　内視鏡検査をした日から二週間後、検査結果を伺うためにお茶の水の大学病院に向かった。診察室の前の控室で順番が来るのを待っていたが、新田の名前は一向に呼ばれなかった。予約しておいたはずなのだが、自分より後から来たひとが次々と診察室のなかに入って行く。新田は気が気でなかった。折りたたみ傘の柄（え）を指で擦りながら、陽性なのか、陰性なのか、頭のなかでその事ばかり繰り返し考えていた。結局二時間も待たされた。

　やっと新田の名前が呼ばれ、診察室のなかにはいって医師の前の椅子に腰掛けた。

「やっぱり、悪い病気でした」

　医師は、直接癌という言葉を使わなかった。癌の告知を受けた新田は、不思議と正常な精神状態である。

「手術のために入院の予約をとりますが、ご都合はどうですか。早ければ十日後に入院出来ますが」

「十日後でかまいません。あと、すみませんが精神安定剤と睡眠薬を処方してもらえませんか？」

「わかりました。それから、タバコは入院する一週間前から吸わないようにしてください。肺に負担がかかりますから。では、十日後に入院の予約をしておきます」

　家に帰るとまず、富山に住んでいる母方の伯母に連絡した。相談できる者が身近にいなかったのである。母親は初期の認知症にかかっており、姉は新興宗教に傾倒（けいとう）している愚姉（ぐし）であった。伯母から事情を聞かされて、東京に在住しているいとこの恵子（けいこ）さんから連絡が来た。

「岳（たけ）ちゃん大腸癌になったんだって。おばさんから聞いてびっくりしたわよ。それで、どんな具合なの？」

「いえ、検査したら初期の大腸癌でした。盲腸の手術をするようなものですよ」

　新田は、恵子さんを心配させないように、虚勢（きょせい）を張ったような口ぶりで答えた。

「それはよかったわね。腰が痛いとかないの？」

「どこも痛いところはないです」

「わたしの知り合いで、腰が痛いっていうから、病院で検査したら大腸癌だって言われて」

「どれくらいの癌だったんですか？」

「末期の癌だって」

「どうなったんですか？」

「亡くなったのよ」

「……」

　新田は、電話機の本体と受話器をつないでいる螺旋状（らせんじょう）のコードを、左の親指と人差指で転がしながら恵子さんの次の言葉を待った。

「でも初期の癌でよかったわよ。いつ入院するの？」

「来週の木曜日に入院する予定です」

「それじゃあ、わたしもその日に行きますから。病院で落ち合いましょう」

　恵子さんは姉に代わって、親戚への連絡や見舞金に関する事をすべてやってくれた。

　新田は自暴自棄（じぼうじき）になっていた。仕事から帰宅すると、食事もとらずにパチンコ屋に出かけて、医師から禁煙するように言われていたにもかかわらず、タバコを吸いながら閉店までパチンコに興じた。パチンコをやりながら、自分の腹のなかで癌細胞が増殖し、体が蝕（むしば）まれていることを思うと無性に腹立たしかった。