07_結婚初夜
お昼前から夕暮れ時まで続いたガーデンパーティも、宴もたけなわとお開きとなり、一同は改めて新郎新婦に祝辞を述べると家路についた。
ここ数日の間に、アイビスは私物をロテスキュー家へ運び入れていたため、今日から彼女の帰る先は夫となったヴェルナーと同じロテスキュー家となる。
そのことに違和感と気恥ずかしさを感じつつ、両親に挨拶をして、差し出されたヴェルナーの手を取り歩く。
後ろからすんすんと鼻を鳴らす音が聞こえるが、父の身体中の水分がそろそろ無くなってしまうかもと心配になった。
いつでも会える距離にいる。だけれど帰る家が異なる。そのことが胸をキュッと締め付け、改めて両親の大切さを噛み締めるアイビスである。
「いいパーティになったな」
「ええ、とっても幸せだったわ」
「これからもっと幸せになるんだぞ?分かっているのか?」
パーティの余韻と、嫁入りの複雑な感情を胸に抱くアイビスに、まだ先の未来を考える余地はなかった。
目を瞬き戸惑っていると、ヴェルナーは歩みを止めてアイビスに向き直った。
「今日から俺たちは夫婦だ。何かあれば俺を頼り、悩み事があっても一人で解決しようとせずに相談してくれ」
「ヴェル……ええ、ありがとう。あなたもね?」
「ふ、ああ。俺の全てをアイビスに晒すつもりだ。長年内に秘めていた恋心も全て、な」
「う……お手柔らかにお願いするわ」
日が傾き、昼と夜が混じり合う時間帯。橙色と紺色が溶け合う空にはキラリと一際煌めく一番星。
アイビスのお願いに、「保証はできない」と笑うヴェルナーの笑顔もまた、目を眇めてしまうほどの眩さを放っている。「もうっ」と少し拗ねたフリをしつつも、アイビスはゆっくりと、だけれど着実に変わりゆく関係にくすぐったさを感じていた。
◇◇◇
ロテスキュー家は、アイビスの実家のアルファルーン家と似た構造をしていた。隣同士で屋敷と庭の配置は対称的であるけれど、屋敷自体の造りはほとんど同じである。
二階の南向き、日当たりのいい部屋が屋敷の主人の部屋。そしてその隣が妻となる夫人の部屋、つまり今日からアイビスが住まう場所となる。
ヴェルナーの両親は一週間ほど前にセカンドハウスへの引っ越しを済ませ、そちらに移り住んでいる。そのため、主要な二部屋はアイビスとヴェルナーのものとなった。
アイビスは自室に入り、アルファルーン家から着いてきてくれた専属侍女のサラによって、花嫁からいつものアイビスへと魔法を解かれていく。
「アイビス様、本当に素敵でした。これからはたまにはお洒落しましょうね?きっとヴェルナー様もお喜びになります」
「うう……気が向いたらね」
湯で凝り固まった身体をほぐし、丁寧に髪を洗う。昔はガシガシと豪快に洗ったものだが、髪が痛むとサラに咎められてからは地肌の汚れを落とすようにしっかりと揉み洗いをしている。
全身の泡を流し、身体を拭いて、シルクのナイトドレスに身を包む。これはヴェルナーが用意してくれたもので、薄紫色の上品なデザインである。着心地もとても良くて、アイビスは初めて袖を通した直後からこのナイトドレスが気に入ってしまった。
サラに髪の手入れをしてもらい、お茶の用意までお願いしてから下がってもらった。
この後ヴェルナーの部屋に呼ばれているのだ。
アイビスとしても、昼間の賑わいの余韻にもう少し浸っていたかったのでヴェルナーの誘いに快諾したのである。
ふんふんと機嫌よく鼻歌を歌い、茶器のセットを両手に抱えるアイビスには、新妻の自覚は微塵にもない。これまで同様、昔からの気心知れた幼馴染と、ちょっぴり夜更かしをして語り合うという楽しみが心を占めていた。
けれども、いざヴェルナーの部屋の扉の前に立ったアイビスはというと、少し困っていた。
(両手が塞がっているからノックができないわ)
大きめのお盆に、お湯の入ったティーポット、カップとソーサーが二組、砂糖とミルク、数種類の茶葉が入った小瓶が並べられており、とてもではないが片手で持てる代物ではない。
(声を張るのも淑女らしくないわよね?うーん、どうしたものかしら。何とか片手に寄せて…)
アイビスが両手に持つお盆を何とか片手で持てないかと試行錯誤していると、アイビスの気配を感じたらしいヴェルナーによって、扉は開かれた。
