死ねない少女は異世界を彷徨う
べちてん
第1章
第1話
「やぁやぁやぁ!あなたにはこれから不老不死になってもらいま~す!」
目が覚めるとすぐ、明るい光とともに能天気な声が聞こえる。
あたりを見渡すと、今私が寝ているのはいつものあの足の踏み場もないような汚部屋ではなく、全体的に明るい靄のかかったような何もない空間だ。
そんな中にポツンと寝る私と、見えているのに見えていないような、不思議な感覚を覚える1人の少女の姿。
「えっと……」
これは夢、明晰夢と呼ばれる物なのだろうか。そう思ったのだが、夢にしては感覚や質感がリアルだ。これも明晰夢だから?
「のんのんのん!違うよ~、これは紛れもない現実!」
そう手をひらひらと動かし、ステップを踏みながらこちらに語り掛けてくる。私は口には出していないはずだ。心の中を読み取られた?妙に不気味だ。
「いい?君は当選したのよ!これから不老不死になって異世界に行ってもらうよ~!見てて面白い冒険、まってるね~!」
不老不死?異世界?冒険?なんだそれは。
私は平凡な人間で、だからこそ努力していい会社に入って幸せをつかむ。そのために必死に勉強してきたのだから、こんな良くわからないやつにその理想を崩されるわけにはいかない。
まずここはどこなんだ。当選したってどういうことなんだ?今日は小テストがあるから早く勉強をしないといけないのに、こんなところに時間を使っている余裕などない。
「困ります。私はそんなことをやっている暇はないのです。早く戻してください!」
少しかわいそうだと思ったが、ここは強く言っておいた方がいいかと思った。
ただ、そんな考えは必要なかったのだろう。何一つ怯んだ様子も見せず、またもや能天気な声で話すのだ。
「戻せないよ。だってもう殺しちゃったから」
「……は?」
「そんな何言ってるのかわからないみたいな表情されてもねぇ、いい?ここは死後の世界、魂の墓場だよ。どうもびびっ!と来ちゃってね?どうしてもあなたに玩具になってもらいたかったのよ~、そのためには殺す必要があった。分かる?」
できるだけ音を遮断する。聞いていては目の前にいる少女のように頭がおかしくなってしまうと思ったから。でも、そんなことはこの場所では一切通用しない。いやというほどすっと頭の中に入ってくるのだ。
殺された?この少女に?私に玩具になれって?冗談じゃない。
「まあここでグダグダしていてもあれだから、早速異世界行ってみよ~!」
いまだ状況が呑み込めない中、イライラしてくるほどに不快なダンスを踊る少女。
その少女との距離がどんどんと離れていく。引き離されていく。謎の空間、時空のゆがみに落ちていくような感覚、浮遊感。
先ほどまでいた場所が点のように小さくなったかと思えば、後方から明かりが広がってくる。
後ろを見ると、そこには薄暗い森が広がっていた。そしてしばらくすると、その森の中に横倒しになっている私がいた。
あまりに突然のことで声が出ない。
夢……ではないだろう。この湿った土の感触が夢であってたまるものか。
「……さむッ」
吹き抜ける風は極めて冷たく、湿っている。耳をすませば聞こえてくる動物の声や木々のざわめき。
ふと地面を見ると、そこには一冊の本が落ちていた。
『異世界の手引き』
ひとまずはこの寒さを防がねばならない。本を拾い、身震いしながら近くにあった小さい洞窟の中へと一時的に避難する。
風がさえぎられると体感温度が急激に上昇したように感じる。現実世界が冬でよかったと思う。もし夏なんかにこの状況に陥ってしまっていれば、今着ているのはこのもこもこの寝間着ではなく、ぺらぺらとした布切れ同然の寝間着だっただろう。
それでは洞窟に入ったとしてもこの寒さは凌げなかった筈だ。
まずは情報の整理が大切だ。こんなよくわからない状況になって妙に落ち着いている自分に驚く。すでに驚くという次元は超えてしまっているのだろう。
今ある情報はこの一冊の本だけ。題名からするにここで生きていくために必要なことが記されているはずだ。
通常の文庫本のような紙でできた表紙ではなく、固く分厚い表紙をめくると、おそらくあの少女からのメッセージであろうものが記されていた。
