絶妙のタイミング

森本 晃次

第1話 三すくみの関係

                 第一章 三すくみの関係


 彩名が夢を気にするようになったのは、いつの頃からだっただろうか?

 夢というのは、見たとしても、起きてしまえば忘れてしまうもので、忘れてしまったものに対して、

――あれはどんな夢だったのだろう?

 と、いちいち気にすることはなかった。

 夢を見たという意識はあっても、夢を見たことを思い出したとしても、何が変わるわけではないという意識があったからだ。特に彩名の場合は臆病なところがあり、

――見た夢が怖い夢だったらどうしよう?

 という思いが先にあり、思い出さないことの理由づけに、いちいち気にしないということを自分に言い聞かせているだけだった。

 彩名には、実は臆病になる理由が、性格的なもの以外にもあった。それは、子供の頃の記憶のどこかに欠落している部分があるということである。

 忘れているのか、それとも記憶から消えてしまったのか、彩名には分からない。ただ、思い出そうとすると、身体中から汗が吹き出してくるようで、身体全体が、思い出そうとする意識を否定しているようなのだ。そんな状態で忘れてしまったことを思い出せるわけもなく、思い出そうとする意識すら、まるで悪いことをしているかのように思えてくるのだった。

 彩名は、それまで夢を見たとしても、無意識の中で、

――夢なんか見ていない――

 と、自分に言い聞かせていたことを意識するようになっていた。

 一時期は、

――私は、夢を見ない体質なんだ――

 と思っていたほどで、夢を見ないことが自然なことだと感じていた。ただ、それが思い出すことができない何かのせいで、夢を意識しないようにしていたなどという思いはなかったのである。

 彩名は、今年で二十五歳になっていた。学生時代までが長かったと思い、大学を卒業してからの三年間は、あっという間だと思っていたくせに、二十五歳になってから学生時代を思い出そうとすると、かなり昔のことに思えてならなかった。だからと言って仕事が辛かったわけではない。確かに厳しい仕事だと思っているが、さほど辛いと思っていないのは、それだけ気を張っているからだろうか? 気を張っていると辛い仕事もさほど苦痛に感じなくなる。彩名はそれを、

――感覚がマヒしているからだ――

 と思っていたが、その心の奥には、

――気持ちが精神を凌駕した――

 という思いが潜んでいる。

 ただ、彩名は気を張って仕事をしていたが、まわりから見えているほどギリギリまで張りつめた精神状態だったわけではない。ギリギリまで張りつめた精神状態と言えば聞こえはいいが、要するに、

――他の人はどうでもいいので、自分だけでもしっかりしていればいい――

 という「自分中心主義」だった。

 自分が一番偉く、まわりがそれについてこれないなら、それでも仕方がないという考えで、ただ、仕事に差し支えてしまうと、それが自分の中のストレスになって繋がってくるという見方だった。

 彩名を見ている人のほとんどが、彩名を「自己中心主義」だと思っていた。だが、実際には違っていて、彩名が潔癖症だというのが、「自己中心主義」に見える原因だった。

 しかも、彩名には子供の頃の記憶が欠落しているという意識がある。その意識が手伝ってか、学生時代までは表に出てこなかった潔癖症との融合が、「自己中心主義」だと、まわりに思わせているのだった。

 学生時代までは、自分が潔癖症だという意識はあったが、記憶の欠落が潔癖症と融合することはなかった。だが、就職して融合するようになったのは、学生時代までにはなかった、

「他人との競争意識」

 が、気持ちの中に融合作用を作り出したのだった。

――まわりの人に負けたくない――

 学生時代までにも同じ思いはあった。特に受験の時など、

――まわりは皆敵なんだ――

 と思っていたが、心の奥で、

――敵は自分自身だ――

 という意識があった。

 この意識があったから、受験戦争を何とか乗り越えられたのだと思う。考えてみれば、確かに定員というのは決まっているのかも知れないが、まわりがどうであれば、自分が合格点に達していれば、受験の場合はそれでよかった。

 しかし、就職してからは、そうも行かない。テストのように点数が明らかになるわけではなく、どうしても、上司が判断することで自分の評価が決まるのだ。その基準は仕事のデキ具合と、まわりとの比較が大きく左右する。

 同じように仕事をこなす人であれば、あとはいかに上司の心を掴むことができるかということに関わってくる。気の利く人、先見の明のある人、それぞれに特徴が現れる。彩名の場合は潔癖症という性格があるので、なかなか、上司に気に入られるようには振る舞えない。しかも、人に媚を売るのは嫌いな性格だと来ている。そうなると、気を張ることで、自分が「できる」社員だということを表現するしかなかった。そのために、どうしても、自分が中心になって仕事をこなしている姿を見せつけるしかない。それが嵩じて、どうしてもまわりに対して毅然とした態度を取るようになり、「高飛車」な態度をまわりに感じさせるようになっていた。

 ただ、彩名のような女性は、どこの職場にも一人くらいはいる存在なのかも知れない。それは学生時代にはそれぞれ違う性格だったに違いないのに、社会人になって似たような性格になるのは、それだけ社会の仕組みが複雑に見えて、本当は単純なのではないかということを思わせることになるのだろう。

 彩名にとって二十五歳という年齢は、一つの分岐点ではないかというのは、以前から感じていたことだった。

 別にしっかりとした人生設計を持っているわけではない。彩名は自分の性格を把握しているつもりなので、今のままの性格であれば、自分の会社での立ち位置は、これ以上でもこれ以下でもないと思っていた。ただ、それがストレスになって溜まってくるのは致し方のないことで、最初は、どうして自分にストレスが溜まるのか分からなかったくらいだ。

 学生時代から社会人になる時、期待と不安が入り混じっていた。期待は感じていたほど満足できるものではなかったが、不安の方は、自分で考えていたほどひどいものではなく、何とか乗り切れていた。ただ、その中で不安を乗り越えるために通らなければならない道として、

「ストレスの解消をどうするか」

 ということは、考えていたつもりだったが、なかなか解消できるものではなかった。

 ストレスの解消に関しては、

「仕事をいかにしてこなしていくか?」

 ということであったり、

「いかに上司や同僚とうまくやっていけるか」

 ということの方が重要であり、自分のことであるストレス解消は後回しになってしまった。

 後ろ向きの考え方に感じられたのだ。優先順位としてはかなり低いところに置いていたのだが、それがそもそもの間違いだった。

――自分をコントロールできなければ、仕事をこなしたり、まわりとうまくやることもできない――

 という、これほど単純なことを忘れていたのは、彩名の中に、自分に対して特別な思いがあったからなのだろう。

――自分なら大丈夫――

 という思いが微妙にではあるがあったのも事実だった。

 それは、

――私はまわりの人と違って、優れている――

 というまわりに対しての優越感の裏返しでもあった。

 その優越感が、そのままストレスに繋がっていくことに気付かなかった。その感覚というのが、

――自分を殻に閉じ込めるだけになってしまう――

 ということに気付かせない要因でもあった。つまり、

――ストレスと、優越感というのは、どこまで行っても交わることのない平行線を描いているのだ――

 ということであった。

 しかも、その思いが夢に微妙な影響を与えていることに、気付くはずもないのだ。

 夢を見るということがどういうことなのか、中学時代くらいに考えたことがあった。それを友達と語り合ったこともあったが、

――そういえば、あの時に、それなりの結論って出たんだろうか?

 と、思い起してみたが、やはり思い出せない。ただ、友達の意見に対して、結構反発していたように思う。自分の意見だけは、何となく覚えている。そして、それが今でも変わっていないということや、友達の意見とでは、こちらも交わることのない平行線を描いているということも意識していた。

「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」

 ということ、そして、

「夢というのは、どんなに長いと思う夢であっても、目が覚める前の数秒の間にしか見ていないんだ」

 ということだけは、譲れなかった。

 友達も、最初の意見には賛成だったが、夢というのが目が覚める前の数秒でしかないという考えには難色を示していた。口では、

「反対だ」

 とは言わないが、決して受け入れられないというハッキリとした意志を感じたのだった。

 その友達とは今でも時々連絡を取っているが、学生時代から連絡を取っているのは彼女だけだった。

 元々、大学を卒業してからも、

「時々、皆連絡を取り合いましょうね」

 と言って、卒業したはずだった。

 彩名は、卒業してからも、何人かに連絡を取ってみたが、誰もがまるで他人行儀のような態度だったのだ。

 仕事も覚えることが多かったり、環境も変わったこともあって、学生時代の友人と話をするのが億劫になったのだろうが、そんな環境に彩名は耐えられなかった。一度でも他人行儀にされた相手には二度と連絡を取る気にもなれず、自然と友達が減っていくのを感じていた。

 それも自分の中にストレスを溜める大きな要因になったわけだが、ストレスがすぐに表に出てくるほど、彩名も他人に構っていられる状況ではなかった。

 仕事を覚えるのは、きっと、他の人に比べて早かったように思う。それでも、苦悩は他の人と変わりはなく、いや、むしろ覚えが早かっただけに、それだけ自分の中で無理をしていたのかも知れない。本人には意識はないが、そこがストレスに繋がってくるのだということに気付いたのは、本当に最近のことだった。

