さすらいの行商人、大迷宮に挑む

マルルン

第1話 どういう経緯でこうなった?



 何がどうしてこうなったんだろう――どういう経緯で自分はここにいるのだろう? 椿つばき咲良さくらは、完全に呆然自失の体で周囲に拡がる景色を眺めていた。

 いや、ここに至る経緯は全てちゃんと記憶してはいるのだけれど。一部分、その不条理な契約を行なった瞬間を除いてではあるけど。悔やんでも悔やみ切れない、純然たる悪意の姦計。

 それが現在の、この状況に直結していると言う訳だ。


 簡潔に説明すると、どうやらここはいわゆる異界に存在する“大迷宮”であるらしい。固有名詞も幾つか聞いた気もするけど、ほとんど忘れてしまった。

 と言うか、信じる気持ちすらその時は湧いて無かったのだけど。


 周囲を見渡すと、何と言うか長閑のどかな丘陵が拡がっている。咲良が今いる場所は、そんな小高い丘の1つのようだった。見晴らしは良いけど、特にこれと言った特異点は見当たらない。

 少なくとも“大迷宮”の言葉に、該当する箇所は1つも無さ気である。いや、どう見ても日本では無いかなって感じの感想は抱いてるのだけれど。

 強いて言えば、緑豊かなヨーロッパの風景に似ているのかも。


 彼女のいる丘の上には、何故か石畳が敷き詰められた休憩場所が設置されていた。そこに4人程度が余裕で囲めるような、同じく石造りのベンチとテーブルが設置されている。

 丘の斜面の一方には、そこに至る階段まで用意されていた。その先をずっと辿って行くと、それは舗装された道へと続いている。道は丘を縫うように、途切れずどこまでも続いている。

 こんな場所が大迷宮……一体何の冗談だろう?


 ここが異界と言うのも、どうも当てにならない詐欺に思えて来た。少なくとも彼女を雇用した会社は、全面的に不誠実極まりないのは身をもって体験している咲良である。

 それなりに危険な場所だとの情報は、前もって教えては貰えたのだけれど。この地で安全に活動するためにと、危険を匂わされて強制購入させられたスマホを、彼女は何気なく手に取ってみた。

 これを購入するために、その場の新規雇用者全員が3千万円の借金をさせられたのだ。


 こんな感じの詐欺の手口は、一昔前から割と存在しているらしい。『振り込め詐欺』や『ネット詐欺』以前に、つまりは振り込みやネットが生活に馴染んで無かった頃から。

 やり口としては「自宅で出来る簡単儲かるバイト」や「御来訪の方全員にラッキーサービス♪」みたいな広告や電話を、最初に色んな人に提供する。それに釣られてやって来たカモに、強引に高額商品を売り込むらしい。

 旨い話には裏がある……今回咲良が引っ掛かったのも、まさにそんな手口だった。


 その詐欺師社長の話では、この異世界で活動するにはこのスマホは生命線らしい。何しろ自動翻訳ほんやく機能が付いていて、この世界で商売するのに無くてはならないモノなのだとか。

 そう、その詐欺社長が欲していたのは、彼の手駒となって働く販売員だった。つまりは咲良が無理やり与えられた業務は、この異世界で行商人として働く事なのだ。

 売って歩く商品は、ポーションや保存食――確かに、迷宮探索には必需品ではある。


 そんな行商の為に与えられた三種の神器だが、これがまた少々恥ずかしい。いや、法被はっぴのぼりの派手過ぎるデザインは、正気の沙汰ではない程度に物凄く恥ずかしい。

 ただしこれらは拒否出来ない仕様になってるらしく、この2つが正しい位置に無いとスマホの翻訳機能が入らないとの説明を受けており。神器と言うより、これは呪いじゃないかって気になるのは致し方ない。

 ちなみに残りの1つは、魔法の鞄である。


 これだけは、少なくとも真っ当に評価出来る代物だった。何しろ水物のポーションや飲料水がしこたま入っているにもかかわらず、肩に掛けてもほとんど重さを感じないのだから。

 試しに取り出してみたポーションやマナポは、まるでヤ〇ルトのようなプラスチックの容器に入っていた。それが全部で20本と10本、売りまくってランクが上がるともっと持たせて貰えるとの話だった気がする。

 ランクなど上げたくは無いけど、少なくとも魔法の効果には素直に感嘆する咲良。


 咲良はTVゲームのRPGプレイ経験もそれなりにあったので、これらの薬品の効用も何となく理解出来た。こんな不思議体験の遭遇も、いきなり全否定する程にはれてはいない。

 だからと言って、今の状況に完璧に適応出来るかと問われればそうでも無かった。自分に持たされた荷物をいじっているのは、何かしてた方が気持ちが落ち着くからに他ならない。


