紫色のクロッカス

赤石賢帝

第1話 「過去を映す映画館」

信号が碧になる。


「んじゃ、またなー。」

「おう、まあこれからはいつでも会えるわ(笑)」


親友Sとの飲み会帰り、短い言葉を交わし信号で分かれた“俺”は、帰って行く親友の背を見届けなかった。寂しさを感じなかったからだ。それは、文字通りこれからはいつでも会えるから、である。


今日は“俺”が日本に帰ってきて丁度1週間目。いや、アメリカの大学を卒業して1週間が経ったとも言える。日本で過ごした「1週間」が、想定よりも長く感じた。にもかからず、大学卒業までに費やした5年は、長いようで短く感じ、自身にとっては皮肉なものだった。


一体、この5年でどこまで成長出来たのだろうか。

何を得たのか。何を失ったのか。


この正解が出ないような疑問が頭の中にモヤのように残り、ふとした時にまた頭の中でモヤがたち込める。


「、、またか。」

1人での帰り道、また答えのない考え事を始める。

タチが悪いことに、自覚しているのだ、考えていることは常に「得たもの」より「失ったもの」であることに。


かつて、ある某人気漫画の半魚人が「失ったものばかり数えるな、無いものは無い」と言った。まさにその通りである。失ったものを考えても別にそれが返ってくるわけではない、そんなことは分かっているのだ。ただ、別にそれが今返ってきてほしいと思っているわけでもない。


では、何故時折考えるのか。きっと“俺”の中で、「失ったもの=失敗」と認識されているところが大きい。つまり、失わずに済んだ可能性の模索、という、途方もない無駄な思考がモヤとして頭にあるのだ。おそらく、世間ではこれを「女々しい」と言うのだろう。そう、モヤの正体は十中八九、元恋人Tの存在だろう。しかし“俺”にとっては、こんなストレスフルな感情を「女々しい」という言葉だけでまとめるには言葉足らずであり、屈辱的でもあるのだ。


ここで、少し元恋人についても話をしておこう。

彼女は高校からの同級生であり、彼女も“俺”と同様、アメリカの大学を卒業した。高校から考えれば8年知り合っていることになるが、もう2年は会っていない、いやもう会うことはきっとない。彼女は人生で初めて最も愛した女性であるが、同時に人生で初めて縁を切った存在でもある。友人から言伝に話は聞くが、別に能動的に彼女の動向を知る気にはならない、もうその程度だ。


そう考え事をしている内に家に着いた。頭に霧がかったまま気付けばもう就寝前、また意味のない思考に時間を浪費してしまった。もういい疲れた、もう寝よう、そう思い眠りについた。


-“俺”が薄暗い道を歩いているのが見える、足取りに迷いはなく、目的地を知っているかのように。客観的な視点、すぐさまこれが夢だと分かった。「夢」というものは実に都合の良いものだ。記憶にあることないこと何でも出てくるのだから。ただ、忘れかけていた記憶を思い出すきっかけになるのもまた、夢なのだ。気付けば大きな扉の前に着いていた、主観的な視点、どうにもここからは“俺”自身が自ら動かなくてはいけないらしい。扉を開けた。


扉を開けた先には、薄暗い空間と、ポップコーンの香りにレトロな曲が微かに流れる。

「…、映画館…?」夢の中に映画館とは我ながらシャレたことをする。


「いらっしゃい。なにを観たい?」

受付口から誰かが声をかけてきた。受付を担当していたのは、“俺”、だった。


「おいおい、そんな驚いた顔すんなよ。同じ“俺”やろ?ましてや、ここは主人のお前の記憶の倉庫、“俺”以外が記憶を管理出来るはずないやろ(笑)」

同じ人間である以上、初対面、というわけでもないが、実によく喋る、間違いなく“俺”だ。


「ここが、記憶の倉庫?」

「そうやで、ここではお前本人の記憶が管理されとる。それをスクリーンで観れる、そういう仕組みになっとるわけや」

「…、我ながら都合が良すぎる夢やな」

「ぜーんぶ主人マスターの記憶や、好きに使ってくれ、んで何が観たい?」

「…あの、コロナ期に日本おったあの1年間、観れるか?」

「もちろん。3番スクリーンにどうぞ、お菓子と飲み物も既に用意しておいたでー」


我ながら勝手な性格だ。受付の横に用意されてあったポップコーンはLサイズのうす塩と醤油バターのハーフ&ハーフ、飲み物は、Mサイズのアイスコーヒー、素晴らしい。いつものだ。

「砂糖とミルクは要らんやろ?」と、受付の“俺”が得意げな表情で聞いてくる。

自分自身に接客されるのも案外悪くないな、と思いつつ“俺”は3番スクリーンに向かった。


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