 その原因を作ったのは、夢に対しての意識だった。

「私は、夢を見ないんだ」

 と、思っていた。

 これは学生時代に思い、今も感じている、

「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」

 ということに対して、どこか矛盾を感じることでもあった。

 それを矛盾と感じないほど、夢というもの自体が自分には無縁だと思ったからだった。

 確かに中学時代も夢に対していろいろ考えてはいたが、それはどこか他人事だったからである。

――他人事だったからこそ、いろいろ夢に対して感じるものがあったのかも知れない――

 と、今なら自分を納得させることができる。

 彩名の夢に対しての基本は、

――夢は忘れてしまうものであって、忘れてしまったものに関して、思い出そうとするなどということはナンセンスだ――

 というものだった。

 もっとも、これは彩名だけが感じているものではなく、他にも同じことを考えている人も少なくないだろう。そして、もう一つ同じように、他の人も感じていると思っていることで、

――悪い夢ほど、覚えているものだ――

 という考えである。

 これは、夢を忘れてしまうということに、自分の意識が働いていないということを意味しているのかも知れない。だが、逆に考えると、

――覚えているということは、忘れたくないという気持ちの裏返しで、忘れてしまうことの方が、覚えていることよりも怖いということであり、その根拠は「自分が怖がりだ」ということではないか――

 と、思うようになっていた。

 彩名が怖いと思ってる夢は、実は二種類あった。

 一つは、

――もう一人の自分が出てくる夢――

 で、そしてもう一つが、

――前にも同じ夢を見たような気がする――

 という夢だった。

 もう一人の自分が出てくる夢というのは、実はハッキリとまでは行かないが、今でも彩名は覚えていた。元々夢というのは覚えていること自体が稀なので、いつ頃に見た夢なのかということも、意識の中でかなり幅のあるものだった。

 つい最近見た夢だと言われればそんな気もするし、子供の頃の夢だったのかと言われればそんな気もする。もう一人の自分が出てきた夢の背景は、明らかに自分が子供の頃のことだった。子供の意識で見たものなのか、それとも大人になってから、意識の回想が生んだ夢なのか判断がつかない。もし、回想が生んだものだとすれば、夢に限らず彩名の中でもう一人の自分という意識は今に始まったことではなく、ずっと以前から頭の中で渦巻いていたものだという思いがある。そこには堂々巡りを繰り返している意識と、忘れられないことが夢となって現れたのだという意識が、同居しているわけでもないのに、同じ意識の中でそれぞれに表になり裏になり、展開していったに違いない。

 ただ、それが、もう一つの怖いと意識している夢である、

――前にも同じ夢を見た――

 という意識にも繋がるものがあるのだということに気付くまでには、かなりの時間が掛かったのだ。

 彩名は夢の中で、もう一つ覚えているものがあった。

 それは別に怖い夢というわけではなく、どこか掴みどころのない夢だった。夢自体、掴みどころがないのだから、改めて感じることではないのだろうが、どうしてそう感じたかというと、

――覚えている夢でも、怖いわけではなく、心地よい夢もあるのだ――

 ということを知ったからだった。

 ただ、この夢はいつ見たのか分からないわけではなく、明らかに最近見た夢だった。心地よい夢ではあるが、自分としては、衝撃の夢だったことに変わりはなかった。

 今まで彩名が見てきた夢は、そのほとんどが女性が出てくるものだった。

 男性が出てくるなど、まるで一人暮らしの部屋に、見知らぬ男性を引き入れるような気がして気持ち悪い。今までに男性の夢など見たことがないというのが、彩名の中で一番確かなことだった。

 小学生の頃は、男子と一緒にいても意識していなかった。

――異性を意識するようになったから、男性を気持ち悪いと思うようになったのかしら――

 彩名の男性への気持ちは、「恐怖症」に近いものだった。完全な男性恐怖症でないことだけが救いだが、彩名は、どうして男性が気持ち悪いと思うようになったのか、思い出せなかった。

 小さい頃であれば、男性の裸を見てしまったりして、それが男性恐怖症に変わったという人の話を聞いたことがある。

 また、中にはすごい経験をした友達もいて、

「小学生の頃、近所の高校生のお兄ちゃんに悪戯されたことがあった」

 と言っていた子もいた。

 彼女は、見た目おどけながらあけっぴろげに話をしているが、本当は悪戯されたことをトラウマに思っているに違いない。それを認めたくないという気持ちから、友達は敢えてまわりに話していたのだ。

 だが、彼女は一つだけ大きな勘違いをしていた。それは、

――こんな経験は、大なり小なり、誰にでもあることだ――

 という意識を持っていることだった。

「そんな経験、稀にしかないに決まっているじゃない」

 と、言いたいのは山々だったが、それを口にしてしまうと、友達を一人失うのは確実だが、そのために、まわりを敵に回す可能性もある。

「人のことは放っておけばいいのに」

 と、人の傷をほじくり返したように思われるのではないだろうか。それを思うと、彩名は、余計なことを口に出さないように心掛けていた。

 それは、今でこそ、余計なことを口にしなくなったが、子供の頃は、よく余計なことを言ってしまって、まわりからひんしゅくを買ったものだ。

 その都度まわりの雰囲気がおかしいのを見て、

――どうして、私がまた何か余計なことをしたのかしら?

 余計なことをしたことには気付いても、どんな余計なことなのかは、すぐには思いつかなかった。

 彩名は、特に相手が男の子であれば、あまり気を遣わなかったような気がする。男性のこともよく分からないのに、どういう気を遣うというのだろうか?

 夢を気にするようになったのは、「あいつ」が夢に出てきてからだった。

 その人が夢に出てきたのは、一度きりだったはずだ。知り合いでもない人が自分の夢の中に何度も出てきたのであれば、

――気にする――

 という程度で終わるということはない。

――何か自分に関係のある人を夢に見た――

 と感じ、予知夢ではなかったかと思うことだろう。

 予知夢というものの存在を、彩名は否定する気はない。ただ、予知夢を見ることができる人は限られた特定の人だけのものだという思いしかない。予知夢を一種の予知能力として考えているからだ。

 確かに、予知能力のような特殊能力は、人間なら誰でも持っているという話を聞いたことがあった。誰もが持っている潜在意識の中に含まれているのだが、それを表に出せるかどうかということは、その人それぞれで違っているのではないかと思うからだ。

 彩名は、夢の中に出てきたその人を、「あいつ」と自分の中で表現している。理由としては二つあるのだが、一つは、

「以前に見た夢の中で、その人が出てきたような気がした」

 というのと、もう一つは、

「自分の知っている人に、どこか似ているような気がする」

 というものだった。

 ただ、後者は最初それが誰だかどう考えても分からなかったが、一つ見方を変えて見てみると、

――なんだ――

 と感じる人だった。

 その人は、

――一番知っているはずなのに、一番気付きにくい人である――

 つまりは、自分自身だったのだ。相手は男性なので、外観や雰囲気が似ているというわけではない。性格的なものが似ているに他ならなかった。

 前者の、以前の夢がいつだったのかは分からないが、会ったことがあるような気がしたのは、やはり、前に夢で見た相手だと思うと、かなりの確率で、信憑性があった。思い出そうとすればするほど思い出せそうな気がするのだが、ある程度のところまで来ると、そこからは思い出せない。何か夢の中に壁のようなものが存在しているような気がしてならない。

 自分に似ているという思いは、その人が夢の中で彩名に対して、かなりの溜口をきいていたからだ。いくら夢の中でも、いや、夢の中だからこそ、自分に対して溜口をきく相手がいることは、許せない気持ちになっていた。その思いを込めて、その人のことを「あいつ」と表現しているのだった。

 彩名は、その人のことを、夢の中でどのように思ったのだろう?

 溜口をきく人は、少なくとも心が通じ合えた相手でなければ、嫌いなタイプであることに間違いない。だから、「あいつ」と表現するのだが、夢の中で、そんなに嫌だったというイメージはない。

 むしろ、

――慕っていたのではないか?

 と、自分の中で容認できるはずもないような思いが頭の中を巡る。それは思い出せば思い出すほどに感じることだった。

 彩名が今までに慕ったことがある相手というと、小学生の低学年の頃に近くに住んでいたお兄さんが最初だった。だが、

――慕う――

 という意味では、それ以降、誰にも感じたことがなかったような気がする。それは、自分が慕いたいという気持ちよりも、

――慕うことを怖がっている――

 という思いの方が強かったからだ。

 なぜ、慕うのが怖いのかということは思い出そうとしても思い出せない過去に影響している気がする。その頃から彩名は、

――自分のまわりにいる人は、皆自分よりも優れている――

 と感じるようになった。その思いは、自分の知っている人に限られていて、逆に自分が知らない人は、

――自分よりも劣っている――

 と思うようになっていた。

 しかし、その思いを表に出すことなどできるはずもなく、極端な性格は、自分の中に封印するように心掛けていた。

――この思いも、記憶が欠落していることと何か関係あるのかも知れないわね――

 と感じる彩名だった。

 まわりを極端に見るというのは、自分が、

――二重人格なのではないか?

