第9話 ごめんなさい、逐電します(前編)



 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 皇太子のめかけになんて絶対になりたくないと、櫂はかつて自分を二度も襲撃したミカゲに助けを求めた。帝都から逃げ出すために今度こそ自分をさらってほしいと。


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 銀鷲ぎんしゅう帝国・帝都イーグレ。

 皇宮と離宮が建てられた丘の片隅には、大きな霊園が設けられていた。

 そこには歴代の皇帝や皇族が眠る巨大な墳墓ふんぼの他に、貴族や帝都に住む比較的裕福な庶民もここに墓を建てるようになる。

 そのため霊園は開設して以来どんどん敷地を広げていき、今では死者の身分によって幾つものエリアに仕切られていた。


 その日、櫂は下級貴族や帝国騎士の墓が立ち並ぶエリアにいた。

 服装はいつものスーツに白いシャツ(とスカート)だがネクタイだけは黒いものを付けている。彼(女)なりに喪に服したつもりなのだろう。

 そして一つの墓碑に花を手向けたあと、ひざまずいて祈りを捧げていた。

 石でできた墓碑には『カテリナ・ディ・』と言う名と生没の年月、その下に善心教の聖句が刻まれている。

 そして櫂から数歩離れた場所にはダブレット姿の金髪の青年、皇太子ルートヴィム・フォン・ハイデルンが所在なさげに立っていた。 



『ひとつだけ思い出した事があります。私の母はカテリナ・ディ・タツミと名乗っていたそうです』


 今より三日前、櫂はランスカーク男爵にそう告白した。

 もちろん告白の内容は嘘である。そもそも櫂自身はこの世界で生まれたわけではないので、親兄弟はおろか祖先すら存在しない。

 ただし、それを知るのは本人のみであり、他の人間はこの世界のどこかに櫂の両親が存在していたと信じて疑わなかった。いや疑うほうが非常識であろう。


「なんと……それは確かか?」


 男爵が驚いたのは櫂が記憶を取り戻した(ように見せかけている)事だけではなく、口にした名前に「ディ」と言う称号が含まれていた所為せいでもあった。

 髪の色と言葉遣いから櫂は高貴な家の生まれではないかと、男爵は以前からそう考えていたが、「ディ」とは準貴族(貴族と庶民の中間に位置する有力者)が名乗る称号であるため、男爵は櫂の告白をにわかには信じられなかったのである。


「――いえ、確証はありません。そのような人物が自分の親だと聞いた記憶を思い出しただけです」


 更に櫂自身も、その嘘を敢えて伝聞に過ぎないと曖昧あいまいにしておいた。

 自分が記憶喪失だと思われている事を逆手にとり、下手に細部を煮詰めないほうが信憑性が増すと考えたのである。


「なんでも私は下級貴族の娘であった母が、不釣り合いなほど家格の高い男との間に設けた私生児なのだそうで。

 それ故に母は、生まれて間もない私を姓も持たぬ商人に預けたと――そんな話を聞いた記憶だけがあるのです」


「タツミ家……確かホムラに連なる帝国騎士にそのような家が存在したな。よし、調べてみよう」


 全ては櫂が創作したストーリーであるが、あくまで伝聞であると前置いた事で男爵は確認の為に部下を呼び出し、早急に調査を命じた。

 帝都の治安維持組織に所属するその男は大変に優秀な人物で、すぐにカテリナが帝都の霊園に埋葬されている事を突き止めた。

 櫂が事前に掴んでいた情報通りに。


「……カイ、そのカテリナという女性は十年前に熱病に倒れ、天に召されたそうだ」


 半日後には男爵は報告を受け、櫂にカテリナが既に亡くなっていた事を伝えた。

 すると櫂は泣き崩れたりはせず、彼女の死をいたむかのようにそっと目を閉じる。

 櫂はカテリナが故人である事を既に知っていたので、本当にその死を悼むと同時に、それを良い事に不名誉な作り話を広める事を、心の中で詫びていた。

 ちなみに櫂は全く知らなかったが、カテリナは異性との交際に於いては非常に奔放な女性であり、何人もの貴族との間に私生児を設けていた事から、男爵は櫂の作り話を完全に信じ込んでしまうのであった。


