第16話ファッションショー
水口さんと別れて僕が最後に向かったのは、伊勢崎さんのところだ。
メッセージアプリの情報を頼りに、彼女との合流を図る。
向かった先は、大量生産の安い服を売る、大手の服屋だ。
店先に佇み僕を待っていたらしい伊勢崎さんが、僕に気づいた。僕を呼びように、少しだけ手を振る。そんな様子すら様になっていてかっこいい。
「伊勢崎さん、もう決まった?」
「はい、ほとんどは。だから、渡辺君も無理に付き合わずに自分の買い物をしてきていいですよ」
伊勢崎さんは清香のむちゃぶりに振り回されている僕を案じてくれたらしい。
「いいんだよ。どうせ買うものなんて見つからないか、大して欲しくもないものをつい買っちゃうかのどっちかなんだから」
基本的に、今の僕が欲しいものはここにはない。それなのに店内を巡ったりしていたら、いらない散財をしてしまいそうだ。僕の足は、気づけば漫画売り場に向かうようにできている。今月は漫画の新刊の発売が多くてピンチなのだ。大人しくしているのが吉だ。
「そうですか? じゃあ……」
伊勢崎さんは、見た事のないような嬉しそうな笑顔を見せた。僕の心臓が飛び跳ねる。
「本屋行きましょう、漫画見たいです」
ああ、これはまずい。僕の貯金がピンチだ。
大型の本屋がある一階に下りながら、僕は伊勢崎さんに話しかけた。
「伊勢崎さんは漫画とか読むんだね。なんか少し意外かも」
なんてったって漫画みたいな力を自分で持っているんだ。わざわざ空想の世界まで行く必要もあるまい。
「そうですか? まあ読むのはもっぱら少女漫画ですよ。……学校の皆さんには、バレたくないですね」
あの男前な伊勢崎さんが少女漫画か。水口さんなんて飛び上がるほど驚くんじゃないだろうか。
「僕には話して良かったの?」
「渡辺君にはもう何がバレても一緒です。一番知られたくなかったことはもう知られていますから」
なるほど、そういう心理だったのか。どうして頑なに素を隠す伊勢崎さんが僕にはあっさりと色々打ち明けたのか、今まで疑問に思っていたが、少し納得できた。
「……そういう人が、他にもできたらいいね」
例えば、清香に明かしてみてはどうか、なんて僕は思った。 しかし僕の言葉に、伊勢崎さんは困ったように眉を下げた。
「でも、知られるのは怖いです」
「伊勢崎さんは素の性格でも十分魅力的だし、怖がる必要もないと思うけど」
そんな言葉をかけるが、伊勢崎さんの顔は曇ったままだった。
「そう言ってもらえるのはありがたいですが、それはたぶん、渡辺君が優しいからです」
「多分みんな僕と同じくらいには優しいよ」
「そんなこと、ないです」
強い意志の籠った否定だった。僕は口を噤む。
「それに、私の力については、多分死ぬまで誰にも話すことはないと思います」
伊勢崎さんは自分の手を見つめた。
「でもそれは、寂しくない?」
「寂しいですよ。でもね、渡辺君。──私は人を殺せる力があるんですよ」
彼女は右手を抱きかかえるようにして胸につけた。まるで、凶器が周りに触れないようにするみたいに。
その様子に、僕は初めて彼女を見かけた時のことを思い出した。
拳を水面に叩きつける彼女と、轟音に、信じ難いほど飛び上がる水飛沫。きっと、あれを人に向けてしまえば、あっさりと壊してしまうのだろう。
伊勢崎さんの言葉や仕草はあまりにも悲痛で、僕は必死になって反論した。
「でも、人間なんてみんな誰かを殺す力があると思うよ。例えば僕が自宅から包丁を持ってきたら、誰かを殺すことができる。車を運転している人だってそうだ。ちょっとしたミスで、あっさりと人を殺してしまうかもしれない。その他にも──」
「──でも、実際に誰かを殺したことのある人は、ほとんどいない」
底冷えするような声だった。まるで本性をむき出しにした清香みたいだ。常人には分からないほどの深い思考に裏付けされていて、うかがい知れないほど深い何かがある。
ああ、やっぱり伊勢崎さんは、清香と同じだ。
特別な人間。普通じゃない人。僕とは違う人。
それっきり、二人の間には沈黙が訪れた。
僕は、隣を歩く伊勢崎さんが急に遠い存在のように感じられた。
『正人は大人しく待っててね! 私たちの艶姿に刮目せよ!』
清香からのメッセージを受け取った僕は、大人しくベンチに座って待つことにした。人の流れから少し外れたここは、周りに人がいない。僕は歩き回った足を休めることにする。