 と感じさせるところがあったからだ。

 本当なら、

「他人には優しく、自分には厳正に」

 というのが理想なのは分かっているが、どうしてもそう感じることができない。それはまわりの知っている人は自分よりも優れていて、知らない人は劣っているという考え方が基本になっているのではないだろうか。極端ではあるが、潔さも感じられることが自分の中で疑問は感じながらも正当化できることで、余計にその思いを強くさせられるのではないかと思った。

「他人に厳しく、自分には甘く」

 この思いが自分の性格の原点を作っているところだと思っている。ただこれも極端な考え方で、自分を大切にするという考えが、自分に甘いという思いに繋がっているのだとすれば、子供の頃から考えていたことが錯覚だったということになるだろう。

――自分を大切にできない人が、まわりのことに気を遣うなど、できるはずもない――

 という考えも持っている。

 ここで言う「大切」というのは、「納得」という言葉に置き換えることもできる。

――自分を納得させられない人が、まわりの人を納得させることなど、できるはずもない――

 というのが、本音となっているに違いない。

 二重人格というのは、あまりいい意味では使われないが、自分の中にある性格を、

「自分に対してのものと、他人に対してのもの」

 というように分けることができるのだとすれば、二重人格というのも、まんざらでもないのかも知れない。

 彩名は、自分の性格をハッキリと意識したことはないが、夢の中で自分と同じような性格の男性を見つけたと思っているということは、夢の中でなら、自分の性格を把握することができると考えているに違いない。

 彩名は自分を、

「大雑把な性格だ」

 と思っていた。

 ただ、それは基本的な性格であって、基本のまわりにある性格は、大雑把とは少し違ったニュアンスを含んでいることに、最近になって気が付いた。

――自分を納得させること――

 というのが、彩名の性格の根底にあるのだとすると、大雑把なところは、納得できないところであった。それなのに、彩名は自分の性格が嫌いというわけではない。そこに気が付くと、今までどうして気付かなかったのか分からないと思うほど分かりやすい性格が潜んでいることに気が付いた。

――私って、潔癖症だったんだわ――

 という思いである。

 潔癖症というのは、

「他人が自分の所有物に触ったからといっては、いちいちアルコール消毒するような性格の人だ」

 というイメージを持っていた。

 彩名はそこまで極端ではない。しかし、ある意味、それよりももっと性格的には強いものがあるのではないかと思っている。

――私は他人とは違うんだ――

 という思いを強く持っている。同じような思いは誰にでもあるのかも知れないが、他の人は多分、

――自分の中で意識していることなどないだろう――

 という思いを感じていた。なぜなら、あまり他人とは自分が違うという意識を強く持ってしまうと、その思いが表に露呈してしまう。そして、こういう思いこそ他人からは誤解されやすく、

――自分中心主義――

 という考えが、他の人を寄せ付けない思い、ひいては、相手に対しての絶対的な優越感に繋がるのではないかと思うのだった。

 彩名が自分に似た性格の人を夢に見たということは、潜在意識の中で、かなり強く感じていることであり、その思いは、最初は小さなものだったのかも知れないが、次第に大きくなってきているものであることに違いないだろう。

 その夢は、不思議な夢だった。

 夢そのものが不思議だというわけではない。夢なのに、目が覚めてから時間が経つほど、いろいろ思い出してくるものだったからだ。

 夢から覚めてすぐに、

――ああ、夢だったんだ――

 と、夢を見たという意識があるだけだった。

 もちろん、どんな夢だったのかなど、その程度の認識で分かるものでもなく、怖い夢ではなかったというだけのことを漠然と覚えていた程度だった。

 怖い夢だったり、目が覚めてから、

――見るんじゃなかった――

 と感じるような夢だったら、夢の内容もハッキリと覚えている。夢を余韻として覚えているからで、目が覚めてから意識が朦朧としている中で、夢の中にいるようなフラフラした感覚が、

――漠然とした夢を見さされた――

 という意識を持たせるのだった。

 だから、内容は今までの覚えている夢ほどハッキリしたものではない。ただ、出てきた人が男性で、どこか自分に似たところがある人だということだけだった。

 それが、次第に目が覚めてくるにしたがって、夢の中には自分が出ていなかったということを悟るようになり、さらに、目が覚めてしばらくしてから、その人が相手をしている人というのは、彩名の知っている人に対してだった。

 さらに、不思議だったのが、彩名の知っている人たちは、男性を相手に話しをしているはずなのに、内容は、女性を相手にしているように思え、しかも、それがかなり親しい人に対してのものだった。

「ねえ、彩名」

 会話の最後に、親しい人が彼を呼びかけたが、何とその名前が自分だったことに驚かされた。

――どうして、私の名前を呼ぶの?

 彩名は、それを思い出すと、目が覚めているはずなのに、また夢の世界に引き戻されるかのような錯覚に陥った。

――今夜見る夢は、昨日の続きなのかも知れない――

 と思ったくらいだ。

 しかし、そう思うと、今度は、

――あれって、本当に昨日の夢だったのかしら?

 という疑念に襲われた。

「確かに昨日見た夢だったはずだ」

 と自分に言い聞かせてみたが、それに対しての答えが返ってこない。自分自身、自信がないことのようだ。

 それがこの夢のもう一つの特徴。

――夢の内容をどんどん思い出していくのだが、それがいつ見た夢なのか忘れてしまう――

 この現象は、

――思い出していく端から、忘れていくことも多い――

 ということを示していた。

 つまりは、夢を現実の世界で覚えているには限界があり、思い出してくる端から、忘れていくことも多い。

 ただ、これが普通なのである。

 時間が経っているのだから、それだけ覚えていたことを忘れていくのは当然のことであり、今さら不思議に感じることもないだろう。それを不思議に感じさせるというのも、ある意味、この夢の特徴だ。

 いっぱい特徴があるように感じるが、根本は一つである。一つの特徴を派生して考えることで、他の夢との違いが、どんどん露呈してくるだけのことだった。彩名はそう感じると、夢というものが、あらためて現実の世界と一線を画したものであるということを思い知ったような気がした。

 夢についていろいろ考えてくると、夢というのも、一種類ではないということに今さらながら気が付いた。どうしても、次元の違いを感じさせる夢というものに、距離を感じながらも、距離だけではなく、

――すぐそばにあっても、永遠に見えることのない世界。つまりは想像上の四次元のような世界――

 それを、夢の世界とダブらせて考えてしまう。その思いは彩名だけではないだろう。どちらにしても、夢というのは、いくらでも発想の余地のある世界だということだ。

 夢の中の男性は、絶えず笑顔だった。

 普段の彩名には、そんな笑顔はありえない。たまに笑顔を見せることがあっても、それは愛想笑いで、その理由は、相手に自分の気持ちを悟られたくないという気持ちからだった。

 相手に自分の気持ちを悟られることは、相手に自分の裸を見られることのような恥かしさがあり、それどころか、悟られたことで、自分の優位性は、その時点でなくなってしまうことの方が一番嫌だった。

 口惜しさが悔いになって残るという印象であろうか。彩名にとって、相手との距離を測るのは、

――どちらに優位性があるか――

 という印象が大きい。それは別に相手と競争するという意識ではなく、逆に相手と競争したくないから、自分に対し、最初から優位性を持っていたいと思う。要するに他人といろいろ携わることが鬱陶しいのだ。

 仕事においては、他人と協調しなければいけないと思うが、プライベートともなると、他人にあれこれ詮索されたくはない。それは彩名に限ったことではないのだろうが、彩名の中にある自分に固執する気持ちが強いからなのだろう。

 夢の中の男性が、ずっと笑顔でいるのを見ると、自分が癒されていくのを感じた。

――この人は私に似たところがある――

 と感じたのは、この笑顔のせいなのだが、なぜ笑顔を見せたこともない自分に似ていると思ったのだろうか。

 彩名は、彼の笑顔が、自分の子供の頃を思い起させたのを感じた。

 子供の頃というのは、いつ頃のことなのかを考えていると、ふとその頃の記憶が欠落しているのを思い出した。

――そんな大切なことを、夢の中では忘れていたのかしら?

 と、考えたが、夢の中というのは潜在意識が作るもの。都合の悪いことは忘れていても仕方がないというものだ。

 だが、逆に気になっていることほど忘れられないということもある。それが性格によるもので、それを忘れていたということは、気になっているつもりであっても、意外とそれほど気にしていないのではないかということを示していた。

 彼の笑顔は見ているうちに、本当の笑顔ではないことに気付いてきた。

 彩名が自分の心の内を知られたくないと思っているのが、

――笑顔を表に出さない――

 ということであれば、彼の場合は、同じ思いを、

――心のうちを知られたくないので、わざと笑顔を出しているんだ――

 と思っているのだろう。意識していないかも知れないが、無意識のうちにやってしまい、それがくせになってしまうことも往々にしてあることだろう。

 この感覚は彩名とはまったく違っている。正反対の考え方だが、

「逆も真なり」

 というではないか。

 彩名の場合は、潔癖症なくせに大雑把なところがあると自分の性格を分析したが、彼にも同じところがあるのではないかと思った。

 自分の心の内を表に出したくないから、笑顔を見せるという感覚は、きっと大雑把なところがあるからに違いない。

 彩名は自分の性格の中で大雑把なところが大部分を占めていると感じているが、彼もそのようだった。

 彼の顔は覚えていない。夢の中で出会った人の顔を覚えていることもない。もし、現実世界で似た人が現れても分からないだろう。だが、もし分かるとすれば、もう一度夢の中に出てきてくれるしかない。

 もし、次出てくれば、今度はその顔を忘れることはない。もし現実で同じ顔の人に出会ったとしたら、

――夢で会った人だ――

 と気付くに違いない。

 だから、どこかで会ったことがある人だということを意識しても、それがどこでだったのか分からない場合、

――夢の中でだったのではないか?

