英雄亡き世界で

迷迭香

第1話 勇者が死んだ日

 冬の凍てつく風が肌を突き刺すある日。

 魔王討伐を果たした俺たちが帰国して1週間が過ぎた時のこと。


 王城に勇者と聖女を除く4人のパーティメンバーが招集され、王から勅命が下された。

 曰く、「反逆者フェイトを殺害せよ」と。

 挙句に、可能なら死体を持ち帰れなどという始末。

 どうせ亡骸を磔にして晒しあげるなり貴族どもの死体蹴りの的になるだけだということは容易に想像できた。

 王国の狙いは4人ともわかっている。勇者の名声と権威を恐れた貴族や王の政治的な根回し。

 既に国中には「魔王の最後の魔法を受け、色に狂った勇者フェイトが聖女フィリアに迫った」だの、「王を脅して国民の税金をふんだくり、豪遊のかぎりを尽くしている」だの、果ては「勇者の力を悪用して国家転覆を図っている」だのと言った根拠のないデマが流布されているらしく、今ではフェイトが街中を歩けば国中の人間から心ない言葉を浴びせられ、石やゴミを投げられる始末。

 フェイトは色狂いなんかじゃねぇし、そもそもあいつと聖女は相思相愛だ。俺たち4人全員が知っている。

 まぁそんなことは奴らも勘付いているからこそ、フィリアがこの場にいないのだろうが。

 税金の件だって王から金をふんだくってなどいないし、そもそも国はあいつにまともな支度金すら渡していなかった。

 初めの頃のあいつは俺のお古の剣で戦ってたんだぞ。

 国家転覆に至っては、そんなことをわざわざ企てなくとも、あいつや俺たちがその気になれば1日でこんな国地図から消せる。

 魔王を倒せる勇者とその仲間とはそういう存在だ。

 俺たち4人に命令が降ったのは、勇者と相討ちになってくれれば上々、生き残れば背中から刺して終わり、と言う算段だろうか。


 全くどの口で世界を救った勇者様を蔑ろにするんだとその日の晩は、みんなで国外の人気のない静かな丘にキャンプを設けて飲み交わしながら愚痴ったものだ。

 ケチ臭く金に汚い守銭奴で有名な魔術師のイルザが金に糸目をつけず高級な酒を大量に買い込み、酒嫌いなあのエルフの弓使いリリィはその日は酔い潰れるくらい飲んでいた。

 2人ともよほどイライラしていたんだろう。

「人間の醜さには心底呆れたわ」とは、今日に限らずいつも飲んだくれているドワーフのダルガの言葉だ。

 全くもって俺も同感だ、あの場に武器を持ち込めていたら俺はきっと王に斬りかかっていただろう。

 尤もそれを見越して玉座の間に入る前に武器が押収されたのだろうが。


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 そもそも、俺たちの冒険は聖教会があいつを神託が降っただか天啓がどうちゃらだとかで勝手に勇者認定したところから始まった。

 ただの王国騎士だった俺、エドガーも、一番強いからというだけの理由で神騎士ディバインナイトなどという大層な称号を与えられて勇者を迎えにいくことになった。

 実際あいつはすごい力を持ってたし、勇者にふさわしい男だった。

 目の前で困っている人がいれば迷わず助けに行く。


「力及ず助けられないことはあるかもしれないけど、それでも困っている人がいるのに助けようとしなかった前例は作りたくない!」


 と言って助けを求める人々に片っ端から手を差し伸べていた。

 そして俺を始めとして、聖女として勇者のサポートを任されたフィリアが加わって、エルフ国との盟約だかでリリィが加わって、過去の失意から抜け出せず酒場で飲んだくれるばかりだったダルガをフェイトが奮い立たせ、フィリアの幼馴染だったイルザが、なし崩し的に加入。

 そんな寄せ集めでしかなかった俺たちが魔王討伐を果たせた理由は一つしかない。

 フェイトの存在だ。あいつがいなければ俺たちが仲間として絆を結ぶことなどあり得なかったと断言できる。

「どんな些細なことでもいい、フェイトの力になってあげたい」

 それが俺たち5人の総意だった。

 恩義で仲間に加わったダルガや、早い段階で仲間になった俺や、フェイトに恋心を寄せ始めていたフィリアはいざ知らず、リリィやイルザもあいつと接しているうちに段々と打ち解け、心を開いていった。

