第9話 テントで過ごす夜

 鍛冶師のもとを訪れ、用意された道具を受け取る。この時山地を行くには不向きということで馬と武具なども預けてしまう。幼い頃から修行のためにとデュラディウスを常に帯びていたレオンハルトはやや不安になってしまうが、大荷物になる不利は十分理解できるので何も言わないでおく。が、やはり表情には出ていたようでケインが声をかけてくる。


「若があの剣を持たずに出歩くのは久しぶりですな」

「やはり気にしているのがわかるか?しかし持って行かない事には納得しているし、体が軽く感じるぞ」

「ではレオンハルトには少し多く荷物を持ってもらおうかな」


 ニールフェルトも冗談めかして話しかける。


「お任せください。体力にはいささか自信がございます」

「頼もしい言葉だが、山道を歩くのには慣れが必要だ。ここは私が踏ん張るとしよう」


 ニールフェルトが振った話題なのだが、あっさりひるがえされてレオンハルトは拍子抜けだ。ケインが気付いた騎士見習いの不安を消すための冗談だったのだろう。そうレオンハルトは先輩の矛盾した言動を理解する。ニールフェルトは宣言通り一番大きな荷物を背負って歩き出し、三人も続いた。


 街を離れてもしばらくは平坦な道のりだが、旅の間あちこちで見かけた水田が見当たらない。少しでもなだらかな土地があれば凹凸を均して農地へと変えてきた、この島の住人らしい執念を感じられず、ニールフェルトに理由を尋ねる。


「鉱山からの廃水が作物に良くないらしい。土そのものは豊かなようだが」

「鉄を掘らないわけにはいきませんから改善は難しいですね」


 そろそろ傾きはじめた日を意識しながら道を歩き続け、一時間ほどすると林道がやや広くなった場所に石が積み上げられているのが見える。耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえ、火を焚いては消した跡もあり、ここが今日の目的地だと判る。


「よし、とりあえず荷物を置こう。ラッド、ケイン、昼の時の要領で薪になる枝を集めろ。ついでに川に慎重に近付いて、増水していないかを確認。喉が渇いているかもしれんが、先に言ったとおり廃水で汚染されているから飲んではいかんぞ。レオンハルトはテントを張るのを手伝ってくれ」

「承知しやした。しかし飲めないのに水場に陣取るんですかい?」


 ラッドが少し呆れた様子で問いかけるとニールフェルトはその疑問は理解できる、という風に頷いて答える。


「この道を切り開いたときは大丈夫だったのだろう。安心しろ。私の荷物の中には数日分の水があるし、少し登ってしまえば水場などいくらでも有る」

「長い間続けられた任務という割に行き当たりばったりなところが有るんですな」

「不安か?無理もないが今まで何とかなってきたし、根本的な解決となると全く新しい道を切り開くことになるからな」

「難しいんですなぁ。ともあれ、今は薪を取って来やしょう」


 そう言ったラッドはケインと頷き合い、林の中に入っていく。それを見送ったレオンハルトは指示を待ってニールフェルトを見る。


「まずはテントの張り方を覚えることだ。本来テントを張る場所というのは、雨が降った時の用心などいろいろな要素を加味しながら選ぶものだが、この任務で建てる時はこの場所と決まっている。あとは骨組みを組んで布をかぶせて固定するくらいのものだ」


 そういってニールフェルトは荷物の中からややびた鉄棒と杭のようなもの、大きな布を取り出して並べてみせる。


「この任務以外にも野営を行うようなことがあるのですか?」

「無いな。なに、この任務に何度か携わるうちに街を離れる面白さに目覚めてな。時々郊外に出てあちこちにテントを張って過ごしていた時期が有るのだ。その時期に手探りで場所選びのコツを覚えたのだが、それまでは付いてきてくれる従者にも迷惑をかけた」

「それはあまりいい趣味とは思えません」

「確かに従者を無意味に危険に晒すなど騎士にあるまじき愚行かもしれんな。だが天文局には変わり者が多いぞ。代替わりしても必ず一人は天にある星の名を全て覚えた上に新しい星を探し回るような奴もいる」


 ニールフェルトはいずれはレオンハルトが所属するだろう、天文局の内実を語って聞かせた。騎士見習いは先輩騎士の言う変わり者にも興味が湧いたが、それより気になる事が出来てその部分を先に問うてみる。


「それは天文局の任務の内では?」

「言ったろう。天文局とは名ばかり、実際には天候を見るのが第一の任務なのだ。余裕が有るならば星の調査も悪くは無かろうがな。何百前ならいざ知らず、星に人や国の運命など写っている筈も無い。他の部署だって手伝わなくてはいかん」