 と、考えるようになった。

 しかも、それは二度以上自分の夢の中に出てきた人だ。だが、それがどんな夢だったのか忘れてしまっている。

 現実の世界で一度見てしまうと、夢の中でのことはそこで記憶の奥にしまいこまれてしまう。決して忘れているわけではないということは分かっているのだ。

 二十五歳の彩名だが、学生時代には彼氏がいた時期もあったが、社会人になってからは、彼氏を作ったことはなかった。仕事が忙しいとか、仕事の方が楽しいなどということはない。男性に興味がなくなったわけでもない。ただ、付き合ってもいいというような男性が現れないだけのことだった。

 学生時代であれば、まずは付き合ってみて、それから徐々に相手を知っていけばいいと思っていたが、年齢を重ねるうちに、その考えが微妙に変化していた。それが結婚適齢期に差し掛かり、そのことを意識し始めたからであることを、彩名は分かっているつもりだった。

 学生時代に比べて、男性をシビアに見るようになった。男性の方も、学生時代の頃と違って、女性を結婚相手という意識で見ているのが分かる。男性も女性も、それぞれ自分で納得の行く相手との交際でなければ、後々、後悔することになるのではないかと思うのだった。

 彩名は、自分の性格を、あまりよくは思っていなかった。少なくとも二重人格的なところのある性格は、自分でも納得のいかないところだった。そんな自分に彼氏ができるとすれば、二重人格である自分を納得ずくで、包み込んでくれるような男性でなければいけないと思うようになっていた。

 なかなかそんな男性は現れない。自分の性格に納得できないくせに、相手に自分の性格を納得ずくで、しかも包み込んでもらおうなど、虫が良すぎる考え方なのだろうが、そう思って男性のレベルを上げていくと、今さらながらに彩名から見た男性が頼りなく見えてくるように思えた。

 彩名は、じれったさを感じていた。

 虫が良すぎることばかり考えているくせに、相手には高みを望むなど、

――自分にそんな資格があるのか?

 と思う反面、高みを見てしまったことで、見たくもない男性の頼りないところばかりが見えてくることに、

――最初から、感覚がずれているんじゃないか?

 と思えてくるのだった。

 会社を見渡すと、性格はそれぞれに違うのは分かるが、皆似たり寄ったりに見えてくることが多かった。特に会議の時など、皆黙りこんで、誰かが意見を述べれば、それに対して、誰も反対意見を述べずに、簡単に意見が通ってしまう風潮には、ウンザリしていた。

――こんな鬱陶しい会議は、早く終わらせたい――

 と、口には出さずとも、誰もが考えていることだった。

 それには、黙っていることと、人の意見に反対しないことが一番である。よほど自分たちに不利な状況に陥ることのない限り、意見が少々理不尽なものであっても、誰も干渉はしない。要するに、誰もが自分さえよければそれでいいのだ。

 それは会議の場だけのことではない。特に会議の場ではあからさまに見えていることで、余計にハッキリと意識できるが、他のシチュエーションでも、随所にまわりのことに干渉しないという空気が蔓延している。そんな空気の中にいると、息苦しく感じられるが、それが薄いことで起こる苦しさなのか、濃密なことで起こる苦しさなのか分からない。同じ苦しさであっても、

――息ができない――

 という感覚は同じであり、特に苦しんでいる時に、どっちなのかということまで考えられる余裕があるわけもない。

 ただ、彩名は、息ができないのは、どちらに原因があるのか分かっている。もちろん、他の人も同じような呼吸困難を感じているのかどうか分からないが、もし感じているとしても、

――どちらなのだろう?

 などという考えが頭を過ぎることはないだろう。それは彩名が細かいことまで気にするからではなく、細かいことを気にしないことで、他の人が気にしないような些細なことを気にするようになったとしても、不思議ではない気がする。

 彩名は、二十五歳になるまで、就職してから、会社の人としかあまり関わりがない。友達がいるわけでもなく、話し相手がいるわけでもない。それは、男性に限らず女性に対しても同じだった。

 いつも寄っているコンビニの店員と挨拶を交わすことくらいはあるだろうが、お互いに社交辞令の域を超えているわけではない。世間話でもできる相手がいればよかったのだろうが、そんな相手もいないので、彩名は孤独を感じていた。

 しかし、孤独は感じていたが、寂しさはなかった。孤独というのは、一人でいることを孤独というだけであって、寂しさが伴わないと、ただの状況でしかない。

――孤独には寂しさが付きまとうものだ――

 という考えがあるから、孤独は感情に近いものに分類されてしまうのだろう。

 だが、彩名の考える孤独とは、寂しさが付きまとうものではない。だから孤独であっても、決してネガティブな考えになるわけではなく、

――一人でいる方が、いろいろなことを考えることができてありがたい――

 と思っている。

 ただ、これは口に出して言うことではない。まわりの人には言い訳にしか聞こえないからである。

 さらに人と会話が多ければ多いほど、ボロが出てしまうという思いもある。普段から潔癖症なところを表に出しているので、静かで大人しい雰囲気を醸し出さなければいけないと思っている。下手に人と会話すると大雑把な考えが露呈してしまい、いろいろな意味で誤解されてしまうのが嫌だった。

 孤独が、一人で寂しいというイメージと切り離して考えたいと思ったのも、そのためだった。

 彩名は、自分の二重人格に見える性格が本当は嫌いではない。二重人格というと、あまりいいイメージがないため、余計にまわりに気を遣ってしまう。

――まわりに気を遣うことが一番嫌いなくせに――

 自分のまわりにいる人にだけ気を遣ってしまうと、さらにまわりの人に迷惑を掛けるということを、彩名は学生の頃に知った。

 一番最初に感じたのが、喫茶店でのレジの時だったのだが、ちょうど彩名が友達と来ている時、自分たちよりも先におばさんたちの集団がレジを済ませようとしていたその時のことだったのだが、

「今日は私がお支払いしますわ」

「いいえ、私が……」

 と、まるで意地の張り合いのように、レシートを持って争っている。気を遣っているつもりのはずなのに、表情には笑顔はなく、必死さと、喧騒とした雰囲気が見て取れる。

――一体、何をしたいのかしら?

 呆れるばかりである。

 もちろん、おばさんたちは自分たちのことしか考えておらず、ウエイトレスの女性のことや、後ろで待っている人のことなど、まったく眼中にない様子だった。

――誰一人として、何も言わないなんて――

 普段は、いろいろなことを話すくせに、こういう大事な場面ではだんまりを決め込んでいる。

――まるで、会社の会議に出席した時の雰囲気と同じではないか――

 そう思うと、余計なことを口にすることが気持ち悪いと思うに違いない。

――人に気を遣っていることがこれほど醜いなんて――

 と思うようになると、

――醜いくらいなら、一人、孤独な方がいい――

 と思うようになる。

 自分で納得して孤独を選んだのだから、そこには寂しさはないだろうというのが彩名の考え方だった。だが、その考え方も意固地であることに違いなく、無理に自分を納得させようとしているのではないかと思うのだった。

――彼氏ができないのも、自分の孤独を納得させているからだ――

 と思うようになっていた。

 異性への興味は、ないわけではない。むしろ、思春期の頃には強い方だったと自覚している。その時、彩名は孤独というものに自分を納得させることができなかった。納得させることができなかったという思いがそのまま思春期のトラウマになっていた。

 だが、そんなトラウマを持っている彩名にも、彼氏ができた。その時の彼氏は、決して彩名のタイプというわけではなかった。だが、彼氏ができたことに有頂天になった彩名は、その時の彼氏を自分のタイプだと思いこんでしまったのだ。

 納得していなかったはずなのに、納得してしまったかのような感覚に陥ったのは、無理に自分を納得させたからだった。何を根拠に自分を納得させたのか、彩名には分からなかった。ただ、その時に感じたのは、

――やっぱり孤独は嫌だ――

 という思いではなかっただろうか。

 その頃から、孤独と寂しさを切り離して考えるようになっていた彩名だったが、その時だけは、

――寂しさは、孤独から生まれるものだ――

 と思っていたに違いない。

 だが、彩名が夢で一人の男性を見たという記憶が残っている今、彩名の中で、今一度、思春期に感じた、あの時の感覚がよみがえってきているかのようだった。彩名は、今度こそ、自分を納得させることができるであろうか?

 彩名の夢は、彼氏ができる予感を匂わせるものだった。どんな内容だったのかまでは覚えていないのだが、夢から覚めた時、いつも感じるのは、

――もっと夢の中にいたい――

 という思いだった。

 夢の中にいたいということは、少なからず、自分の中に「現実逃避」が潜んでいるような気がする。普段から潜在意識の中にあるものなのだが、それを表に出すことを決してしてはいけないという思いが自分の中にあるのだ。

 彩名は、夢の中に自分の意識を隠そうとしている気持ちがあるのではないかという感覚を覚えることがあった。

――夢とは潜在意識が見せるもの――

 という思いが常にあるからで、夢が現実に繋がるというよりも、現実ではありえないようなことを夢の中で実現するという思いである。その思いの方が、発展性が強く、自分の中で普段は抑えている気持ちを夢の中であれば、開放して実現できるという思いが強いからだ。

 夢の中にいる彼は、彩名のことを一番分かっていてくれる。それは性格が似ているからではなく、似ているところはあるが、決して交わることのない平行線のような性格だからだ。だからこそ、一定の距離で見ることができ、一番相手は理解しやすいのだ。

 しかし、これが現実の世界であれば、交わることのない平行線が相手に自分のことを分からせるに至ることはない。一定の距離から近づくことができないのは、どちらかが、あるいは、お互いに結界のようなものを作っているからなのだろう。

 彩名は、自分には結界などないと思っているが、他の人から見ると、

――これ以上、あの人に近づくことはできない――

 と、感じさせるものを持っているようだ。

 もっとも、それは彩名にも同じことが言える。

 他の人を理解しようとすると、必ずどこかで見えない壁にぶち当たってしまう。それが結界のようなものだとはすぐに気付くわけではなかったが、近づけないということは、そこに一定の距離があることは理解できる。

――自分から近づこうとしないからだわ――

 彩名は、自分でも分かっている。一定の距離を保ってしまった相手に対しては、自分から近づくことはしない。それは、人と協調することの意味を理解していないからだ。

「人って、一人では生きていけないものだ」

 という理屈は、誰もが意識していることであり、理解できなくても、認めてしまうという数少ない理屈ではないだろうか。彩名は、その理屈に疑問を感じていて、

――自分に納得できないことを、どうして皆認めてしまう気持ちになれるのだろう?