「……ありがとうございます閣下。こんな言い方は薄情に聞こえるかもしれませんが、少しだけ胸のつかえが消えたように感じます」


「カイ……残念ではあるが、これも何かの縁だ。君が望むならタツミの家に私から取り成す事もできるが」


 櫂は首を横に振った。


「私のことは母以外は知らないでしょうし、名乗り出たところで証拠など何もありません。何より私のことで残された方々の心を騒がせたくはないのです」


 そう言われてしまえば、男爵も故人の家族に接触する事は控えるだろう。

 櫂にしても下手に接触した事で嘘がバレてしまっては、元も子もないのだから。

 

「……けれど、もしお許しいただけるのであれば、殿下にお仕えする前に、母に花だけでも手向けさせてはいただけないでしょうか?」


 不幸な身の上話で同情を買った上で、男爵が望む言葉を口にする――それこそが櫂の切り札であった。

 櫂の思惑通り、男爵はその言葉を「新たな生き方を受け入れるために、過去と決別しようとする」証なのだと思い込んでしまう。

 ほどなくして男爵は櫂がカテリナの墓に参ることを許可し、更にはそこに皇太子も同席することを櫂に伝えるのだった。



 そして今、櫂は顔も知らない他人の墓の前で静かに祈っている。

 しかし彼(女)が祈りを捧げるのは故人ではなく、転生する前の世界――すなわち日本に残した自分の両親であった。


(……若くして先立った親不孝者をどうかお許しください。色々ありますけれど、私はここで元気にやっていますよ)


 自分以外の全てをあざむくなか、その祈りだけは純粋な真実であった。

 両親への親愛と後悔、故郷を懐かしむ気持ちが胸にこみ上げ、櫂は知らず涙を零していた。

 それを見た皇太子が、言葉にならない感情に翻弄ほんろうされるとも知らずに。


「ありがとうございます殿下、これでもう心残りはありません」


 祈りを終えた櫂が改まって礼をすると、皇太子は櫂の肩に手を置き、


「カイ……君は必ず僕が幸せにする! 絶対に、絶対にだ!」


「は、はぁ……」


 感極まっている皇太子に戸惑う櫂。

 まさか適当に考えた身の上話と、知らずにこぼした涙が目の前の青年の情緒をいちじるしく乱し、本気にさせてしまったなど思いもしなかったに違いない。


「そ、それよりあちらの丘に行きませんか? とても良い眺望と聞きました」


 皇太子の熱量に若干引きながら、どうにかして話題を変えようと広い霊園の一角を指差す櫂。その先には一際高い丘があった。


「ああ、もちろんだとも! そうだ僕が帝都について色々と教えてあげよう」


 皇太子はそう言って、嬉しそうに櫂をエスコートしていく。

 彼は今、次期皇帝としても一人の男としても、理想の女性に恥じぬ存在になるのだと決意を新たにしていたのだが、櫂自身と言えば……


(仕方ないとはいえ、男とデートしても何も楽しくありませんね……)


 などと薄情なことを考えていた。


 霊園から少し離れた場所にある小さな丘。

 その上には簡素な東屋あずまやが建てられていた。

 さらにその先には切り立った崖があり、安全に眺望を楽しむ事ができるようにと柵が設けられている。

 櫂が柵の前に立つとそこからは二重の城壁に守られ、一本の川によって二分された帝都イーグレを一望する事ができた。


「こんなにも広い街だったのですね……すごい……」


 櫂が生まれ育った日本の都市に比べれば、際立った高層建築物は見当たらない代わりに、一つ一つの民家や網の目のように走る路地まで一望できる。

 それがより「人が住んでいる」と言う実感を生み、櫂の目に映る帝都は実際よりもずっと大きく感じられた。


「ま、まぁね……ここは開祖以来、何百年と帝国最大の都市であり続けたんだ」


 皇太子という立場上、帝都に対する思い入れは人一倍強く、巨大な都市が築いてきた歴史は自身の誇りでもあるのだろう。しかしそれ以上に、となりに立つ美少女に対する自己アピールである事も否定できない。