 恥ずかしいデザインの、法被と幟はこの際無視する事に決めた。着用は仕方がないけど、無いモノとして行動すれば良い。幸い幟の重さも、我慢出来ないと言う程では無い。

 って言うより、これは明らかに武器として使用が可能なようにデザインされているようだ。幟棒の重量と強度は殴るには手頃であり、しかもその尖端は鋭利に尖ってさえいる。

 更に旗掛けとして横に飛び出した部分は、完全に鋭利な刃物だった。


 三種の神器は商売に必要なうえ、生き残る為にはこの武器となる幟とスマホは絶対に必要だとの忠告も貰っていた。もう1つ付け加えるとしたら、己の知恵と勇気だとも。

 赤面モノの言い回しだが、完全に的外れと言う訳でも無いってのが咲良の心情だ。優れた機能を持つ装備を持っていても、使いこなせなければ意味が無いと確かに思う。


 自分に知恵と勇気が備わっているかは置いといて、取り敢えずスマホの機能は一通り調べておく必要がある。それとも、この付近の探索を先にした方が良いだろうか?

 全く知らない場所へと、あの詐欺社長によって飛ばされたのは恐らく事実なのだろう。少なくとも目に付く場所に危険の兆候は見当たらないけど、上司の数少ない忠告を無視するのもアレだし。


 初っ端に歯向かった彼女は、完全に奴に目の敵にされたのだと推測される。それが証拠に、他の同期の新入り雇用者に1人ずつ付く予定の指導員は、自分には存在していない。

 それが今の状況、つまり右も左も分からない事態を生み出している訳だ。スタートから致命的なハンデ、ってか既に詰んでいてもおかしくない構図である。


 咲良にしてみれば、既にあいつの言いなりになってこの地で金儲けをする気は完全に失せていた。ただし、詐欺社長の言っていた幾つかのキーワードを確かめる必要はある。

 “大迷宮”の真偽もその1つ、それから自分が売ろうとしているアイテムの有効性も。本気になって行商人をする気は無いが、詐欺社長によると自身の再転位まで3時間あるらしい。

 それまで何をするかって話だ、不実な借金だが減らすすべも欲しい所。


 それを考えると憂鬱ゆううつになってしまうが、額が大き過ぎてかえって洒落で済ませてしまえそうな気もする。何しろ、スマホの代金に加えて法被と幟が5百万ずつしたような。

 魔法の鞄は会社からの貸し出しで、万一無くしたら5千万の罰金になるらしい。うろ覚えでしかないけれど、詐欺社長の概要説明で実のある部分はほとんど無かったのだ。

 自慢話が大半で、咲良にしてみればもっと現地の情報が欲しかった所。




 そして再び、話は振り出しに戻る訳である。ここはどこで、何がどうしてこうなったのだと。そう言えばと、咲良はスマホを取り出してマップ機能を試しに使おうとしてみた。

 結果から言うと、それは使えなかった。と言うか、アプリが入ってなくて、インストールに50万円が必要ですと表示で諭されたのだった。高額過ぎる、ぼったくり商法ここに極まれり。

 今更であるが、とにかく酷い会社に雇われたモノだ。


 仕方が無いので、自分の足で周囲の探索をしてみる事に。体力には割と自信のある咲良だけど、何しろ目的地すら判然としない現在の状況である。

 取り敢えず丘の上からぐるりと辺りを見廻してみて、進む方向を決めに掛かる事に。気になったのが、道の少し先にあるちょっとした広さの雑木林だった。

 あの先に、何か建物らしき影が見えないだろうか?


 気になったら確かめるまで、そこまで大した距離でもないし。歩いて20分程度だろうか、真っ直ぐに伸びた針葉樹の並びは防風林のようにも見えて来た。

 そうと決まれば、いざ行動を起こす時だ……改めて着込んだ派手な法被については、完全に頭から追い出して。幟を手にして、石造りのベンチから立ち上がる。


 多少の緊張感とワクワク感に後押しされて、咲良は鞄を肩に下げて、丘の階段を駆け下りた。左右に続く道に辿り着いても、相変わらず生き物の気配は無し。

 安心して良いのかどうか分からないが、油断無く目的と定めた雑木林へと歩を進める。気温は暑過ぎも寒過ぎもせず、お日様がポカポカと照って良い気分。

 この気候には、自然と足取りも軽くなろうと言うモノ。


 雑木林に近付くにつれ、普通に生き物の気配が察知出来るようになって来た。鳥のささやきや羽ばたく音、それから茂みを揺らす小型の草食動物らしき影などなど。

 異世界物のモンスターとの遭遇などを意識して、多少の緊張感を維持していた咲良だったけど。てんで的外れな気がして来て、気恥ずかしい思いばかりが膨れ上がって来る。

 完全に担がれたんじゃなかろうかと、自分の立ち位置に疑心暗鬼に。


 お陰でその一団の姿を視認したのは、完全に不意打ちとなってしまった。相手もこちらに驚いている様子、互いに十メートルほど手前で立ち止まってしまう破目に。

 咲良もらちの無い事をあれこれ考えていたが、向こうも歩道を行くのに警戒はしていなかった様子。明らかに咲良の出で立ちを上から下まで眺め回して、不振がっている感じを受ける。