 と思えてならなかった。

 だから、彩名は自分を納得させようという気持ちを強く持っている。ただ、その気持ちが強すぎると、現実逃避に走ってしまうのだ。行きつく先は夢の中であり、夢の中であれば、自分の意識以上の何かを見つけることができると、信じている。それが自分を納得させられることであれば、最高なのだろう。

 夢の中には、

――以前にも同じようなものを見たことがあったような気がする――

 というデジャブのような現象が潜んでいる。

 現実世界では、デジャブというと、

――そういうこともあるかも知れない――

 と思いながらも、そのほとんどを信じていない。しかし、夢の世界であれば十分にありえることだ。なぜなら、

――夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだ――

 という考えがあるからだ。

 そう考えると、夢が現実世界とは完全に切り離された状況で見るものであること、そして、潜在意識に包まれているということ。そして、デジャブという現象を自分に納得させることができるものだということ。それぞれに説得力があり、それぞれで現実世界と比較することで、自分を納得させられるに十分なものだった。

 だが、デジャブという現象まで含んでいるということは、なかなか思いつくことではないだろう。そのことに気付いただけでも、彩名は自分が夢というものに対して、何かを納得させるために、避けて通ることのできないものだということを、理解しようとしているのかも知れない。

 彩名が夢の中で一人の男性を意識していることに気が付いた時、その時が、デジャブと夢とを結びつけることを意識させた。そして、夢の中に出てきたその男性に対しても、

――以前から知っていたような気がする――

 と、感じさせ、それが夢の世界ではなく、現実世界のことではないかと思わせるのだった。

 夢の世界を意識していると、その男性のイメージがシルエットとなって浮かんでくる。

――以前にも会ったことがあるような気がするんだけど、どうしても思い出せない――

 確かに夢の世界と現実では、想像以上の開きがあるのだろうが、以前にも会ったような気がする相手だというのに、まったく思い出すことができないというのは、どういうことだろうか?

――まるで、堂々巡りを繰り返しているようだわ――

 ある程度まで思い出せているのに、さらにそれ以上足を踏み入れると、気が付けばまたスタートに戻っている。そこには、見えない壁のようなものが存在しているのではないかと思うと、浮かんでくるのは「結界」という発想であった。

――「結界」とは、それ以上先に進めないだけではなく、スタートラインに戻ってしまうということを暗示させるものなのではないのかしら?

 と、感じるようになっていた。

 彩名は、何度も同じことを考えているような気がする。堂々巡りを繰り返すことも、一種のデジャブではないかとも思えてきたからだ。

――以前にも見たような、あるいは会ったことがあるような――

 という発想は、堂々巡りを繰り返していながら、本人の中でそれが堂々巡りだという意識がない時に起こることではないだろうか。逆に言えば、デジャブを感じない時こそ、堂々巡りを繰り返しているという意識を持っていることになる。それも感じないということは、それだけ堂々巡りが漠然とした感覚であることを示していて、意識としては潜在しているのかも知れないが、表立って意識することはないということだろう。

――堂々巡りを繰り返すことを、無意識に否定している?

 それが、デジャブと堂々巡りという二つを一緒に考えた時に出てきた結論だった。

 彩名にも、そこまで考えてきても、すぐに自分を納得させることのできないことだという意識があるようで、

――なるべく考えないようにしている――

 ということのようだ。

 だが、夢に出てくる男性の輪郭が、そのうちにハッキリしてくるのを感じてきた。

――何かが近づいているのかしら?

 という予感めいたものがあった。

 そこには、以前にも感じたことがあったような「予知」という言葉が耳鳴りのように響いてくるのを感じた。その声が自分の声だとは思えなかったが、どこかで聞いたことのある声であることに違いはなかった。

――誰の声かしら?

 いろいろ考えてみるが、自分が知っている人の声ではない。

――やっぱり、自分の声なのかしら? それにしては、あきらかにいつもと違っているわ――

 と感じた。

 だが、高校時代にマイクを通して、自分の声を録音してもらったことがあったが、その時に聞いた自分の声は、まったく自分が感じている声とは違った。もっと低い声だと思っていたのに、聞いてみると結構高い声で、振動もあまり感じなかった。

――籠って聞こえるようだ――

 というのが、本音である。

「彩名って、いい声してるよね」

 と、高校時代、友達に言われたことがあった。

 さらに大学時代にも先輩から、

「彩名ちゃんの声って、魅力的よ」

 と言われたこともあったが、マイクを通して録音してもらったあの時の声を思い出すと、手放しで喜べることではなかった。

 彩名は、マイクの声を聞いた時から、自分の声が嫌いになっていた。それだけに、自分の声を好きだと言われて嫌な気はしなかったが、複雑な気持ちになったのも事実だったのだ。

 だから、自分の中の「心の声」は、なるべく自分の声を想像しないようにしている。しかし、聞こえてくるのは、自分の意識の中にあるマイクを通しての声だったことがほとんどだった。

 だが、「予知」を感じさせるその声は、いつも感じているマイクを通しての自分の声とも違っていた。

――本当の「心の声」なのかも知れないわ――

 自分の中にある心にも声があるなどという発想は、彩名だけにしかできないものなのだろう。

 彩名が夢を見るようになってから、夢に見た男性が、現実世界でもいるのではないかと思い、探していた。自分が知っている男性の中にいるようで、見つけることができない。やはり、「予知夢」なのだろうか?

 もし、予知夢でないとすれば、自分の知っている人の中に、意識している男性がいるということになる。それは自分では認めたくはない。少なくとも、今現在、彩名が気になっている男性はいないはずだと思っている。もし、そんな男性がいるとすれば、彩名は自分が持っている男性への考え方を変えなければならないからだ。

 彩名には、トラウマがあった。それは子供の頃に感じたトラウマだったのだが、それがどんなものなのか、自分でも分からない。ちょうど記憶が欠落している時期であり、記憶の欠落の原因が、その時のトラウマにあるのではないかという思いは、彩名の中にあった。

 彩名の友達が、近くのおじさんに悪戯されたということで、街中が騒ぎになったことがあった。

 友達が悪いわけではない。悪戯するおじさんが悪いのだ。それなのに、友達の家族は、まるで逃げるようにして、彩名の住んでいた街から姿を消した。

 それ以降、友達の家族のことを話題にするのはタブーとなった。彩名が思わず友達の名前を口にした時、

「余計なことは言わない」

 と言って、母親から叱られた。言葉的には、それほどきついものではなかったが、その時の視線が明らかに彩名を責めていた。

 彩名はビックリして、それ以上何も言葉にできなくなった。

 その時の母親の睨みは狂気じみていた。まともにその顔を見れなかったように思う。もしそのまま見つめていたら、殴られていたかも知れないと思うほど、厳しいものだったのだ。

――どうしてなの? 友達は悪くないのに――

 と、思ったが、とてもそれを聞きただすだけの状況ではなかった。一度、尻込みしてしまうと、そのことに対して彩名は、二度と問いただす勇気を持つことができなかった。

 かといって、まわりの人と同じでは自分が納得できない。なるべくなら、

――忘れてしまおう――

 と思った。

 しかし、こんな時ほど忘れることはできないものだ。そういう意味では欠落している記憶は、自分から忘れてしまおうと思ったわけではないように思えたのだ。

 友達が街からいなくなってからというもの、彩名を取り巻く環境が変わってきたのを感じた。

 それは彩名に対してだけのことではなかったのだが、彩名は自分に対してだけまわりの目の色が変わってきたと勘違いしてしまった。

 この勘違いが、彩名の性格を変えてしまったに違いない。

 それまでは、自分からいろいろ発言する活発な女の子だったのだが、まわりの目が気になり始めてからというもの、自分から積極的になれることは一度もなかった。まわりから言われて初めて気が付いたり、気が付いていても、分かっていなかったふりをするようになっていた。

 彩名にとって、勘違いは、

――自分の身を守るためのもの――

 としての認識だった。

 まともに思った通りの行動を取っていたのでは、まわりの目から逃れることができないと考えた彩名は、自分を偽ることに目を瞑るようにして、まわりを欺くことを覚えた。それは自分の記憶が欠落した時期が存在しなければ、そんな発想も生まれなかっただろう。そして、

――自分が納得させなければいけない――

 という発想も、他人だけではなく自分を欺く時の「抑え」として、自分の中の大切な逆説として存在していたのだ。

 彩名は、何を恐れているというのだろう?

