわ」
「あの扉……ああ、俺たちの部屋を繋ぐ扉か」
「ええ」
結婚初夜、ヴェルナーに渡された鍵は、アイビスのベッドサイドの引き出しに今も大切に収納されている。その鍵は役割を果たす日を待ち侘びている。
「分かった。いつかアイビスが扉を開けた日は、今度こそ遠慮なんてしない。思う存分愛し尽くすから覚悟しておくんだな」
「そ、そんなこと言われると余計に覚悟が決まらないわ…!」
二人は同時に吹き出すと、どちらからともなく瞳を閉じて顔を寄せていった。
唇に宿る熱は、身体を巡り、互いの想いを高めていく。
お互いの気持ちを確かめ合うように、長く深く二人は唇を重ね続けた。
ーーーーー
ヴェルナーもう少し我慢してね…!
あと8話で完結です。
最後までお付き合いください( ˘ω˘ )
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