第47話 僕らの青春

 時間をください。

 そう言って五日が経ったある日の放課後。俺は三好 京子と共に校長室へ呼び出されていた。


「ですから教頭!」

「三好先生。何度も言うが、生徒の為とは言え、保護者会からの要望なんだ。分かってくれ……」

「ですがっ!」

「これ以上、野放しにすると我々、学校側が責任を追及されることになるんだ。学校としては出来るだけ飛び火で燃えるのは避けたいのだ」

「教頭……」


 三好 京子は尚も食い下がる。

 こんな何度目かも分からない状況に、俺は内心ため息をついた。ここに来て、もうすぐ一時間になる。連れてこられた俺としては、こんな話し合いは無意味だと感じずにはいられない。

 歯痒い。きっと三好 京子もそう思っているだろう。


「松瀬川。お前は良いのか? あの委員会が無くなっても」


 良くは無い。でも今の俺にはここで何かを発言することは出来ない。したくても教頭を納得させられるだけの物が無いのだ。

 俺はこの五日間、委員会解散の回避の為に色々と策を考えた。だが結局、良い案は出なかった。内に秘めた静からなる苛立ちは、段々と無気力へと変換されつつあった。

 もう、無くなっても良いのではないかと。別に委員会が無くなっても、学校が変わる訳じゃない。あいつらとは何時でも会えるんだ。それに、他人の相談事に乗るという事は、案外、精神的な疲労も大きい。だからこんな委員会、無くなっても良いのではないか。そう心の何処かで無意識に思っている自分に気付くと同時に、嫌悪感を覚えた。

 全く……。反吐が出る。こう言う事は止めようと、前に進もうと誓ったのに……。

 それに本当に委員会が解散となってしまっては、彼女たちはきっと悲しむ。だからこそ、自分を戒める為に、彼女たちの為に、俺は何としても委員会解散を防がなくてはならない。


