第2話『見知った異世界』

 ひとしきり感動し終えた俺は、軽い足取りである場所を目指していた。


「いやーマジか! マジであるんだな異世界転移! マジのマジじゃんやべーわこれ!」


 興奮して、ひとりでに言葉が口からあふれてくる。

 今や一ジャンルとして確立されるほどにありふれている異世界転移ものの主人公のような境遇に、まさか自分がなるとは思ってもみなかった。


 道中、出くわしたザコは片っ端から討伐し、『経験値オーズ』を獲得していく。

 経験値オーズは、任意のステータスを上げたり、新たな武技レギン魔法ルーンを習得するために使う、非常に大事なリソースである。


  もちろん、標的にするのは小鬼ゴブリン屍人ゾンビといった、攻撃パターンが単純なモンスターだけだ。

 少しでも被弾する危険のある強敵は、徹底的に避けて通っている。

 当たり前すぎることだが、この世界ではダメージを食らうと痛いからだ。


 先ほど、油断して小鬼ゴブリンに一発腕を殴られたときは、思わず悲鳴を上げてしまった。もう、二度とあんな思いはしたくない。

 幸い、まだ序盤なので周囲にはザコ敵が多い。


 俺は順調に経験値オーズを貯めていった。

 とはいえ、やはり雑魚は雑魚。

 手に入る経験値オーズは少なく、飛躍的にステータスを伸ばすには至らない。


 優先して上げたいのは、圧倒的に持久だ。

 持久を上げるとスタミナ上限値が高まり、さらにローリング回避やガード成功時のスタミナ消費量が軽減される。

 安全なガーパリメインで堅実に立ち回るのなら、絶対に上げておきたい。


 また、持久を上げておかないと使えない武技レギンもあるのでなおさらだ。

 リスクの大きい真パリは、当分の間、封印しておくことにする。


「にしても、全然NPCいないな。どうなってんだ?」


『アスガルド』なら、広い街道には必ず旅人や行商人NPCがおり、彼らから品物を購入したり、サブクエストを受注できたりする。

 だが、この世界にそれらしき人影は見当たらない。


 心なしか、道にも雑草や石ころが多く、あまり整備されていない印象を受けた。

 しかし、俺はさして気に留めず歩き続け、やがて目的地にたどり着いた。

『ホッドミーミルの黒い森』

 鬱蒼と生い茂った樹木が、黒く見えるから名付けられた名前らしい。


 ここには有名な経験値オーズ稼ぎポイントがある。

 これを使えば、時間こそかかるものの、完全にノーリスクで大量の経験値オーズを手に入れられるのだ。

 また、近くに『はぐれ村』という名前の流浪の民が集まる野営地もある。


 そこに行けば休息も可能という、まさに当座の拠点としてうってつけの場所だ。

 この世界が『アスガルド』と同じ仕様かどうかは分からないが、試してみる価値はある。


 森の中を黙々と進んでいると、どこかから人の声がした。

 それも、一人や二人ではない。数十人、場合によっては百人くらいはいそうなほどの、多重に重なり合った、凄まじい怒声だ。


 ときの声、という奴だろうか。

 森があるのは小高い台地の上で、声は少し下の方から聞こえてくる。

 俺は恐る恐る崖の下を覗き込んだ。

 そこでは、戦争が行われていた。


 映画やドラマの撮影とはわけが違う、血や肉が飛び散る本物の殺し合い。

 現実世界では、決して目の当たりにすることのない光景に、俺はしばし圧倒されていた。


「こえー……」


 間抜けな感想をつぶやきながら、俺は状況を分析した。

 戦っているのは、『アスガルド』の人間側勢力と、敵側勢力である『業魔モーズ』だ。

 業魔モーズとは、幻想上の生物の姿をした、元人間の怪物のことだ。


 業魔モーズは人肉を好み、人を食らうことで己を強化することができる。

 対する人間側勢力は、『アスガルド』で栄えているアスガルド王国の騎士たちだ。彼らは業魔モーズの根絶を掲げ、王や民のために剣を振るっている。


 こうしたイベントに加勢すると、報奨金と経験値オーズがゲットできる。

 見たところ、業魔モーズ小鬼ゴブリンと犬の頭をした小鬼ゴブリンの亜種である犬人コボルトしかいないようだし、面白半分に参加してみてもいいかもしれない。


 そう思って腰を浮かせかけた俺だったが、ぴたりと動きを止めた。

 業魔モーズたちの中に、ひときわ体格の大きな狼男の姿を発見したのだ。


「やっべ、ランドルフじゃん。ムリムリ、逃げよ」


 俺は屈んだまま、ゆっくりと後ずさった。

病魔天ヴァナルガンド』またの名を『まじなうう爪のランドルフ』

『アスガルド』のメインボス『六大魔天』の一体であり、RTAにおける最大の障壁とも呼ばれる業魔モーズだ。


 外見は、身長3メートルを超える、二足歩行のオオカミ。

 全身に巻きつけたベルトには、大量の剣や皮鎧が挟み込まれている。

 ランドルフが爪を振るうたび、血しぶきと断末魔の叫び声が上がる。

 獰猛な金色の瞳は殺戮に酔い、耳まで裂けた口元には嗜虐の愉悦が宿っていた。 


「うわ、うわああああ!」


 腕に爪の攻撃を受けた騎士の一人が、傷口を抑えて絶叫する。

 直後、ぶわっと騎士の全身に、獣の噛み跡を連想させる黒い紋様が浮かび上がった。

『呪毒状態』

 食らうと体力ゲージが半分になり、さらにスリップダメージを受け続けることになる。


 そのまま放っておけば死ぬのはもちろんだが、『呪毒状態』の厄介な点は、ランドルフを倒す以外に解除方法がないことだ。


 対策するには『聖銀のタリスマン』を始めとする『聖銀』系武具を装備するか、『呪毒状態』でランドルフに攻撃がヒットすると、わずかにHPが回復することを利用し、ひたすら殴り続けるしかない。控えめに言ってクソボスの類だ。


「か、返……せ……」


『呪毒状態』になった騎士は、二三歩よろめいた後、ばったりと倒れて動かなくなった。

 HPゲージを見ると、ゼロになっている。死んだのだろう。


「ギャハハハ! こいつはもらっていくぜ!」


 いつの間にか手にしていた鉄製の剣を、ランドルフが腰のベルトに挟む。

 よく見ると、それは傷を負った騎士が、倒れる直前までは装備していたものだった。


「うわー……面倒くせえ。やっぱ『窃盗』あんのかよ」


『窃盗』とは、ランドルフの攻撃に付与されている、こちらのアイテムを盗む能力のことだ。

 主に、こちらの回復薬などを盗んで勝手に使ったりするのが主な活用法だが、ごくまれにバグで装備を盗んでくることがある。


 特に、タリスマン――同時に1つだけ装備できるアイテム――などは、ゲーム中で一度しか手に入らないものばかりなので、掲示板では阿鼻叫喚の嵐になっていた。

『アスガルド』でランドルフが出現するのは、もう少し行った先にある『フェンサリルの波打つ庭園』というエリアなのだが、何から何までゲーム通りというわけではないのだろう。


 ランドルフだって生きている以上、フェンサリルから動いて別の場所に姿を現すことがあっても不思議ではない。

 しかし、はぐれ村を当面の拠点にする計画は、考え直した方がいいだろう。


 こんな近くにランドルフが出張ってくるということは、『アスガルド』ではエネミーが入ってこない安全地帯だったはぐれ村も、安全ではないかもしれない。


 俺が今いるのは『アスガルド』風の異世界であって『アスガルド』そのものではないということだ。

 ゲーム内なら死んでもリスポーン地点に戻されるだけだが、ここで死ねば本当に死ぬかもしれない。


 ランドルフと戦うなら、最低でも『聖銀のタリスマン』できれば『聖銀の騎士王剣』と『聖銀の天鎧てんがい』と『聖銀の具足』の完全防備を固めて臨みたいところだ。

 戦わずに済ませるのが一番ではあるが。


「神祖の大地に我が身を返さん!」


「怯むなー! 押せー! ここで引いたら全員死ぬぞー!」


「助けてくれええ――」


「畜生、やりやがったな!」


 ランドルフに抗う術がないのか、次々に数を減らしていく騎士たち。

 恐らく、彼らは負けるだろう。

 だが、俺には関係ない。


 所詮、ここはゲームの世界。自分が生き残ることを最優先にして何が悪い。


「まあ、せいぜい頑張れやモブども」


 小さくそう言い残し、俺は森の中に引き返した。

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