第10話 山道の四人

 前夜早くに就寝したこともあって、四人とも朝日が昇る前兆の空の色が変わり始める頃に目覚めていた。周囲の木々からは鳥の声が聞こえ、林全体が覚醒し始めているように感じる。東から西へ、朱色からだんだんと濃い藍色に代わっていく空を見渡せば昨日予想した通り雲一つ無い。

 レオンハルトが明け方特有の張り詰めたような空気を楽しんでいると、ニールフェルトが寝間着を着替えてしまうように伝えてくる。確かにまだ季節は夏には程遠く、そのままでは肌寒さを感じる。一足先に目を覚ましていたらしいニールフェルトは既に着替えて火をおこしている。


「着替えたら何をすればよいでしょう?」

「そうだな、干し肉を食べる分だけ薄く削ってくれるか」

「わかりました…今日は良い天気ですね」

「ああ。予定通り登るぞ。朝食後に地図を見ながら道順を説明する。遭難や事故の起こるような険しい道ではないが、きちんと覚えてくれ。ラッド達もな」

「かしこまりました」


 全員で応えていったんテントに戻り、着替えるとそれぞれに朝食の準備を手伝う。夕べのレオンハルトよりはるかに手際よくニールフェルトは火を熾し、干し肉を加えた粥を作る。四人は器に盛られた粥をすすりながら今日の登山の簡単な予定について話し合った。


 朝食を終えた四人はしばらく腹を休めた後出発した。野営地を離れると、すぐに木々の頭の上から山容がうかがえ、そのまま進むと次第に足元が傾いてくる。しばらくは気にする程でもなかったが、やがて油断すると踏み出す足が地面を擦るようになり、ニールフェルトから注意を受ける。

 気付くとずっと林の中を歩いていたのが、急に空が広くなる。急に開けた景色に感嘆しながら進むと、先頭のニールフェルトから止まるよう合図が出る。


「この辺りからでも目的のイチゲの群生地は目に入る。私の指差す先だが、パラパラと緑の中に白い点が散っているのが遠目から見えるか?」


 言われてレオンハルトもニールフェルトの指し示す方を見る。確かにこの場所と同じく背の高い木のない緑の茂みが見えるが、花はよく見えない。


「申し訳ありません、光の照り返しと見分け付きません」

「そうか。知っていて見るのとでは違うかもしれんな。どちらにせよあのまばらさでは稲を植える時期にはまだ早い。もっと登って群生地の近くの水場にしばらくテントを張るぞ。ちょうどいい、小休止だ。水分をとっておけ」

「わかりました」


 二人の従者も頷き、水筒を口にする。事前に注意された通りがぶ飲みはせず、口の中にしみこませるように少しずつ飲む。


「ここまでの道は、山道に入ったといっても茂みが切り開かれた足場もしっかりした道だ。しばらく行くと岩場となって踏んだ石がぐらつくことがある。一歩一歩安全を確認しながら登ることになり、時間がかかるが焦らないようにな」

「はい」

 

 レオンハルトは短く返事をしながら朝食後に見た地図を思い返す。岩場に入った後、アルカナ山の頂上を目指すための道と、今回の目的地であるイチゲの群生地を目指す道に分かれる。定期的に道案内の立て札を設置し直してはいるそうだが、山肌に吹き付ける風が立札を動かしてしまう事も有るらしく、そこが一番注意すべき場所となる。

 考えながら周りを見渡すと、一行の中ではおそらく体力の劣るケインも息が整ってきた。直接気遣うのはかえって傷つけるかと思いながら様子をうかがっていると、視線に気づかれてしまったようでレオンハルトに頷いて見せる。まだまだ未熟だと反省しながら、ニールフェルトに出発してはどうかと伺いを立てる。


「よし、それでは進むとしよう」


 こうして再び山腹の目的地を目指して登山が再開された。レオンハルトが額に再び汗がにじむのを感じ始めるころ、予告通り周りに有った緑が減っていき、人の頭ほどの大きさの石があちこちに転がる足場の悪い場所に出た。何度も注意された通り足元の体重を移す前に、次の足場が固定されているかを気にしながら歩いていく。

 もしも踏み違えていたら自分が怪我をするだけでなく、落石で仲間をも巻き込みかねない危険な道だ。だが、視界を遮る茂みがない分、下方の雄大な眺めに気を取られそうになって、その度に自分を戒める。

 四人が注意深く十分ほど進んでいくと、分かれ道の案内板が見えてきた。背の高い杭に二つの板が打ち付けてあり、一方には山頂、他方にはアルカナイチゲ群生地と彫ってある。文字ははっきり読み取れるが板はところどころ朽ちており、長い間風雨にさらされていた事が判る。

 今回進むのは当然アルカナイチゲ群生地と示された道だ。レオンハルトはすぐさま進もうとしたが、先導してきたニールフェルトが足を止めているのに気づく。


「ニールフェルト卿、どこかに問題が有りましたか?」

「そうではなくてな。もちろん案内板がある訳だが、それがずれてしまう事もある。騎士が頻繁にここまで来ることはできないので、従者に覚えさせて、時折道に不首尾がないかを確かめてもらっている。ラッド、ケイン、一度に全てを覚えることはできないだろうから、この分かれ道の光景だけ心に刻んでくれ」

「かしこまりました」


 異口同音に答える二人の従者だが、レオンハルトにはケインを信じて任せるわけにはいかない事情がある。


「ケイン、今回は私に付いて来てもらったが、それは私が慣れない環境に身を置く事への父上の気遣いだ。お前には屋敷での大事な役割がある。ニールフェルト卿、お役目大変でしょうがもう一度私を連れてきていただく訳には参りませんか?道を覚える役目は屋敷の他の者に託したいと思います」

「今月の内には難しいな。それに今回はラッドに随ってもらっているが、これまでこの任務に同行した者の方が旅の要領も道順もわきまえている。その者の案内で、従者だけで慣れてもらうのはどうか?」

「それが良いかと思います。ケイン、我が家では誰が適任だろう?」

「シモン殿にも相談せねばはっきりしたことは申せませんが、やはり若と親しいことや年齢なども合わせて考えますと、アレンがよろしいかと存じます」

「うん、順当だな。ニールフェルト卿、お聞きになった通り我が家からはアレンという者がお世話になるかと思います」

「よし。詳しい事は王都に帰ってから改めて話そう。そろそろ出発するつもりだが、ラッド、どうだ?」

「ばっちりでやす。お任せください」


 ラッドが自信満々に答えたのを見て満足げに頷いたニールフェルトに続き、一同は再び山道を登って行った。分かれ道を越えた先には、一人が通るのがやっとの狭い道などもあったが、そこも転落防止の柵や山肌に沿わせた綱などが整備されており、事故なく進む事ができた。

 岩がちの道の両側にハイマツが茂るようになってから少し進むと、景色が急に開け緑の絨毯に白い花が彩を添える自然の庭園が広がった。

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