第5話『災厄の幕開け』


 翌日、目が覚めると、はぐれ村で異変が起きていた。


「た、大変じゃ……! 婆さんが、婆さんが……!」


 泡を食ってうろたえているのは、ボリスという名の老翁だった。

 彼の妻と思しき老婆が、床から起き上がれなくなっているのだという。


 急いで様子を見に行くと、俺の口からうめき声が漏れた。


「『呪毒状態』だ……」


 ござの上に横たわった老婆の全身には、獣の噛み跡を思わせる紋様がいくつも浮かび上がっていた。

 それは、まぎれもなくランドルフがもたらす状態異常に感染した証だった。


「いつからこうなっていた」


「さ、さっき井戸から汲んできた水を飲んだら、婆さんがいきなり苦しみだして……」


「その水はすぐに捨てるんだ。……クソ、やつの毒か」


 ランドルフの能力について知っているのか、ミーナは怒りに顔を歪ませた。


「水源がやつに汚染されたに違いない。すぐに対処しなければ、この村だけでなく、周辺の集落にも被害が広がるぞ」


「やっちまいましょうよ、団長! 今の俺たちなら勝てる!」


「そうですよ!」


 血気にはやるミーナたち。

『呪毒状態』にかかった者は、ランドルフに力を吸い取られる。

 やつは水源を媒介して毒をばらまくことで、自身を強化しているのだ。


 俺は慌てて呼びかけた。


「ちょっと待った。ランドルフは対策装備なしじゃ絶対勝てない。きちんと準備しないと」


「そんな悠長な真似してる暇ないッスよ! 今すぐ行かないと!」


「待て。……フミオ、準備にはどれくらいかかる」


 俺は考えた。

 ランドルフ討伐に必要なのは『聖銀』系装備三種。

 一つ手に入れるのにも、それぞれイベントクエストをクリアする必要があり、またその場所も離れている。


『アスガルド』なら馬を使って高速で移動できたが、この世界ではそうもいかない。

 さらに、ランドルフの強さに合わせて、クエストの攻略難度も相応に高く設定されているはず。


 行きました、勝てましたですんなりゲットできるほど甘くはないだろう。


「……必要な装備は三種類。全部集めるには、たぶん一ヶ月くらい見た方がいいと思う」


「それではダメだ。犠牲者が増える。危険を冒してでも、すぐ討伐に向かうべきだ」


「な、なら最低限必要なものだけ。

『聖銀のタリスマン』ってアイテムで、奴の『呪毒状態』を軽減する効果と、獣人に対する特効を持ってる。

 これだけなら、行ってボスを倒せば手に入ると思うから、移動時間だけで済む」


「……よし。決まりだな。その『聖銀のタリスマン』を入手しに行こう」


 ミーナは宣言し、俺は騎士団を案内して『聖銀のタリスマン』のある『ブレイザブリクの呻く古城』へ向かうことになった。

 出発前にはヤコブが来て、俺の手を握って頭を下げた。


「無理はせんでええ。わしゃ、アンタが無事に戻ってきてくれればそれでええんじゃ」


「安心してください。必ず無事に帰りますよ」


 適当にそう返事して、俺ははぐれ村を出た。

 陰鬱な曇り空の下を早足で歩きながら、俺は密かに後ろめたさに苛まれていた。


 実のところ、『聖銀のタリスマン』だけでは若干心もとないものがある。

 通常攻略において、一つだけ入手するとしたら、その圧倒的火力で殴りの回数を減らせる『聖銀の騎士王剣』か、高い対獣人特防を持つ『聖銀の天鎧てんがい』を選ぶだろう。


『聖銀のタリスマン』は簡単に手に入るという理由でRTAでは選ばれがちだが、性能としては他の二つに比べて数段落ちる。

 ……また、これらの対策装備は、ゲーム内で一度しか手に入らない。


 まるで、騎士団全員分が揃うような言い方をしたが、まかなえるのは一人分だけだ。

 正直に言おう。俺はランドルフと戦わずに済むのなら、ミーナたちから離脱することも考慮していた。


 確かに、はぐれ村やミーナたちを見捨てるのは心が痛むし、なるべく協力してやりたい。

 だが、そのために死ぬ可能性が高い相手に挑むほど、俺はお人好しじゃない。


 もし、これが何回死んでも許されるゲームなら、俺はいくらでも男らしくなろう。英雄的に振る舞おう。

 しかし、ここは現実なのだ。泥をすすってでも、生きる道を探さなくてはならない。


 流れとしては、『聖銀のタリスマン』は一つしかなかった。これを装備できなければ奴に殺される。俺は降りるから、使い道はそっちで決めてくれ……とミーナに預けて去る。こんなところだろう。


