第19話 君への気持ちは暑さの所為

 初日のバイトが終わった。

 もう、へとへとだ……。


「先生。結局、一度も手伝ってくれませんでしたね」

「いやぁ、この歳になると体に疲れが溜まり易くてなー。あははははー」


 なんだこの人。突然、自虐ネタをぶっこんで来たと思ったら泣きながら笑っていやがる……。涙、拭けよ……。

 そんな三好 京子を慰めに来た彩乃さんに、純粋な質問を投げかける。


「彩乃さん。いつもどうやって捌いてるんですか……」

「ん? いつもは親戚の子が手伝いに来てくれるよ?。でも今年は来れないって言われて……」

「そうなんですね」

「でもそのおかげで良いおかず―――じゃなかった、頼もしい子に会えたからそれはそれで……。ね?」

「あははー、そうですねー」


 もうこの人アウトだろ。眼光が野獣のそれだし、今にも内なる獣が殻を破ってタッチダウンしに来そうだよ。取り敢えず、よだれ拭いてくれ……。


「手伝えなかったのは悪かったから、その代わりに片付けは私達でやっておく。その間、何処かで遊んでいると良い」

「ありがとうございます」

「え!? 私も!? 松瀬川君と遊ぼうと思ってたのに!」

「お前は駄目だ」

「えーーー! 松瀬川君と遊びたいーー! 生意気な男の子とキャッキャウフフしたいーー! 京子ちゃーーん!」

「うちの生徒に手を出そうとするな。ほら、行くぞ」


 欲望がダダ洩れの彩乃さんを、三好 京子が脇を抱えて引きずって行く。初めて三好 京子の存在がありがたいと感じた瞬間だった。

 ありがとう、我らが京子ちゃん……。


「しかし遊べと言われても……」


 困るんだよなぁ……。別に遊びたいと思っていないし、何より遊び相手がいない。長生のグループはすぐそこでビーチバレーをしていて面白そうだが、あの中には入りたくない。宿毛は一人で黄昏ていて、近づくなオーラがひしひしと感じられるから駄目。


「八方塞がりか……」


 仕方ない。持って来たラノベでも読むか……。海岸で読むラノベも一味違った面白さがあるだろう。


「どうしたの?」

「お! おう……。びっくりした……」


 何処からかやって来た亀水が、考え込んでいる俺の顔を覗き込むながら訪ねる。

 驚いてオットセイみたいな声が出ちゃった。恥ずかしい……。


「お店の片付け、手伝った方が良いかな?」

「いや、三好先生と彩乃さんでやるから俺たち学生は遊んで良いってさ」

「そうなんだ」


 亀水は楽しそうにビーチバレーをしている長生たちを見て、一緒に遊ばないのかと尋ねて来た。

 俺は首を横に振る。そりゃそうだ。さっきも言ったが、俺はそのグループには入りたくない。というか入れないと思う。俺があのグループに入るのは場違いだからな。


「俺は独りで時間を潰すから。行ってこいよ」


 亀水は一度、俺に背を向けるがすぐに引き返す。独りの俺が気になるのだろうか。心配する彼女に向こうに行くよう顎を上げて促す。すると亀水は俺と長生たちを交互に見て難しい顔をする。

 悩む必要無いだろ……。目の前に好きな人間が居るんだぞ?

 未だに悩んでいる亀水を置いて立ち去ろうと動いた直後、彼女の手が俺の手を掴んで止めた。


「一緒に遊ぼ?」


 そう言って亀水は、長生達のいる方向とは違う方向に俺の手を引く。

 優しくも力強い彼女の手と眩しい笑顔に、俺は感じたことの無い胸の高鳴りを覚えた。これが俗に言う恋という奴なのか?

 分からなかった。感じたこの感情の正体も、彼女がどうして俺を選んだのかも。

 特に後者は、普段から人間観察をしている俺でも分からなかった。俺への態度はどういった理由があるのか。彼女との過去の関係から推察すれば、今の立場を利用しての俺への復讐。もしくは過去の過ちを認めて皆と仲良くしようという、ただ純粋な気持ちで接しているだけかもしれない。過去を鑑みないのであれば、本当は長生 内斗では無く俺が好きなのではないか。そんな馬鹿なことも考えられる。

 しかしいくら悩んでも答えは出ない。彼女の俺への気持ちが好意なのか、悪意なのか。

 過去に俺は、亀水咫夜という人物を殺した。いじめをしていた彼女を俺は、自己中心的な好奇心から来る正義感の成り損ないに突き動かされて、群れの中から引きずり出し、群れの外へと追いやった。それはまさしく死ぬのと同じこと。だから俺は一度、亀水 咫夜を殺してしまった。

 思い出したくも無い。あの気持ちの悪い感覚。彼女たちへの罪悪感に苛まれた一年間。自己嫌悪に身を焼かれ、今も尚、燃え盛る贖罪の火。

 俺は彼女を好きになってはいけない。

 でも今の俺の彼女への感情は間違いなく好意だった。正体が分からなくても悪いものでは無いことは分かる。

 俺は亀水 咫夜のことが好きなのか? いや違う。これは恋なんかじゃない。ただ優しくされたから嬉しくなっただけ。ただ彼女の選択が予想外だったから驚いただけ。だから違う。


「ねぇ、松瀬川君」

「なんだ?」

「そろそろ下の名前で呼んでも良い?」

「駄目だ」

「何で?」

「嫌いだからだ」

「私は好きだよ? 重信って名前。かっこいいじゃん」

「断る」

「えーー、何でー? どうしてー?」

「どうしてもだ」


 だから違う。彼女の距離が近く感じられるのも、あの胸の高鳴りも。きっと全部、暑さの所為だ。

 夏よ、許すまじ……。



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