第32話

八坂神社の近くのお寿司屋さんで、おみやげに鯖寿司を購入し王城に戻ると、瑠璃が勢いよくダイニングへ飛び込んできた。

「おかえりなさい!あっ、今日は穂香さんもお着物だったんですね。やっぱり似合いますね」

「そう?ありがとう」

「あの、空良そら様のお着物も今までちゃんとお手入れしていつでも着られるようにしてあります。だからよかったら今度着てみてください」

空良は着物をたくさん持っていた。茜様が丁寧に仕立ててくださったものや青王様が選んでくれたもの。毎朝どれを着ようか迷うのが日課だった。

「せっかくだから見てくるといい。空良の部屋もあの頃のままにしてあるから」

私がうなずくと「一緒にいきましょう」と瑠璃が背中を押した。


少し複雑な気持ちだった。みんな空良が大切でずっと忘れられずにいる。私は『穂香』じゃなくて『空良の生まれ変わりの人間』なんだ。

青王様も私の中の空良のことが大切なのだろう。そう思ったら胸が締め付けられるようで、今にも涙がこぼれそうだ。

「穂香さん?大丈夫ですか?」

「あっ、ごめんなさい。私ちょっと用事を思い出したからもう帰るわね」

懐中時計をギュッと握りしめ、瑠璃の顔も見ずにいそいで帰ってきてしまった。

「はぁ、私、なにやってるんだろう...」心がざわざわして胸が苦しい。


私は心を落ち着かせるために伏見稲荷へやってきた。本殿でお参りをすると気持ちがスッと軽くなっていく。

それでもまだなんとなく帰りたくなくて、ゆっくりと階段を上り千本鳥居をぬけて奥社までやってきた。だけど、そろそろ明日の仕込みのために瑠璃がやってくるはずだ。


どうしても一人になりたくて、懐中時計もペンダントもテーブルの上に置いてきてしまった。心配性の青王様のことだから、それを知ったら大騒ぎになるだろう。

ふと触った左手の中指には、さっき青王様からもらったリングがある。

「そういえばちゃんとお礼してなかったな...」

もう帰ろうと思い振り返ると、千本鳥居の向こうから誰かがこちらへ向かって走ってくるのが見えた。

「あ...」あの髪の色は青王様だ。

あっという間に私の目の前までやってくると「よかった!」とギュッと抱きしめられた。

「怪我はないか?怖いことはなかったか?ペンダントも置いたままになっていて心配した。なにがあった?」

青王様がここまで焦って不安そうな顔をするのはとても珍しい。

「ごめんなさい...大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろう。悩みがあるなら話してほしい。もしかしてそのリングが気に入らなかったか?」

「そんなこと...このリングはとても気に入っています。青王様、ありがとうございます。これは私の宝物です」

青王様は私の左手を握り「歩きながら話そう」と千本鳥居をくぐっていく。


「穂香、わたしはなにか穂香を傷つけるようなことをしてしまったかい?なにがいけなかったのか教えてくれないか」

「私が勝手にいじけてただけですから...」

「いじけてた?」

「私は空良の代わりなんだ...って。だからみんなが大切にしてくれるんだろうと思ってしまって...」

青王様は足を止め、苦しそうで今にも泣き出しそうな悲しい顔で私を見つめてくる。

「いつか空良が戻ってくることを願って着物の手入れをしたり部屋をそのまま残していたりしたなら、みんなは私じゃなくて私の中の空良を歓迎しているんだ...って。そう思ったら苦しくて」

「それは違う!わたしもみんなも穂香だから大切に思うんだ。たとえ空良の生まれ変わりだとしても、自分のことしか考えないような人間だったら相手にしようとは思わない!」

突然大声を出した青王様に驚いてしまった。こんな青王様を今まで見たことがなかったから。

声も出せずにいる私に「すまない、怒鳴ったりして」と言いながらそっと頭をなでてくる。

「たしかに最初に穂香を見つけたときは、せっかく生まれ変わった空良に出会うことができたのだから今度こそ守らないといけないと思った。でも今は違う。穂香のことを大切にしたいと思う。わたしはこの先穂香とずっと一緒にいたい」

「青王様、心配させてしまってすみませんでした。もう大丈夫です。私も空良みたいにみんなに大切に思ってもらえるようにがんばりますから」

「ありがとう、穂香。瑠璃に先に仕込みを始めているよう言ってあるから、そろそろ店に戻ろう」

「あっ!仕込みのこと、頭からすっかり抜けてた...」

「わたしも手伝うからすぐに戻ろう」

青王様が私の手を握りなにかをつぶやくと、あっという間に店へ移動していた。


「あっ、穂香さん!」

「瑠璃ちゃん、ごめんなさい。もうだいじょ...」

その時、バタンッ!と青王様が倒れてしまった。

「えっ!青王様?!」

「もう...瞬間移動は苦手なのに無理するからですよ。今お茶持ってきますね」

私は青王様をなんとか起き上がらせ、背中を支えながらお茶を飲んでもらい、ついでにボンボンショコラを一つ口の中に押し込んだ。

「ふぅ...すまなかった。もう少しだけここで休ませてほしい」

青王様を椅子に座らせると、私たちは仕込みに取りかかった。


一通りの仕込みが終わると「瑠璃、ちょっと」と青王様が瑠璃に声をかけ店のほうへ移動していった。

「穂香は、自分が空良の生まれ変わりだからみんなに大切にしてもらえているんだと思っていたらしい」

「そんな...」

青王様は穂香が話していたことをすべて瑠璃に伝えた。

「わかりました。空良様のことはあまり話題にしないように気をつけます」

「うん。もし穂香の様子で気になることがあったら、どんなに小さなことでも教えて欲しい」

「はい。あっ、そういえば穂香さんにリングをプレゼントしたんですか?」

「ああ、穂香が以前から気になっていたものらしい。カヌレを並べて上から見たような感じがかわいいと言っていた」

たしかにかわいいと思うけど、そうじゃなくて...

「どうして左の中指に付けているんですか?」

「ん?」

「なんで薬指じゃないんですか」

「それはもちろん...」

いつか穂香に、わたしの妃になってほしいと伝えるときのために空けておきたかったからだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る