第18話 二度目の出発

 ひと通りの打ち合わせが終わってから、あらかじめシモンがまとめておいた荷物をレオンハルトの愛馬チュルクに載せてアレンがくつわを取る。レオンハルトは使い慣れたデュラディウスに加え、麻の上着の上に綿の鎧下と胸甲、脚甲手甲をまとった完全装備だ。

 打ち合わせの中でハインリヒの深刻さを理解したようで、重大な役割に強張っていたアレンだが、用意を整えて屋敷の門をくぐる前にシモンに話しかけられてから、やや意気込みをがれた様子なので何を言われたのかレオンハルトは尋ねる。


「魔物がどういう物かを知るために、ディル殿の助言を仰ぐようにとの旦那様の指示です」

「魔物の危険さは聞いた事が有るだろう?確かにディルの知恵は役に立つはずだ」

「それはそうなのですが、若もご存知でしょう?あの工房は苦手です」

「反りが合わない様子なのはよく見ているが、何度も言っているようにディルは別に人嫌いなわけではない。それにアレンこそ判っている筈だ。今回はそんな事を言っている場合ではない」

「承知しました。とにかく急ぎましょう」


 気を取り直した様子のアレンとともに、ディルの工房のある北東の丘へと歩を進める。二人の緊迫した様子に普段の遠乗りではないとチュルクも気付いているはずだが、レオンハルトの愛馬は人間の事情になど頓着とんちゃくしない様子でのんびりと歩いている。馬にしては珍しいこの気性はレオンハルトが馬術を鍛えるうえで大いに助けになったが、こんな時はその暢気のんきさにややレオンハルトもアレンも苛立ってしまう。しかし無理に急がせても馬の機嫌を損ねるだけだとわかっている二人は、自分たちの気をらすための話題を探す。


「昔は鉱山街からわざわざ鉄を運び込むのは不合理だとばかり思っていましたが、今回は工房を訪ねるのに時間を取られなくて助かりましたね」

「いや、合理的でないのは事実だと思うぞ」


 アレンの言葉に、かつて父やディルから教わったこの島での鉄の扱いの歴史を反芻はんすうして確かめながら、レオンハルトは答える。


「開拓時代、まずこの丘を拠点に安全な農地を徐々に広げながら、行動範囲を広げた祖先が金鉱を含むアルカナ山の鉱脈を見つけた時、当然民も騎士達も鉱山の傍、今の鉱山街に溶鉱炉を設置するつもりだったと聞いている。鍛冶の詳しい事を知っている訳ではないが、鉱石には大量の不純物が含まれていて王都まで…当時はただ街と呼ばれていたそうだが、そこまで運び込むのは大変な労力の無駄遣いらしい」

「では王族の方々が他の人々を説得して回ったのですか?どんな説明だったのですか?」

「この島で武力を持つ者が、一つの意志を共有しない事の危険性を説いたのだ、と聞いている」

「一つの意志?」

「この狭い島で、少ない人口で、反乱などで勢力が二分化されることは人間が生きていくことが不可能となるのと同じだ、という事だ」

「それは判るような気がいたしますが…」

「私も強引な理屈だと思ったぞ。なによりそのたった一つの武力が民をしいたげることを選べば、民には反抗する術も無いという事なのだからな」


 そう口にしたレオンハルトはアレンが見慣れぬ道に入ろうとしているのに気づいた。


「アレン、勘違いしたのか?工房へはこの通りをまっすぐ進むのが最短だぞ」

「いいえ坊ちゃま、確かにその道は早うございますが、重い荷を運ぶときはいささか道が急なのです。やや遠回りになりますが、この道を通って行けば馬の脚に優しいでしょう。今日はいつもと違って日帰りの日程ではございませんから」


 確かにレオンハルトの立場では考えた事もない道の選び方でぐうの音も出なかった。それはそれとして思わず出てきたらしい呼び方に異を唱えておく。


「…坊ちゃまはやめてくれ」

「こ、これは失礼いたしました、若!」

「最近屋敷のあちこちで子ども扱いされいる気がする。やはりこの歳で婚約者がいないというのは、半人前扱いされても仕方ないのだろうか…?」

「若、婚約者候補はやはりあの小娘なのですか?」

「それも最近皆に誤解されている事だな。私は当然騎士の娘を伴侶に迎えたいと思っているぞ」

「そうなのですか?それならば若は引く手数多だと思っておりましたが」

「うん?カシウス家が疎まれていることは分かっているだろう?」

「若や旦那様はかえって気付かないものなんですかね。カシウス家が警戒されているといっても男社会の話ですよ。従者の噂で奥様方や娘さんの話を聞けば若は大人気ですよ」

「そんな物なのか?しかしそれならば、この件で父上があれほど苦労されているのは奇妙だな」

「ああ、年齢が釣り合わないという問題があるからでしょう。すでに一人二人育てられた後で離縁なさったお方や、まだ十を過ぎたばかりの幼い娘だったり…ああ若、その道を右に曲がってください。すぐにいつもの道に行き合います」


