第18話 君への気持ちは暑さの所為

 う~み~は~広い~な~、大き~な~。デカすぎんだろ……。

 何処までも続く地平線、輝く水面は宝石のよう。煌めく砂浜を走る君に、僕のトキメキを伝えたい。なんてね! あら、なんて詩的で素敵な言葉なんでしょう……。

 駄目だ、暑さで頭がおかしくなってる……。因みにさっきのは、ナンパから全速力で逃げる女の子を追いかけるナンパ視点で書きました。言葉って難しいね。


「海も意外と良いもんだなぁ……」


 彩乃さん(獣)から逃げるように休憩に出た俺は、海水浴場から少し離れた岩場へと来ていた。小高い岩に登れば、波の音が一段と大きく聞こえる。輝く水面とさざ波の音が脳内の雑音を消し去ってくれて気持ちが良い。


「何をしているのかしら?」


 足元から唐突に声が掛けられる。

 誰だよ! 折角、気持ち良くなってたのに! 俺の無心の時間を邪魔したのは誰!


「なんだ、宿毛か……」

「なんだとは何? 相変わらず失礼極まりないわね。折角、助けてあげたのに」

「助ける? 俺をか? 何故」

「だって岩場の上で死んだ魚みたいな目でボーっと立っている人間が、次に取る行動なんて一つしか無いでしょう?」


 ん? うーん……。岩場に立っていて? 死んだ魚の目をしていて? 目の前には海がある……。


「いや、飛び込まねぇよ? そこまで病んでねぇからな?」

「あらそう? それは残念ね」

「残念!? 俺を助けるんじゃないのかよ」

「この理不尽な世の中から離脱するのも、ある意味救いだと思わない?」

「え? 何? お前、どっかのカルト集団でも入ってんの? てかなんで俺が身投げする前提で、しかもお前に介錯されなくちゃいけないんだ」

「解釈の仕方によってはそうかもしれないわね」

「カイシャクで繋げんな。紛らわしい」

「さっきから注文が多いわね。何がそんなに気に食わないのかしら……」


 お前の中での俺の扱いだよ! 全く……。というかちょっと待て! 解釈の仕方によっては―――ってまさか純粋な殺意で俺を殺そうとしてたの!? 怖っ!


「何しに来たんだよ」

「私も休憩しに来たのよ。そっち行っても良いかしら?」

「ああ。どうぞ」


 俺の乗っている岩はそこまで高さは無いとはいえ、表面は濡れてるし、藻なんかもへばり付いている。


「ほら」


 登るのに苦戦している宿毛に手を差し伸べてやる。すると宿毛は俺のこの行動に驚いたのか目を丸くさせる。そしてすぐに表情を変え、恥ずかしそうに目線を合わせず差し伸べられた手を握り返した。

 驚かれるなんて心外だ……。俺だってこれぐらいの事はする。


「ありがとう……」


 宿毛の手は小さかった。小さくて、細くて、柔らかくて。正直、もう少し彼女の手を握っていたいと思ってしまった。しかしそれも一瞬のことで、彼女を引っ張り上げると、既にその気持ちは何処かへと消えていた。それはまるで波にさらわれたかのように、跡形も無く何処かへと流されていった。


「亀水達とは遊ばないのか?」

「咫夜さんとならまだしも、他の人たちとは遊ぶ気にならないわ。ああいうタイプ、私嫌いなの。特に長生 内斗は。それにあそこ、ナンパしてくる人が多くて……」

「可哀そうに……」

「そうでしょう?」

「いや、ナンパの人たちが。だってお前、黙ってればそこそこ可愛いだろ? なのに口を開けば他人の心をズタボロにするような奴だから、ナンパの人たちも詐欺に遭ったようで可哀そうに思えてな」

「一言多いわね……。褒められているのか貶されているのか分からないわ……」

「お前には言われたくねぇよ」

「何故? 私、普段からあなたの事を褒めているのよ? 愛情の裏返しという奴ね」

「愛情に裏も表も無いし、お前のは絶対に愛なんかじゃない」

「そんなこと無いわ。ほら、愛の鞭って言うじゃない」

「お前の振るう鞭は怪我するレベルだぞ? SM嬢もびっくりだ」

「良かったじゃない。あなた叩かれるの好きなんでしょ?」

「俺がいつ、ドMだって言った?」

「いつも余計な事を言って、自分で不利な状況を作ってるじゃない。これのどこがドMじゃないって言うの?」

「まあ……確かに……」

「もう少し、素直になったらどうかしら? あなた他人を褒めるのが下手過ぎだから」

「あ、もしかして……亀水さん……まだ怒ってらっしゃる?」

「う~ん……。そうね。有り得ない、という感じでプンプンだったわ。そう、プンップンだったわ」


 マジか……。どうやって機嫌を直してもらおうか……。というかそもそも上手い褒め方ってあるのか?

 独り内心で頭を抱えていると、宿毛が俺の顔を覗き込む。


「自業自得ね。普段からしていないからそうなるのよ。でも……もし、本当に困っているのなら、誰かに手伝ってもらうのも手よ?」


 誰かにねぇ……。妹を褒めても今更感があるし、かといって目の前のこいつは褒めるのが難しいし、褒める事も癪だし……。誰かを褒めることも生きていれば必要ではある。しかしなぁ……。う~ん………。いや、逆に考えるんだ。難しいからこそ、癪に障るからこそ上手く褒めれないと面倒なことになる。

 逆に考えるんだ。褒めちゃっても良いさと……。

 そういうことで今一度、宿毛の横顔を眺める。すると意外にも彼女のまつ毛が長いことに気が付いた。ピンッと張ったまつ毛は上向きに反り上がっていて、彼女が瞬きをするごとに上下に揺れ動く。

 次に首へと視線を下げていく。

 綺麗なうなじにドキリと心が跳ねる。

 華奢な鎖骨に息を呑み、

 小さく膨らんだ胸に目を惹かれる。

 すらりと細い腕から、きゅっと引き締まったくびれ。

 汗が滴るその先で、呼吸に合わせて動くへそに唾を呑み込む。

 女性特有の腰の曲線美にため息をつき、

 そこから伸びるつるりとした太ももに心が躍る。

 視線の行く結末は、自分のよりも小さい足。

 そして綺麗に手入れされた爪だった。

 よくよく見てみて改めて感じる。やはり宿毛 鈴は素材は良いのだ。ならばその素材をどう褒めるかというと、なるべく不快感を与えないようにするべきだろう。

 今、直感的に感じた中で不快感を与えないものは―――、


「お前、まつ毛長いんだな」

「え? 何かしら。急に」

「いやあ、試しにお前のことを褒めてみようと思って」

「嬉しいけど、急には言わないでもらえる? 鳥肌が立つわ」

「なんでだよ」

「やっぱり急じゃなくても言わないで? あなたが言うと気持ち悪いわ」

「何なんだよ」


 折角、褒めてやったのに。ほんっっと、こいつは可愛くねぇな。

 拒絶されて不貞腐れている俺を余所に、宿毛は俺に背を向けて喋る。


「まあでも……。あんなこと初めて言われたけれど、悪い気はしなかったわ。ありがとう……」


 宿毛は振り返ること無く岩から降りて、そそくさとバイトへと戻って行った。

 正直、終始声が小さく、波の音に邪魔された所為でいまいち聞き取れなかった。

 まあどうせ、ろくでもない事だから気にしないでおこう。



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