さよならを踊る交差点

山田あとり

第1話 交差点の地縛霊


 交差点にいたその女の人はきっとダンサーか何かだと思った。すごく背中が綺麗だったんだ。


 信号待ちで後ろから見た立ち姿。

 はきだめに鶴ってこういうものかと、俺は納得した。スイ、と舞い降りたみたいに立っている。

 ふわりとしたシャツワンピースの衿を背中に抜き気味に着ていた。大きな帆布のトートバッグ。ペタンコの靴。髪は後ろで低く結わえていて、うなじが白く見える。ナチュラルで俺の好きな感じだ。

 視線に気づいたのか振り向く。その拍子に景色がゆらりとして俺は、あ、となった。


 これ鶴じゃない。幽霊だ。


 だって向こうが軽く透けるんだ、動くと。

 でも止まっていてくれれば、あんまり幽霊感ない。振り向いた顔もめっちゃ可愛いし。


「あの」


 わあ、話しかけられた。見てるのバレバレだったか。どうしよう、無視するべきかな。


「あの、見えてますよね? 私のこと」


 ひょいと目の前に来て、顔をのぞきこまれた。こうなると知らんぷりするためには幽霊をすり抜けて歩き出すしかなくなる。もう信号が青だから。


「まあ、はい。見えます」


 俺は観念して答えた。すり抜けたって実害はないんだろうけど、なんかね。やりたくないよ。

 果たして幽霊はパアッと笑った。ほんと可愛いな、オイ。


「すごい、お話しもできるんですね、嬉しい」

「そうですね俺、そういう体質っていうか」


 俺はぼそぼそと言う。これ、端から見たら独り言に見えるだろう。イヤホンでもしてればワンチャン通話中だけど、着けてない。


「そういう方もいるんですね。私、生前はまったく霊感とかなくて」

「ああ……じゃあ、びっくりしたでしょう」

「はい。霊感なくても幽霊になれるんだあ、てなりました」


 ハキハキ元気に話してくれる幽霊さん、バイトの経験談でも話すように幽霊を語ってくれる。


「そっすか。馴染めたみたいで良かったですね。じゃ」

「え、待って待って!」


 点滅し始めた信号を渡ろうとした俺を、幽霊彼女は引き留めた。腕はつかめないと思ったのだろう。ザッと俺の前に回り込んで目の前に立ちふさがったんだ。


「……やっぱダンサーか何かだったんですか」


 その身のこなしに、思わず言った。すると急に彼女の身長が低くなる。ぎょっとして見ると、彼女は膝まで地面にめり込んでいた。何してんの、あんた。


「……そうですよね、このシシャモあしを見れば一目瞭然ですもんね」


 しょぼんと悲しそうな彼女。え?


「し、シシャモ――って何です」

「子持ちシシャモのようにプクンとしたふくらはぎのことです! 腓腹筋ひふくきんが太くて嫌なんです! 私はそれプラス、うっかりガニ股に立つ癖もあるし、ひと目でバレエの人だってバレるんです!」


 低い姿勢、というか低い位置のままで彼女は嘆く。見おろすその肩先は低く、首からなだらかにつながりたおやかだ。なるほどバレリーナっぽい。俺は感心して呟いた。


「バレエ。どうりで姿勢の綺麗な人だと思った」

「……ありがとうございます」


 彼女は上目遣い、というより俺を見上げる位置から言った。

 脚がコンプレックスなんだろうか。だからって地面に隠すのはダイナミックに過ぎると思う。幽霊とはいえ、あまり人間離れするのはやめてほしい。


「あと俺、脚は見てなくて」

「見てなかったんですか!?」

「体幹強いなって思っただけです」


 ああもう、と彼女はさらにめり込んでしまった。なんならこのままブラジルまで行けそうだ。


「なら腓腹筋の話は忘れてください……」

「はあ。んじゃ、これで」

「あああ、待ってください!」


 彼女は地上に飛び出してきた。危機一髪なおもちゃを思い出して俺は吹き出しかけたが、精一杯しかめ面をしてみせる。


「急ぐんですよ。この後、会議が入ってて」

「嘘です、どうみてもリクルートスーツじゃないですか。就活帰りの学生さんでしょ?」


 ちっ、バレたか。現世に詳しい幽霊だな。


「そりゃそうです、死んだのは最近です」


 胸を張る彼女の足元をこっそり見ると、確かにバレリーナの立ち方だった。格好いいじゃないか。

 どうして死んじゃったんだろうな、この人。俺はため息をつく。


「――何か、俺に用ですか」

「あ、いえ、用というか。少しお話していきません?」

「はい?」

「だって暇なんです!」


 言い切る内容は下らないけど、彼女の目は切実だった。

 地縛霊的な存在だとすると日がな一日ここにいるわけだ。死んだのが最近だといっても毎日毎日、誰とも会わず話さず、飯も食わず、動画もゲームもなしで――何だそれ、クソ暇だ。地獄かな、落ちてないのに。


「……なるほど」


 彼女がすがりつくように俺を見る理由が心底わかってしまった。せっかく見つけた話せる相手、すぐには帰したくないだろう。


「……じゃあ、少しなら」


 この可愛い幽霊に、俺は流されてしまった。



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