しばらく人の流れをボーっと眺めていると、元気な声がした。
「正人! お待たせ!」
見ると、いつの間に近づいて来たのか、そこにはキラキラした笑顔の清香がいた。魅力的な顔から視線を外して、彼女の服を見る。
まず目に入ってきたのは、大胆に露出された足だった。すらりと伸びた足が、膝上まで露出して僕の目線を奪う。
その上には、短い、あまりにも短いスカート。短い。短すぎるのでもう少し短くしてほしい。見えない。
「正人! 視線がいやらしい!」
怒られて、僕は慌てて目線を清香の顔に戻した。彼女の顔は、ほんのり紅潮していた。
「恥ずかしいならそんな恰好しなきゃいいのに」
「でも可愛かったんだもん」
ぷくりと頬を膨らませる彼女。
視線を逸らし、今度はトップスを観察する。活発な印象を与える生足コーデに合わせて、肩の部分の露出した白いブラウスが短いスカートに少しかかっている。健康的で小さい肩は、なんだかイケナイものを見ている気がしてしまい、僕は少し視線を逸らす。
「はい、感想!」
選手をしごく鬼コーチみたいな口調で、清香は僕を問い詰めた。見ているとハラハラするような足元なのに、彼女はグイグイと近寄って来た。
「え、えっと……」
「早く! はい、さん、にー、いち……」
「か、可愛いよ! 明るい時の清香の雰囲気によく合っていると思うし、足元の無防備さも目が離せなくなるほど魅力的だと思う。こういうのなんていうの、うん、可愛い!」
最終的に言葉の出てこなくなった僕は、やけくそな言葉で締めくくった。どうしよう……清香に『はい、やり直し』とか言われたら……。これ以上言葉が出てこない。というか、今の僕だいぶキモくなかったかな……大丈夫かな……。
恐る恐る様子を窺っていると。清香は何やら下を見て止まっていた。
「……清香?」
「正人! どこでそんな誉め言葉覚えてきたの⁉」
バッと顔をあげた清香は、開口一番そんなことを言ってきた。目が合うと、わずかに逸らされる。
「いや、どこって僕の言葉だけど……」
「嘘⁉ あの正人がこんなに成長したってこと? どうやって? 誰か女の子相手に褒めまくってたってこと? 誰? どこの馬の骨⁉」
何をそんなに興奮しているのだろう。早口にまくしたてる清香の頬は赤い。
「なんで僕そんなこと聞かれてんの……?」
「だって! 正人小学生の頃、初めて化粧したもらった私になんて言った⁉」
「なんて言ったっけ?」
「お化けって! 口紅を塗った私のことお化けって言った!」
ひどい男もいたものだ。
「君は本当にあのデリカシーのない正人と同一人物なの⁉ いいや、君は誰? もはや別人と言っていいほどに変わった君のことを、私は正人と呼んでいいのかな⁉」
言っていることは支離滅裂でよくわからなかったが、何やら興奮していることは分かった。こういう様子の時の清香は、まともに取り合っても無駄だ。
「次行こう、次」
僕はスマホを取り出して、水口さんへのメッセージを作成する。
「ちょっと、混乱する私を差し置いて他の女に連絡しようとしてるの⁉」
「清香がそういう企画にしたんだろ! もう言うべきことは言ったし、さっさと水口さん呼ぶよ!」
「正人!」
「何⁉ まだなんかとんちきなこと言うの⁉」
「……褒めてくれてありがとう。嬉しかった」
「ッ!」
清香は、赤らめた頬で、少し目線を逸らして、素直に礼を言った。あんまりにも唐突な不意打ちに、僕の心臓はびっくりして跳ね上がった。
「お待たせ……って、何二人して顔真っ赤にしてんの?」
水口さんの声がする。僕は気まずい空気を振り払うと、彼女の方を見た。
そして、息を呑んだ。そこにいたのは、お淑やかな少女だった。
「……何ジロジロ見てんのよ」
いつもの水口さんのぶっきらぼうな口調に、違和感すら覚えてしまう。それほどまでに、今の彼女は清楚だった。
ベージュ色のブーツ。脛あたりまでふわりと広がる黒色のジャンパースカート。襟付きのシャツは、それとは対照的な白色だ。黒と白のコントラストがなんだか眩しい。蝶々結びの細いリボンが胸元につけられていて、上品な感じが一層増している。
「どう?」
くるりと、彼女はその場で一回転してみせた。長いスカートがふわりと舞い上がって、それ自体が踊りの一つのようにすら映った。
僕は、自分の感想を素直に伝えることにした。
「いつもと雰囲気がだいぶ違うね」
