第3話
ユスティアの言葉にキャロルたちがひるんだ隙に、彼女は部屋を飛び出した。
フレデリカが教えてくれた場所へと逃げ込むために。
屋敷を出て裏庭へと走り、屋敷をぐるりと囲う塀の一角に子供一人通れるくらいの隙間がある。
「いい?ここを抜けてあちらの方へどこまでも走るの。そうすれば大きな木があるから、その根元に居なさい。必ず助けがくるから」
フレデリカの言葉を思い出し、示していた方へと全速力で走る。
領地では、子供たちと体力勝負の遊びをこれでもかとしていたユスティア。
体力には自信があるが、胸が苦しいのは走っている所為だけではないのだろう。
ようやく大きな木を見つけ、幹に手をつきながら苦しそうに肩で息をしながらずるずると根元に座り込み、膝を抱える様に顔をうずめた。
今まで、大人から暴力を振るわれたことは無かった。
王都に住んでいた頃は、あからさまな悪意や憎悪を向けられたことはあっても、祖父母が守ってくれていた。
領地に籠ってからは、王都での嫌な思い出も忘れてしまえるくらい幸せで楽しくて。
でも祖父母は、これからの事に胸を痛め色んな策を与えてくれていた。
此処に戻ってくるときに、覚悟だけはしてきたつもりだった。それでも・・・・
「おじい様・・・おばあ様・・・痛いよ・・・怖いよ・・・・」
ユスティアはカタカタと震えながら涙をこぼす。
キャロルと対峙していた時は、ちっぽけな矜持だけで立っていた。
亡き祖父母にみっともない姿を見せたくなくて。
それでもやっぱり、あの温かな腕が恋しい。優しく頭を撫でてくれる大きな手が恋しい。
今になって痛みだす口や頬、頭の傷。
既に血は乾いているが、口の中は未だに血の味がした。
こんな事をされてまで、あの家で暮らしていかないといけないの?
一度手を上げれば、これから先も同じことが起きるかもしれない。
それに耐えてまで、あの家にいないといけないのだろうか・・・
領地に帰ってはいけないのだろうか・・・
今のユスティアには、どうしていいのかわからなかった。
悔しくて痛くて悲しくて・・・
もっとうまく立ち回れるだけの知力があったなら・・・
あんな暴力をもやり返せるだけの力があったなら・・・
結局は守られてしか、生きていく事が出来ないんだ。私は無力だ・・・・
色んな感情に飲み込まれ、ただただ涙を流すユスティアの目の前に、一人の青年が駆け寄ってきた。
あの女の追手かと、一瞬身体をすくませたが、ユスティアの状態を見た青年は血相を変えて膝を突いた。
「大丈夫!?酷い怪我をしているじゃないか!!」
そう叫ぶ青年は、目が覚めるほど美しい容姿をしていた。
サラサラとした青銀色の髪は木漏れ日を受けキラキラと光り、彩度が最高級のブルーサファイアの様な瞳は痛まし気に細められている。
まるで天使のようだと、一瞬痛さを忘れ見入ってしまったが、すぐさま警戒するように睨み付けた。
「あなたは・・・誰?」
敵ではなさそうだが、知らない人には付いて行ってはいけないと祖母から聞き飽きるほど言われているユスティアは、身を守る様に身体をよじった。
「あぁ、ごめんね。僕はエドワルド・ライト。この公爵家の息子だよ。フレデリカ様に頼まれていたんだ。だから安心していいよ」
彼が公爵家の息子だとか、ここがライト公爵家の敷地内だとかそんな事よりも、愛しい祖母の名前を聞いた瞬間、緊張の糸が切れたかのようにユスティアは気を失ってしまったのだった。
気付いた時は、柔らかなベッドの上だった。
はっとして、身体を起こそうとすると横から手が伸びてきて、優しくベッドへと戻される。
「無理して起きなくてもいいよ」
そこに居たのはあの時の美しい青年だった。
「あ・・・」
お礼を言おうと口を開こうとして痛みが走り、顔を顰める。
「無理して話さなくていいから。痛いだろ?傷は全て治療したけど」
そう言いながら、大きくてちょっとごつごつした手が、シーツを握りしめるユスティアの手を取って自分の手を握らせた。
「改めて、僕はエドワルド・ライト。君はユスティア・フライアン侯爵令嬢で間違いないかい?」
コクリと頷き肯定すると、エドワルドは安堵したように頷き返した。
「今、父上と母上が来るけれど、無理しなくてもいいからね。明日になれば痛みが引けるはずだから」
よく効くんだよ、この薬・・・と、優しく微笑むエドワルドは、改めて見るとやはり美しく、気を抜けば見惚れてしまいそうになる。
年のころは自分より四、五歳は年上だろうか・・・目の前の彼を見つめながらそう思うが、照れくさそうに笑うその顔は、それよりも幼く感じさせた。
「詳しい事は、父上達が説明するけれど、ユスティア嬢を害する者はこの家にはいない。安心してお休み」
優しく髪を撫でられその温かさに、ほぉっと息を吐き目を細めれば、エドワルドの頬にほんのりと朱がさした。
そして食い入るようにユスティアを見つめ、はぁぁ・・・と、大きく息を吐く。
やはり迷惑だったのだろうかと、焦ったように身体を起こそうとすると、エドワルドは慌ててそれを止めた。
「違う!この溜息は迷惑とかそういうのではなくて・・・・その・・・・やっぱり、可愛いなって・・・・」
最後の言葉が聞き取れず、首を傾げるとエドワルドは顔を真っ赤にしながら「ユスティア嬢が可愛くて見惚れてた!・・・んだ」と語尾が消える様に告白。
握られていた手はそのままに、「ごめん・・・君が大変な状態なのに・・・こんな事を言われても困るよね・・・」と目を潤ませながら見つめられユスティアは又も首を傾げる。
初めは何を言われているのか理解できなかった。だが、真っ赤な顔のエドワルドを見ているうちにじわじわとその言葉が意味を持ちはじめ、伝染したかのように真っ赤になる。
痛くて怖くて悲しい、そんな感情に凝り固まっていた心を、柔らかく抱きしめられた・・・そんな気がしたユスティアは、握られていた手を無意識に握り返すのだった。
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