 相手があるとすれば、それは男性であるに違いない。彩名は、

――自分を納得させることに失敗するとどうなってしまうのだろう?

 ということについて、何度か考えたことがあったが、結論が出るはずもなく、考えてしまったことを後悔するくらいであった。それは堂々巡りを繰り返してしまったことへの後悔であり、彩名が堂々巡りについて、特別な意識を持っていることを示していた。

 彩名は、中学から高校にかけて、自分でもビックリするほど暗い毎日を過ごしていた。大学生になっても、友達がそれほど増えたわけでもない。確かにそれまでに比べれば友達と言える人は増えたが、本当に友達と言える人は何人いただろう。自分にとって薄っぺらい関係が、どれほど自分を苦しめることになるのか、その頃には分かっていなかった。

 その理由の一つには、

――自分と同じ性格の人がいたら、どうしよう?

 というものだった。

 夢を見た時、今までに怖いと思ったのが、

――もう一人の自分が出てくる――

 という夢だった。

 それは、自分のことを一番よく分かっている人だという意味も含まれている。自分のことを一番よく分かっているのは、彩名本人のはずなのだが、

「案外、自分のことは分からないものだ」

 という話を聞いたことがあり、その意見には、彩名も賛成だった。

 自分以外の人に、本当の自分を探られるのは嫌なものだ。土足で自分の部屋に許可なく入りこまれるのと同じ感覚に陥ってしまい、それが人間不信に繋がってしまうことを嫌がっていた。

 人のことを嫌いになるのは、自分に原因があるということは嫌なものだ。

 特に自分と同じ性格の人だと、相手も同じことを考えているに違いない。どうやっても逃げることのできない相手が目の前にいるということは、これほど怖いことはない。

 彩名は、自分と似た性格の人はいないだろうと思っていた。それだけ自分は他の人とは違うと思っていて、似ている人が現れたとすれば、かなりのショックを感じるに違いない。

 だが、実際に本当に似た性格の人が現れればどうだろう? まったく近寄る気がしないか、あるいは全面的な信頼を置くかのどちらかではないだろうか。極端ではあるが、彩名にとって、どれほど衝撃的な出会いになるか、想像もつかなかったからだ。

 そんな相手が現れるというのは、いつの時でも突然だったりする。

――あの時に、前兆のようなものがあったな――

 と感じることもあるだろうが、それは結果から推測するものであって、実際には、突然現れたという印象に勝るものはない。

 その人との出会いは、出会いのある場所ではなかった。最初は仕事上の出会いだったが、二度目に出会ったのは、本当に偶然だったのだ。

 だが、仲良くなってから、

「君は僕たちの出会いが、僕が君の会社に営業で行った時が最初だと思っていないかい?」

「えっ、違うんですか?」

「やっぱり、そう思っていたんだね。実はそれ以前にも会ったことがあるんだよ。それも、最初に声を掛けてきたのは君の方だったんだ」

 ますます、彩名の頭は混乱してきた。

「君は、会社の同僚の人と一緒に食事に出ていたんだと思うんだけど、その時の君は、本当に面白くなさそうな表情で、僕自身も、あの時の女性がまさか今の君だとはすぐには分からなかったくらいだからね。でも、君はそんな中でも、通路ですれ違う時、出会いがしらになって、もう少しでぶつかりそうになった時、恥かしそうに『ごめんなさい』って言ったんだ。その時の顔が僕には印象的だったね」

「どういう風にですか?」

「ここまで表情が変わる人は見たことがないという思いが強かったね。だから、僕はその時の恥かしそうに俯いていた君の顔を忘れられないんだよ」

 と、話していた。

 彩名はその話を聞いて、顔が真っ赤になってしまった。だが、彼が言ったその言葉の裏に、

「あなたのことを最初から意識していたんだよ」

 と言いたいのだということが、よく分かった。

 人の話を聞いて、そこまで自分を感じることはなかなかないはずなのに、どうしたことなのだろう?

 どちらかというと、人と話をしていても、絶えず自分中心に考えるので、相手が言いたいことまで気に掛ける必要などないと思っていた彩名が、相手のことを考えるなど、それまでにはなかったことだ。

 それも、相手のことを考えようと思って分かったことではない。彼の話を聞いていると、不思議と彼のことが手に取るように分かる気がしてきただけなのだ。それだけで相手のことを分かるというのは、元々そういう力が自分の中に備わっていたということなのか、それとも、自分にしか分からない性格が、相手によってあるのかも知れないということなのか、彩名はいろいろ考えてみた。

 そして得た結論として、

――この人は、私と似た性格を持った人なのかも知れない――

 という思いだったのだ。

 その人との出会いには、前兆のようなものがあった。いわゆる「虫の知らせ」とでもいうべきなのだろうが、今まで彩名は、「虫の知らせ」のようなものを信じてはいなかった。

「虫の知らせ」というのは、後から考えた時に、辻褄を合わせているようで、どうにも好きになれなかったのだが、考え方を変えることで、信じることができるようになった。それは、デジャブとの関係である。

 デジャブというと、

――現実世界ではなく、夢の世界に反映されるものだ――

 という考えを持っていたが、彼との出会いは、元々夢から始まっていることを考えると、デジャブを無視できなくなっていた。

 デジャブが夢の中での「虫の知らせ」のようなものであるとするならば、夢の世界の方が現実よりも、よっぽど理屈に適っているかのように思えてきた。

 考えてみれば、夢というのは自分だけの世界として展開されるもので、これほど自分本位なものはない。

「虫の知らせ」という言葉は、いかにも非科学的なものを感じさせ、都市伝説やオカルトを思わせる。実際に「虫の知らせ」というのを信じている人がどれほどいるのだろう?

 前兆が現実になってくると、人はオカルトを思い浮かべ、怖いと思うようになる。それを「虫の知らせ」という言葉でフォローすることで恐怖心を和らげているようだ。

 彩名も子供の頃には、「虫の知らせ」を何度か感じたことがあった。そして、そのほとんどがあまりいいことではなかったように思う。逆に言えば、それだけ確率的にも、子供の頃には思い出したくない記憶がたくさんあったのだろう。

 今意識している記憶だけでも、物足りないのではないかと思っている。つまり欠落している記憶のそのほとんどが、

――決して思い出したくない記憶だ――

 と言えるのではないだろうか。

 彩名が、その人との出会いに前兆を感じた時も、それはあまりいい思い出がなかったことから、「虫の知らせ」を感じてしまったことに恐怖を感じた。

――一体、どんな出会いが待っているのかしら?

 という思いが強く、ただ、そのわりに、ドキドキしている感覚は、決して嫌ではなかった。ワクワクしていると言ってもいいだろう。

――今までにはなかった感覚だわ――

 元々、出会いというものには縁がないと思っていた彩名なだけに、出会いの予感は、期待と不安、どちらも存在したとしても、そのほとんどは、不安だったに違いない。しかし、それでも一部の期待が存在する限り、彩名はワクワクしている気持ちを忘れることはなかった。

――春の入学式の時期も、こんな気分になるわ――

 と、自分が入学するわけでもないのに、入学した時のことを思い出していたことがあった。日差しは暖かく、桜が舞い散る光景は、冬の寒い時期にでも、想像することができる。それだけ期待していることをイメージできる力を持っているということなのだろうが、そのことを自分で意識したことはなかった。

「恥かしそうに俯いている顔を見て、意識した」

 と言われてしまうと、まるで口説かれているかのような気持ちになった。男性から口説かれるのは悪い気はしないのだろうが、彩名は、男性の口説き文句に釈然としないものを感じていた。

 それは、自分の中にある、

――孤独は感じても、寂しさを感じないようにすることができる――

 という思いがあるからである。

 寂しささえ感じなければ、孤独であっても、人の言葉に癒しを感じたりはしない。人の言葉の癒しは、自分の中のどこに一番響くのかと言われれば、

「寂しさでしょう」

 としか答えようがないだろう。

 そのことはちょっと冷静に考えれば分かりそうなことなのに、そんなことすら思いつきもしないということは、ほとんどの人が口説かれることで、

――自分が求めているのは、癒し以上でも、以下でもないんだ――

 という感覚に陥るからに違いない。

 それは、男女に差はないのだろうと、彩名は思っている。男性が女性に癒しを求めるように、女性も男性に癒しを求めている。女性の場合は、さらに、男性には強さを求め、男性の場合は、女性に優しさを求める。ここでいう優しさは、最初に求めた癒しの中にはない優しさであり、それがどんなものかは、想像している本人にしか分からないだろう。いや、その本人にも分からないことなのかも知れない。男女の間の溝というのは、それだけ深いものに違いない。

 彼は、名前を次郎と言った。

 次郎は、彩名に対して、

「君は、僕のことがよく分かる気がするんだ」

 と、言っていた。

 最初はどういう意味だかよく分からなかったが、知り合ってみると、確かに彼のことが分かってきた。彼は、彩名の性格の一つである、

――大雑把で、細かいことを気にしないところ――

 が似ているのだ。

 だが、付き合い始めてしばらくすると、

――彼は私のことをあまりよく分かっていないんじゃないかしら?

 と思うようになってきた。

 元々、彼は彩名が自分のことをよく分かってるかのような言い方をしていたはずなのにどういうことだろう? 彩名は不思議に思っていた。

――私と彼の間に、何か交わることのない平行線が存在するのかしら?

