第7話『異世界グリッチ』
ブラスフェミー討伐から三日後。
水源を目指して旅をしていた俺たちは、途中の滞在地として、ミーナの故郷であるヴィムル村へやってきていた。
水源まではほど近く、半日も歩けばたどり着ける距離にあるらしい。
周囲を谷に囲まれた中規模の集落で、二十軒ほどの集落が村の中に点在している。
村の真ん中には大きな湖があり、生活用水の確保や洗濯、食材の調達などに使われているようだ。
「ランドルフの被害が出ていなければよいのだが……」
気遣わしげにつぶやくと、ミーナが近くにいた村人の青年に声をかける。
昔からの知り合いなのか、村人は愛想よくミーナを迎え入れた。
「おお、ミーナちゃんか! 久しぶり、大きくなったなあ」
「お久しぶりです。村で『
「ああ、ここいらで今流行っとるらしいな! でも俺たちは大丈夫だ。
「ならよかった」
『齧られ』とは、ランドルフの『呪毒状態』のことだろうか。
オオカミに噛まれたような痕がつくから、それが由来だろう。
それにしても、水神様なんて肩書きのキャラに聞き覚えはないが、この世界独自の神様か?
「ミーナ、水神様ってのは?」
「うちの村では疫病の類が流行ることが少なくてな。それがあの湖におわす神様のおかげだ、とする信仰があるのだ」
「なるほど」
道沿いに村の中を歩いていると、作業をしていた村人や、遊んでいた子どもたちが挨拶をしてきて、ミーナはそれら全てに丁寧に応えていく。
ヴィムル村での、彼女の立ち位置がわかった気がした。
「さあ、ついたぞ。私の家だ。……帰ったぞ、母さん!」
ミーナがこじんまりとした屋敷の前に入っていった。
それに続くと、玄関にたどり着く前に表のドアが開いた。
「ミーナ! よく無事に帰ってきたねえ。怪我はないかい? ああ、こんなに汚れて……嫁入り前なんだから、もっと身ぎれいにしてないと、男が寄ってこないよ!」
ドアから出てきたのは、ふくよかな体つきをした中年の女性だった。
ミーナの母親と思しき女性は、さっそく彼女の身だしなみについてケチをつけ始めた。
部下の前で子ども扱いされるのが嫌なのか、ミーナがブスッとした顔になる。
「別に寄ってこなくてもいい。私は騎士だぞ」
「またそんなこと言って……おや、ミーナ。この方は?」
「ああ、紹介しよう。彼はフミオ。成り行き上、私たちと旅をともにしている。卓越した実力を持つ男だ」
「まあ! はじめまして、ミーナの母のテオドシアです。うちの娘がお世話になっているみたいで……」
「いえ、自分も彼女にはいつも助けられています。フミオです」
初めて友達の家で母親に遭遇したときのようなやり取りだ。
こういうところは、どの世界の母親も変わらないんだな。
ミーナの母、テオドシアが、ほっと安心したように胸をなでおろす。
「なんだい、ちゃんと男を捕まえてきてるじゃないか。よかった、これでもう行き遅れる心配はないね。あたしゃ昔っから心配だったんだよ、アンタはなにかっていうと剣だ騎士だって男臭いことばっかしで……」
「ち、違う! フミオは、別に……そういうのじゃない! フミオは……頼れる男だ! それだけだ!」
きっぱりそう言い切ると、ミーナはずかずかと母親を押しのけて屋敷の中に入っていった。
やれやれ、とテオドシアが肩をすくめる。
「ほんと、素直じゃないだろう? お兄さん、あの子がああやって言うときはね、絶対気になってるってことだから、言葉通り受け止めちゃあいけないよ!」
「は、はあ……」
いけないよ! って言われても、俺にどうしろっていうのさ。
確かに、『アスガルド』プレイ中はよく「ミーナと付き合いてえ~」なんて独り言を口にしていたりもしたけど、生身の人間相手となればわけが違う。
そもそも、彼女いない歴=年齢で、初恋すら経験のない俺には、恋愛感情というものがよくわからないのだ。
「てか、フミオさんって団長のこと、どう思ってるんスか?」
「どう思ってるって……どう思ってんのかねえ……」
「フミオさん、素直になった方がいいですよ? 団長、きっと待ってますから!」
「そ、そう……」
なにこれ、恋バナってやつ? 辛いんですけど。
俺をそういう陽キャムードに巻き込むのやめてもらっていいですか?