 ミーナたちには落胆されるかもしれないが、心苦しいのは別れる一瞬だけだ。

 強敵を倒して人々を救う、なんてスケールのデカいことは、主人公にでも任せておけばいい。


 俺はチマチマと身の回りの脅威だけ排除して、慎ましやかに生きていきたいのだ。


 ……そういえば、この世界には、主人公に相当するキャラはいるんだろうか。


 俺がそうなら話は簡単なのだが、これだけ『アスガルド』準拠の世界なら、設定通り『放浪騎士』か『自警団』か『流人』出身の主人公的存在がいてもおかしくない気がする。


 人っ子一人見当たらない、荒れ果てた街道を踏みしめながら、俺はミーナに聞いてみることにした。


「ミーナ。変な質問なんだけど、俺以外に俺みたいな、他人のステータスを見れたり、武技レギンを使える奴に会ったことってある?」


「……いや? ないな。貴殿のような奇妙な人物に出会っていれば忘れるはずもない。皆はあるか?」


 ミーナが騎士たちに話題を振るが、答えは同じだった。

 まあ、ミーナだって『アスガルド』全域の出来事を把握しているわけじゃないだろうし、単に知らないだけということもあり得る。


 主人公については、ゆく先々で、気が向いたら情報収集することにしよう、と思ったのだが騎士の一人、ホルガーという男が首をかしげた。


 何かを思い出そうとしているようだ。

 年齢は三十代後半。騎士団の中では最年長の実直な中年だ。


「そういえば、単身で『アスガルド』を旅し、業魔モーズどもと戦っていた騎士がいるという話を耳にしたことがありますぞ。なんでも、その騎士は死してなお蘇る、禁忌の魔法ルーンを操るとかなんとか」


「死んでも蘇る?」


「ええ。致命傷を負い、息絶えたにも関わらず、後日別の場所でその騎士の姿が目撃されたとか。

 しかし、王都での決戦以降、噂も聞かなくなりましたし、あるいはあのとき、業魔モーズどもの手にかかったのかもしれません」


「蘇生できる魔法ルーンか。そんなものがあれば大変に便利だが、どうなんだフミオ」


「いや、俺も知らないかな……あるとしたら、アイテムの効果なんじゃないか? いや、でもそんなのドロップするエネミーなんて……」


 ぶつぶつと独り言をつぶやいているうちに、俺はあることに思い当たった。

『アスガルド』は俗に言う『死にゲー』と呼ばれるジャンルのゲームで、プレイヤーは何度も敵に殺されては復活することを前提に、バランス調整がされている。


 その復活のために必要なアイテムとして『蘇生のタリスマン』というものがあるのだ。

 といっても、『蘇生のタリスマン』はメニューの装備画面にも表示されないし、なくしたり壊れたりすることもない。


 あくまで、そういうアイテムを所持しているから何度でもリスポーン地点から復活できる、というフレーバー的――ゲームプレイには関係しない設定だ。


 もし、その騎士とやらが『蘇生のタリスマン』を持っている主人公だとしたら、この世界の人間からは何度でも蘇る不思議な人物として認識されてもおかしくはない。


 念のため、こっそりと自分の懐を探ってみたのだが、それらしいアイテムはなかった。

 やはり、俺はこの世界の主人公というわけではなさそうだ。

 

 そんなことを話しているうちに、俺は見覚えのある城壁を遠目に発見した。

 王都グリトニルの外壁だ。あそこなら確実に商人がいる。


 あそこは『アスガルド』で一番栄えている街で、素材の換金効率もいい。

 オンライプレイにおいては拠点となるため、よくあそこで視聴者と交流したものだ。


 懐かしい記憶に浸りながら、俺はミーナに声をかけた。


「悪い、ちょっとグリトニルまで行ってくる。装備を更新したいんだ。先に行っててくれ」


 すると、ミーナは沈痛な面持ちで、言葉を探すように視線をさまよわせた。

 他の騎士たちも、気まずそうに足元を見つめている。

 不思議に思っていると、ミーナが重たげな口を開いた。


「貴殿は知らないのかもしれないが……グリトニルはもう落ちている。ランドルフとその配下どもによってな」


「……え?」


 今度は俺が聞き返す番だった。

 グリトニルが……陥落した? あの難攻不落の巨大な街が? 俺の思い出の場所が?

