Season2

第48話 お久しぶりっスね




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 季節は秋を迎え、『第七の勇者』と呼ばれる彼(女)の冒険が再び幕を開けようとしている。



 そこは、まだ名前も定まっていない世界。広大な海洋に囲まれた大陸のひとつ。

 二つの大国と無数の小国に生きる人々は迫りつつある戦乱を予感しつつも、これまで通り目の前の生活に追われる日々を送っていた。


 大陸西部の大国、銀鷲ぎんしゅう帝国。

 その帝都イーグレには秋の到来を告げる強い風が吹きつけ、人々はそれを機に仕舞い込んでいた厚い上着や外套がいとうを引っ張り出す。

 この世界に転生して何故か女の子になってしまった内匠櫂たくみ かいも黒いスカートの下には同じ色のタイツを、スーツの上には小さな頭をすっぽり包むフード付きのケープを着込むようになっていた。


「あまり人目を引きたくはないですからね。有名人ぶるつもりはないですが、派手に衆目を集めるのもトラブルの元ですし」


 その自戒通り、今の櫂は誰もが耳目を奪われる程の美少女である。

 輝く琥珀色の瞳、小さな桜色の唇、薔薇の蕾を思わせる瑞々しい頬――まだ幼さを残しながらもすぐに女性として花開きそうな境界線上の美が、小さな顔の上に描き出されていた。

 だが何よりも注目を集めるのは、櫂の絹糸のように艶やかで滑らかなすみれ色の髪に違いない。この世界においては比喩ではなく、宝石よりも輝かしく希少価値の高い代物なのだから。


 その菫色の髪をフードで覆い隠したまま、櫂は帝都の街並みを歩いていた。

 向かう先は帝都の下町に軒を並べる個人商店である。元々は雑貨屋だったが帝都の人口が増えるにつれて、荷物を預かっては送り届ける配送業が本業になりつつある。

 貴族や大商人相手の配送は古くから存在するギルドが牛耳っているため、こうした個人商店の客は帝都に住む庶民がほとんどだ。

 櫂自身はこうした店に足を運ぶことに何の抵抗も感じてはいないが、身分の高い貴族やうら若き女性は身なり一つで素性を探られ、立てられた噂に尾びれ背びれが付いて手に負えない怪物と化す――などとお世話になっている老夫婦に真顔でさとされたので、櫂は渋々ながらも顔や素肌を隠すようになったのである。


 櫂が商店の扉を開けるとベルが鳴り響き、奥のカウンターに立っていた禿頭の店主が来客の姿を見定める。

 そして、すぐに破顔した。


「おや、いらっしゃいませ」


「こんにちは親父さん。これ、先日依頼された分です」


 そう言って櫂は木製の薄い箱をカウンターの上に置く。


「おお、流石ですな。いつも仕事が早くて助かりますぜ」


 恰幅の良い店主は禿げ上がった頭を撫でてから、箱を受け取った。

 蓋を開けるとそこには無数の紙の束――黒いインクで綴られた手紙が束になって入っている。店主はその一つ一つを確認した後、もう一度蓋を閉じた。そしてフードで顔を隠したままの櫂に銀貨の詰まった布袋を手渡す。

 櫂はその重さに口元を緩めつつ、次の「仕事」はないかと店主に問いかけた。


「いえ、申し訳ないが今のところ代筆の依頼はこれきりでしてね。なに二、三日もすればまた依頼が山ほど来ますぜ」


 店主の言葉は単なるリップサービスではなかった。このところ代筆の依頼はひっきりなしに彼の下に届いている。


「……近く、大規模なでもあるのですか?」


 櫂がそう問うと、店主は「ここだけの話ですがね」と声を潜める。


「どうも近い内に帝都近郊だけでなく帝国全土に動員令が下されるとの噂が流れてましてね。貴族様も議員様もとうとう重い尻を上げたようですな」


「なるほど、だとすれば故郷や家族に文を出す人も増えるわけです」


「ええ、その通りでさぁ。インクと紙はいくらでも調達できますが、ふみの書き方なんてのは庶民上がりには縁遠い世界でしてね」


 自分のその一人だとへりくだる店主だが、その口ぶりから櫂が高等教育を受けた高貴な身分であると見抜いている事が分かる。


(……まぁ、代筆業は有閑貴族の副業でもありますしね。バレたところで私はそもそも貴族ではありませんから支障もないでしょう)


