第19話 工房での助言

 レオンハルトとアレンは工房の扉を叩くと返事を待たずに中に入る。最初の内はレオンハルトにとって信じがたい行為だったが、もう五年以上もこうしていると慣れたものだった。鍛冶の仕事をしている間は集中しきってノックに気づかないというのは、ディルだけでなく鍛冶師全体にとってそれほど珍しい事ではないようだ。ディルに連れられて何度か他の鍛冶師を訪れた時に、ディルが表の店から中の鍛冶場に入る時に、挨拶も無しに踏み込んでも平然として受け入れられる事は多かった。もっともディルが騎士階級の人間を小間使いのように扱うのを平然と受け入れる者は一人も居なかったが。


「ディル、ちょっと手を休めて話を聞いてくれないか。正直なところ私にも状況が判っていないが、知恵を借りたいんだ」


 鳴り響く槌音つちおとで留守ではないと判っていたので挨拶も抜きに用件を告げると、あにはからんや奥からぴょこんと顔を出したのはしわと白髪が印象的な巨漢ではなく、同じく見慣れてはいるが全体の大きさで言えば半分ほどの少女だった。


「ルーチェ?ディルは居ないのか?」

「お祖父ちゃんに用事だった?ごめん、今は出かけてるんだ。用件だけでも聞いておこうか?」


 言いながらディルとルーチェそれぞれの鍛冶場と店の間をつなぐ部屋に出てきたルーチェは、今日はレオンハルトがアレンを伴っている事に気付いて顔をしかめる。そのアレンはルーチェの無礼な態度に沸騰寸前だが、今は礼儀作法について揉めている暇はない。レオンハルトは慌てて二人が口論を始める前にと用件を告げる。


「ディルが居ればそれが一番だったけど、ルーチェでも実のある話が聞けると思う。実は緊急で北西の洞窟に行くことになったので、魔物についての注意事項を聞いておきたいんだ」

「北西の洞窟って魔物の棲家すみかの?急にどうしたの?」

「うん、実はよく判っていないんだが…」


 あやふやな話になると前置きして、レオンハルトは神殿騎士団がここ一年ほど洞窟を調査している事、どうやら重力水を大量に発見したらしい事を伝える。


「それじゃシペリュズ神殿が重力水を欲しがってるって事?でもそんなの変だよ、お祖父ちゃんには一言も相談が来たことなんて無かった。レオンハルトだって何も知らないまま洞窟に入るのが危険だと思ったから工房に来たんでしょ?お祖父ちゃんの助言無しでなんて有り得ないよ」

「神殿の方々の事情など判らないに決まっている。とにかく旦那様が若に調べさせていらっしゃるのだ、聞かれたことに素直に答えろ小娘」

「小娘ですってぇ!理由も判らないのに…」

「すまない、ルーチェ。喧嘩している余裕は無いかもしれないんだ。だがアレン、確かに今のは良くない。礼儀を求めるのならばこちらからも礼を尽くすべきだろう」

「申し訳ありません、若」

「謝る相手は私ではない」

「すまなかった、ルーチェ殿」

「いいよ、今は急いでるみたいだし。でもじゃあ、ハインリヒ様も何かおかしいって思ってるのね?」

「うん。父上は詳しくは話してくださらなかったが、神殿の行動はアイク島が重力水を手に入れる結果にならないかもしれないと」


 少し目を伏せたルーチェは自分の中で与えられた情報を整理しながら話を続ける。


「あたしもそう思う。神殿の行動は島の為のものじゃないかもしれない…」

「それで、私は神殿の真意を確かめるために洞窟に向かうんだ。何か助言が有れば聞かせてほしい」

「ちょっと待って。後で怒られるかもだけど、お祖父ちゃんの研究資料が有ると思う」


 そう言ってルーチェはディルの鍛冶場に入って行くと、丁寧に丸められた紙や書き付けを漁って来た。それらを広げて講釈を聞かせてくれるのかとレオンハルトが身構えると、今度は自分の鍛冶場に入って何やらごそごそしている。

 主従が顔を見合わせているとルーチェが着替えて出てくる。先ほどまでは炉の火で火傷しないように麻を織って作られた全身を覆う装いだった。今は素材は平民らしく麻だが、風通しが良くなるように丁寧に編まれたシャツに半ズボン、チョッキを上に羽織っている。


「時間が無いんでしょう?あたしも付いて行って、歩きながら話すよ」

「え、いや、しかし…アレン、一人増えても物資に余裕は有るか?」

「慣れない旅で何が有るか判りませんので、多めに準備してはありますが。小むす、いやルーチェ殿、神殿騎士団と揉めるかもしれないのだ。危険な旅だぞ」

「それは判ってるよ。でもあたしも重力水の研究者、いずれは洞窟を見てみるつもりでいたもの。レオンハルトが行くのなら今がその時だと思うわ」

「運命…というような話かい?」

「あはは、レオンハルトは神様とかあんまり好きじゃないもんね。でも安心して、そういう話じゃないよ。今、重力水は失われようとしているの。だから研究者として見逃せないってこと。多分お祖父ちゃんが居たって同じ事だったと思うよ」


 その場の勢いに乗せられているのならと危惧きぐしてレオンハルトはルーチェを制止しようとしたが、ルーチェが自分の人生にとって大事な事のためにと判断したのなら止めるつもりは無かった。ルーチェは自分より一回り幼いが、自分と違い誰にも望まれない道を歩くことを早くから決断し、そのための力を蓄えてきた。そういうルーチェの決断力と判断力をレオンハルトは深く信頼している。


