第1話 新山律
「おお。お目覚めか、勇者よ!」
群青の祭服を纏った初老の男性が手を広げて俺の方を見てきた。
やはり、俺のことを言っているんだよな?
いや、待て、早まるな。もしかしたら、俺の後ろにいる奴のことかもしれない。痛い思いをするのは中学の時だけで十分だ。
俺は後ろを振り返った。真後ろには誰もいなかった。だが、そこから離れたところで、俺のことを眺めている人々を発見したのだ。
タキシードやドレスを着た貴族らしき人々。加えて、そんな彼ら彼女らの傍らには、甲冑にマントを羽織っている騎士がいたのだ。
その場にいた人々は俺に好奇の目を向けていた。
中世ヨーロッパ?過去へのタイムスリップ? いや、違う。
俺は否定した。その理由は足元にあったのだ。
足元には魔法陣と思われるサークル、そして、そのサークルが薄く仄かに光っていたのだ。
こんな魔法陣は中世ヨーロッパに聞いたことが無い。間違いない。これはあれだ。剣とか魔法とか。某ネットサイトの……。
(というか、俺の服、会社帰りのスーツのままって、この場所で一番浮いているよな……)
「おお、勇者よ。ここはあなたの住む世界とは違う異世界。来たばかりで混乱していることでしょう」
神父が俺の前までやってきて、再び声をかけてきた。
やはり俺なのか。俺が勇者なのか。
俺は思わず、自分の顔に人差し指を向けた。
神父が満足げに頷いた。
マジか。
俺は自分の頬をつねった。痛い。どうやら、夢では無く、本当に起きていることなのだと理解した。
「こんな俺が勇者か……」
俺は呟き、目を細めた。
脳裏にはこれまでの自分が歩んできた軌跡が、泉のように湧き出てきた。
新山律として地球の日本という国に誕生した俺は、ごく一般的な家庭で育った。
勉強ができるわけでも無く、運動ができるわけでも無い。何をやらしても平均的などこにでもいる、少年だったのだ。
顔も整っているわけでも無く、話術が得意なわけでも無い。だから、学校では、平凡過ぎて影が薄かった。もし、学園を舞台にしたドラマや漫画などがあったのなら、『その他の男子生徒A』であることが間違いなかった。
だけど、それでもしょうがないと自分は思っていたのだ。
無論、思春期の時はそれがたまに悔しくて、勉強も部活で努力してみたことはあった。でも結果はついてこず。凡人であることをただ再認識しただけ。
それでもきっと人並みにやっていれば、人並みの人生は送れるものと腹をくくっていた。
しかし、現実はそんなに甘くないことを思い知った。
大学3年の時の就職活動である。
この時ほど、苦しんだことは無かった。どこまで行っても、自分がただの人で、空っぽなだけの人間。それを面接や採用試験で突きつけてくる。
風の便りで聞こえてくる同級生達の内定。輝かしい未来を語っている彼らの姿を隅の方で聞いている自分。どうしたら良いのかも分からない。自分がこれまで何かしてきたかと言われれば、何かあったわけでも無い。凡人であるがゆえに特別では無い自分。それは暗闇をさまよっているかのようであった。
結局、卒業ギリギリになって内定は決まったのだが、新入社員の定着率が低い、ブラック企業に決まった。毎日、終電ギリギリに帰る日々に、生きている意味を見いだせない。上司からは無能とののしられる日々。理不尽な取引先。同僚からは都合良く、こき使われる日々。
磨り減った心と肉体。その末に通勤途中で意識を失い、今に至る。
だからこそ、俺は思うのだった。
これをきっかけに自分は特別になれるのだろうかと。
そして、俺はここでやり直せるのだろうかとも。
「本当に俺は勇者なのですか?」
だからこそ、神父に尋ねてしまうことは自然なことだった。
その場で少しの沈黙が広がる。
その時、俺ははっとした。
そうか。俺にとって聞き覚えのある言語でも、実は違う意味かもしれない。もしくは違う言語体系で一切通じていないのかも。うかつだっただろうか。
神父の言った言葉が実は日本語では無く、別の言語体系で、俺が理解したものとは全く異なる趣旨である可能性があったことを否定できない。
しかし、それは杞憂でしかないことをすぐに知る。
「ええ、そうですよ。あなたはこの星の厄災から救う勇者に相違ありません。ご安心ください。そのための教育も準備してきたのですから。ところで、お名前をお教え願いできないでしょうか?」
神父が優しい眼差しを俺に向けた。どうやら、何らかの補正で言葉が通じるようだった。
これが勇者としての『ギフト』になるのだろうか。まあ、深く考えても始まらない。今はそのように理解しておこう。自分でそう解釈するようにした。
「新山律です」
俺は深々と頭を下げた。
「リツ殿ですね。私の名はカリオス。神父をしております。これからよろしくお願いいたします」
神父が頭を下げると、周りにいた貴族や騎士たちから、ちらほらと手を叩く音が聞こえてきた。その拍手はさざ波のように徐々に広がっていき、やがて、大きな喝采となっていく。
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