 櫂は自分をそう納得させると銀貨の入った布袋を鞄に入れ、店主に挨拶してから店を後にした。その後ろを黒で統一した身なりの少女が着いて行く。

 彼女の名はエルナ・ヴォルフと言った。


「カイ、もう帰る?」


 エルナの問いに櫂は足を止め、少しだけ悩んだ末に首を横に振った。


「本当は大通りに出て本屋や画商を冷やかしたいところですが、折角稼いだお金を早々に散財させるわけにはいきせんからね」


 と心底残念そうに呟き、そのまま帰宅の途に着く。

 櫂が何故か12歳の美少女としてこの世界に転生して以来、彼(女)は常に波乱と隣り合わせの日々を送ってきた。

 貴族の屋敷に厄介になったかと思えば刺客に襲われ、この帝都では皇太子のめかけにされかけたので狂言誘拐を画策して逐電ちくでんし、遠い東の地で大国の支配者にいびられた挙句、国家間の武力衝突を回避すべく戦場に乗り込んだり、最近では帝都の闘技大会にて北の地から文字通り責めてきた『第三の勇者』と対峙して、これを退けた。

 そんな彼(女)にとって、今の生活は異世界に転生してからは初となる穏やかで平穏な日々であった。


 櫂は今、帝都に住むとある老夫婦の家に居候している。

 腰も曲がり髪もすっかり白くなった老夫婦は帝国ではなく属国の赤狼せきろう公国出身の貴族の一員であった。

 数年前に領地の経営と家督を息子に譲ったのち、帝都に小さな屋敷を買って慎ましい生活を送っていた二人の下に、赤狼公国の公女から櫂を預かってほしいと直々に依頼が届く。老夫婦は驚きつつも二つ返事で櫂とその護衛であるエルナを居候として迎え入れてくれた。

 もちろん謝礼として少なくない額が毎月支払われるため、櫂はわざわざ手紙の代筆などしなくても食うには困らない立場であったのだが……彼(女)は「自分が自由にできるお金が欲しい」と、こうして足しげく店に通っては代筆の仕事を受けていたのである。


「そうだエルナ、折角ですしでも食べませんか?」


「ん、分かった」


 吹き付けた風が殊の外冷たかった所為せいか、櫂は帝都で良く売られている甘味の存在を思い出し、エルナは一も二もなくその誘いに飛びついた。

 下町の商店街の端には小さな出店が設けられており、そこでは熱した石の中に甘い芋を入れて加熱したものを売っている。

 櫂からすればそれは「石焼き芋」以外の何物でもなく、ほくほくした身と素朴な甘さは変わらないが、丸みを帯びた芋の形状と香辛料入りの蜂蜜をかけるという味付けは櫂にとって初めての経験であった。

 銀貨一枚で袋に詰めこまれる無数の焼き芋。その一つをエルナに手渡し、もう一つは自分の口へ。残りは居候している老夫婦へのお土産である。


「んふふ、肉まんもフライドチキンもない異世界で、こうして焼き芋を食べ歩きできるとは思いもしませんでしたね……」


 袋を抱えながら焼き芋に齧りつく櫂。その姿を見た帝都の住民たちは驚きに目を見張るが、当の櫂はまるで気にしていない。

 同じように歩きながら焼き芋を食べるエルナは、それが行儀の悪い行為だとは知っていたが、わざわざ櫂に伝える必要もないと考えていた。


「しかし出兵ですか……あの建国祭から一月が経ちましたが、ようやく帝国の反撃が始まるのですね。エルナは何か聞いています?」


「ううん、私は軍人じゃないし」


 エルナは何も知らないと首を横に振る。彼女は“人狼”と呼ばれる治安維持組織の一員であり、櫂の側にいるのは組織から護衛を命じられたからである。

 だから市井の人間や自分よりは帝国の軍事事情に明るいだろうと櫂は踏んでいたが、どうも空振りに終わったようだ。


「そうですか……しかし北と西からの同時侵攻に、この国はどう出るのやら」


 櫂にとっては他人事に過ぎないが、帝国に暮らす人間でその話題を意識しなかった者は皆無に等しいだろう。

 一月前の建国祭において『第三の勇者』を名乗る少女により、帝都イーグレは大きな被害を受けた。

 しかもその衝撃に言葉を失う暇もなく、帝国の北方では属国であった翠馬すいば公国が「五湖大王」率いる軍事同盟に首都を占拠され、西方では帝国と肩を並べる大国・八幡はちまん諸国連合がいきなり宣戦を布告。

