24_もっと早く知りたかった

 ともかく足の手当てと靴の用意のために、アイビスを横抱きにしてヴェルナーは会場に戻った。アイビスは素直に身を委ねている。


 会場内は騒ついており、何事かと恐る恐る中庭の様子を見ようと外を覗き込んでいる人もチラホラ見られた。

 その中にはロリスタン公爵の姿もある。顔を真っ青にして護るようにチャーノの肩を抱いている。社交の場を見せるために幼い少女を連れて来たはずが、とんでもない事件に遭遇することになってしまったのだ、無理もなかろう。

 アイビスはチャーノが怯えていないか心配になり、首をもたげたがすぐに人ごみに紛れて見えなくなってしまった。


「アイビス様……?アイビス様ぁ!」

「…………エリザベス」


 会場に足を踏み入れるや否や、血相を変えたエリザベスが駆け寄って来た。アイビスがヴェルナーに目配せをし、そっとその場に下ろしてもらう。


「ああ!よかったですわ…ご無事で、わたくし、わたくし……」

「エリザベス、助けを呼んできてくれてありがとう。おかげで助かったわ」

「そんなっ!!お礼を言わなければならないのはこちらです!アイビス様が居なければ、わたくしは……」


 へなへなとその場にへたり込み、手で口元を押さえながらポロポロ涙を流すエリザベス。あまりに壮絶な経験だったため、本当に恐ろしかったのだろう。

 アイビスは優しい笑みを浮かべて、安心させるようにエリザベスの震える肩を抱いた。

 エリザベスに触れた途端、びくりとその肩は大きく跳ね、いつしか辺りを囲っていたご令嬢たちの間にもキャアッと黄色い悲鳴が上がる。


「ああ……羨ましいわ、会長」

「会長を逃して一人で果敢に賊に立ち向かうだなんて、やっぱり我らがアイビス様ですわ」

「はぁ……素敵」

「しゅき」


(んんんんん?なんかいつもと違った声が……っていうか会長ってなに?エリザベスのこと?)


 周囲の反応に戸惑うアイビスであるが、その答えは『会長』本人によってすぐに明かされた。


「えっと……会長って、何のこと?」

「…………………『麗しのアイビス様を見守る会』ですわ。わたくはその会長を務めておりますの」

「『麗しの…』?え?なんて?」

「『麗しのアイビス様を見守る会』ですわ」


 安易に受け入れがたいワードに、アイビスの頬が引き攣った。ズビ、と鼻を啜ったエリザベスは、決まりが悪そうに視線を逸らした。


「学園時代に秘密裏に発足した会ですわ。覚えていらっしゃいますか?入園間も無く、わたしくが気分が優れず倒れてしまった日、アイビス様は躊躇うことなくわたくしを抱き上げて医務室に連れて行ってくださいました。腕の中から見上げるアイビス様はまるで絵本から飛び出した王子様のように凛々しくて美しく……わたくしはあの日からずっと、アイビス様をお慕いしておりますの。つまるところアイビス様はわたくしの推し……!愛が強すぎて中々素直になれず、毎度緊張して動悸も凄く、突っかかるようにしなければお話すらできなくて……厳しい言葉をかけてしまった日は、後悔し過ぎて何個も枕を濡らしたものです。わたくし同様アイビス様に憧れるご令嬢は多くおりましたので、見守る会の設立に時間はかかりませんでしたわ。『今日のアイビス様』の情報交換、アイビス様の素晴らしいところや魅力についてのディベート、そして遠目にアイビス様の美貌を眺めては語り合い……それはそれは充実した日々でしたわ」

「急にすっっっごい語る!」


 何か吹っ切れたように途端に流暢に語り始めたエリザベスは、未だにアイビスのどこが魅力でどこが推しポイントか、これまで話した会話の内容までつらつらと語り続けている。


「ま、まさか……私が学園時代や社交界で頻繁に感じていたねっとりした視線に、陰口だと思っていた話し声って……」

「わたくしたち『麗しのアイビス様を見守る会』ですわね」

「じゃ、じゃあ、いつも私を睨んできていたのは?」

「わたくしがアイビス様を睨むなんてそんなッ!!いつもアイビス様にピタリとついて離れないヴェルナー様に敵意を向けていただけですわ!くぅ、とうとう結婚まで漕ぎ着けるなんて……羨ま、げふん、恨めしいッ」

「えええええ」


 数年越しに判明したとんでもない事実に、アイビスは眩暈がした。


 確かに思い返してみれば、アイビスに「野蛮だ」「男女」「野生児」といった言葉を投げて来ていたのは、武術の授業で投げ飛ばした数々のご令息たちだった気もしてきた。

 そもそも武術の授業は男子生徒向けであったが、是非自分も受けたいと嘆願して参加が叶ったものである。

 さらに、学内の歴史ある武術大会でも、アイビスは唯一女性で参加し、対戦相手を悉く薙ぎ倒して危なげなく優勝を飾った。女に負けた屈辱たるや、想像を絶するだろう。ましてやプライドの高い貴族令息ならば尚更である。


 つまるところ、男子からはやっかみ、女子からは羨望というように、アイビスの評価は見事に二分化していたようだ。

 ご令嬢たちの優雅な囁きよりも、悪意ある声が耳に届くことは必然で、アイビスは必要以上に心を砕いてしまっていたらしい。


「もっと前に教えて欲しかったわ……」

「俺もメレナも何度も言っていただろう?アイビスの思い込みだって。ようやく誤解が解けてよかったな」


 恍惚とした表情で、こちらを崇めるように見つめるエリザベスを一瞥し、アイビスは苦笑した。


「それにしても、妹だけでなくわたくしまで命を救われることになるなんて……やはりわたしたちは運命の赤い糸で――」

「ん?妹?」


 急にどうして妹の話が出るのかと、アイビスが首を傾げていると、エリザベスは驚くべきことを口にした。


「ええ、先日路地裏で誘拐未遂にあったのは、わたくしの妹のベティなのです。ああっ!?わたくしったら……アイビス様のご尊顔を拝見できる悦びが強すぎて、ベティのお礼のことをすっかり忘れてしまっておりましたわ!申し訳ございません!日を改めてロテスキュー伯爵家にベティを連れて伺いますので、どうぞよろしくお願いいたしますわ」

「え、あ……うん、分かったわ」


 衝撃の事実続きで、アイビスの脳は既に考えることを放棄していた。

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