(……さて、そろそろですね)


 しかし櫂はただ街を眺めていたわけではなかった。

 彼(女)の真の目的は皇太子と良い雰囲気になる事ではなく、その皇太子と付き合わなくて済むように帝都から逃げ出す事にあったのだから。


「殿下、あの建物は何でしょうか?」


「ああ、あれは善心教の大聖堂で――」


 適当に指した建物に皇太子が意識を向けている隙に、櫂は別の手に握っていた小さな鈴を崖の下に投じた。

 小石大の鈴は音もなく落下した後、地面に激突してシャランと音を立てる。

 それが合図となった。


「そうだ、大聖堂の近くには修道院もあってね。

 カイさえ良ければそこに通うのも―――――え?」


 皇太子の言葉をさえぎったのは、鳥とは比べ物にならないほど巨大な翼を羽ばたかせる音だった。

 直後、崖の下から緑の鱗を持つ飛竜が飛び上がってきた。

 櫂は飛竜の方を振り向くと、口を押えて戦慄する――をする。


「シャァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 眼下の人間たちを威嚇するように飛竜が吠えた。

 炎や毒液を吐きかけたわけではないが、その咆哮は人を震撼させ、皇太子はおろか警備の衛士達も思わず足をすくめてしまう。


(タイミングはバッチリですよ、ミカゲさん!)


 心の中で賛辞を贈りながら、櫂は飛竜の背にまたがる人物に目を向ける。

 フードに覆われて見えないが、その下には金色の目を持つ猫耳少女がいる筈だ。

 飛竜は威嚇を終えると更に浮上し、そのまま櫂に向けて急降下する。その二つの足で彼(女)を捕まえるために。

 恐怖のあまり足がすくんで動けない――ふりをする櫂が、自ら企てた策の成功を確信したその瞬間であった。


「え――――?」


 突然、体に衝撃が走り、抗う間もなく櫂はその場から弾き飛ばされる。

 彼(女)が地面に尻もちをつくと同時に、飛龍の爪は誰もいない空間を薙いだ。


「ここで、じっとしてて」


 櫂を弾き飛ばしたのは、髪の色から身にまとう革製の防具まで、全てが黒で統一された少女だった。

 櫂よりも僅かに背が高い程度で体格も華奢きゃしゃだが、身にまとう雰囲気は脆弱さとは一切無縁である。

 黒い少女は櫂に声をかけるとすっくと立ち上がり、右手に両刃の直剣を構えた。


「――来い」


 その言葉に呼応するかのように、飛竜は再び櫂めがけて降下してくる。

 黒い少女は櫂を守るように前に立つと、上空から飛来する飛龍に向けて右手に構えた剣を振り抜いた。

 巨体の質量に落下速度を加えた飛竜の鉤爪と、少女の才腕が振るう剣が衝突し――黒い少女はその一振りで飛龍の爪を弾いてしまう。


「えーーーーーーーーっ!?」


 驚いたのは櫂だけではない。

 飛龍にまたがるミカゲもまたフードの奥で言葉を失っていた。

 人間よりもずっと大きな飛龍の急降下は、全身を鎧で固めた重装騎士を馬ごと吹き飛ばす一撃だ。

 それを小柄な少女が剣の一振りで弾き、受け流してしまったのである。

 体重を乗せた一撃を弾かれた飛龍はたたらを踏むように地面を滑り、長い尾と翼を振り回して急旋回した。

 自分の攻撃を軽々といなした少女に向け、飛龍は咆哮をもって威嚇する。

 しかし黒い少女は微塵も揺るがない。


(ちょ、ちょっとどういう事よカイ! こんなの聞いてないんですけど!)


 心の中でミカゲは櫂に文句を飛ばす。しかし櫂自身も思わぬ事態に困惑していた。


「あの……どなたですか?」


 櫂が背後から恐る恐る声をかけると、黒い少女は振り返ることなく答えた。


「わたしはめいによりあなたを護衛するもの。ただの――“人狼”」




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