放課後は、妖界のオーベルジュで。
月星 光
第1話 幸助と時雨
「腹減ったなぁ」
「俺も。お弁当だけじゃ足りないよね。購買行く?」
「焼きそばパン、まだ残ってるかな?」
友人たちの声に、椿幸助はハッと顔を上げた。
放課後の教室。帰り支度をしていた幸助の傍らで、二人の男子生徒が立ち話をしている。部活の前に、小腹を満たしたいようだ。
「あ、あのさ! 良かったら――」
自席から、幸助が声を掛けた。二人が同時に、こちらを見やる。その視線に怖気付き、幸助は固まってしまった。
「どうした? 幸助も一緒に購買行くか?」
そう言ったのは、幼馴染の宮内陽太。明るく活発な、クラスの人気者だ。隣りにいるのは、猫っ毛で人懐こい里中。二人とも、サッカー部に所属している。
「ご、ごめん。やっぱり何でもない」
出し掛けた言葉を、幸助は引っ込めてしまった。
「じゃあ、また明日な」
「椿くん、またねー」
幸助に手を振り、二人は教室を後にした。幸助は俯き、シュンと肩を落とす。
窓から吹き込んだ秋風が、幸助の首筋をそっと撫でていった。
今日も、言い出せなかった。
帰宅部の幸助は、まっすぐ帰る気になれず、近所の公園に立ち寄っていた。一人ベンチに座り、しょんぼりと俯いている。
溜め息交じりに、幸助は鞄から紙袋を取り出した。小花柄の、可愛いらしい袋だ。そこから更に取り出されたのは、手作りマフィンだった。プレーンにチョコチップ、ナッツ入りの三種類。上手く作れたので、友人たちに食べてもらえたらと、こっそり持参していた。
幸助の趣味は、料理とお菓子作り。そして可愛いもの好きだ。一つ一つ、丁寧にラッピングされたマフィンの透明袋にも、小花柄のマスキングテープが貼ってある。
「やっぱり、言えないよな」
こんなことを知られたら、からかわれるか、ドン引きされるに決まっている。
中学生になって、早半年。今日のようなことは、一度や二度ではなかった。お菓子を作っては持参し、結局言えずに持ち帰る、ということを、もう何度も繰り返している。
「僕も、陽太みたいだったらな」
彼のような、明るい人気者だったなら。自分の趣味を、堂々と打ち明けられるのだろうか。
しかし幸助は、気弱で引っ込み思案。あんな風には、到底なれっこない。情けなさに、何だか泣きたくなってくる。
「もう、いいや」
投げやりな気持ちで立ち上がる。自分で食べる気すら起こらず、幸助はマフィンをベンチ脇のゴミ箱に投げ捨てた。
その瞬間、スッと横から大きな手が伸びてきた。そして、ゴミ箱に落ちる前に、マフィンを素早くキャッチする。
「え?」
幸助は驚いて、横を見やる。
いつの間に現れたのか、そこには一人の男の姿があった。マフィンの袋を手に、こちらを見下ろしている。
年の頃は、三十代後半くらいだろうか。目付きは鋭いが、かなりのイケメンだ。白いシャツに、黒いベスト。パンツも黒。背は高く、ゴツくはないが、逞しい体格をしていた。肩先まで伸びた黒髪は、緩く波打っている。
「なぜ捨てる?」
低く、抑揚のない声で、男は尋ねた。
「誰も食べませんから」
「なぜ?」
「恥ずかしくて、渡せなかったんです」
「なぜ?」
「お菓子作りが趣味だなんて、女の子みたいだって笑われるか、ドン引きされるに決まってるから」
「なぜだ。人間界、少なくとも日本では、男が菓子を作ってはいけないという決まりはないはずだが」
「そういうことじゃなくて」
返答しつつも、幸助は困惑していた。
今、「人間界」と言ったか。「なぜ」の連発といい、随分変わった人だ。ふざけているのかと思ったが、男は至って真顔だった。
おもむろに、男は鼻先を紙袋に突っ込んで匂いをかいだ。そしてマフィンを一つ取り出すと、ラッピングを解き、しばし無言で見つめる。それから、一口かじった。
「美味いな」
男がボソリと呟いた。そして瞬く間に、マフィンを三つともペロリとたいらげてしまった。まさかの行動に、幸助はただポカンとして男を見つめる。
「お前、料理もできるか?」
「は、はい。片親なのもあって、毎日ご飯作ってます」
「腕は確かか?」
「それは、わかりませんけど。父さんは、美味しいって褒めてくれます」
「そうか。丁度良い。時間も迫っていることだし、お前にしよう」
「え? 何が?」
幸助が聞き返すのも無視して、男は一つ頷いた。
「私は時雨という。少々、手伝って欲しい。一緒に来てくれ」
「嫌です。知らない人には、ついて行けないので」
幸助は即答する。いきなり何を言い出すのだ。奇怪な言動といい、明らかに怪しい。幸助は、すぐさまその場を立ち去ろうとする。しかし、通せんぼするように男が立ち塞がった。
「名は名乗った。もう知らない人ではない」
「そういう問題じゃ」
「では、どうすれば承諾する」
「だから、一緒には行けませんって」
幸助が一歩後ずさると、男は一歩詰め寄ってくる。背後は柵。柵の向こうは池。幸助に逃げ場は無かった。
その時、少し離れた所から話し声がした。草木に阻まれ姿は見えないが、数人で会話しながら、こちらに近付いてくるようだ。
「た、助け――」
「仕方がない。少々手荒だが、許せ」
幸助が声を上げようとした矢先。それを遮るかの如く、男が早口で囁いた。
男の手が、真っ直ぐこちらへ伸びて来る。そして、トンと幸助の胸元を押した。
「え?」
予想外の出来事に、幸助は大きくバランスを崩す。そして柵を越え、池に向かって倒れ込んだ。
落ちる――。
全身にギュッと力が入る。そのまま水中にダイブかと思いきや、幸助は固い地面に尻餅をついた。
「いててっ」
打ちつけた尻をさすり、顔を上げる。
「え? あれ!?」
周囲を見渡すや、幸助はギョッとした。ついさっきまでと、辺りの景色が全く違っていたからだ。幸助は、暗くて狭い、洞穴のような場所にいた。
どういうことだ。自分は池に落ちたはず。しかし、制服も鞄も、全く濡れていない。それどころか、池も公園も、どこにも見当たらなかった。
「なんで?」
夢でも見ているのだろうか。座り込んだまま、幸助はただ茫然とするばかり。
「いつまでそうしている」
背後から声がした。振り向くと、あの男が洞穴の入り口に立っている。その後ろから、外の光がうっすら差し込んでいた。
「ここ、どこですか!? 僕は一体――」
「説明は後だ。時間が惜しい。行くぞ」
言い置いて、男はさっさと洞穴を出て行ってしまった。
「あっ! ちょっと――」
一瞬迷うが、立ち上がる。状況は全く飲み込めないが、ここに取り残されるより、いくらかマシだろう。
仕方なく、幸助は男の後を追った。
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