『やぁやぁやぁ、私はまあ神みたいな感じなんだけど、神って退屈なんだよね~。そりゃあもっと正義感に満ちたような神もいて、頑張って世界を管理しているのだろうけど、私はそういうのはめんどくさいから。娯楽が欲しかったわけだ。だから君を転生させた。転移の方が正しいかな?まあどっちでもいいね。いきなりよくわからないところに放り投げられて混乱しているだろうから、ある程度のことを書かせてもらったよ!ぜひ役立ててね!じゃあばいば~い!』
「……私の命で遊ばれたということか」
不快だった。何もせずただだらけているだけのような奴に、人生を無茶苦茶にされてしまった。
「絶対にあの女の思うようにはならない」
1ページ捲るとそこには親切にも目次が描いてあった。
1,基礎知識、与えた能力について
2,地理、情勢について
3,魔法について
4,魔物について
5,その他
目次だけでも気になることがある。魔法ってどういうことなんだ?
魔法を使ってしまえば私は普通の人間ではいられなくなってしまうかもしれない。どうにかして私はこの世界から脱出する。その時に困ってしまう。
魔法など使わない。魔法などなくても十分に生きていけるのだ。
「おなか減った……」
何をすればいいのかわからず、ただ洞窟で丸まってからそこそこの時間が経過しただろう。
まだ水も食事もとれていない。少なくとも水を確保しなければすぐに息絶えてしまう。あの女を満足させないというためには早く死んでもいいと思ったのだが、それでは彼女に負けたようで癪に障る。
負けず嫌いなのだ。私は。
いや、不老不死なのだから食事をとらなくとも水を飲まなくても死ぬことはないのだろう。ただ、飢えは苦しい。
念のため本を手に持ち、重い腰を持ち上げてあたりを探索する。
耳を澄ましても水の音はしない。近くに川はないのかもしれない。ということは水を確保するためにはそこそこの距離を歩かないといけないのかもしれない。
幸い傾斜のない平坦な森。道はなく、草が生い茂っているものの、歩けないほどではない。
「いてッ……」
地面に落ちている木の枝が足に刺さっては痛みを伴う。家の中でこんな状況になってしまったのだから、当然靴など履いていない。
素足でこの森の中を歩くのは非常に厳しい。すべてが足つぼ、そんな生ぬるいようなものではない。地面に落ちている多数の木の実や木の枝は、針のように痛みを与える。
ぬかるんだ地面に体力を取られ、吹き抜ける風に体温を持っていかれる。
彼女は私を苦しめたいのだろうか。実際こうやって苦しんでいるわけだが、与えられた能力は“不老不死”なわけで、何をしようと私は死ぬことがないわけだ。
それが何となく心の余裕につながってこの森の中を歩くことができる。
しばらく歩くと、右側から何やら動物が近づいてくるのが見えた。
「……熊」
体長5mほどになろうかという巨大なクマは、目が赤くこちらを見ている。
目をそらさず、背中を見せずにゆっくりと後ろへ下がる。森や山でクマと出会った時の対処法。
だか、この熊にはこんな対処法は通用しなかったらしい。どすどすと鈍い音を出しながらこちらへ突進してくる。
これは逃げたところで追いつかれるだろう。本気で走ればあるいは……、いやだめだ。素足の足の裏には枝によってつけられた切り傷やかすり傷があり、痛みを発している。
歩くくらいならいいが、走ることはできない。
まあいい。どうせ死ぬことはないのだから。
目の前まで迫った巨熊は大きく手を振り上げ、一気に私めがけて振り下ろす。
堂々と受けて、刃が立たないと思い知らせて退治しようかと思ったが、あまりの気迫に思わず横に体をそらしてしまう。
大きな爪のついた手は私の右腕に当たる。
その瞬間、体中を猛烈な痛みが走り抜ける。
驚き見ると、先ほどまで私の体の一部として存在していた右腕は、肩のあたりで分断されて地面に転がっている。
溢れ出る血は地面を染め、付近に赤い水たまりを作っている。
「―――ッ!」
思わず声にならない悲鳴を上げる。
不死身はどうしたんだ??
