第18話 私の体どうなっちゃったんですか!




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 100年くらい前に異世界に来ていた日本人のおかげで、スマートフォンを充電する事ができた櫂。

 次はいよいよ「魔王」との対面かと思いきや――


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「――いいえ、先ずはお風呂よお風呂!」


 ミカゲ・アゲハのその一言が、櫂の次の目的地を決定付けた。

 三層構造の都市国家オウキ。

 その第二層にある「鈴木商店」でスマートフォンを充電する間、櫂たちは何処かで時間を潰す事になったのだが……店から出たあと、櫂とエルナ・ヴォルフに形の良い鼻を寄せたミカゲは風呂に行くと言い出した。


「盟主様に拝謁はいえつするのよ? 身を清めて失礼のないようにしなくちゃ」


「……あー、確かに私もエルナも雨のように返り血を浴びましたしね」


 オウキに降り立つ前、山脈越えの途中でオークの集団と戦った事を思い出し、櫂はミカゲの提案に納得した。

 戦闘後に水で体や髪を洗い流し、薬液や香油を塗って臭いを抑えたものの、それだけで拭いされるものではなかったのだろう。

 更には長旅を経て、臭いや汚れだけでなく心身の疲労も溜まっている筈である。


「この先に湯宮とうきゅうがあるのよ。そこできれいさっぱり洗い流すとしましょう」


 櫂とて風呂が嫌いなわけではない。そしてミカゲが「湯宮とうきゅう」と呼んだ、この世界の入浴事情にも興味が湧いていた。

 エルナも二つ返事で承諾したので、三人はその浴場へと向かった。

 オウキの第二層は巨大な神樹しんじゅを起点に、放射状に広がる足場が土台となっている。櫂たちが神樹に近付くように奥へと進むと、一本の橋を渡り切ったその場所に巨大な浴場――いや宮殿が建っていた。


「…………これはその、予想を裏切られましたね」


 櫂が予想していたのは日本の公衆浴場つまり銭湯であったので、荘厳な佇まいと無駄に凝った装飾の宮殿を前にして言葉を失ってしまう。

 更にはその宮殿は、巨大な神樹の表面をくり抜いて建てられており、櫂は思わず真顔で「何ですかこれ?」とミカゲに尋ねていた。


「オウキの『天恵湯宮てんけいとうきゅう』、諸国連合でも随一の湯宮とうきゅうよ? まぁここまでのは帝国にはないでしょうけどね?」


「――うん(趣味悪いし)」


「――ええ、そうかもしれませんね(趣味も悪いですし)」


 実は心の中で通じ合っていた櫂とエルナは、素直に頷いた。

 宮殿の内部はこれまた豪勢な造りで、広々とした空間には噴水や観葉植物などが配され、大理石の床は鏡のように磨き上げられている。


「まるでホテルと言うか、高級スパですね」


 櫂は金持ちしか利用できない施設は、それだけで反感を覚える庶民でもある。

 言葉の裏に「ただの成金趣味ですね」と言わんばかりの毒を含ませていた。


「東の人達は毎日、こんなお風呂に入っているのですか?」


「まさか、アタシもここに来るのは一年ぶりくらいだし、貴族様だって流石に毎日は通わないと思うわ」


 転生前の櫂にとっては毎日シャワーを浴びたり、銭湯に通うのは特別でも何でもなかったが、この世界では風呂はまだまだ高級な娯楽であるらしい。宮殿の威容は逆説的にそれを証明していた。