 同時発生した極めて大規模な軍事的危機に対し、しかし帝国は未だ打つ手を見い出ずにいたのである。

 皇帝と言う君主を仰ぎながらも、国の舵取りは貴族と庶民から選出された議員による議会が担うのが今の帝国の政治制度だ。

 要するに今の銀鷲帝国は北と西、どちらの危機を優先的に対処するかで議会も世論も真っ二つに割れて議論は紛糾していたのである。


「カイ、どうすれば良いと思う?」


「そうですね……私こう見えて軍師タイプを自称したこともありますが、いかんせんドのつく素人ですから」


 この国の事もロクに知らないのに戦略的な判断など下せる筈がない。

 そうと自覚しながらも、櫂には一つの答えが「見えて」いる。

 しかしその答えの行く末が帝国やそこに生きる人たちにとって「正しい」のかどうはまるで分からない。

 だから「分かりません」とお茶を濁そうとした、その時であった。


「あーーーーーーーーーー! みーつけたーーーーーーー☆」


 甲高い声が耳に飛び込んで来たかと思うと、櫂の腕に抱きつく小さな影。

 驚いて振り向いた櫂の目に飛び込んできたのは、ふわりと舞う桃色の髪と大きなとび色の瞳だった。

 背丈は櫂と同じくらいの少女。だとしても知人に躊躇ちゅうちょなく抱きつくような幼な子でもない。

 更に櫂は、彼女の顔を全く知らなかった。

 それ同時にエルナの右手が腰に履いた剣の柄に伸びる。

 瞬きの間に放たれるであろう雷光のような斬撃を、桃色の髪の少女は――


「あ、っス。ボクはセンパイの敵じゃないし」


 その一言で押し留めてしまう。

 エルナは自分が剣を抜くのを躊躇ためらった事に驚きつつも、しかしその手を柄から離してしまう。納得していない顔をしたままで。


「えっと……どちらさまでしょうか?」


「えーっ⁉ ボクのこともう忘れたんスか? ひっどーい! ……まぁでも仕方ないっスね。だって今のボクはこんなにカワイイんだし☆」


 桃色の髪の少女はウインクを飛ばすと櫂から身を離し、その場でくるりと身を翻した。それに合わせて白いガウンがふわりと広がり、花の香気が櫂とエルナの鼻をくすぐる。


「異世界転生に性転換TSとか夢が二つも同時に叶った上に、ここでもセンパイに会えるとかこれはもう運命? それとも宿命? まぁどっちでも良いっスけど」


「その物言い……まさか私の事を知っているのですか!」


 櫂のいた世界では創作物の一ジャンルを指す専門用語を口にし、尚且つ自分の事を知っている様な口ぶりに櫂は驚かずにはいられなかった。

 何せ櫂自身、自分が何故この世界に転生し、しかも女の子に生まれ変わった理由をまるで知らなかったのだから。


「モチのロンっス。ま、センパイまでTSしているとか予想外でしたし、つかボクのほうが可愛いですからね?

 それよりこうして実際に再開して確信したっス。貴方はやっぱり櫂センパイだ。

 だってその姿、どう見ても『プリンセア・ティアーズ』のフリンちゃんでしょ? センパイのの」


「プリティアの名前だけでなく、フリンちゃんの事まで知っているんですか?

 ま、まさか君は……私の数少ないSNSのフォロワーさん?」


「……いやいやいや、別にセンパイの垢はフォローしてないっスよ。

 えーっと、そうっスね……に二人して抱き枕カバーを送ったら奥さんにバレて、後で部長にこってりしぼられた間柄と言えば、もうお分かりっしょ?」


 懐かしい響きの数々に、櫂の記憶はある解を導き出す。

 あり得ないという疑義は、自分自身がこうして異世界に存在していると言う事実一つで一蹴された。

 そう――トラックに轢かれて死んだ自分がこうして異世界に居るのだから、同じように


「まさかまさか――君は斯波しばくんなのですか⁉」


「そうでーす♪ ボクは超々カワイイ第六の勇者・斯波勝己しば かつみちゃんでーす☆

 いやぁお久しぶりっスね、内匠櫂たくみ かい☆」






あとがき

 春に再開と言っておきながら、一月も遅れてしまい申し訳ありません。

 色々ありましたが、ようやくこうして第二部を始める事ができました。

 しばらくは週一の更新になりますが、年度内に完結できるように頑張って書き進めていますので、再びお付き合いいただければ幸いです。

 それでは櫂と仲間たちの新たな冒険を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。


2024.5.12 カミシロユーマ







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