「そうね、それが狙いだったからね。……普段とのギャップ。こういうの、好きでしょ?」
水口さんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。あまり見ない顔だ。冷静そうに見えて、彼女も案外ワクワクしていたのかもしれない。
「まあ、好きだね」
なぜか清香の目線が僕に突き刺さった気がしたが、気にせず続ける。
「全体的にお淑やかそうな印象でいいと思う。黒と白のコントラストもいいけど、僕的にはブーツの組み合わせもいいポイントかな。あと胸元のリボン。無地のシャツにワンポイントつくだけで随分印象が良くなっていると思う」
「何よあんた……」
水口さんは心底驚いた、という表情で僕を見つめていた。
「え?」
「めちゃくちゃちゃんと褒めるじゃない⁉ なに、さっきのはなんだったの⁉ できるなら最初から言いなさいよ! 不意打ちでびっくりするじゃない!」
水口さんはさっきの清香みたいに、早口にまくしたてた。その様子に、僕は一つ仮説を立てた。
「もしかして照れてる?」
「……ハーッ! 素直に礼言おうと思ったけどやっぱりやめた! あんたはやっぱり渡辺だったわ。いいから早く麗様を呼びなさい。あたし楽しみにしてるんだから」
怒られた……。僕は素直にスマホを取り出すと、伊勢崎さんにメッセージを送った。
その間、おしゃれした二人の女の子が話しはじめていた。
「ねえ、星さんの幼馴染どうしちゃったわけ?」
「分からないの……。なんか知らないうちに女性耐性つけてきたの……。前の正人なら私のファッションにタジタジになるはずだったのに……敗北感……」
「勝手に負けた気にならないでよ、めんどくさい」
……それはもしかしたら、伊勢崎さんのおかげかもしれない。最近ずっと伊勢崎さんの芸術品みたいに綺麗な顔を見ていたせいで、美しいもの、可愛いものに耐性が付いたのかもしれない。
思えば、伊勢崎さんと前にここに来た時から僕の目は成長した気がする。多分、審美眼というやつは美しいものを見ることで育つのだ。
「待たせたね」
伊勢崎さんの良く通る声が僕の耳に入ってくる。振り返り、僕は目に入って来た光景に息を止めた。
「どうかな?」
伊勢崎さんの美しい姿には見慣れつつあったはずの僕でも、思わず見惚れてしまった。後ろの方で、水口さんはが『あわわわわ』などと呻いている声が聞こえた。
全体的に黒っぽい服装だ。何よりも目を引くのは、さらりと羽織った黒のライダースジャケットだ。テカテカとした表面が高級感を出していて、伊勢崎さんのかっこよさを際立たせている。
インナーはやや白よりの灰色。全体的に黒い印象と調和している。
ぴっちりとした黒いパンツがくるぶしまであって、長い脚を一層長く見せている。
「ふつくしい……」
水口さんが、恍惚とした表情で呟いた。
沈黙が下りる。その場の雰囲気が、完全に伊勢崎さんに把握されていた。
「……どうかなって聞いてるんだけどな?」
伊勢崎さんの言葉に、僕はようやく我に返った。見れば、全然何も言わない僕の様子に微妙に不安になっているようにも見えた。
「伊勢崎さんらしさがすごく出ていて、いいと思うよ。パンツもジャケットも、伊勢崎さんのかっこよさがよく出せていると思う。というか、正直女性でこのファッションがこんなに似合うのは伊勢崎さんくらいだと思う」
「ふむふむ……渡辺君、いつになく饒舌だね。熱でもあるのかい?」
「正人はさっきからその調子だよ。たぶんどうかしちゃったんだよ」
「一生懸命褒めたのに……」
僕の扱いがひどい。
「じゃあ、みんなのこと褒めてるけど、ズバリ、誰が一番良かった?」
「……それ、決めなきゃダメ?」
正直似合っていない人なんていないし、ここから敗者を決めるのは難しい気がした。
僕が目線を向けると、清香は少し考えだした。
腕を組んでウンウンと唸っていた彼女は、やがて答えを出したらしく顔をあげた。
「いや、いいや! みんなよかったってことで、平和的解決にして帰ろうか!」
「強情な清香にしては珍しく柔軟な対応だな」
「勝てない戦はしない程度の分別はあるよ」
少しだけ声を低くして言った清香は、僕に向けてニコリと笑った。珍しい、静かな笑みだった。
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