第50話 バモガンの怒り

 ウィステリア公爵領の領都ユリエナス。そこはフェーゼノン王国でも王都に注ぐ人口を誇り、人が絶え間なく行きかう賑やかで明るい都市だった。治安も良く、女性が夜に一人歩きが出来る程だった。街を囲んでいる城壁には夜になると魔法の明かりがつけられ、城につけられた光と相まって、遠くからでも街全体が光って見えていた。別名「光の都」とも呼ばれた場所。だが、いつの間にか頼もしさの象徴だった騎士は恐怖の象徴になり、城壁の光はそこから吊り下げられた罪人の成れの果てを昼夜を問わず晒す光となり、人々が行きかっていた通りは、あちらこちらで餓死した者、若しくはこれから死ぬものが転がる場所になり果てていた。

 しかしここ数日はかつての、とまではいかないが、ここ数年では見たことの無い賑わいを見せていた。城壁に吊り下げられていた死体は取り払われ、ウィルテリア公爵家、騎士団、魔術師団をあらわす垂れ幕が代わりに下げられた。道端に転がっていた死体も埋葬され、病人や飢餓で死にそうになっていた者には薬や食料が配られた。

 それを行う者が行きかい、その者らに指示を与える者の大声が響きわたる。皆ここ最近見られなかった晴れやかな顔をしている。騎士と町人が談笑している姿もあちこちで見られる。


 その様子を城から苦々しく睨みつけている者が居る。バモガンだ。バモガンは地団駄を踏むような足取りで謁見の間へと向かう。そこには既に筆頭家令と、元バモガンの親衛隊で今は騎士団長、魔術師団長についているもの、計3名が控えていた。


「一体これは何の騒ぎだ!勝手に垂れ物まで下げおって!」


 バモガンは一段高い所に据えられた豪華な椅子に、どかりと腰を降ろすなり喚く。


「騎士団一行がユエナ平原のドラゴン退治を成功させたとの事で、それを祝う祭の準備ですが……」


 筆頭家令が恐る恐る声を上げる。


「誰がそのような命令を出した!」


 バモガンが家令に詰め寄る。


「直接下されたのはセシリアお嬢様でございますが、きちんとバモガン様の許可のサインがありました。何度も見直しましたので間違いありません」


 筆頭家令は証拠とばかりに、十数枚の紙束を差し出す。バモガンはひったくるようにその紙束を取り上げる。確かにそこにはバモガンのサインが書いてあった。内容は騎士団がドラゴンの討伐に成功したあかつきには、セシリア個人がお祝いをさせてほしい、という旨の嘆願書だった。詳細は別紙とだけ書いてある。

 バモガンは何となく思い出す、そうあれは珍しくバモガンの執務室にセシリアがやってきて、自分に見せたものだ。1人ではなく横にどこで手に入れたか分からない美しい娘を伴って。あの娘は自分の好みにぴったりだった。豊満な胸、くびれた腰、大きな尻、そのスタイルに似合わぬ清楚な顔と怯えた表情。今思いだすだけでも股間が熱くなる。

 セシリアは自分の願いを聞き入れてくれたら、その娘を差し出すといったのだ。別に取り上げても良かったが、一応嘆願書を見てみた。内容は単純に成功するはずの無いドラゴン討伐に、成功したときに個人的にお祝いをしたいという嘆願書。一瞥した瞬間どうでも良いと思った記憶がある。それでも、その別紙の内容を最初の1枚は読んだ。その内容もどうでもよいことだらけだった、庭に咲いている花をプレゼントさせて欲しいだの、ねぎらいの言葉を掛けさせて欲しいだの、別邸でお茶会を開かせてほしいだの……10枚ほどあったが、後は読むのが面倒くさくなり、一番下にサインだけした。どうせドラゴン退治など成功するはずがなく、万が一成功したとして小娘個人が出来る事などたかが知れていると思ったのだ。それよりはセシリアの横に連れている女の方が自分にとって重要だった。下手に言い合いに時間を使うぐらいならさっさとサインをしてしまった方が早い。そう思って2枚目以降は読まずにサインしたのだった。

 バモガンは嫌な予感を覚えながら、別紙を読んでいく。そこにはセシリア公爵令嬢の名の下、街に炊き出しを行う事、薬を配る事、街を清掃する事、死体を埋葬する事等々、はては政治犯の恩赦による釈放まであった。そしてそれらの費用は代行が管理している、ウィステリア公爵家の資産を使う事とある。

 すっかり忘れていたが、ウィステリア公爵家の資産は唯一の直系であるセシリアの物である。自分は形上はセシリアが受け継いだ資産を管理しているにすぎない。


「おのれぇ……すぐに止めさせろ!」


 バモガンは紙束を握り潰しながら叫ぶ。


「む、無理でございます。もう、2日もしたらドラゴン討伐を成功させた騎士団員が帰ってきます。祝祭の準備は随分と進んでおります」


 家令の返答に、バモガンは握りつぶした紙束を家令に投げつける。


「そもそもドラゴンの討伐に成功したというのは本当なのか」


「はい。一行は巨大なドラゴンの頭部を荷車に乗せ、領都に向かっているとの事。下されたご命令の詳細は私には分かりかねますが、少なくともドラゴンの討伐には成功したことは間違いないと思われます」


「うぬう……」


 バモガンが唸りながらこれからどうするか考えていると、元親衛隊長で、今は騎士団長をやっている者が発言をする。


「バモガン様。奴らが元に戻ってくるとなると、騎士団幹部に就任した我々はどうなるのでしょうか?」


 声に隠しきれない不満が含まれている。公爵代行の親衛隊隊長といえば聞こえはいいが、実際は50人余りまで減ってしまったバモガン個人の護衛隊の隊長である。最初の方こそバモガンの出身の家である、侯爵家選抜の騎士になったと言う事で誇りもあったが、ここ最近はバモガンに不信感を抱いている。やる仕事もバモガンが外に出ないためにほとんどない。最悪なのはバモガンの痴態を犯している最中に護衛を任されることがあることである。無防備な時間であることは分かるが、肥満体の男の尻を見て喜ぶものはまずいないだろう。

 それに対してウィステリア騎士団長の地位には確固たる権限があり、何よりも動かせる予算がある。どちらがいいか。前者が良いというものは殆どいまい。


「ええい。騎士団の地位が欲しければ自分で守ってみせよ。奴らが到着するまで2日ある。親衛隊をすべて動員することを許す。奴らを殺せ」


 期待していた英雄の凱旋が無くなれば、このバカげた騒ぎも収まるだろう。思い付きの案であったが、悪くないようにバモガンには思えた。


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