本当に怖いんで。
「こらこら、二人とも。フミオ殿がお困りだぞ。あまりからかうんじゃない。……さあ、フミオ殿。旅の疲れを癒やしましょうぞ。
「いえいえ、いいんですよ。さ、クルトくんにエーリカちゃんも」
「「はーい」」
他の三人とも顔見知りなのか、テオドシアは笑顔でスクルド騎士団を屋敷に迎え入れた。
俺は少し気後れしていた。
誰かの家に泊まるなど、小学生以来の出来事だったからだ。
しかも女の子の家になんて初めてだ。
しかし、久々に屋根のあるところで寝られるという事実には抗えなかった。
俺は意を決してパークス家の敷居をまたいだ。
◆ ◆ ◆
用意してもらったシャツとズボンに着替えた俺は、
夢の中で、俺は真面目に高校に通っていた。
中学でいじめられていた過去にもめげず、少ないながらも友達をつくり、それなりに楽しい生活を送っていた。
『フミオ。遅刻するぞ。早く起きろ』
なぜか俺はミーナと同棲していて、毎朝彼女に起こされ、彼女の手料理を食べてから、一緒に登校していた。
まったく意味がわからないシチュエーションだが、夢の中ではなんの違和感もなかった。
夢のミーナは、ブレザーの制服を着て、長い金髪をポニーテールにしていた。
毎朝、鏡の前でヘアゴムをくわえ、髪をまとめる彼女を後ろから眺めながら、俺は至福を感じていた。
これが、きっと幸せなんだと思った。
けれど、あるとき気づいてしまった。
彼女の手はボロボロだった。爪はひび割れ、手のひらにはタコができていて、年頃の女の子とは思えない、荒れた手をしていた。
ヘアセットを終え、振り向いた彼女の目には、強い意思の光が宿っていた。
だから――これは夢だとわかった。
ミーナの生きる世界は、平和な日本じゃない。
悲劇と惨劇に満ちた、残酷な『アスガルド』の世界なんだ。
甘い夢は終わりを告げる。
俺は、現実に戻らないといけない。
彼女を、この世界から救うために。
「フミオ? どうした、泣いているぞ。怖い夢でも見たのか?」
目を覚ますと、ベッド脇にミーナが立っていて、俺の顔を覗き込んでいた。
質素な麻のワンピースに着替えたミーナにしばらく見とれたあと、俺は慌てて目元をぬぐった。
濡れている。
ミーナが優しく微笑んで、頭をよしよししてくれた。
「大丈夫だ、フミオには私がついている。怖くないぞ」
「こ、子ども扱いするなよ……」
「ははは、嫌なら呼ばれたらすぐ降りてくることだ。もう夕飯の支度はできているぞ」
窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっていた。
俺はミーナの後について、食堂へ行った。
八人がけの長テーブルには、すでに俺とミーナ以外のスクルド騎士団の面々が揃っていた。
テーブルの上には人数分の食事が並んでいて、俺は席について食べ始めた。
メニューは黒パンと、野菜と肉が入ったスープだ。
パンをちぎって、スープに浸して食べると、よく煮込んだ玉ねぎのほのかな甘味と、豚肉の旨味が染み込んでいて、ほっと頬がほころぶのを感じた。
「フミオ、味はどうだ。塩気が足りなければ、いつでも言ってくれ」
「いや、このままでいいよ。すごく美味しい」
「そうか。それはよかった」
ミーナは嬉しそうに相好を崩し、スプーンですくったスープを上品にすすった。
騎士団の面々も腹が減っていたのか、パクパクと食事を平らげていく。
「テオドシアさん、おかわり!」
「はいよ、クルトくんはよく食べるねえ」
「人の家でご馳走になっているのにおかわりなんて、クルトったら遠慮ってものを知らないんだから」
「うるせえなあ、いいだろ別に。お前だって、もう食い終わってるじゃんか。本当はまだ物足りないんだろ?」
「そ、そんなこと……」
「エーリカちゃんも、遠慮しなくていいんだよ。お腹いっぱいお食べ」
「な、なら、わたしも……」
食べ盛りの幼馴染コンビを、微笑ましそうに年長組のミーナとホルガーが見つめている。
仲間と同じ食卓を囲み、誰かが出す食器の音や話し声が響く中で食べる食事は、一人きりで食べるどんな料理よりも美味しく感じられた。
……なんか、いいな。こういうの。
全員がボウルを空にしたところで、テオドシアが何気ない口調で切り出した。