 ミカゲが受付で身分証を提示すると、三人はすぐに脱衣場へと案内された。

 そこは貸し切りになっており、早速ミカゲとエルナが服を脱ごうとすると――


「あーだめだめ! えっちすぎます!」


 櫂が待ったをかけた。


「えっち……って何? 一体どうしたのよカイ」


「カイ、お風呂きらいなの?」


「いいえ大好きです! だからミカゲさん、私に目隠ししてください!」


「――――――はい?」


「私、心は変態ですけど紳士なので! いくらTSしたとは言え、女の子の裸を本人の承諾しょうだくなしに見るのはご法度です! 通報案件なんです!」


「承諾って……別に構わないんだけど、ねぇエルナ?」


 エルナはもちろんだと頷くが、生憎と櫂の精神と自己認識は32歳のオタク男性のそれである。

 いくら今の自分の肉体は歳も近い同性とは言え、十代前半の少女の裸体を(結果的に)覗き見てしまうのは、流石に二人に申し訳ないと思っての提案だった。


「だけど私がダメなんです! お願いだから目隠しして、ついでに私の服も脱がせてください!」


 櫂からすれば割と切実なお願いであったが、ミカゲもエルナも単なるワガママにしか聞こえず、冷めた目を向けてくる。

 だが櫂は折れなかった。その頑固さは間違いなく彼(女)の良心と誠意から生まれたものであったが、自己認識と肉体的の著しい乖離かいりが微妙な温度差を生んでいた。

 このままではらちが明かないとして、ミカゲは櫂の要望を呑む事にした。

 お望みどうり布で目隠しをすると、そのまま櫂の服を脱がし始める。

 その最中であった。


「んっひゃ!?」


 突然間の抜けた悲鳴を挙げたのは櫂であった。

 彼女は露わになった自分の胸を押さえて、


「み、ミカゲさん! えっちなのはいけません! そこくすぐらないでください!」


 シャツを脱がされた瞬間、胸の先に突如として電撃のような感覚が走った。

 その痛痒感つうようかんはミカゲの仕業かと櫂は疑ったが……


「はぁ? 何もしてないわよ」


「そ、そんなことありません! だって今胸の先がビリッと痺れる感覚が……」


「胸の先? ………あ、まさか」


 何かに気付いたのか、ミカゲは櫂の背中ごしに手を伸ばし、まだ膨らみ始めたばかりの櫂の胸をつかむと言うかつまむ。


「――――ひゃあ!」


 そして指の腹で今度こそ確実に、櫂の乳首を刺激したのだ。再び謎の痛痒感が走り、櫂はあられもない声を挙げてしまう。


「い、いけませんミカゲさん! 私は割とウェルカムですけど、まだ心の準備が! あとMじゃないので、実はこちらから攻めて行きたいと言うか何と言うか!」


「なにを考えているのか知らないけど……カイ、あなた胸当てしてないでしょ?

 だから乳首が軽く腫れているのよ」


「む、胸当て? それってつまりブラのことですか?

 最近は男性でもブラすると聞きましたが、私はまだその領域に踏み込むのは早いと思います!」


「男は無くていいのよ! あのねカイ? あなたこのまま胸当てせずにいると、乳首が痛くなっちゃうわよ?」


「乳首が!? 痛い!?」


 それは32年間+α生きてきた櫂が、初めて知った人間の肉体の可能性だった。


「……そんな! 今までは何もしなくても痛くも痒くも気持ち良くもなくて、そもそも何の意味があるのか分からないくらいの乳首やつだったのに! 私の体どうなっちゃったんですか!」


 男の乳首とは大抵そんなものであるが、今の櫂は12歳の美少女である。

 隠されたそれを暴く為なら大金を払う事も厭わない、膨らみはじめのつぼみである。


「…………とにかく、店に頼んで胸当て用意してもらうわ。絹製だから値も張るけど仕方ないか。ちなみエルナ、あなたのも買うからね」


「え? わたし別に要らない」


「布巻きつけただけとか、アタシが許せないの! 西の人間はどうしてこうも無頓着なのよ! いいから今日からは二人とも胸当てをする! いいわね!」


「は、はい!!」


 ミカゲの剣幕に押され、思わず頷く二人だった。

 その後、服を脱いだ三人は簡素な貫頭衣に着替えて、浴場へと移動する。

 目隠しを外した回は、広く豪奢ごうしゃな浴場に感嘆の声を上げた。


「これは……成金趣味とか思って、ごめんなさいしなくてはいけませんね」


 広い空間には無数の湯船が存在していたが、櫂が知る銭湯のように、多数の人間が浸かるための大きな湯船は見当たらなかった。

 開け放たれた広い空間は無数の緑でそれとなく仕切られており、まるで手入れの行き届いた庭園のようだと櫂は感じた。


「さぁお嬢様がた、こちらにどうぞ」


 浴場に入るとすぐ、複数の女性が櫂たちを出迎えた。

 年齢こそバラバラだが全員が櫂たちよりも年上で、見事にたわわなボディラインも一目瞭然だが、彼女達はいずれも紺色の布で胸から下半身をしっかりと隠していた。

 そしてその布とは――


「スク水じゃないですか!?」


 それは転生前の櫂が主にフィクションの中で目にした、紺色の水着であった。

 だからここ、本当に異世界なんですか?


「ええ、よ」


「名称もそのまんま! 誰ですかこれ持ち込んだ人! きっと日本人の“異邦人エトランゼ”でしょうね間違いなく!」


 スマートフォンの充電を通して、櫂は自分と同じように、この異世界に転生ないし転移した同胞が“異邦人エトランゼ”と呼ばれ、さまざまな技術や知識、場合によっては異なる文明の遺物を残していた事を知っていた。


「はい、お若いのによくご存知で。この湯宮では200年前より“異邦人エトランゼ”がもたらしたスクミズを着用しております」


「アタシも着せてもらったことがあるけれど、水に濡れても動きやすいし、肌触りも悪くないわ。問題は竜絹糸を使うからかなり値が張るのだけど…」


(ミカゲさんのスク水姿! 猫耳もあるからそれはもうパーフェクトミカゲさんなのでは!? あ……だからですね、間違いなく日本人のオタク…“異邦人エトランゼ”がこの地にスク水を普及させたのは)