「そこまで言うなら止めない。洞窟への道すがら、詳しい話を聞かせてくれ」


 そういってレオンハルトがまだ迷っているアレンの肩を叩いて工房を出ようとすると、ルーチェが待ったをかける。


「レオンハルト、鎧は脱いでいった方が良いよ」

「ルーチェ殿、何を?若が危険な場所へ赴くというのに丸腰という訳には」

「デュラディウスは役に立つと思うけど、鎧は多分役に立たないよ。魔物が生き物じゃない事は知ってるよね?」


 ルーチェが重力水についての知識を再確認してくる。レオンハルトが曖昧あいまいに頷くと講義が続く。


「魔物は重力水を私たちが軌道を定めて動かすことで一定の命令を聞かせるように、洞窟の地面を流れる時の不規則な動きを何かの命令だと思って活性化した状態。中はデュラディウスやハイ・メイスが物を跳ね除ける力と逆に何かを引っ張る力で満ちている。その力で肉が引きはがされるのを、最初に魔物を見た人たちは食べられたと勘違いしたの」

「その引っ張る力は鎧を捻じ曲げる程の力なのか?」

「鋼を曲げる程の力は無いよ。有ったらお祖父ちゃんも道具に仕込むのは危険過ぎると考えたと思う。でも魔物は大人の指先から肘くらいの大きさがあるの。鎧の厚みじゃ魔物の力を遮ることができない。重い鎧を着て動きを鈍くするのは逆効果だと思う」


 ルーチェは魔物を相手にするなら、機敏に動いて避ける方が有利だとの意見を出す。だがアレンには別の懸念けねんが有ったので口にする。


「しかし若、魔物に対しては役に立たないかもしれませんが、神殿騎士団の武器に対しては有効だと思います」

「そうか、そうだな。どうしたものか…」


 アレンの意見ももっともだ。魔物は絶対に襲ってくる訳ではないが、ハインリヒの様子では神殿騎士団と一当てが有るのは間違いない。レオンハルトには鎧に頼らずにかわして戦う術も有るが、それで言うならルーチェの鎧が魔物に対して役に立たないという意見は研究結果からの推測だ。もちろん信頼はしているが確実でない事も事実。他の観点からどちらが有利になるかを考えていたレオンハルトはふとある事に気付く。


「ルーチェ、私たちの足に付いてこれるかい?」

「え?そうだね、よく考えたら大人の足について行けるわけないや」

「では若、やはりルーチェ殿にはここで話を?」

「いや、鎧を脱げば少し荷物をアレンに持ってもらって私と相乗りすることができるのではないか?アレンには苦労させるが」

「何も仰いますな、従者は騎士の支えになる事が本分です」


 レオンハルトの考えを即座に察したらしいアレンが忠誠心を口にする。しかしルーチェには判らなかったようで、レオンハルトが何を言いたいのか尋ねてくる。これはルーチェの察しが悪いのではなく、レオンハルトに長く仕えてきたアレンの感応力を誉めるべきだろう。


「へ?どういう事?」

「うん、ルーチェには私と一緒にチュルクに乗ってもらう。なるべくチュルクに楽をさせたいから鎧は脱いで行く、という事だ」

「ふぇ?なんか恥ずかしいなぁ。でもそんな事言ってる場合じゃないよね。わかった、お願い。絶対役に立つからね!」

「頼もしいな。脱いだ鎧はここに置いておいて良いのか?」

「それは危ないかな。この部屋まではお祖父ちゃんに会いに他の鍛冶師も入って来る事は有るから。あたしの鍛冶場に置いておいて。それにあたしもお祖父ちゃんに書置きしなくっちゃ」

 

 そう言うとルーチェは部屋の隅から紙切れとインク、ペンを取り出してさらさらとディル宛に簡潔に事情を説明する書置きを残す。レオンハルトとアレンはその脇を抜けてルーチェの鍛冶場に入り、全身鎧よりは随分と簡単だが、それでもレオンハルトの体格に合わせて細かく調整された胸当てや手甲などを外して丁寧に部屋の隅に置いていく。

 二人が先の部屋に戻ると、ルーチェは棚からいくつかの小瓶を取り出してディルの研究資料と一緒に荷物袋に入れている。


「待たせたね。それは?」

「前にお祖父ちゃんのお使いで港まで行く事が有るって話をしたでしょ?その時に役に立つ薬。医者や薬草師が使う物程じゃないけど、自分で野草を取って調合すれば多少は節約になるから」


 先に馬に乗り、アレンが押し上げるのに合わせてルーチェを引き上げながら、話を聞いたレオンハルトは少し呆れる。


「薬のような物は本職に任せた方が良いんじゃないか?ディルならそう言った部分で節約しなくても良いと思う」


 乗り慣れないからか、何度も腰を上げ下げして座る位置を変えていたルーチェは、憤然とした口調でレオンハルトの意見に反論する。


「発明で名声をあげたのも依頼が引きも切らないのも、お祖父ちゃんであたしじゃないわ。そりゃ重力水とかどうしようもない物はいくらか譲ってもらったし、お祖父ちゃんの紹介で少しずつお客さんに仕事を任せてもらえるようにもなったけど、日用雑貨とかそんな物までお祖父ちゃんに頼ってたらいつまで経っても半人前よ!」

「すまない。浅慮だった」


 ルーチェの誇りを傷つけたと知ったレオンハルトは素直に謝る。騎士が正式に叙任されて一人前と見做みなされるのは、見習いとして入団してから一年後と慣例で決まっているせいでもあるが、未だ父の執務を手伝った事も無いレオンハルトにはルーチェの自立心の強さが眩しく見える。姿勢を整える彼女を支えながら、何が起ころうともルーチェが傷付く事だけは無いようにと決意した。

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