「今回はいつまでいるんだい?」
「明日の夜明けとともに出立する。もう帰らないと思ってくれ」
「帰らないって……」
「王都決戦のおり、そして先日、やつには敗れたが、私たちは力をつけた。フミオという心強い助っ人もいる。三度目の正直だ。いい加減、あの人狼めを野放しにはしておけんと思ってな」
「そうかい……」
テオドシアは、なんと言っていいかわからないようだった。
危険な旅路に赴く娘を引き止めたい気持ちと、娘の決意を否定したくない気持ちが入り混じっているのが、表情から察せられる。
だから、助け舟というわけではないが、俺はおもむろに口を開いた。
「そのことだけど、まだやつに挑むには早いと思う」
「フミオ。よもや臆したとは言うまいな」
「違う。聞いてくれ」
気色ばむミーナを制すように、俺は両手を顔の前に挙げた。
「ブラスフェミーとの戦いでわかった。ランドルフと戦えば、たぶん俺以外は全員死ぬ。かばう余裕もないと思う」
忖度を抜きにして断言すると、ミーナは語気を強めた。
「もとよりかばってほしいなどとは思っていない。私は自分の意思で剣をとる。それで死ぬのなら本望だ」
「お、俺もッス! 戦場こそが男の墓場だと思ってるんで! 死ぬとかぜんぜん怖くないッス!」
「わたしも!」
「まあ、落ち着いてください、団長。それにふたりとも。お気持ちはわかります。ですが、フミオ殿の話をまず聞こうではありませんか。彼は我々の身を案じてくれているのです。決して軽んじているわけではございますまい」
ホルガーのとりなしで、場がいったん静まった。
俺は彼に感謝を告げ、話を続ける。
「俺は騎士団全員を生還させる……確率を上げる方法を知ってる。生還の確率が上がれば、勝つ確率も上がる。勝利のために死ぬなら本望かもしれないけど、無駄死には嫌でしょ? 俺だって困る。せっかく連れて行ったのに、開幕で初見殺し食らって即死なんてされた日にはいたたまれない。やつに挑むのは、そういう対策をしっかりしてからでも遅くないと思うんだけど、どうかな」
攻撃の的をそらすための単なる囮なら、いくらいてもいいのだが、それが生きた人間ともなると話は別である。俺だって鬼じゃない。
さりとて、仲間を置いて俺ひとりで討伐に向かうのも、心もとないものがある。
よって、ランドルフ戦の前に、もう一度強化イベントを挟まなければならないのだ。
そのことを、どうしてもミーナには納得してもらわなければならない。
ミーナは少しの間、黙り込んでいた。
「やつを倒すのが遅れれば、犠牲者は増える」
「ランドルフを倒せるのは俺たちだけだ。俺たちが負ければ、全員死ぬ。だったら、多少は必要な犠牲として割り切って、回り道することも必要だと思う」
「……そうだな。フミオの言う通りだ。『
いいだろう、とミーナは首を縦に振ってくれた。。
「で、具体的にはなにをするのだ」
「まずは
ミーナが不敵に口の端を吊り上げる。
「今さら、我々が危険など恐れると思うか? 騎士を侮るなよ、フミオ」
◆ ◆ ◆
「よし、いた」
岩陰から、俺はターゲットの所在を確認すると、俺はミーナたちに合図を出した。
ここは『ユーダリルの逆巻く峡谷』
谷底から吹き上がる風が赤土を舞い上げ、さながら燃え盛る炎のようだ。
俺は弓を構えると、谷の向こう側にいる敵へ、慎重に狙いを定めた。
標的は、体高五メートルはある巨大なオオカミに乗った巨人『
鎧と槍で武装し、辺りをうろつきながら周囲を警戒している。
やつが守っているのは、かつてこの先で栄えていた巨人の街ギャラルブルーだ。
守るべき街が滅びてもなお、忠実に使命を果たそうとする姿は、どこか痛ましい……と設定資料集に書いてあった。
「行くぞ!」
放たれた矢は弧を描きながら谷間を飛んでいき、ヒュンドルの左腕に命中した。
攻撃を受け、戦闘状態に入ったヒュンドルが、俺たちのいる方へオオカミの身体を向けさせ、大声で叫んだ。
「おのれ! この俺を『ギャラルブルーの堅固なる盾』と知っての狼藉か! 貴様ら全員八つ裂きにしてくれる!」
しかし、ヒュンドルと俺たちの間には、幅十五メートルほどの谷があり、ジャンプでは渡れそうにない。
「卑怯者めが! 遠くから見下しおって! こちらへ来い! 騎士として一騎打ちを所望する! 逃げるのか!? 臆病者!」