「兎に角、これ以上は待てん。よって、週末である明後日を以て相談委員会は解散とする。良いな?」


 開始からずっと平行線を辿っていた話し合いは、教頭の一方的な命令によって終わった。

 校長室を後にし、自宅への帰路につく途中、ふと歩いている廊下の外を見た。窓外の中庭には、もうじき冬だと言うのにベンチに座って惚けている女の子が居た。


「宿毛?」

「あら、松瀬川君。久しぶりね」

「ああ。久しぶり」


 彼女の指先が血色を失っているのに気が付いた俺は、近くにあるいつもの自販機で暖かいココアを買ってから彼女の隣に座る。


「ほら」

「ありがとう。気が利くのね」

「そりゃあ、そんな白い手をしてたらな。末端を冷やすのは体に良くないぞ。気を付けろよ?」

「ええ。お気遣いどうも。それより、あなたはこの時間まで何をしていたの? はっ!? もしかして、教室に置いてある女の子のリコーダーを―――」

「そんな古風な変態みたいな事はしてねぇよ」

「じゃあ……教師?」

「何で教師がリコーダーを持ってるんだ。それから他の生徒も持ってねぇよ。お前は俺を何だと思ってるんだ?」

「ロリコンの変態」

「あぁ……うちの高校の話じゃなくて小学校の話だったのか……。いや、だとしてもわざわざ小学校に忍び込んだりなんかしないわ! 警察に捕まるだろ」

「何を今更、言ってるのかしら?」

「何度も言うが、俺はまだ犯罪歴は無いんだ」


 自分用に買っていたココア缶の蓋を開ける。

 宿毛とのこの会話もいつぶりだろうか。正確に測れば、精々一か月程度であるだろうが、それでも何だか懐かしさを感じた。

 木枯らしが草木を撫でて、乾燥した葉っぱ同士がこすれ合い虚しい音を響かせる。その音を聞いた俺は、ふと今年の初め頃に妹に言った言葉を思い出した。


「追い払うどころか、自分が追い払われるなんてなぁ……」

「何か言った?」

「いいや、何も」

「……ところで松瀬川君。相談委員が解散するって話、三好先生から聞いたかしら?」

「ああ。さっき教頭から、明後日で委員会は解体されるそうだ」

「そう。……あのね、松瀬川君」

「何だ?」

「私、あなたに謝らないといけないの」

「何だ? やっと自分の性格の悪さに気が付いたのか?」

「ええ、そうよ。私って最低な人間なの……」


 少しからかうつもりで言った言葉に、彼女は怒りを露わにするどころか申し訳なさそうに顔を伏せた。

 一体どうしたのだろうか。彼女らしくない……。


「私は……あなた達の関係が悪くなっていることに喜びを感じてしまったの」

「達って……?」

「あなたと……咫夜さんよ」

「お前……やっぱりまだあいつの事を許せてないのか?」

「違うわ。私はとっくの昔に彼女の事を許してるし、今は親友だと思っているわ」

「なら何だって言うんだ」

「それは……」


 宿毛は言葉を詰まらせた。

 特に意味も無く、まだ開いていないココア缶を弄り回す彼女の手元は、会った時よりも血色が良くなっていた。


「私、咫夜さんの事が羨ましいの……。羨ましくて、妬ましくて、嫉妬して……。彼女がそれだけの価値を有しているということは、頭では理解しているのに……。だって仕方ないでしょう? 同じ相手を好きになってしまったのだから」

「それって……」


 宿毛は頬を赤く染めながら、こちらを上目遣いで見つめる。その表情に俺の心がドキリと跳ねる。

 素直に嬉しかった。彼女に好きになって貰った事が、彼女が勇気を出して告白してくれた事が。そして何より、彼女が女の子らしく恋をしている事が。

 良かった……。俺はちゃんと彼女を救う事が出来たんだ……。


「助けて貰ったからじゃない。恩と愛を履き違える程、私は鈍感じゃないわ。私は、心からあなたの事が好きになったの! でも……」


 宿毛はココア缶を抱きしめるように、背中を丸め、すすり泣く。

 悲しいのだろうか。悔しいのだろうか。彼女の足元に通り雨が降っている間、俺は震えている彼女の肩を抱きとめる事は出来なかった。

 今ここで俺が優しくしたら、彼女はそれに甘えてしまう。前に進めなくなってしまう。


「でも……私じゃ無理だった……。助けられてばかりの私じゃ……あなたを救えなかった。でも彼女なら……咫夜さんならあなたを救える。そう思ったわ……。そう思って……嬉しくて、悔しくて……嫉妬して」


 宿毛は顔を上げ、涙に溺れている瞳を俺に向ける。


「私は! 私は……最低な人間よ……。自分の恋敵が劣勢になって、それを心の中で喜ぶ私は、最低よ……」


 宿毛は言った。


「だから……だから、お願い! 松瀬川君、私を捨ててっ!」


 辛かっただろう。苦しかっただろう。恋を知った今の俺ならば、その痛みは分かる。解放されたくて、助けて欲しくて、だから宿毛は泣いている。

 俺は優しくない。

 でも俺は彼女を捨てたくない。折角、こうして普通になれたのに、もう二度と会えないのは嫌だ。


「分かった……。宿毛……俺は、亀水 咫夜の事が好きだ。だからお前の気持ちは受け取れない。すまん……」


 宿毛 鈴は泣いた。

 大粒の涙を止めどなく流しながら、内に秘めていたすべてを吐き出した。嗚咽交じりに吐き出される彼女の気持ち、俺はそれを受け止めるしか出来ない。

 俺の胸を涙で濡らし、悔しさを握り潰すように俺の制服にしがみ付く。彼女の泣き声が胸を揺らす。

 今、己の胸の中で泣いている女の子は、俺の大切な人だ。だから今こそ感謝の気持ちを伝えたい。

 こんな俺を好きなってくれて―――、

 こんな俺の為に泣いてくれて―――、

 こんな俺に助けを求めてくれて―――、

 こんな俺が助かっても良いと言ってくれて―――、


「ありがとう」



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