「他の部署の手伝い?そんな事をしても良いのですか?」

「本来は良くはない。だが実際に手は足りないのだから助け合って人手を融通ゆうづうすることもある。お父上の属する税務局は特に機密性が重要だからそういう事が無いだろうがな。まあ今夜星でも見上げながらゆっくり話してやろう。今はテントだ」

「かしこまりました。私は何を?」

「骨組みを組む様子をよく見ていろ。いったん組み上げてから外すから今度は自分の手で組んでみるといい」


 それからレオンハルトはニールフェルトの指導のもと、テントを組み上げる作業を何度か繰り返した。最後に布をかぶせて固定し、完全に左右対称ではなくやや不格好なもののそれらしくできた時には深い満足感を覚え、ニールフェルトが趣味だったというのも理解できる気がした。


「そろそろ二人も戻ってくるでしょう。火おこしも挑戦してみたいのですが」

「意欲的だな。少し楽しくなってきたか?」


 見透かされ、少し気恥ずかしいが頷いた。いずれ出来るようにはならねばならないのだから、積極的で悪いということもないだろう。


「いい兆候だ。野営など街の暮らしに比べれば不便ばかりだからな。ちょっとした事に楽しみを見出せるようでないと苦痛で仕方なかろう」


 話しているとケインとラッドが戻ってくる。素早く火をおこせるようにと念じてレオンハルトは火打石を手に取った。


 野営らしい雰囲気の粗末な夕食を済ませたあと、しばらくは羽虫に辟易へきえきして一旦テントに入って休んでいたレオンハルト達だったが、夕日が沈む頃にニールフェルトがレオンハルトに外に出るように促す。

 レオンハルトは不思議に思ったが素直にテントを出て、目を細めて夕日を眺めているニールフェルトに倣って西の方を向く。西の空は雲一つ無く、明日は安心してアルカナ山地へと登れるだろうと感じた。それを確認させようとしたのかとレオンハルトは自分から声をかける。


「明日も良い天気になりそうですね」

「ああ、ちょうどよい具合だ。レオンハルト、お前は仁星と義星の見分けがつくか?」


 ニールフェルトが口にしたのは古来人が修めるべき五つの徳目を表すといわれている五曜という星の内の二つだ。これらに加えて陰陽という自然法則を司るとされる日、月を加えた七つの天体を順繰りに巡らした七日間を週と呼んで古来から暦の基本としている。仁星と義星は、明け方朝日が昇る少し前と夕方の僅かにしか見られない星なのだが、どちらがどちらの星かを見分けられる者は少ない。


「いえ、義星のほうがやや赤味がかっていると聞いたことは有りますが、実際に二つが同時に見られる時に見比べてみなければ、どちらの星が昇っているかは判りません」

「まあそうだろうと思っていた。夕食前に全ての星を知るのは酔狂と言ったが、天文局の騎士であれば五曜や特に夜空で明るい星くらいは知っておく必要は有る。確実に天文局に配属と決まってはいないが、こういう話は退屈か?」

「今回お誘いいただくまであまり考えた事も有りませんでしたが良い機会だと思います。妹婿いもうとむこは教養が深いので話題作りになるかもしれません」

「ああ、なかなかの名家だと聞くが…よくカシウス家と縁を繋ぐ気になったな」

「たまたま他に年頃の娘が見つからなかったそうです。実家はあまり良い顔をしていないようですが、二人の仲は良好なので安心しています」


 アイク島では一人目の子供をある程度の年まで育てれば、一人前扱いされて家の都合での結婚を解消するのも問題ないと考えられている。しかし気の合わない相手やお互いに敬意を抱けない間柄で、近しい関係を数年間続けるのは大変だろうとレオンハルトは思う。


「人の心配をしている場合ではなかろう。あと一年もすればお前も正式に入団するのだ。婚約者が居ないでは締まりが無さ過ぎる」

「しかし実際問題今まで相手が見つからなかった以上、相手の人柄などを選り好みする気が無くてもどうにもならないという事でしょう。あまり離れた年の娘を迎えるのも外聞が悪い。それより星についてご教授ください」

暢気のんきなものだ。まあ今言っても仕方のない事か。そうだな、そろそろ明るい星なら見えるようになってきたか。まずは基本だ。季節で見える星が変わるのは知られているが、同じ夜でも時間ごとに星は回っていく」


 苦手な話題になり始めたので強引に切り替えたが、ニールフェルトは察してくれたのかそれともやはりこういった話題が性に合うのか丁寧に教えてくれる。

 テントの中で待っているケインとラッドは従者同士どんな話をしているのだろうかと思いながらも、レオンハルトは初めて聞く星々の知識やそれにまつわる古代の神話に耳を傾け、時には自分から関連する話題を出してニールフェルトが翌朝の為にと話を切り上げるまで学び続けた。

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