 きっとあれも勇者の資質の一つだったのだろうと思う。

 紆余曲折あったが、5年という長い旅の果て、俺たちはついに魔王を討ち倒した。

 だというのにこの始末。

 俺たちの心は再び一つになった。


 ——勇者に幸せになってほしい、と。


 俺たちはフェイトとフィリアをこっそり別人として国外の安全圏まで亡命させる計画を立てた。

 王には討伐の証に勇者の剣を渡すことで話がまとまり、翌日フェイトをキャンプに呼びつけていざ実行。

 リリィとダルガがフィリアを迎えに行き、後はフェイト自身が頷いてくれるだけという段階だった。


「......そっか、やっぱり僕は用済みなんだね」


 殺害命令を聞いたフェイトはどこか寂しそうに俯く。


「今2人がフィリアを迎えに行ってるわ、だからあなた達は別の場所で幸せになれば、」

「ごめんね、俺もそうしたかったんだけど......もう遅いみたい」


 フェイトが悲しそうに笑った理由は、息を切らしながら大急ぎで駆けつけたリリィとダルガが教えてくれた。


「あなた達、大変よ! フィリアがっ......」

「聖教会のクソどもに殺されてやがった! あいつら聖女暗殺をフェイトの仕業として公表するつもりだ!」

「あっフェイト......ごめんなさいっ!」

「うん、ありがとうリリィ。君はいつでも優しいね、でも大丈夫。知ってたから......」


 そう言ってフェイトはペンダントを取り出す。

 派手な装飾はなく、かつては透明な宝石が淡く輝いていた質素なデザインのそれは、今は見る影もなく砕け散っていた。


「お前......それ......」

「うん。フィリアがあの日、指輪代わりにくれたペンダント。お揃いのデザインでお互いの無事を知らせる意味もあったんだけど......ね」


 手遅れだったみたいだ。と涙を浮かべ弱々しく笑うフェイト。


「国中から疎まれて蔑まれるだけなら別によかった、それでもちゃんと平和が守れたんだと実感できた。これからはきっとフィリアと幸せを掴むんだって未来に希望を持てた。でももう僕が一番守りたかった相手はどこにもいない......何のために生きればいいのか、どう立って歩けばいいのかもうわからないんだ」


 誰一人何も言えない。


「実はね、フィリアが前に教えてくれたことがあったんだ。知ってる? 魔王ってこの世界を脅かす要因の一つでしかないんだって。神の天啓では、この世界の外側にはまだまだ世界が広がってて、魔王が倒されてからも同じかそれ以上の災いがそこからやってきてこの世界を襲うんだってさ。

 でも僕もう戦えないからさ、フィリアを奪った世界に最後に1つ復讐してやろうと思うんだ」


 涙混じりにニカっと笑ったフェイト。その目は覚悟を決めた目をしていて、それが何を意味するのかわからない俺たちじゃなかった。

 そしてそれを止められる言葉をこの世界で唯一持っていた者もまた俺たちじゃなかった。


「......そうか。なぁフェイト、知ってるか? フィリアの信じた神様曰く、自殺ってのはこの世で一番重い罪の一つで、やっちまったら問答無用で地獄行きなんだってよ。そんなことしちまったら天国にいるフィリアに会えなくなっちまうだろ? だからさ、お前の1番の親友の俺から、餞別を送らせてくれないか」

「......エド、ありがとな。お前にはいつも面倒をかけてばかりだった」

「気にするな、どれも俺がやりたくてやったことだ。今回だってそうさ。おやすみ、フェイト」


 せめて2人がもう一度会えるように、生まれて初めて神に祈り、痛みで苦しむことのないように、神剣の力で眠らせてから大動脈を優しく切り裂く。

 鮮やかな鮮血が華を咲かせ、その日世界から、そして俺たちからたった1人の英雄が失われた。

 フェイトの最後の表情は穏やかだった。


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 イルザがフェイトの亡骸を荼毘に伏し、リリィとダルガが森の片隅に2人の墓を建てた。

 王には勇者の剣でも渡してやればいいだろう、本当はあんな奴らにフェイトの遺品を一つだって渡してやりたくないが。

 そしてキャンプの片付けも終わったところで、珍しく素面のダルガが声を上げた。


「のぅ、お前ら。フェイトがいなくなった今、この世界を救える奴はいない。遅かれ早かれどのみちゆっくり滅びていくなら......その前にあの王国は俺たちの手で潰さねぇか?」