 櫂の予想通り、この高級浴場の建設と運営に携わったのは、日本から来た異邦人であり、残された肖像画には彼の他に何故かスク水を着た王虎おうこの民の妻と娘が描かれていた。


 それから櫂達はそれぞれ別の浴槽に案内された。

 その際には櫂の護衛に拘るエルナが離れる事を渋ったり、護衛用の刃物を持ち込んだ事がバレて一悶着あったりしたが……それはさておき。

 櫂は椅子に腰掛けて、体を覆い隠していた貫頭衣を脱ぐ。

 その雪の様に白い肌に何処からか羨望の眼差しが注がれていたが、櫂は気付く様子もなく女性達に頭と体を洗ってもらう。

 泡立てた石鹸と天然繊維のスポンジで、優しく丁寧にこすって貰えるのは素直に気持ちよかったのだが……


「はい、腕を上げてください。あら、恥ずかしがらなくても、大事なところですから、しっかり綺麗にしましょうね」


 その度に遠慮なくたわわな体を密着させてくるので、櫂は湯船に浸かる前から既に熱でのぼせそうになっていた。


(……これは流石にマズい! 私のナニが大変な事になったらどうしましょう!)


 不安に駆られた櫂はそっと自分の股間に目を向けるが……今の櫂は美少女なので、おっきしたら一大事のナニはそもそも存在していなかった。

 つるつるしたそこには何も生えていないのである。いいね?


 石鹸の泡を念入りに洗い流した後は、二人の女性が汚れを洗い落とした髪の調子を整え始めた。

 植物から抽出したエキスや乳白色のオイルを髪に塗り込んでいくと、櫂のすみれ色の髪は潤いを取り戻し、天井から差し込む陽光を反射して輝き出す。

 女性達の美容の技に感動を覚える櫂ではあったが、


(……洗ってもらっている手前、とても気が引けるのですが、早くお湯に浸からせてくれませんかねぇ……)


 転生前の櫂はシャンプーとリンスが一体化した洗剤で髪を洗えば、それで終わりだった。

 だからこそ、ここまで念入りに髪を手入れされると、感動より面倒くささのほうが勝ってしまうのである。

 やっと湯船に浸かった頃には、ミカゲとエルナは既に風呂から上がり、そのまま横たわってマッサージを受けていた。


「いい湯です……こんないたせり尽くせりのお風呂なら、また利用したいですね」


 櫂が浸かる湯は日本の銭湯と比較すれば温く感じられるが、それでも全身を包む熱いお湯は疲れで凝り固まった体を内からほぐしてくれる。


「しかもスク水とは……性癖ではありませんが、これはこれで良いもの………………ふむ、スク水はかもしれませんね」


 風呂から上がるとタオルのようなフカフカの織物で体を拭いてもらい、それを体に巻いてから櫂は脱衣場へと戻る。その際に櫂は付き添いの女性にある事を依頼した。


「まさかフルーツ牛乳は流石に伝わってない―――って、あった!」


「カイってば本当に変な事には詳しいのね。フルーツ牛乳はお風呂のあとの定番よ。まぁこれも帝国にはないだろうけど――」


「んくんくんく……これ美味しい」


 髪をセットしてもらいながら、三人でフルーツ牛乳を飲む。

 日本のそれよりも酸味が強いフルーツ牛乳は、たっぷりと汗を流した体に染み渡っていった。



 入浴を終えた櫂たちは湯宮を後にすると、スマートフォンを受け取る為にもう一度、繁華街の鈴木商店を訪れた。

 そこで櫂はスマートフォンの他に、二振りの刀剣を手渡された。


「――これは?」


黒鋼くろはがねの蛮刀だ。黒髪のお嬢ちゃんに、あんたが身を守る為の武器が必要だと頼まれましてね」


「カイの戦い方なら、長剣よりそれが合ってる。極北の地の暗殺者が良く使うものだから品質は保証する」


「ありがとうございますエルナ! というか暗殺者ともやりあった事があるのですか?」


「うん、二回くらい」


「……極北の地の暗殺者って、まさか蛇帝の使徒じゃないわよね? ああ、いや答えなくていいからね!」


 どうやら曰く付きの代物らしいが、光を弾くのではなく吸いこむような黒い刀身の蛮刀は、重さもサイズも櫂の手に良く馴染んだ。

 蛮刀を収めたさやを腰の後ろに収め、櫂は自分だけの武器が誕生した事に満面の笑みを浮べる。それは男児の性であった。


「次はいよいよ『魔王様とのご対面』ですね、ミカゲさん?」


「そ、そうね……明日の朝イチに登城するつもりだけど――もういいから、その名は忘れて、お願い」


 照れるミカゲを尻目に、櫂はここより更に上の層にそびえる宮殿を眺める。

 そこは西の国では魔王と恐れられる、諸国連合の盟主の居城であった。




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