お盆と格闘するアイビスを見て、溜息をつくヴェルナーには全てお見通しらしい。「あはは」と乾いた笑いで誤魔化すが、「手が塞がっているなら声をかければいいだろう。まったく」と、アイビスの両手を塞いでいたお盆をひょいと奪い取った。
「入って」
「お邪魔しまーす」
アイビスは数年ぶりにヴェルナーの部屋を訪れる。といっても、ここは屋敷の主人の部屋なので、子供時代の部屋とは訳が違う。調度品や家具は一流品揃いで、大きな窓際にはキングサイズのベッドが存在感を放っている。
(あら?私、何か大切なことを失念しているような――)
ふとした疑問を感じるが、カチャカチャとヴェルナーがお茶の用意を始めたため、アイビスも慌てて手伝いに走った。
お互いに好みの茶葉を選んでお湯を注ぐ。間も無く芳醇な香りが部屋を包み込み、ほうっと自然に感嘆の息が漏れた。
「じゃ、今日は一日お疲れ様」
「ええ、あなたもね」
お互いを労い、軽くカップを掲げてから口に運ぶ。ほんのりした甘味が口内に広がる。アイビスが選んだのはアールグレイで、今日は流石に疲れていたのでミルクをたっぷり垂らしている。
「ん、うまい」
ヴェルナーはカモミールを選び、長い足を組みながら満足げに紅茶を楽しんでいる。
二人は部屋の中心にあるローテーブルの前に置かれた座面の低いソファに並んで腰掛けていた。
ガーデンパーティの話、それぞれの家族の話、メレナの話など、今日一日を振り返るようにたくさん会話を重ねる。二人の間には笑いが絶えず、穏やかな空気が流れている。
(ああ、やっぱりヴェルナーの隣は落ち着くわね)
なんてことを思いながらティーカップを傾けていると、不意にヴェルナーがアイビスの顔を覗き込んできた。
「な、なに?」
「いや?そのナイトドレス、よく似合っているよ。ウェディングドレス姿には敵わないが、とても可愛い」
「んなっ……!?あ、あなた昔はそんな歯の浮くようなこと言わなかったじゃない!」
「そりゃあな、アイビスへの気持ちは隠していたし……だが、今はもう、アイビスは俺の妻だろう?何も照れる必要も隠す必要もない」
「う……そ、うだけど……」
ヴェルナーの正論に太刀打ちができないアイビスの語尾は萎むように小さくなっていく。
そしていい機会かと、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「ねぇ、昔から私のこと……その、好きだったって言ってくれたけど…なんで何も言ってくれなかったの?」
ヴェルナーは少し困ったように頬を掻くと、視線を僅かに上に逃して答えた。
「んー、幼馴染であり良き友人って関係を崩したくなかったっていうのもあるけど……一番はアイビスより強い男になってから告白したかったからだな」
そういえば、求婚された時にも言っていた。『アイビスよりも強くなって、帰国してから徐々に口説き落とすつもりだった』と。
確かにアイビスとヴェルナーはよく手合わせをすることがあった。勝率はアイビスに軍配が上がっており、ヴェルナーも腕は立つのだが、アイビスが強すぎた。
成長の早かったアイビスに体格の利があったことを除いても、技量でアイビスが優っていたのは間違いない。
「隣国では文官候補としての勉強の合間を見ては、師範について稽古を重ねていた。この三年で背も伸びたし筋肉もついた。今だったらそう簡単に負けないと思うぞ?」
「やってみなきゃ分からないでしょう?」
挑戦的なヴェルナーに対し、ツン、と顔を背けるアイビスであるが、ヴェルナーが強くなったことは戦わなくたって分かる。アイビスの目から見ても、その体躯は鍛え上げられ、体幹も重心もしっかりしている。本当に三年前とは別人のようだ。
薄暗い部屋に浮かぶ艶やかな銀髪も、アイビスを映す綺麗な琥珀色の瞳も、顔立ちだって、ずっとずっと男らしくなっている。
そこでようやくアイビスは、自分が無防備なナイトドレス姿で、ヴェルナーも胸元の空いた夜着を身に纏っていることに思い至る。
(ちょっと…これは流石に、よろしくないのでは?)
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