「……そういうことかッ!」
絞り出した怒りの声。すべて理解してしまった。
なぜ彼女がこの不老不死という最強の能力を付与して楽しんでいたか。
不老不死は“不死身”ではないのだ。不死身は『いかなる傷、打撃、病気、苦痛にも耐えられる状態』のこと。私が想像していたのはこっちだ。
ただ、不老不死の場合は『永久に若く死なないこと』。傷は受ける。打撃は受ける。病気になるし苦痛にも耐えられない。
彼女は私が苦痛に歪む様子を見ては楽しみたかったのだ。
足に傷ができている時点で気が付くべきだった。私の考えが甘かった。
不老不死はたとえ四肢が失われても死ぬことはない。死なないのではない。”死ねない”のだ。
不老不死とは決して万能な誰もが望むような能力なんかではない。”死ねない呪い”なのである。
ひとまず目の前の熊を撃退しなければならない。
念のためにこの本を持ってきていてよかった。急いで魔法のページをめくって何らかの魔法を探す。
『魔法には「風」「火」「地」「水」「空」の5つの属性と―――』
違う。私が探しているのはこれではない。
『魔法はイメージ、または詠唱で発動―――』
そうだ。詠唱だ。今はイメージなんてしている時間はない。
日ごろから参考書をめくっておいてよかった。あれにより鍛えられた高速ページ捲りの能力により、あっという間に詠唱のページが開かれる。
様々な詠唱と、発動される魔法の内容の中から、最も最初に目に入った魔法の詠唱を急いで唱える。
巨熊に手を向け、間違えの無いように文字を見ながら素早く。
「ロックジャベリンッ!!」
その言葉を発した瞬間、体の中からなにかが出て行く感覚を覚える。
その感覚がなくなったかと思えば、岩でできた槍のようなものが現れ、勢いよく巨熊をめがけて飛んで行く。
しかし、熊のその分厚い皮にによってこの攻撃が刺さることはなかった。ただ、何も抵抗しないと思っていた獲物が魔法で抵抗してきたことに驚いたのか、くるりと方向を変えて後ろへと去っていった。
「はぁ、はぁ、……いてッ」
アドレナリンが出ていたためにそこまで痛みを感じなかった。ただ、一瞬気を抜いた今、一気に腕を切り落とされた痛みがやってくる。
動かせる左手で急いで回復の詠唱を探すが、記されている数が数の為かどうも見当たらない。
ここはイメージで発動するべきなのだろう。
痛みに我慢しながら、思わず口から洩れてしまいそうになる嗚咽を抑え込み、ゆっくりと目を瞑って患部に手を当てる。
落とされた腕がつながるイメージ。一部ぐちゃぐちゃになってしまった腕を修復するようなイメージをして、先ほど感じたような魔力の流れを再び起こす。
すると、先ほどよりもさらに多くの魔力の流れを感じたと思えば、目を瞑っていてもわかるほどのまばゆい光が患部から発せられているのが分かった。
光が止み、恐る恐る目を開けてみると、腕がつながっているのが見えた。痛みもある程度引いている。ただ、切れた部分は跡になって残ってしまっている。おそらくこれは私の魔法の腕が悪かったからなのだろう。
もう魔法を使わないなんて言う考えは捨てる。魔法を使いでもしないと私は私を保っていられない。
これからは、強烈な痛みがあっても、どんなに辛いことがあっても決して死ぬことのできない呪いを抱えながら生きていかなければならないのだ。
そっと上を向き、曇り空を眺めながらため込んでいたものをすべて吐き出すかのように大きな声を出して泣き叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます