[遭遇]

「あなた、つけられてる」

「え?」

「金髪、黒マスク」

「!?」


 駅の長い階段を下りる寸前、背後からふいに声を掛けられた。

 耳元、内緒話のような小声。

 驚きで声の主に目を向けた瞬間──息を呑んだ。

 吸い込まれそうな漆黒の瞳の美貌がそこにあった。


「あ、え・・・・」

「振り向かないで。私と知り合いのふりして歩いて」

「・・・・」


 有無を言わさない圧に気圧けおされ、とりあえずその流れに私は従った。

 ただし闇雲にではなく、心当たりがあったから。

(あいつだ)と。


 私を壁側にして並び、ゆっくり階段を下りていく。

 10段ほど下りたところで再び小声で彼女が言った。


「来た」

「!」


 ドクン───動悸がした。


 次の瞬間、全身黒づくめの長身の男が私たちを追い越し足早に下りて行った。

 そして下りきったところで足を止め、見上げるように男は振り向いた。


(田所・・・・)


 やはり、あいつ──


「知ってる男、よね?」


 いったん止まった私の横で彼女が言った。

 無言で頷く。

 すると次の瞬間、彼女の口から放たれた言葉が私を凍らせた。


「刺すつもりだったみたいよ、あなたを」

「?!」

 

 驚きで凝視をすると、階段下の男は何事もなかったように視界から消えた。


「追いましょ」

「え、お、追う?」

「大丈夫、まかせて」

「で、でも」

「いいから、来て」

「あ、ちょっ・・・・」


 何を言っているのかまったく分からないまま、初対面の彼女に手首を掴まれ私は足早に階段を下りた。


「いたわ」


 下りきって左側に通路を進んだ先の改札に向かう黒服の背中が目に入った。

 朝の通勤ラッシュ時ではないものの、この駅を最寄りとする大学の生徒たちの人の流れに紛れながら男が歩いていく。

 変わらず手首を掴まれたまま距離が縮まりかけた時、その姿が太い柱の陰に隠れて一瞬見えなくなった。


 すると──


「ここにいて」

「え?」


 ふいに歩みを止められた私は思わず間の抜けた声を出した。

 そして彼女は私を置き去り柱の方へ小走りに駆け出した。

 次の瞬間、再び姿が見えた男。

 その真後ろに迫る彼女。


「?!!」


 男が──消えた。


 一瞬、彼女の右手が目前の背中に伸びたように見えたあと、かき消すように・・・・消えた。

 直後、くるりときびすを返し、笑みを浮かべた顔でこちらに戻って来る彼女。


「さ、もう大丈夫。あなたの命は安全よ」


 そう言い、軽く私の肩に手を触れた。


「あら、あなた少し・・・・」

「?」

「あ、いえ・・・・じゃ」

「あのっ」


 明らかに何か言いかけた言葉を飲み込み、その場を離れかけた彼女を私は慌てて引き留めた。

 聞きたいことがありすぎる。

 私の中の混乱は何も収まっていない。

 

「何かしら?」


 不思議な引力を感じる美しい瞳に真っ直ぐ見つめられ、同性ながらドキリとした。

 私と同じくらいの年頃に見える反面、醸し出す雰囲気には妖艶さが漂っている。


「え、あの・・・・何が何だかという感じで・・・・でも、とにかくありがとう」

「ああ、気にしないで。私はやるべきことをやっただけだから。あんなのに刺されちゃたまらないでしょ?」

「うん・・・・でもどうして──」

「狙われているのがわかったのか? って?」

「う、うん・・・・」

「それは・・・・あなた、J大の学生?」

「そうだけど・・・・」

「なら次に会った時に話すわ」

「次?」

「そう。そのうち学内で」

「え、じゃ、同じ・・・・」

「大学。今日はちょっと急いでるからこれで」

「あ、ごめんなさい」


 優美な笑みを浮かべ、足早に改札の方へと向かう彼女の姿勢の良い後ろ姿を私はぼんやり見つめた。


(あ、名前・・・・)


 非日常的展開に混乱した脳内が通常モードに戻りかけた時、ようやく気がついた。

 何学部の何回生で何という名なのか、まったくひとつも聞かずにいたことを。

 そして何故、あの男─田所─が私を狙っていることに気が付いたのか、何をもってもう大丈夫だと言い切ったのか。


 "何をした"のか。


 ゆっくり歩き出しながら、疑問のそんな数々が頭の中を巡っていた。


────────────────────


千絵ちえ!」


 改札を出て見回した先、出店の花屋からちょうど出てきた夏花なつかが私の名を呼び手を振った。

 私も振り返す。


 赤と白とピンク、可愛いラッピングをされた3本の薔薇の花を見せながらこちらに歩いて来るなり、彼女が言った。


「部室に飾ろうと思って」

「映研?」

「そ、殺風景だから・・・・って、ん? 顔色が良くないね。まさかまたあいつ──」

「あ・・・・う~ん」

「どこ? どこにいる?」

「それが、あの・・・・とりあえず歩きながら話す」

「うん、わかった。私がついてるからね」

「・・・・ありがとう」


 あの男、田所幸也は私のストーカー。

 その事を友人たちは知っている。


 半年前、大学に入学を機に一人暮らしを始めた私を"悪い意味"で見つけた男=田所。

 学校の隣駅から徒歩7分のアパートは駅近で便利だったけれど、その駅前のコンビニに

その男はいた。

 何度かレジで顔を見た記憶はある。

 けれど特に何を思うことは私の方にはなかった。

 印象に残るほどのことは何も。

 

 なのに──


「松波千絵ちゃん、だよね?」


 ある日の帰路、それはふいに始まった。

 私に向けて差し出す右手には明らかに中身が詰まっていると見えるコンビニの袋。

 

「受け取って」

「え、な、何ですか?」

「この前だいたいこのくらい買ってたでしょ?」

「え・・・・」

「ほら、コンビニ。レジで会ったじゃん」

「・・・・・・・・あ」

「わかった? 制服じゃないからちょっと印象違うかな?」

「・・・・」

「ほら、受け取ってよ」

「いえ、あの・・・・ごめんなさい!」

「えっ、ちょっ──」


 何がごめんなさいなのか自分自身でも分からないまま私は駆け出し部屋に飛び込み鍵を掛けた。 

 激しい動悸で胸が波打った。


「な、何なのあの人・・・・」


 フルネームを呼ばれ食べ物の詰まったコンビニ袋を差し出され──意表を突くその行為がひたすら不気味だった。

 そしてその日からその不気味さはリアルな危機感を伴い、私の身の回りでジワジワと増大していった。


 日常をむ、完全なるストーカーの登場だった。

 

 

 



 

 


 






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