3
「ほい。」
気の抜けたような言いぶりで、倫太郎は俊にポイを束にして渡した。
俊は黙ってそれを受け取り、池の中を覗き込んだ。
日陰になって暗い水の中には、ひらひらと赤や黒の尾を揺らして、悠々と金魚たちが泳いでいる。
「結構深くないか?」
「浅瀬に上がってきたやつを掬うんだよ。」
あっけらかんと言って、倫太郎は池の上に身を乗り出し、ポイを水に浸した。
「ほら。」
そして引き上げたポイには、小さな赤い金魚が一匹。
倫太郎はそれを赤いバケツの中に滑り込ませた。
ぽちゃん、と小さな音。
金魚は、泳ぐ場所が池からバケツの中に変わったことに気がついてすらいないみたいに、尾を揺らめかせている。
「上手いな。」
「昔から得意なんだよな。地元の祭りで、金魚すくいすぎて出禁にされたことある。」
「地元って、どこ?」
「富山。」
へえ、と、俊はそれだけ返した。
内心では、富山から越前と二人で上京してきたのか、と、もやもやしたものを抱えながら。
倫太郎は俊のもやもやに気が付きもしないようで、次から次へと金魚をすくってはバケツに収めていく。
俊も右手を伸ばし、冷たい池の水に手首まで浸して金魚を追ってみたが、ポイがすぐに破けてしまっただけだった。
下手くそ、と倫太郎が笑った。
ほっとけ、と俊は憎まれ口で返した。
もっと集中できる状況だったら、俊にだって金魚の一匹や二匹掬える。
こんなふうに、越前だったり、さっきすれ違った男たちだったり、肩が触れ合う位置にいる倫太郎だったりに、気を取られなければ。
人気のない暗く冷たい裏庭で、二人は業務用のポイの大袋が空になるまで金魚を掬った。
「いいな、金魚すくいは。」
バケツいっぱいになっていた金魚を池に戻しながら、倫太郎がやけにしみじみと言った。
ほんの数匹しか金魚を取れなかった俊は、それでも彼を肯定した。
金魚掬いはいい。他のことを考えずに集中していられる。
倫太郎が、赤いバケツを手に立ち上がった。
俊も、ポイが入っていたビニール袋を拾い上げ、くしゃくしゃにしてポケットにねじ込みながら彼に続いた。
身体の芯が疼いていた。餌を前にしたら反射的によだれを垂らす犬みたいに。
だって、夏の間中、池の淵で遊んだ後はこの男とセックスをしていた。
倫太郎は、俊のその疼きに多分気がついていた。
だからにやりと笑った後、今度な、と言ったのだろう。
「今日は先約があるんだ。」
その『先約』は、越前を指すとは思えなかった。越前との約束ならば、倫太郎はきっと、こんな投げ出すような物言いはしない。
そっか、と俊は応じた。
それ以上の言葉は思いつけず、倫太郎と俊は、じゃあな、と軽い挨拶をして中庭で別れた。
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