第7話
早速手にとって頬張った。馴染んだ家の味がする。
(この味とも、しばらくお別れか……。もしかしたら、最後に……)
今は現実感がないせいかそこまで追い詰められた気持ちではないが、コーデリア自身、巨鳥を討伐できるとは思えていなかった。
ならば結局、先に待っているのは――
(駄目駄目! 何もしてないうちに、起こっていないうちに諦めるな! 最後になんてしない、そのために行くのよ)
何気ない幸せな日常の味。求めているそれを心身に刻み込むようにと、コーデリアはしっかりと嚙み締めた。
「コーデリア。お前がしたいんだろう大切な話のことだが」
「あ、うん。あのね――」
「いや、皆まで言うな。大丈夫だ。お前が昨日送ってくれた手紙と一緒に、神官長様からの手紙も入っていて……。事情は知っている」
「そ、そっか」
予想してしかるべきだったかもしれない。
(わたしじゃ上手く話せなかったかもしれないし、良かったのかも)
コーデリアが一晩寝て、一応でも気持ちの整理を付けたのと同じように、マリウスとメリッサも事態に向き合うことができるようになっているようだ。
時間は平等だ。嬉しいことでも、悲しいことでも。
「じゃあ、えっと――。そういうことだから、わたし、禍刻の主討伐の旅に出ます!」
「ああ。お前が生き延びるためにはそうするしかないと言われた。それでな、父さんも一緒に行こうと思うんだ」
「ええ!?」
マリウスが切り出した提案はコーデリアの中にはなかったもので、素直に驚きの声が出た。
自分で招いた危険な旅だ。両親を巻き込もうとは思わなかった。
「待って、危険よ、きっと」
「分かっている。だから行くんだ。娘一人をそんな危険な旅に送り出せるか」
「昨日ね、お父さんと色々話したの。伝わってる史書や伝説では英雄って呼ばれるような強い人たちが禍刻の主を討伐してきたらしいけど、一人で立ち向かったわけじゃないわよねって」
「うん。そうだと思うけど」
実際、一人で挑んだ者は少ないだろう。
「だから、強い人を雇おう」
「お父さんはね、コーデリアと行って頼れる人を探すって。わたしはお店を続けてお金を貯めるわ。いくら借金してでもいいから、禍刻の主を倒せるぐらいの、強い人を雇いましょう」
「しゃ、借金!? お金で雇うの!?」
巷に流れる英雄譚は、大概信念や友情などの強い絆で結ばれて仲間となり、巨悪に立ち向かって勝利を得るものだ。
それも当然と言えよう。金銭のために己の命を懸ける者は多くない。
もしこの先何らかの武才に恵まれていると知ったとしても、命を危険にさらしながらお金を稼いで生活しようとはコーデリアは思わなかった。断固、実家の焼き菓子店を継ぐ。
「お店の警備をしてくださいなら引き受けてくれる人もいるだろうけど、さすがに禍刻の主討伐は難しい気が……」
「難しいだろうが、いなくもないと父さんたちは思っている。功名心を持つ人はいつどの時代、どんな職業においても必ずいる。そういう人を探すんだ」
「そして交渉の材料として、お金は多くの状況で役目を果たすわ」
国が機能していて貨幣の価値が保証されているのが一番だが、そうでなくなっても一応、地銀分の価値はある。
(確かにいなくはない、かも……?)
目的がなんであれ、自分の意思で討伐に挑みたいという者がいれば、それはそれで頼もしいかもしれない。
「分かったわ。わたしも協力者になってくれる人がいないか探してみる。――だけど、お父さんはお母さんと一緒に、町に残って」
「コーデリア」
咎める声を出したマリウスに、それでもコーデリアは引かなかった。はっきりと首を左右に振る。
「一緒に来てもらえたら、わたしは心強いわ。でも、旅には神官様がついてきてくれるから。わたしも勿論だけど、お父さんだって旅慣れているわけじゃないし。魔物と戦えるわけでもないでしょう?」
「それは……そうだが」
町の外では魔物が闊歩しているため、大概の人は生まれた町で一生を過ごす。
マリウスもメリッサも例に漏れなかった。コーデリアが巨鳥討伐に赴くことにさえならなければ、町を出るなど考えもしなかっただろう。
「神官様の負担を増やしてしまうと思うの」
「……」
護らなくてはならない素人が増えれば、ラースディアンの危険はむしろ増す。
コーデリアを護るつもりで付いてきて、マリウス自身が危険の火種になることだってあり得るのだ。
「しかし――、しかしだな、コーデリア……!」
だからといって娘をただ見送るのは、辛いことだ。マリウスの表情が苦悶に歪む。
「じゃあ、こういうのでどう。わたしね、まず王都に行くことになったの」
「王都に」
「そこでお父さんやお母さんが言うような人がいないか、探してみる。で、結果はどうでも一度帰ってくるわ。それからまた考えよう」
王都に何をしに行くかは、意図的に省いて伝えた。両親を信じていないわけではないが、外部に伝えられずに秘されてきた話を勝手に口にするのはよくないと思ったからだ。
王都に行って人を探して、帰ってくる。わざと危険が少なさそうに話した。
実際まだ討伐に赴くわけではないので、本当の危険はしばらく先だろう。
(戦えるようにならないと、どうしようもないし)
そんなことは誰もが分かっているだろう。
「コーデリア……」
「大丈夫。わたし、絶対帰ってくるから。帰ってくるために行くんだから」
「……」
マリウスが膝の上で握った拳に、更に力が入る。眉間のしわもより深くなり、思い悩んでいる様子が見て取れた。
「お父さん、お母さん、どうか、待っていて」
そして口にはしなかったが、コーデリアの胸中には一人で行くべき理由がもう一つあった。
――死ぬかもしれないなら、自分一人がいい。
もし父が一緒に旅に出て、見知らぬ土地でコーデリア共々命を散らしてしまえばどうなるか。
一人残されるメリッサのことを思えば、とても耐えられない。
それよりは父と二人でいた方が、まだしも支え合えるのではないか。
(もちろん、諦めないけど!)
挑むつもりではいる。だが最悪も考えずにはいられないのだ。
しばらくコーデリアとマリウスは見つめ合っていたが――先に視線を落としたのはマリウスの方だった。
「……分かった。旅慣れない父さんが足手まといになるのは間違いないだろう」
「ごめんなさい」
マリウスとメリッサが自分のために考えて良いと思う答えを出してくれたのはコーデリアも分かっている。
二人がどうにか納得できる結論を覆す形になってしまったのは、申し訳ないと思う。
「無理そうだったらまた考えるから。今は、行くわ」
「無事に……。無事に戻ってきてね。必ずよ。危ないと思ったら逃げること。近付かないこと。いいわね」
「うん。大丈夫」
両親を危険に巻き込まずに済んだことにはホッとしつつ――不安を押し隠してコーデリアは微笑った。
きっと見透かされていただろう。二人がコーデリアを見る瞳は心配そうなままだったから。
しかし気付かないふりをした。両親に付き添う理由を与えないために。
先に待ち受けるものの恐れからは逃れられない。だからこそコーデリアは、今自分の側にある温もりを存分に味わった。
大切なその場所を再確認しながら。
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