 大人気と聞いたことで少し浮ついた心がまたしぼむ。アイク島では一人目の子供を育てた後の離婚、再婚は珍しい話ではないが、その際も年の離れた女性との結婚は後ろ指を差される。お互いが深く想い合って、周囲の反対を押し切る程の愛があればやむなしと言えるが、噂で聞き知っただけの男女が無理に一緒になっても、周りの嘲笑ちょうしょうなどの横槍でろくに関係を築けないまま終わるだろう。

 レオンハルトは普段自分の結婚の事は考えてもいないが、おぼろげに思い浮かべる結婚生活とは周囲の誰もが祝福する自分とまだ見ぬ伴侶の姿だ。ヨシュハルトとそう歳の変わらない連れ子の姿や、年端もいかない少女を相手のままごとのような夫婦生活は望んでいない。頭を振ってげんなりするような想像を振り払い、鉄鉱石の話題に意識を戻す。


「すまない、私の結婚の話は忘れてくれ。ともあれ当時はまだそれほど王権が確立していた訳では無いが、反対意見を抑え込んで武器にもなりうる鉄鉱石は一度王都に運び込んで厳重に管理する事としたそうだ。当時は鍛冶師もかなり厳格に統制されていたと聞いている。安定期に入ってから鍛冶師に限らず、大抵の民が親の職業を受け継ぐようになってその法は有名無実と化していったらしいがな」

「王家…その当時は表立った振る舞いもなさったのですね」

「うむ。今も人目を忍んで悪を裁いていらっしゃるという噂もあるが、まぁ眉唾まゆつばだな。それにしてもそろそろ工房の集まる区画だな。道幅が狭い」

「工房の中だけでなく外も管理したほうが良いのではと思いますね」

「ディルもそうだが、必要だと思うものは神経質と思う程に慎重に扱うが、一度ゴミだと思って外に放り出したら見向きもしない者が多いようだな。この辺りには人の出入りが少ないとあって警邏けいら局の巡回もない様だが、そのような地区が他にも有るかもしれない。改めるべきだろうな」


 レオンハルトはまたニールフェルトを通じて進言することを考えた。しかしアレンにはやや迂遠な発言に映ったようだ。やや短絡的な提案をしてくる。


警邏けいら局がやらないのであれば、若がご自分でやってしまってはいけないのですか?」

「それは難しいな。市中の巡回は警邏けいら局が責任を取ることになっている。勝手にやれば職分を侵したことになるだろう。先だっての旅の折にニールフェルト卿に仄聞そくぶんした限りでは不備がある、改めてくれとただ要求すればかえって火種になるらしいしな」

「火種?」

「つまり、職責を疎かにしていた、と…糾弾?違うな、なんと言うべきか」

「因縁を付ける?」

「ああ、それだ。判り易い言葉だ。あまり私が使うわけにもいかないが。とにかく誇りを傷つける事になる」


 アレンの表現は的を射ていると思ったが、やや下品な言葉なので騎士としては使うのを躊躇ためらってしまう。しかし今はアレンしか居ないし、直接自分が口にする訳でもないので、少々作法に反した言葉遣いでも気にする事は無いだろう。そう思ってレオンハルトが頷くと、アレンが先に話を進める。


「では改める為にはどうすれば良いのです?」

「そうだな、聞きかじった知識になるが、従者を通じてその部署の騎士が自発的に思い立つよう、遠回しに窮状きゅうじょうを呼び掛けるなどが一般的だそうだ」

「時間がかかりそうです」

「ニールフェルト卿もそう仰っていた。それでも改革に反発されるより確実に早く動きが決まるという事だった」

「なるほど…そろそろディル殿の工房です。俺が呼び掛けてきますか?」

「そんな事をすればまた形式ばった振る舞いをと怒らせるぞ。ディルもルーチェも工房の扉をいきなり開けても何も気にしないのだ。そのまま行くぞ」

「かしこまりました」


 先触れを出すかとの問いに習慣通りで良いと答えると何の異もなく頷く。話の接ぎ穂に聞いてみただけ、という事だろう。実際何の意味もない儀礼に費やす暇は無いだろうとレオンハルトは思っている。

 ディルが何か妙案を出してくれないかと切に願いながら、焦る自分の気を紛らわすためにチュルクの首筋を撫でると、愛馬は鼻息を鳴らして応える。思えば荷馬でないチュルクにこれほどの荷物を載せるのは初めてだ。いつもと変わらないのはチュルクがレオンハルトを信頼して、普段と違う事を受け入れてくれているからだろう。


「無事に帰ったらしっかり磨き上げてやるぞ」


 礼のつもりで声を掛ける。ここしばらくは慣れない書き物で気疲れしてしまい、餌やり位しかやっていなかった。自身でのチュルクの世話は日常が戻って来る合図になるだろうと思えた。

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