第84話 北の大地にて1

 北の雪に覆われた大地。ここは夏こそイモ類や大麦が実るものの、冬は雪に覆われ、植物は殆どが枯れ、この大地に適応した樹木だけが葉を落とし、雪の中に立っている。

 ただ大地の恵みが少ない代わりに、海の恵みは多かった。南の澄んだ海と違い海面は暗い青色だが、それは汚れているからではなく、海中のプランクトンが多いからだ。そしてそのプランクトンを食べる魚が、さらにその魚を食べる大きな魚が沢山取れた。

 とはいっても、南部と違い素潜りで銛で刺して捕まえたり、釣り糸を垂らして釣りをするのは主流ではない。4、5人が乗った船が数隻で組を作り、大きな網で魚を捕えるのが主流だ。なので北部の海の男たちは団結力が強かった

 そういう理由で他の地域と違い沿岸部に人口は集中しており、一つ一つの町の規模も他の地域と比べると大きい。北部で少人数で生きるのは過酷なのだ。

 そんな過酷な北部だが、他の地域に比べると良い点がある。それは中央貴族が海産物を食べ物と認識していない事だ。彼らの食べ物とは基本的に肉、家畜の食べ物としての穀物なのである。そうなった訳には諸説あるが、家畜と違い生きて運ぶのは手間がかかるし、死んだ魚は常温ではすぐ腐るからだと言われている。もちろん長期保存する方法もあるのだが、大体は癖があり慣れないと食べづらい。理由はどうあれ北部の人間にとって、税だけは過酷なものでは無かった。それが厳しい自然環境でも比較的人口が多い理由である。

 だが、過酷でないのは税だけで、統治は過酷なものだ。他の地区同様に、いや腐りにくいせいかより多くの罪人とされた死体が、見せしめの為に路上に、または城壁につるされていた。

 その北部のほぼ最北端にメザニエフという都市がある。この都市だけで人口は1万を超える。ガードス・ジル・サオエズロス伯爵が治める都市だ。サオエズロス伯爵家は他の周辺都市まで合わせて人口5万弱を有する、伯爵家の中でも大きな部類の家に入る。そしてカードス・ジル・サオエズロス伯爵は闘技が大好きな男であり、度々罪の無いものを捕まえては城の中に作られた闘技場の中で、自分で嬲り殺すのが趣味だった。


 城下の酒場で一人の男が目を座らせたまま酒を飲んでいた。まだ若く体格も良い。


「マスター。俺はやるぜ。このまま見過ごしちゃあ、死んだあいつのおやじに顔向けできねぇ」


「無駄死にするだけだよ、と言っても聞かないんだろうね」


「ああ、俺にも面子ってもんがある。ここで弟分を見捨てるようじゃ、どの道俺は生きていけねえよ」


 男は昔、本当の弟、いやそれ以上に可愛がっている者の父親に、海で溺れている所を助けられた。男はこの街の顔役と言われた者の息子だった。父親がカードスに殺された時はまだ子供で、大人たちに助けに行くのを止められた。だが今は違う。顔役を引き継ぎ、何時か仇をとることを夢見て剣の腕を磨いていた。今ではこの街でかなう者は居ない程になっている。

 そんな事を話していると、カラン、とベルが鳴りドアが開く。騒がしかった酒場が一瞬でシーンとなる。入ってきたのはローブを目深にかぶった小柄な人物だった。フードを下ろすと深海を思わせる青色の髪に、まるで氷河と海の境目の様なアイスブルーの瞳、何者にも触れさせたことの無い新雪を思わせる白い肌をした美しい女性の顔が現れる。

 マスターが何気ない仕草で棚の酒瓶を裏返しにする。新参者が来たという合図だ。この酒場はマスターが客の顔を全部覚えていて、危ない話をしていい時か、駄目な時かを合図してくれる。その為安心して領主の悪口が言える数少ない場所だった。

