聖戦の掟により、この度聖女となりました

長月遥

第一章

第1話

 晴れ渡った青空に、季節の花の香りを含んだ優しい風が舞う。


 公園で家族の団欒を楽しむのにうってつけな穏やかな空気に不似合いに、物々しい鐘の音が広場に響いた。


「静粛に! 国王陛下より、通達である! 傾聴せよ!」


 鐘の音に続いて、略式の鎧を身に着けた騎士が声を張り上げる。


 今日この時、使者が訪れて布告があることは町全体に知らされていた。広場に集められたマジュの町の住民たちは、隣人と交わしていた囁きを止め、言われたとおりに耳を傾ける。


 コーデリアもその中の一人だった。


 両親が稼業で店を離れられないので、一家の代表として娘であるコーデリアが聞きに来たのだ。


 今年十七歳を数えた彼女は、少しだけ天然でウェーブのかかった栗色の髪に、青の瞳をしている。ごく一般的といえる容色だ。


 年齢相応に溌溂とした雰囲気の持ち主で、美人というより可愛らしい顔立ちをしていた。


 騎士は装飾の施された上質な紙を仰々しく開いて持ち上げ、朗々とした声で読み上げ始める。


「皆も知っての通り、来る翌年は百年に一度暗黒の扉が開く禍刻である。事実すでに、例年にない勢いで魔物の発生が報告されている。神の結界により町は安全であるが、街道の安全を強化するため、兵の増強が決定された。我こそはと思う者は、王都フラームグランまで――……」


 そこで不意に、騎士の言葉は止まった。集まった民衆の多くも、意識を騎士から空へと移していた。


(何……?)


 コーデリアも例外ではない。

 先ほどまで晴天だったはずの空が、急激に金色の雲に覆われ始めたのだ。


 雲は渦を巻き、やがてその中心部から猛禽類と思しき鳥の足が出てきた。直後、大きく翼を羽ばたかせて自らが出現した金雲を吹き飛ばす。


「!?」


 それは、とても美しい鳥の姿をしていた。


 全体的な色調は緑がかった金。虹色の冠羽を翻し、六枚の翼を器用に操って勢いよく滑空してくる。

 その周囲に炎が生まれて、巨鳥に先駆けて町に向かって降り注ぐ。


「ま、魔物だ――!!」


 一人が上げた叫びが、一気に混乱を引き起こす。我に返った人々が悲鳴を上げ、広場から一斉に、我先にと逃げ出した。


 身一つで巨大な魔鳥と相対したくないのなど、当然の心理。多くは近くの建物の中へ避難しようとする。


 果たしてその選択が正解かどうかはともかく。


(え、え!?)


 人が流れる波に翻弄されながら、コーデリアは自分の行動を決められずにいた。

 逃げなくてはとは思うのだが、どこに逃げるべきかが分からない。


「落ち着いて――落ち着いてください! この場から動いてはいけません!」


 そんな混乱のただ中にあって、声を張り上げた青年がいた。


 まだ若い。コーデリアよりも一つか二つ、年上だろうか。青みがかった銀の髪に紫の瞳をした、美しい青年だった。


 着ている服から神官であることは分かるが、然程興味を持っていないコーデリアには、位階の判断はつかない。


 青年は手を頭上にかざして、望む現象を己の持つ呪力を使って具現化するための技術――呪紋法陣を構築する。


 人々の頭上よりもはるかに高い位置で、光で編まれた盾が生じた。降り注いだ火球は盾が受け止め、そこで爆発が起こる。


「――ッ」


 耳を劈く轟音に、思わずしゃがんで耳を覆う。熱気が肌を焙ったが、逆に言えばそれだけで済んだ。


 青年は広場の人々を見事に守った。だがその行動は、巨鳥の注意を引くことになる。

 巨鳥の瞳が青年を捉えて、強く輝く。


「危ないッ!」


 咄嗟だった。巨鳥が何をしようとしていたのかさえ、正確には理解していない。良くないことをされようとしていると言う、ただの勘だ。


 コーデリアは叫んで、青年を突き飛ばす。代わりにコーデリアが巨鳥の視線の直線上に存在することになり。


「あぅ!?」


 ジュ、と焼ける音が体から上がる。


 痛みを感じたのは一瞬。力に弾き飛ばされ、地面を転がる。何回転したか覚えてないぐらい転がされて、仰向けに止まる。


「……」


 巨鳥はコーデリアと青年を見て、しばし迷うように旋回していたが、ややあって空の彼方へと去っていく。


「ぅ……」


 散々に打ち付けた体への衝撃と痛みで朦朧としていく意識の中、コーデリアの頭に直接注がれるような声が響く。


【力を求めよ。そして、我が元に来い。見事、我を打ち滅ぼして見せよ。――世界を、救いたければ】


(せ、世界……?)


 あまりに規模が大きすぎる。

 意味を深く考えるだけの時間もないまま、コーデリアは気を失った。




 次にコーデリアが意識を取り戻したのは、記憶にないベッドの上でだった。


「…………?」


 自分が置かれた状況が分からず、忙しなく辺りを見回す。場所そのものに覚えはなかったが、建物の雰囲気で察しは付いた。


(神殿……?)


 コーデリアがそう見当を付けたところで、部屋の中にいた人物が彼女の目覚めに気が付いた。


「ああ、よかった。起きたのですね」


 歩み寄り、身を屈めて声を掛けてきたのは、広場で巨鳥から皆を守ろうとした青年だ。


「なぜここにいるか分かりますか?」

「ええと、多分、怪我をしたから……?」

「はい」


 適切に手当てをされたあとらしく、怪我を負ったと言うわりに痛みはすでにない。ただ全身にぎこちなさがあるので、負傷していたのは間違いないのだろう。


 神殿は人々に癒しを与える役割も備えている。広場で怪我を負った他の人々も、神殿にいると思われた。


 しかし奇妙なことに、この部屋にいるのはコーデリアと青年だけだ。


「貴女の勇敢さによって、私は救われました。ありがとうございます」

「いえ、そんな」


 その瞬間は、頭で考える余裕もなく咄嗟にしたこと。だが今になって思い返せば、ぼんやりとしつつも理由が思い浮かべられる。


 青年が、皆を守るために動いてくれたからだ。そんな優しく、行動力も能力もある人間が失われてはならないと思ったのだ。

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