 俺の脳裏に、活気に満ちたグリトニルの目抜き通りの光景がよぎる。


「う、嘘だろ?」


「嘘であったらどんなにいいか。今でもあの日のことは夢に見るくらいだ」


「そんな……」


 俺はそれでも信じられず、グリトニルへ走り出した。

 城門から伸びる道に、馬車の轍や人の足音は見当たらない。

 枯れた雑草を踏みつけながら、俺は何度もつぶやいた。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」


『アスガルド』随一の街にして、アスガルド王国の王が座するグリトニルが陥落したということ。

 それはすなわち、この国が滅びたということに他ならない。


「ゲギャギャ!」


 俺の行く手を阻むように、小鬼ゴブリンたちが草むらから飛び出してくる。


「邪魔だ!」


 俺はほとんど足も止めずに彼らを殲滅し、開いていた城門に飛び込んだ。

 そして、ミーナの言葉が真実であったことを理解した。


「マジ、かよ……」


 俺は呆然となり、その場に立ち尽くした。

 華やかだった中央通りは見る影もなかった。

 建物という建物は打ち壊され、焼き払われ、黒ずんだ炭と瓦礫の塊と化している。


 正面に見える王城も焼け落ち、壮麗な装飾が施された尖塔の数々は、無惨にもへし折れていた。

 至る所に、人骨と思しき白い物体が、埋葬されることもなく打ち捨てられている。


「うわあっ!」


 足元にも、虚ろな眼窩から俺を見上げてくる髑髏が落ちていることに気づき、俺は思わず飛び退いて尻もちをついた。

 肉体が朽ちてから、もう数年は経過しているだろうに、どこかえた臭気が漂っている気がして、俺は思わず鼻を覆う。


『アスガルド』の設定資料集で読んだことがあった。

 曰く、『アスガルド』世界はすでに業魔モーズによって支配されかけており、主人公が現れなければ、数年以内に滅亡していたと。


 グリトニルが活気を取り戻すのも、主人公の手でこの地を支配するランドルフが倒されてからだ。

 それまではグリトニルも、業魔モーズに怯え、城門を固く閉ざしたまま、滅亡を待つだけの死んだ街でしかなかった。


 だが、この世界のグリトニルは本当に死んでいる。

 なぜか? 主人公が死に、この世界を救う者がいなくなったからだ。

 また、俺は先日のミーナのセリフを思い出した。

 

『いい。確かに騎士とは面倒ごとの多い仕事だ。名前も知らない民のために、命を賭けて業魔モーズどもと戦い、得られるのは僅かな給金と名誉だけ。近頃ではそれもなくなってしまった』

 

 あのときは意味が分からなかったが、今なら分かる。

 ここは、主人公が敗北した、いわばゲームオーバー後の『アスガルド』なのだ。


 街道が荒んでいたのは、整備する人間がいなくなったからに他ならない。


 大好きなゲームの世界に来れた、なんて浮かれている場合ではなかった。

 俺は己の悲運を呪った。

 