 だがマスターがそんな事をしなくても、こんな女性は一度見たら忘れるはずがない。酒場に緊張が走る。こんな女性が市井の女な訳がない。絶対に貴族だ。それもこの都市の貴族じゃない。みんなそう思っていた。


「マスター、アクアビットを一つ」


 女性は先ほど息巻いていた男の横に座ると、周りの雰囲気を気にする風もなく、貴族は絶対飲まないイモで作った酒を頼む。そしてその美しい顔に似合わず、ちびちび飲むのではなく一気にあおる。


「うーん。確かにちょっと癖があるけど、聞いていたほどじゃないわね」


 そう呟く。それはシーンとしている酒場によく響いた。


「さて、そこのお方。伯爵の城に行くんでしょう?私も連れて行ってくれないかしら?」


 男は驚きガタッと音をたてて立ち上がる。


「そんなに驚かなくても良いじゃない?お城に行って伯爵と闘技場で戦うつもりなんでしょう?私も連れてって欲しいの。その代わりお礼はするわ」


「何処でその話を聞いた?」


 この酒場は見かけの割に防音性が高い。少々騒いだところで外には聞こえない。ましてやさっきのマスターとの会話など聞こえるはずがない。


「フフッ。秘密。女の秘密を暴くとろくなことにならなくてよ」


 そうやって可愛らしく笑う顔には、まるで年上の女性の様な妖艶さを感じる。


「そう警戒しなくても良いじゃない。ただ、闘技場に行きたいだけなんだから。若い女が一人で行くと色々面倒でしょ」


 確かに、目の前のような女性が1人で闘技場に行こうものなら、飢えた狼共の格好の餌になるだろう。


「取りあえず前金としてこれでどうかしら?」


 女はすっと金貨を一枚男の前に出す。闘技場まで連れて行くだけのボディガードの料金じゃない。しかも、前金といった。


「一体お前は何者だ。何を企んでる」


 男は詰め寄る。


「フフッ。それも今は秘密。その時が来ればちゃんと話すわ」


「フッ、その時かその時が来ればいいがな。言っておくが仮にお前を連れて行ったとしても、帰りまでは保証できねぇ」


 男は再び椅子に座り自嘲気味に笑う。


「あら?伯爵を殺すんじゃなかったの?」


「殺すさ、刺し違えても殺す。いや、俺の命を使い切らなければ殺せないだろう。正直言うと強さを比べるなら奴の方が強い。100戦したら99戦は奴が勝つだろう。だが俺が勝つ可能性も1つはある。だが、それだけだ。勝ったとしてもどうせ伯爵の手の者に殺されるだろう。だから帰りは保証できねえ。まあ、混乱はするだろうからうまく逃げるんだな」


 男は固い決意はそのままに、冷静に自分と戦う相手の力量差を語る。


「フフッ。いい男ね。候補その1ってところかしら。体つきは結構好み。顎の線がちょっと細いわね。でも首の筋肉を鍛えればいけるかも。もう少し年を取っていた方が好みだろうけど。まあ、でも放っておいたら年は取るし、年を取りすぎよりはいいわよね。マスターもえり好みしてる場合じゃないし……」


 男が必死の決意を言ったというのに、目の前の女は男を値踏みしていた。


「まあ、いい。何者か知らないが俺は俺のやることをやるだけだ。じゃあ、マスターこれでここにいるみんなに、飲めるだけ酒を出してやってくれ」


 男は差し出された金貨をマスターに差し出す。マスターはカウンターに吊り下げられた鐘をカランカランと何回も鳴らす。滅多に無い事だが、今飲んでいる酒だけではなく、今夜は飲み放題という合図だ。


「ヒャッホー。ミウレッヒ、応援してるぜ!お前ならやれる!」


 今までシーンとしていた酒場がにわかに騒がしくなる。


「あら、なかなかいい演出、+2点いや3点はあるかしら」


 そんな中、女はそう呟いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る