ツラヌキヒメ

島居咲(しまい さき)

第1話

「どいたどいたー!」


 少し甲高い声がして振り向くと。

 若い娘が、猛烈な勢いで駆けてくる。


 とある城下町の街道。

 陽光は春の日差しで柔らかく、道端の草はこれからの季節に向けての成長のために目一杯広がり、柔らかくも力強い陽光を受け入れている。


 男は思わず身体をひねってかわそうとしたが、彼の抱えていた筒が彼女の着物の袖に引っかかった。


「あ!」


 2人はもつれあうようにして、道路脇の雑草の上で倒れてしまった。


「すまん」


 大丈夫か、と訊こうとするや否や。


「どいてって言ったよね。このうすのろ!」


 食い気味で上から怒号を浴びせられた。


 顔を見てみれば。

 年端としはもいかない娘の顔が至近距離にあった。転倒したためか彼女の髪は乱れて顔にまとわりついており、顔の造形自体はよくわからない。


「すまん」


 ともう一度言い、彼は顔を離した。


 しかし彼女はそれを無視していち早く身体を起こし、走り去ろうとして。

 止まった。


 彼が身体を起こすと、彼女は3人の男に囲まれている。


 道ゆく人はまばらではあったが、ヒマな見物人の小山が出来つつあった。


「足が速いな」

 3人のリーダーであろう男が、一歩前に出る。

 挙措に無駄がない。何か体術を学んでいる挙動だ。

 腰を見ると。

 帯刀してあった。

 ということは。

 幕府の関係者か。


 彼はゆっくりと彼女の横に並び、羽織っていたフード付きの着物で男たちから女を隠すようにした。


 月並みな誰何が飛ぶ。

「誰だ」

 厄介な事態になった。


「名乗るほどの者ではない」

 彼は答えながら、羽織の長い裾をひるがえした。

 それが。

 男たちの視界を、瞬時ではあるが遮る形になった。

 彼の両の手から繰り出された掌底が、一歩後ろだった2人の顎に当たる。


 2人が昏倒した。


 見物人からどよめきが起こり、携帯のシャッター音が響く。


「む」

 一言発し、一歩下がるリーダーの男。

 彼の技量を測ったのか、あるいは撮影する者がいることで躊躇したのか。

 すぐに攻撃はなかった。


 その隙に。

 彼女が駆け出す。

 彼も羽織を拾っていたので少し遅れたが、ついていく。

 羽織をひるがえしながら投げつけたので、一気に間合いを詰めることができたのだ。


 追いかけながら思う。

 女ながら、素晴らしいスピードである。

 振り返れば、みるみるうちに見物人の山は遠ざかっていった。

 彼女に追いつき、並んだ。


「なんでついて来んのよ」

 呼吸の合間に彼女が文句を言ってきた。

「いちおう助けたんだけど」

「下心じゃないの?あたしが若い女だからって」


 はっきり言うやつだな。

 結果的にはそう見えるが、彼は

 ”この子を離すな“

 と、誰かに言われた気がしていた。

 しかしそれをわざわざ言う気はない。

 言い換えた。


「面白そうだったから」


「何それ。一目惚れしたんならそう言えば?」

「じゃあそういうことにしとこう」

「素直じゃなーい」


 と言いつつも、彼女もまんざらではなさそうだった。

 受け答えの部門では合格ってことか。


 ウマが合う・合わないなんてものは、初対面の時点でだいたいわかる。


 あまりにも邪険に扱われたら彼も引き下がるつもりだったが、彼女もおそらく助けがほしいのだろう。おそらく、目的を遂行するまでは使えるものは何でも使うつもりで彼を放置しているのかもしれない。そう考えるのが妥当だろう。


 いく年もの間、いく人もの人に踏み固められた街道を一気に抜けて、下町に入る。


 そこは、雑居ビルが立ち並ぶ治安の悪そうな場所だった。


 とりあえず、息を整えるためにも適当なビルの屋上に身を隠すことにした。

 エレベーターは使わず、埃をかぶった非常階段をできるだけ音を立てないようにして上がる。


「あんた、名前は?」

周防すおうだ」

「ふうん。西国から来たんだね」

「家名が無いから、地元の別名をつけたんだよ」

「じゃあ、お侍ではないんだね」

 彼女は鼻から上だけを屋上フェンスの上に出していたのを止め、向き直った。

 改めて周防の様子を見ている。

 どうやら追手は来ていないようだ。監視カメラも下町なので少ない。好都合である。

 この町は、幕府に監視されては困る人間が大勢いるようだ。

「君は?」

 見られている周防が訊いた。


「シュウ」

「おしゅうちゃん」

「“お”はいらないよ。シュウでいい」

「いきなり呼び捨てにはできないよ」


 彼女は短くため息をつく。

「じゃあ好きにして」

「えっ」

 周防が目を見張る。


「いや、いきなり抱けって言われても。心の準備が」

「言ってない。好きに呼べってことよ。何でそうなるの」


 彼女はにらみつつも、周防を見て少し笑う。


 先ほどは長い前髪で見えなかったが、よく見ると確かに一目惚れしそうな顔立ちであった。


 周防が本気で言っているのではないことは察しがついているのだろう。シュウに警戒する様子はなかった。ただ、周囲を見回すことは怠らない。


 そこまで警戒しなくても、陽があるうちは何もしてこないだろう。

 警戒を解かせて休ませないと。


「何でついてくるの、か」


 周防は、逃げている時の質問に答えることにした。


「下心があるからだよ」

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