周囲に橋もなく、ヒュンドルはひとり武器を振り回しながら、喚き散らすことしかできないようだった。
そんなヒュンドルを無視し、俺は目を細める。
「うーん……さすがに落ちないか。皆、準備はいい?」
「フミオ……本当にやるのか?」
「気が進まないのはわかる。でも、これは皆が力を合わせないとできないことなんだ」
そう言って、俺は
「どうしたデカブツ! かかってこい、このヘタレ! ハゲ! 雑巾みてえなヒゲ生やしやがって!」
ヒュンドルへの罵倒を叫び続ける俺に続いて、クルトとエーリカ、ホルガーも『挑発』を発動した。
「犬っころになんか乗って、かっこつけてんじゃねえぞおっさん!」
「変態ヒゲオヤジ! 生理的に無理! ワンちゃんが可哀想!」
「ウドの大木めが! デカいのは図体だけか、小心者! 悔しかったら我らのもとへ来てみろ!」
めちゃくちゃに悪口を言いまくる俺たちに、ヒュンドルは真っ赤になって激怒すると、さらに激しく武器を振り回した。
『挑発』はその名の通り、対象からのヘイトを集め、攻撃を誘発させる
運営の遊び心なのか、この
ソロでは当然のごとく効果はなく、もっぱらマルチでアタッカー・タンク・ヒーラーなどの役割分担をして敵に挑む場合のみ使用する
それは、複数人が同時に発動すると、敵の挙動がバグるのだ。
具体的には、壁にめり込んだり、本来登らないはずのオブジェクトの上に登ったり、その場で延々とリーチの短い攻撃を繰り返したりする。また、敵は多ければ多いほどバグりやすい。
どれもハメに悪用できる愉快なバグばかりだが、その中の一つが『投身煽りバグ』だ。
「くそっ、ダメだ。場所が悪いのかな……ミーナ! 『挑発』だ! あと一人増やして挙動をさらにバグらせればたぶんいける!」
「団長! 頼みます!」
「団長!」
「団長殿……!」
俺たちの必死の懇願に、ミーナは嫌そうに渋っていたが、ようやく折れてくれた。
すうっと大きく息を吸い込み、恥じらいのこもった声で叫んだ。
「……ば、バカものー!」
「貴様らああああ! 許さん! このヒュンドルが直々に裁きを下してくれる!」
完全にブチ切れたヒュンドルが、助走をつけてこちらへ飛びかかってきた。
しかし、まったく飛距離が足りず、「うわああああ!」と情けない悲鳴を上げながら、谷底へ落ちていった。
数秒経って、はるか下の方からグシャッという生々しい音が聞こえた。
残酷極まりないが、これが『投身煽りバグ』である。
俺はメニューを開き、きちんと
「すげえ! めっちゃ増えてる!」
「こんなに簡単に……!」
「やはりフミオ殿の策略は素晴らしいですな!」
口々に俺を称賛する騎士たち。
しかし、ミーナだけは相変わらず複雑そうな表情を浮かべていた。
「哀れだ。あの
「ミーナ。これは戦争なんだ。そんな甘いことを言っていたらこの先生き残れない」
「しかし、多少は危険があると言っていたではないか。これではあまりに一方的すぎる。無惨だ」
「たまーにこっち側の崖に着地判定が引っかかって、そのまま登ってきて戦闘になったりするんだよ。場所取りがシビアなんだ」
「うーむ……」
まだ納得のいっていない様子のミーナはそっとしておくことにして、俺は宣言した。
「よし、あと三十周だ」
『泉』で休息すると、中ボス以下のエネミーが
その日一日、俺たちはひたすらヒュンドルを身投げさせ続け、大量の
さらに、稼ぎを終えると俺は谷底に降り、ヒュンドルがドロップした装備をすべて拾い集めた。
武器は『警衛の長剣』で防具は『警衛の鎧』ついでに『月狼の毛皮』も手に入った。
あくまで、俺にとっては繋ぎに過ぎない装備だが、手っ取り早く騎士団の戦力を向上させるにはちょうどいい。
『月狼の毛皮』だが、これはランドルフ攻略にも役立つ重要素材だ。
道中で集めておいた『鉄鉱石』『灼熱石炭』をメニュー画面から合成して、『上級鋼』を作成する。
さらに『上級鋼』を今回大量入手した『月狼の毛皮』と合成すれば『
獣人系の
俺が『
「その『めにゅー画面』という
「まあね」
厳密には
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