第2話
「ですが。あのような無茶をしてはなりません。もっとご自分を大切にしてください」
「咄嗟に、つい」
無謀だったのはコーデリアも認める。その結果として、こうして神殿で目覚めることになったのだから。
(起きられて良かったあ……)
改めて考えると、ぞっとした。
「今日のところはもう無理をせず、ゆっくりお休みください。――私はラースディアンと申します。貴女の名前を伺えますか?」
「コーデリアです。コーデリア・カーウェン」
わざわざ名前を交わすことに不思議な気はしたが、コーデリアは素直に答えた。
「分かりました。ありがとうございます」
丁寧にコーデリアへと頭を下げると、ラースディアンは言った通りに部屋を出て行く。
一人になった心細さと安堵で、コーデリアは小さく息をついた。その動きに影響されたのか、不意につきりと胸の辺りが痛んだ。
より正確に言うなら、心臓だ。服の上から痛んだ個所を抑える。
ほんの一瞬だったし、痛み自体も大したことはなかった。しかし原因を知るために、そっと服の内側を覗き込む。
「痣……かな?」
影になっているのではっきりとは分からないのだが、覚えのない、痣のようなものがある気がした。
「まあ、痣ぐらいできてるかもね」
神官の治療とて、完璧ではない。何でも治せるわけではないのだ。
まして今日は一度に大勢を診る必要があった。痣程度、大したことではないと見逃されても無理はない。一分一秒を競って治療をするべき人間も大勢いたのだろうから。
あまり深くは考えず、コーデリアはごろんとベッドに転がった。言われた通りに休むつもりで。
しかし数秒後に跳ね起きる。
(休む前に、お父さんとお母さんに連絡しなきゃ!)
広場に魔物の襲撃があったことはもう伝わっているだろう。現場にいた娘が帰ってこなかったら、大層心配させてしまう。
(あ。もしかして、連絡するために名前を聞いてくれたのかな?)
先ほど不思議に思ったラースディアンの行動に、コーデリアなりに理由を見付けてみる。
(でも、そうと言われたわけじゃないし)
ベッドから立ち上がったコーデリアは、扉を開いてそのまま廊下に出た。
「どこだろ、ここ」
あまり熱心な方ではないが、一応、コーデリアも信心を持ち合わせている。町の神殿にも何度か通ったことがあった。
だが現在位置はさっぱり分からない。
「まあいっか」
もしかしたら結構な重傷で、特別な療養を行う人のための区画なのかもしれない。
そんな風に自分を納得させつつ、戻って来られるだろう距離を心掛けつつ神官の姿を探す。
二つ目の角を曲がったところで、話し声が聞こえてきた。
(良かった)
人がいても落ち着かないが、完全に一人だと不安。コーデリアは人の気配にほっとした。
聞き耳を立てていたなどと思われないよう、さっさと近付いて声を掛けようとするが。
「じゃあやはり、史書の通りなのか?」
「そうらしい。娘の上に禍刻紋が浮かび上がって、体の中に吸い込まれていったと証言を得ている。聖鏡に映すと浮かび上がるのまで史書と同じだ」
どうも、声を潜めて深刻な話をしているようだ。
「けど、ラースディアンを庇って身代わりになってしまっただけなんだろう? 見たところごく普通の娘じゃないか。禍刻の主討伐なんて、とてもできそうにない」
(あれ?)
聞き覚えのある名前が出てきて、コーデリアは急激に嫌な予感に襲われた。
(ラースディアンって、さっきの神官の方よね? 彼の身代わりになった娘って……。もしかして、わたし?)
気を失った後の別件でもない限りは、間違いあるまい。
声を掛ける機を失って――同時に本人がいないからこそされるであろう、包み隠されない話の続きが気になって、コーデリアは息を潜めて聞き耳を立ててしまう。
品のない行為であるのは承知だが、声を掛けて話を聞く勇気が持てなかった。
「だが、やるしかない。やり遂げなければ呪紋印が完成して命を落とすだけだ」
「魔神に力を与える生贄としての完成、か」
「そうだ。だから討伐が果たせそうになくて、呪紋印が完成しそうになったら、その前に……」
すべてを口にはされなかったが、前後の内容と重い口調から続きは容易に想像できてしまう。
(嘘でしょ……。殺されるの、わたし)
まるで現実感が湧かない。日々実家の手伝いで焼き菓子を売って暮らしているコーデリアにとって、命の危険などは縁遠いものだったのだ。無理もあるまい。
「禍刻の主が選ぶ人間は、相応に戦いの才能があると言うが……」
「いや、どうだろうな。だって巨鳥が狙ったのはラースディアンだろう? あいつだったら納得するが」
「そうだよなあ……」
神官二人の会話に、気を失う直前に見た巨鳥の姿が思い浮かぶ。
巨鳥はコーデリアが割り込んで自分の一撃を受けたことに、迷っていたようだった。
(あれでその、禍刻紋というやつを付けられたのかしら)
だとするならばコーデリアは、咄嗟の感情で大変なものを背負ってしまったことになる。
(禍刻の主の討伐……。もしかして、あの巨鳥のこと?)
そういえば意識が途切れる前に、自分を討てと言っていたような気がする。
世界を救いたければ――と。
(って、えええええっ!?)
まるでコーデリアが巨鳥を討てなければ、世界が終わるような言い方だ。
(ううう、嘘でしょ。あんなのとどうやって戦えばいいの。というか、わたしが戦えるわけないじゃない)
コーデリアが戦う相手といえば、家の中に出没する害虫ぐらいだ。それだって父や母が代わりに退治してくれることが多い。
あまりの衝撃に頭の中が真っ白になった。
(とんでもないことをしてしまった……!?)
コーデリアの行動は、ラースディアンを助けただろう。巨鳥に選ばれていたのは彼だったのだから。
しかし彼から巨鳥討伐の役割を代わったコーデリアに果たす能力などないのだから、将来的にはむしろ悪手だったかもしれない。
思わずふらりとよろめいて、横の壁に強かに頭をぶつけてしまった。痛い。
「!?」
その音は、近くで立ち話をしていた神官たちの耳にも当然届く。会話がぴたりと止まった。
「今、凄い音がしたぞ」
「誰だ? 大丈夫か?」
話を止めた神官たちが様子を伺いに来て、頭を抱えてうずくまっているコーデリアの姿に息を飲む。
話を当人に聞かれていたかもしれないと、うろたえたのだろう。
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