ただのセックスをした後、倫太郎はするりとベッドから立ち上がった。さっきまでの行為のすべてをなかったことにするみたいな、   それはなんだかひどく日常的な動作だった。

 「倫太郎。」

 俊はベッドに仰向けになったまま、彼の名前を呼んだ。

 唇にまだ全然なじまない名前だった。そして俊にとっては、そんな相手とするセックスは生まれてはじめてだった。

 なに、と、軽い調子で倫太郎が振り返る。

 俊はその先の言葉を思いつけず、黙ったまま立ち上がり、倫太郎の隣まで進んだ。

 「……明日も、あの池に行くのか?」

 そうだね、と倫太郎は軽く頷いた。なんの屈託もない仕草だった。さっきまで身体と身体を撚り合っていた相手とは思えないくらい。

 「……うちには? 来る?」

 なんでそんなことを訊いたのかは、俊自身にも分からなかった。

 性欲から出た言葉だろうか、と自分の胸の中を覗いてみる。

 すると、その中は空っぽだった。

 ずっと今まで自分は空っぽだったことに、たった今気がついてしまったみたいな気がした。

 倫太郎は俊の顔を軽く覗き込むみたいにして、ひょいと頷いた。

 「ジョッキ、返さないといけないしな。」

 ジョッキのことなんかすっかり忘れていた俊は、床に並べられた空のビールジョッキをじっと見下ろした。

 あの居酒屋はこのアパートっから徒歩1分だ。今から返しに行ってもいいし、明日俊が一人で返しに行ったっていい。

 そのことを、俊は黙っていた。

 なぜ黙っているのか、自分の感情は分からないままに。

 さて、帰るか、と、倫太郎が裸のまま伸びをした。

 俊はその動作を瞬きもせずに見つめていたが、やはりどうして自分が、同じ男の身体を持つこの男とセックスをしたのか、したいと思ったのか、は、ちっとも分からなかった。

 倫太郎は、床に散らばっていた衣類を身に着け、窓際に俊が干しておいたびしょ濡れの衣類を片手に引っ掛けた。

 やはりこの男は、この手のセックスに随分と慣れているんのだろう。

 俊はそう思って、どうしようもなく体が疼くのを感じた。

 それは、明らかに性欲だった。

 「明日も、来いよ。」

 俊にとっては精一杯の誘い文句に、倫太郎は気安く笑った。

 「来る。」

 じゃ、と軽く手を振って倫太郎が出ていった後、俊はシャワーを浴びた。

 狭いユニットバスで熱い湯を浴びながら、恐る恐る倫太郎の裸を思い浮かべてみる。

 それは、ただの裸だった。同年代男の、痩せた身体。ただ、それだけ。

 そのことに安堵して、俊は体を拭くのもそこそこに、パンイチでベッドに飛び込んだ。

 さっきの性欲は、ただの気のせいだと自分に言い聞かせながら。


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