 としか思えなかった。

 でも、自分は彼のことが手に取るように分かる気がする。しかもそのことを、彼は看破していたではないか。それを一体、どう説明すればいいのだろう?

 こんな思いは初めてではなかった。いつの頃だったか、同じように相手の気持ちがよく分かったのに、相手が自分のことを全然分かってくれていないという感覚に陥ったことがあった。

 最初にそのことを感じた時、

――つい最近のことだったわ――

 と思ったが、時間が経つにつれて、次第に遠い昔のことのように思えてきた。

 それは、まるで、

――見たことのある夢が昨日のことだったのか、それとも、子供の頃だったのか、ハッキリとしない――

 という感覚に似ていた。ということは、

――この感覚も夢の中で感じたことなのかしら?

 と思うと、ピンと来ることが頭を過ぎった。

――そうだ、自分と性格が似た人に出会うような予感めいた夢を見たことがあったではないか――

 という思いである。

 彩名には、子供の頃に記憶が欠落し、それが男性恐怖症を招いたという意識が存在していた。

 そのため、彼氏がほしいと思いながら、誰かと付き合ったとしても、長続きはしなかった。

 そのほとんどが、相手から、

「君は、僕との付き合いを真面目に考えていない」

 と言われて、去って行かれた。

――どうして、皆判で押したように、同じことをいうのかしら?

 と思った。

――まわりには、私はまったく同じ種類の女としてしか映らないんだわ。しかもそれは、まるで相手をバカにしているような態度を取っている自分がいることを示している。そんな交際を私がしていたなんて――

 と、自分で自分がどんな付き合い方をしていたのか思い出そうとするが無理だった。ただ、

――いつも何かを考えていた――

 という意識しかなかった。

 確かに何かをいつも考えていたが、相手の話を聞き逃したり、失礼な態度を取っているようには思えなかった。それなのに、どこに男性は不満を持つというのだろう? 彩名はそのことからも、自分の男性恐怖症が、他の人の感じる男性恐怖症とは違っていることを意識していたのだ。

 彩名にとって次郎は、

――大人になって初めて、お付き合いをした男性――

 というだけではなく、

――自分のことを分かってくれるかも知れない、最初の男性――

 ではないかという思いを抱いていたが、それが甘かったことを思い知らされた。しかし、彩名には、彼を失うことへの後悔はさほどなかったが、それを自分の口から言い出す勇気はなかった。

 いつも自分がフラれてきた経験があるからなのかも知れないが、ここで自分から相手をフると、

――二度と自分のことを分かってくれる相手に出会えないのではないか――

 という思いに駆られたのだ。

 ただ、次郎とは仲が悪かったわけではない。むしろまわりから見ると、仲睦まじく見えたかも知れない。それは、彩名にとって、余計に辛いことだった。自分から別れることをしない以上、まわりには、仲がいいと思わせなければならない思い。自分を納得させるどころか、自分を偽ってでもまわりの目を気にしなければいけない自分が腹立たしかったのだ。

 次郎はどう思っているのだろう?

 彼の様子を見る限り、何を考えているのかよく分からない。いつも笑顔を彩名に向けていることを思えば、彩名の気持ちまでは分かっていないのかも知れない。それとも、分かっていて、自分の優位性を鼓舞しようとでもしているのだろうか? 彩名には分からなかった。

 ただ、これもすべて彩名の考えすぎなのかも知れない。別に次郎は彩名の嫌いなタイプでもなければ、彼が彩名の嫌なことをしているわけではない。ただ、彼に優位性を持たれているような気がするだけで、それ以外は、普通の恋人同士と変わりはない。自分が想像していた彼氏とどこも違わないのに、なぜか時々イライラしてしまう。そのイライラの原因が分からない以上、彩名は次郎と別れることもできないのだ。

 次郎と出会ったのは、九月頃だったろうか。まだ、残暑の厳しい頃のことだった。それでも風が吹けば、少しは涼しく感じていたし、夜ともなると、それまでうるさかったセミの声は鳴りを潜め、秋の虫の心地よい音色が聞こえてくる頃だった。

 次郎との会話は、ほとんどが次郎からの話題で、彩名はそれに答えるだけだった。答えると言っても、意見を言うわけではなく、頷いたり、愛想笑いを浮かべる程度だった。

――そんなことは彼に分からないはずはないのに、どうして、嫌な顔一つしないのかしら?

 いつも暖かく見つめられているようで、時々、針の筵に座らされている気持ちになり、やりきれなくなる。

 次郎は、焼き鳥屋のような庶民的な店を好んだ。一緒に行くのも炉端焼き屋や焼き鳥屋が多く、それぞれに自分の馴染みの店を持っていた。

 彩名は、そんな次郎が羨ましかった。

 自分にも馴染みの店があるにはあるが、昼下がりの喫茶店だったり、洒落たバーだったりと、次郎の趣味とはかけ離れていた。

 次郎は、自分の馴染みの店に彩名を連れて行くのを誇らしく思っているようだが、彩名は、とても次郎を自分の馴染みの店に連れていこうという気にはなれない。いかにも場違いだと感じるからだ。

 本当は一緒に行けるような彼氏だとよかったのにと彩名は思ったが、逆に自分の居場所を他の人に知られたくないという気持ちもあり、そういう意味ではこれでいいと思っていたが、やはり、誰かに、

――私は一人ではない――

 というところを見せつけたくなる気持ちもあるのだった。

 居酒屋自体は、彩名も嫌いというわけではないのだが、連れて行かれて、彼の自慢の種にされるのは、少し複雑な気がした。

 なるほど、確かに冷やかし半分含まれてはいながらも、ちやほやされるのは悪くないが、結局、おいしいところは彼に持って行かれるような気がして、どうにも納得いかない部分があった。ただ、それでもただ黙っていればいいだけなのは気が楽で、たまには、彼に花を持たせるのも悪くないと思っていた。

 居酒屋の中で一人だけ、気になる男性の存在があるのに気が付いたのは、その店に行くようになって三度目のことだった。

 その男性は、次郎とは、それほど仲がいいわけではなさそうだ。

 もっとも、他の人も似たり寄ったりで、ただ、仲がいいふりをしているだけという集団意識の元で付き合っているだけの人も少なくない。

 女性の場合は、そんな場合は露骨に見えているのだが、男性はどうにも分かりにくい。きっと分かってしまえば、一目瞭然には違いないのだろうが、彩名には、

――見たくないもの――

 という分類の最たるものとして、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。

 彩名は、女性の間のドロドロしたものも、いつも見て見ぬふりを続けてきた。その時に、見たくないものに対しての対応も身についたのかも知れない。いずれにしても、無意味なノウハウであることに違いはなく、

――そんなものを感じなければいけないのであれば、友達なんかいらない――

 と考えるのも無理もないことだった。

 次郎との仲が、少しその頃からマンネリ化してきたのを彩名は感じていた。気になる男性が現れたのも、ちょうどその時で、マンネリ化してきたように感じたから、彼の存在に気付いたのか、彼の存在に気付いたことで、マンネリ化が自分の中で表面化してきたのか、ハッキリとはしなかった。

 声を掛けてきたのは彼の方だったのだが、それも、彼に声を掛けさせやすくしたのは彩名の方だった。

 彼の名前は、隼人と言った。隼人を見ていると、彼の行動パターンが目に見えてくるのだった。

 次郎に対して持てなかった優位性を、隼人には持てるような気がした。ただ、次郎との出会いには予感めいたものがあったにも関わらず、隼人との出会いには、予感めいたものはなかった。

――なぜなかったのだろう?

 予感というのは、相手が自分のことを分かる人であれば、その人に予感があるのかも知れないと思うと、自分が次郎に対して感じた予感の説明がつく。そうなると、隼人に対しては、彩名の方が予感を感じるわけではなく、隼人の方に予感があったと思うのだ。

 次郎は、普段から高圧的な態度を彩名に見せていたが、彩名はそんな次郎に逆らう意志を持てなかった。他の男性で自分に高圧的な態度を示して来た人がいれば、最初からその人とは合わないと思い、無視することもあったにも関わらず、次郎にだけは、無視もできず、離れることもできなかった。

 そのせいもあってか、ストレスは溜まる一方だった。他の人にストレスが溜まっていることを知られるのは仕方がないとしても、その理由がどこにあるのかだけは、知られたくなかった。

 彩名にとって、次郎は目の上のタンコブであり、そんな時に現れた隼人は、次郎に対してストレスを感じている彩名にとって、絶好のストレス解消の相手だった。

 かといって、謂れのない苛めをするほど、彩名は性悪ではない。ただ、隼人の困ったような顔を見るのが、一つの快感であるのは事実で、そのためには、いくらでも思わせぶりな態度をしても構わないとさえ思った。それがどんな結果を招くかなど、その時の彩名には想像もできなかった。

 彩名の意識は相変わらず次郎にあったが、気持ちという意味では、すでに隼人に移行していた。隼人は、まわりの人に気を遣っているように見えるが、その実際は、誰にでもペコペコしていて、遜った態度の中で、今まで生き伸びてきたのだということを示していたのだ。

 だが、隼人のことがよく分かっている彩名には、彼が、本当にまわりの人に対して遜った態度の裏に、何か企みがあることを感じていた。それは計算ずくで行っている態度であって、

――何か事あれば、うまく立ち回ってやろう――

 という含みが感じられた。

 ただ、それがどういう時に、

「事あれば」

 と思うのかということは、さすがに本人にしか分からないだろう。

 また、その時になると、今度は他の人には分かることであっても、彩名には分からないことも出てくるのではないかという思いがあった。そういう意味では、隼人という男性を見ていると、

――二重人格なのではないか?