 さもあらん、同じ立場なら彼女だってお前は何者だと詰問するだろう。


「…………ポーションは如何いかが? あと、水や保存食も幾らかあるよ」

「何だ、物売りか! 奇天烈な格好をしてるから、何者かと思ったぞ……」

「確かに珍しい格好だな、どこの種族の出身なんだ?」


 思わず不審がられない様にと出た言葉に、相手の反応は良好な様子。それに安堵した咲良だったけど、普通に冒険者の格好をした者達との遭遇には内心ドキドキものだったり。

 本当に会えるとは思っていなかったのもそうだし、こちらの格好を指摘されたのも同様だ。それからちゃんと言葉が通用するっポイのも、安心したポイントのひとつ。


 この不意の遭遇で色々な事が判明しそう、ここは気張って会話に持ち込まねば。幸いにも、向こうはこちらを物売りと信じてくれているし。

 相手は腰に物騒な武器をいているとは言え、それも重要な情報には違いなく。つまりこの辺りは、手ぶらで歩き回るには危険な場所って事だろう。

 そして今の所、それが咲良に向けられる気配は無し……これが一番重要。


「いやぁ……この辺りで商売するの、実は初めてなモノで。ここでの規則も良く分からない、遠くから来た行商人でして……皆さんは、ベテランの冒険者って奴ですか?」

「いや、俺達はそこまで熱心に通ってる上級者って訳では無いけどな……それでもそこそこ稼げてるし、危険に見合った報酬は得られてるよ」

「あんた、そんな恰好でビギナーかっ……こんな場所を、女性が1人でうろつくモノじゃないぞ? あまり本道を外れると、厄介なモンスターに襲われるしな。

 こんな長閑な場所でも、ソロで歩き回るのは得策じゃないぞ?」


 心配されてしまってアレだが、咲良は逆に感動していた。なるほど彼らは冒険者そのもので、各々が得意と思われる武器を装備していた。

 ほとんどが剣の類いに見えるが、弓や槍を持つ者もいる。職業と言うか、パーティ内でこなすべき役割が恐らく決まっているのだろう。


 冒険者5人組に共通するのは、地味な色合いの衣装だった。なめし革の武具だろうか、それぞれ使い込まれて良い感じにヘタっている。

 言うなれば、中世のRPGゲームの世界そのものな感じ。


 ところが彼らの中に、金髪碧眼は1人もいなかった。良く日に焼けた肌は、元は中東系の人種に近いのかも知れない。髪の毛も瞳の色も、派手な色合いの者は皆無である。

 お陰で咲良も、それ程には浮いた存在には見られていない様子……まぁそれも、ド派手な衣装をのぞけばであるが。移動中も、これでは目立って仕方が無い。


 それは仕方がない、幸い相手も販売員の手法の1つだと良い方に解釈してくれた様子。つまりは、行商人は目立ってナンボだとの見解を示してくれて。

 と言うか、翻訳機能凄いなぁと改めて咲良は感動していた。ビギナーのくだりで少々、機能が与太ヨタっていた気がしたけど、似たような言葉が見付からなかったせいだろうか?

 とにかく翻訳機能は正常に作動して、言葉が通じるのは僥倖ぎょうこうだ。


 恐らくは咲良より5歳程度年かさの冒険者集団は、幸いにも良い人たちばかりだった。本当に初心者だと判明した彼女を心配して、色々とアドバイスを投げ掛けてくれて。

 アイテムこそ買って貰えなかったけど、それは仕方がないと言うモノ。近くに前哨ぜんしょう基地があるらしく、彼らはそこを出発したばかりらしかった。

 つまりは、ポーション類の補給の必要は全く無かった訳だ。


「くれぐれも大通りからは外れるなよ……ろくな武装もしてないと、あっという間に獰猛どうもうなモンスターにやられちまうぞ?

 幸いここら辺りには、強い敵はいない筈だけど……」

「ポーションや保存食は必要ないが、有益な情報なら買ってくれるって連中もいるだろう。例えば宝箱や厄介な敵の目撃情報や、地下迷宮への入り口情報とかな」

「冒険者にしても、食い詰めてならず者に成り果てた連中も存在するからな。この大迷宮が幾ら気前が良いと言っても、当てにしてたら酷い目に遭うぞ?





 ――楽して儲けようって性根の奴らは、どこにだっているモノさ」





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