 ◆ ◆ ◆


「納得できたか、フミオ」


「ああ……」


 ミーナたちのもとへ戻ると、ミーナが気遣わしげに言った。

 俺が未だ呆然としながらうなずくと、一行は歩みを再開した。


『蘇生のタリスマン』を持つ騎士、すなわち『アスガルド』の主人公が、グリトニルでの戦いの際に命を落とした可能性は高い。


 王都を守る戦いとあれば、騎士たる者ならまず参戦するだろうし、実際にスクルド騎士団の活動範囲で主人公の目撃情報があった。


 だが、不死身に近い主人公が、王都決戦以降姿を見せなくなった理由は分からない。

『蘇生のタリスマン』を失って死んだのか、それともどこかに姿を隠しているだけなのか。


「いつの日か王都を奪還し、王国を復興することこそ我々騎士の悲願だ。一度、奴らに玉座を明け渡した恥辱をすすぐには、それしかない」


 崇高な使命を語るミーナの目には、強い決意が宿っている。

 気を取り直し、少しでも情報収集をしようと、俺はミーナに尋ねた。


「よければ、その王都決戦のことについて、詳しく教えてくれない?」


「いいだろう。三年前、私が十五で叙勲した年のことだ。業魔モーズどもが活発になり、あちこちで――」


「え、ちょ、ちょっと待って。三年前に十五歳ってことは、今は十八歳ってこと?」


「……そうだが?」


「ええー……マジか。あ、いやごめんごめん話の腰折って。続けていいよ」


 そういえば、女性に年齢を聞くのは失礼だとネットで見た。

 俺は慌てて謝罪するが、ミーナの眉間のシワが緩むことはなかった。


「察するに、私はとても十八には見えんと言いたいようだが、逆にいくつに見えていたのだ?」


「いや、ほんとごめん」


「答えろ。いくつに見えていたのだ」


 ミーナは額に青筋を立てたまま、口の端を引きつらせる。

 どうやら、怒っていないアピールで笑おうとしたらしい。

 逆に怖かった。


「怒らないから言ってみろ。ほら」


「二十二くらい?」


「首を出せ」


「うわあああごめんなさいごめんなさい許して! 大人びて見えるって言いたかったんですミーナさんは大人の魅力でいっぱいですう!」


「何が大人の魅力だ! ……ふん、分かっているさ。

 自分に女としての魅力がないことくらいな。別にいいさ、どうせ私は戦って死ぬのだ。

 人並みの幸せなど初めから望んでいない」


 むすっとした表情ですねているミーナに、俺はなんと言葉をかけていいのか分からなくなった。


 フォローのつもりなのか、とりなすようにクルトが言った。


「え、でもじっさい団長って大人のオンナって感じじゃないッスか?」


「ふ……そうか、大人の女か。まだ十代なのにな。ふふふ……『まだ』」


「バカ! 余計なこと言わないの!」


 本格的に落ち込み始めたミーナを、エーリカが必死に励ます。

 すると、ホルガーが俺にそっと耳打ちしてきた。


「フミオ殿。ここは男を見せるときですぞ」


「何を見せるですって?」


「『貰い手がなければ俺があなたを貰う』と言うのです。騎士の常套句ですぞ」


「ええっ! 言えないよそんなこと!」


「何を臆病になっているのです! 戦いでの武勇はいかがなされた!」


「いや、それとこれとは話が別で……」


 ひそひそと言い合いをしていると、ミーナが冷たい目で鼻を鳴らした。


「くだらないことを言っていないで、前を見て歩いてくれ、フミオ。案内役はお前しかいないのだぞ」


「わ、分かった。……あ、あれだ」


 顔を上げると、視線の先に西洋風の寂れた城が建っていた。

『ブレイザブリクの呻く古城』だ。

 シンデレラ城や王城のような絢爛さはなく、どちらかというと実用一点張りの城塞のような外見をしている。


「あそこに『聖銀のタリスマン』とやらがあるんだな?」


「うん。でも行けばすぐ手に入るってわけじゃなくて、NPC……ある人物から依頼を受けないといけないんだ」


「む。それでは話と違うではないか」


「大丈夫。依頼はあの古城に陣取ってるボスを倒せってので、そいつはそんなに強くないから、今の俺たちならそんなに苦戦せず倒せるはず。すぐ手に入るっていうのはそういう意味」


「なるほど。ならば問題ない」


「あ、ブラスフェミーの攻略のことなんだけど――」


 俺たちはしばらく歩き、古城の近くに設置されていた『泉』で休息をとり、回復薬を補充した。


 いよいよ出陣である。

 俺は古城の正面扉……ではなく、崖の下を通って裏手へ回った。


 断崖絶壁の途中に、彫刻刀で彫ったように刻まれた細い道は非常に狭く、ちょっとでも気を抜いたらすぐ足を滑らせそうだ。


 ミーナが怪訝そうな声を出す。


「なぜこんな道を? 正面から行くのではないのか?」


「正面から行くと無駄に雑魚敵と戦う羽目になるからね」


「そういうものか」


 蟹歩きで十メートルほど進んだあとは、ロッククライミングだ。

 岩の出っ張りに手足を引っ掛け、波しぶきでずぶ濡れになりながら崖を登っていく。


 案外、主人公もこういうどうでもいいところでミスをして死んだのかもしれない、と俺はぼんやり思った。

 崖を登りきった俺たちは、疲労でぐったりと座り込み、しばしの休憩をとった。


「……やっぱり普通の道で来たほうがよかったかもしれない」


「今さらそんなことを言うな」


 年齢騒動の怒りがぶり返したのか、ミーナは不機嫌そうだった。

 十分ほどして、気力を取り戻した俺は、皆を先導して、目指す場所へ向かった。


 城の裏庭の中ほどにある大樹の根本に、一人の騎士が幽鬼のように立っている。

 男の身体は半透明になっていて、向こう側にある城壁が朧気に見えていた。


 今回のクエストの依頼人である『今は去りしつわもの』だ。


「いた。あのNPCに話しかければ……」


「あれは……まさか、団長のお父さん……!?」


「フリード殿! 生きておられたのか!?」


 俺の言葉が聞こえていないかのように、騎士たちがざわつき始める。

 それこそ、まるで幽霊でも見たかのような反応だ。

 ん? 待てよ。前団長ということは、『今は去りしつわもの』はもしかしてミーナの、


「……父さん」


 ミーナが愕然とした面持ちで、自らの父を呼んだ。

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