 と思うようになってくるのだった。

 彩名が、隼人に感じていることを、もし、次郎が彩名に感じていたとすればどうだろう?

 彩名は隼人に対して確かに優位性を抱いているが、絶対的なものではない。だが、次郎が自分に対しての優位性は、

――次郎は、絶対だと思っているに違いない――

 という思いがある。それでも離れられない自分が、じれったくもあり、金縛りに遭ってしまったかのようになっていることに違和感を感じるのだ。

 隼人も、彩名に対して、似たような違和感を感じているとすれば、

――誤解を解いてやりたい――

 と思う。

 確かに、彼をストレス解消に選んでおきながら、

――誤解を解いてやりたい――

 などという気持ちはおこがましくも、厚かましいと言えるのではないだろうか。

 彩名の側からしか考えていなかったが、そのうちに、次郎と隼人の関係が分かってくると、彩名の考えも少し変わってくる。それも、そう遠くない話だった。

 隼人が次郎のことをどう思っているかというのは、表から見ているだけでは図り知ることはできなかったが、次郎が隼人のことをどう見ているかというのは、一目瞭然だった。

――次郎は、隼人さんを恐れている――

 まるでヘビに睨まれたカエルのように、隼人の前に現れた次郎は、何もできないでいる。しかし、隼人は次郎のことをよく分かっていないようだったが、逆に次郎には、隼人のことがよく分かっているようだった。

 それは、彩名を含めたところでの「三すくみ」の関係のようではないか。

 じゃんけんのようでもあり、ヘビにカエルにナメクジに、という関係は、まさしく「三すくみ」の関係だ。

 だが、ただの三すくみではなく、圧倒的な優位性を持っている方は、相手の気持ちや立場をまったく分かっておらず、逆に圧倒されている方には、相手の気持ちが分かるというもの。これは一体どういうことなのだろう?

 隼人と次郎がいつ頃知り合ったのか分からないが、三すくみを考えてみると、彩名との出会いは必然だったのかも知れない。

 彩名は、自分のことを最初はまったく分からなかったが、次郎と知り合ってから、分かるようになってきた。

 それは、

――自分に似ている相手と出会うことになる――

 と、思い始めた時、まだ見ぬ次郎の輪郭が、おぼろげに見えてきたのを感じると、彩名は、

――その人のことを分かるのは自分しかいない――

 と思うようになった。

「自分のことほど、意外と一番分からないものだ」

 という言葉にもあるように、自分が一番の盲点でもある。自分の顔は鏡などの媒体を通してしか見ることができないので、一番分かりずらいとか、実際の声と自分で意識している声とでは、同じ自分の声であっても、まったく違っていたりするものだという考えによく似ている。

 そんな自分に似た相手が目の前にいれば、自分の中だと見えにくいものでも、その人を介することで分かってくるのではないかと思うようになると、その人のことが手に取るように分かるというのも無理のないことだ。

 だが、それでも自分のことは相変わらず分からない。彼を通して見れば、よく分かるはずだと思っていたのに、当てが外れた気分だ。

 そうなると、彩名の中にストレスが残るようになった。最初は、さほど高圧的ではなかったはずの次郎が、高圧的な態度に出たのは、彼の元々の性格もあるのかも知れないが、彩名のことをよく分かっていないと思っていた次郎が彩名を見て感じることは、ストレスを溜めていたり、次郎を観察しようとしている態度に苛立ちを覚え、それが高圧的な態度になって現れる。

 彩名は、次郎がそんな性格の人ではないと思っていただけに怖くなってくる。その時点で、二人の間の優劣は決定してしまったのだ。

 彩名には次郎のことが手に取るように分かるだけに、一度相手に感じてしまった劣等感を拭い去ることはできなかった。逆に彩名のことを分かっていないだけに、次郎の方は、彩名に絶対的な優越感を感じることができるのだろう。

 それはまるで、

――怖いものしらず――

 と言ったところであろうか。

 考えてみれば、怖いものしらずというものが、どれほど怖いものかということを、今までに一番感じたことがあったのは、彩名なのではないだろうか。

 怖いものというのが、彩名にとって何なのかということを自分で分かっていたからだ。彩名が怖いもの。それは、自分の記憶が欠落していることで感じた、

――言い知れぬ不安――

 だった。

 未来に対しての不安は、過去に不安のない人には、想像もつかないかも知れない。ただ、誰もが大なり小なり、過去に不安を持っていることだろう。だが、それでも自分の過去が分からない人に比べれば、幾分かマシだというものである。

「過去に残して来た不安ほど、怖いものはない」

 と、思っている彩名だったが、それは、他人のこととなると、逆だということにも気が付いた。

 相手のことが分かってしまうと、次第に怖く感じてくるものだ。それは、

――自分は、分かっているつもりでいるけど、本当にその人のことを全部分かっているのだろうか?

 という不安に駆られる。ある程度のことを分かっていれば、それ以上、知る必要もないのに、そこまで分かってしまうと、完璧に知ることを望む。そうしないと、いつまでも交わることのない平行線をイメージしてしまい、どこまで行っても、相手のことをどこまで分かっているのかという不安に駆られたまま、続いていくように思えてならないからだ。

――この人とは、きっと腐れ縁になってしまうに違いない――

 と、最初はそう感じただけだが、平行線を一度感じてしまうと、腐れ縁が、劣等感を持ったまま続いていきことを意味していると感じると、彩名には、それ以上どうすることもできないと感じるのだ。

 どうしてそこまで分かるのかというと、隼人と知り合ったからである。

 隼人に対して持ってしまった絶対的な優越感。この時も最初はそんなつもりもなかったのに、隼人が、劣等感丸出しの目で、自分を意識することで、彩名の中に隠れているサディスティックな部分が表に出てきた。

――次郎に対して、自分はマゾになっていたというのかしら?

 そんなつもりは毛頭ない。相手の気持ちが分かるだけに、ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなっていただけだ。そのまま膠着状態が続き、

――こちらが先に動けば、一巻の終わりだ――

 という恐怖を感じながら、時間だけが過ぎていく状況を、想像しているだけでも、想像を絶するような苦痛であった。

 膠着状態が続く中で、過ぎていく時間をどう過ごせば、いかに辛くなくなるかということを、彩名は考えていた。

 一つは、

――いかに自分を客観的に感じることができるか――

 という思いがあった。

 もう一つは、

――自分の中に何か後ろめたさを探そうと努力している自分に気が付いた――

 ということである。

 こんな時間を過ごさなければいけないことに、曲りなりにでも、何か自分が納得できるだけの理由を探してみようというのだ。

 彩名の中に、次郎に対して、何か後ろめたさを感じることで、甘んじて劣等感を受け入れているのではないかと感じていた。この感覚は、今初めて感じたものではなく、遠い過去に同じような感覚を覚えていたのを感じた。

――過去というのは、いつ頃の過去なのだろう?

 彩名は、過去を考える時、その時間の長さが、見つめる焦点がどこにあるかによって、違っていることに気が付いていた。

 近くの過去を覗く時は、そこまで結構遠くに感じられ、それ以前の過去は、時間の刻みの中では、もっと細かなもの、つまりは、同じ時間が経っていても、過去に遡るほど、短くなっているのだった。

 逆に、遠い過去を覗く時は、その時点まで、結構あっという間に届いていて、その周辺の過去や、それ以前の過去は、長く感じられるのだ。

 この思いが彩名だけのものなのか、普段からこんなことをイメージする人は少ないだろうが、イメージしている人のほとんどは、彩名と同じイメージを抱いているのではないかと思えた。

 だが、言われて改めて考えた人は、まったく逆をイメージするように思えた。

 それは普段から時間というものを意識している人が時間の流れに忠実に考えることができるからだというのと、あまり考えていない人は、今という瞬間からしか、時間を見ることができないからだ。それだけ錯覚や誤解も多く、普段から考えている人とは、まったく違った発想を思い浮かべるのは当たり前だと思っていた。

 彩名は自分が感じている、

――時間というものが持っている世界観――

 を、次郎も持っているのだと感じた。

 だが、世界観を持っていると言っても、同じ発想というわけではないようだ。もし似たような発想であっても、それこそ、決して交わることのない平行線であって、それが、お互いの中に、優劣を決定づける発想になってしまったのだろう。

 どちらかが、磁石のN極であり、どちらかが、S極である。お互いに同時に感じなければ、ここまでビッタリと嵌ったりはしないだろう。そういう意味では、彩名がまるで交通事故にでも遭ったかのように思ったとしても、それは無理もないことだろう。

 次郎は、彩名に対して高圧的ではあるが、優しかった。最初はそれが却って不気味に感じられた彩名だったが、慣れてくると、今度は優しさが心地よく感じられるようになった。

 苛められた後に優しくされると、それまでの恐怖で硬くなっていた身体から一気に力が抜けてくる。そして、救われた気がしてくるのだ。それが次郎の計算ずくのことなのか分からないが、そのおかげで、彩名は次郎から離れられなくなっている自分に気が付くことになるのだった。

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