「弔い合戦ってわけね、賛成。フィリアの仇も取りたいし、必要なものがあるなら言って、もう金に糸目はつけないから」

「ダルガのくせに珍しくいいこと言うじゃん。私も賛成」


 冷め切った目と声音で続く2人、お前はどうする? と3人の視線が俺に集中する。


「......俺たちが救った国だ。俺たちが滅ぼしても問題ないだろう。その話乗った」


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 炎に包まれる王国を、男たちは冷めた目で見下ろしていた。

 泣き叫び喚き散らして逃げ惑う有象無象の国民ゴミが絶望の果てに倒れていく光景を目にしても彼らは欠片ほどの爽快感を抱くこともなかった。

 当然といえば当然だ。これは始まりに過ぎないのだから。


「お前は確か......あぁそうだ。フェイトのことを散々好き放題言っていたなぁ?」


 泣き喚いて縋りつきながら命乞いをする貴族に、エドガーは記憶の中から何かを探すように考え込む。そしてそれを思い出すと、その髪を掴み、剣先を喉奥に捩じ込んで黙らせた。

 その動きに一切の迷いも慈悲もなく、ただ貴族の断末魔と言うべき喘鳴が響き渡る。


「あんたは確かあいつの根も葉もない噂をあれこれ言いふらしていたねぇ」


 続いて後退りして走り出そうとした貴族の背中をイルザが焼き焦がす。

 貴族はのたうち回りながら絶叫し、イルザに許しを乞う。

 それに耳を貸すこともなく、燃え尽きて灰になるまで見届けると、イルザは次の標的に狙いを定めた。


「あなたは画家に描かせた勇者の絵を嬉々として破いたり、色んな人たちが踏み付けにする様を見せ物にしたり、散々彼を侮辱していたわね?」


 リリィが床に張り倒した貴族の頭を踏みつけにし、至近距離で矢をつがえる。

 手始めに腿を撃ち抜き、次に両手を矢で床に縫い止め、最後は両目を矢尻で抉り出す。

 一撃が加わるたびに声にならない絶叫が上がり、やがてそれも収まった。


「貴様が国王か、世界を救った勇者を権力と名声惜しさに謀反者に仕立て上げてワシらに殺害命令まで下した愚か者が、今ではこのザマか、ハンッ!」


 物理的にも国王を見下し、その無様を鼻で笑うダルガがよく手入れの行き届いた使い込まれた戦斧を軽快に振り回して国王の手足を綺麗に切り落とす。

 そこへ3人が合流した。


「そこの弱火のところへ放り込め。燃え尽きるのを見届ける」


 4人の中でも特段冷ややかな目をしたエドガーの指示で、国王が火の手の弱い場所に投げ込まれる。

 情けなく咽び泣く初老の男の絶叫が響き渡った。


「虫の方が鳴き声が不快じゃない分、アレよりマシね」


 国王が生き絶える直前、イルザが興味なさそうに呟いた。


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「さて、フェイトの話ではあと一月せずに終焉帝メツヴォロスとか言うやつが攻めてくるらしい。それがこの世界を滅ぼすのを見届けたら俺は自害しようと思う。お前たちはどうする?」

「私もそうする。今の私たちに天国に行く資格はないだろうし、まぁ地獄がお似合いかな」

「地獄の沙汰も金次第って言うし、大金積めば多少は刑罰も軽くなるのかしら」

「それはないな。金ごときで刑が緩くなるならそもそも地獄などないわい。それはそうと、地獄に酒があるといいんじゃが」


 王国に生きる人間を1人残らず始末し、最後に王城と城下町が燃え尽きる様を2人の墓がある森のキャンプから見物する4人。

 エドガーの言葉通り、王国は1日で地図から消えることになった。

 尤も、一月しないうちに地図すら必要なくなるようだが。


「そうか、じゃあみんなで仲良くゆっくり滅びる世界の鑑賞会でもするか」

「そうじゃな、今は亡きワシらの英雄とその恋人に乾杯!」


 どこからか酒瓶と木製のグラスを取り出し1人祝杯をあげるダルガ。


「あ、ずるい! 私たちの分もないの!?」

「そうよ水臭いじゃない、飲んだくれドワーフ!」

「あーあーうるさいのう。そう言うと思って人数分用意しとるわ」


 そう言ってダルガは新たに5つのグラスを取り出してそれぞれの前に並べ、酒を注ぐ。


「なんだ、ちゃんとあるじゃない。じゃあ改めて、クソッタレの世界の終わりと、私たちの英雄とその恋人の結婚を祝って!」

「「「「乾杯!!!」」」」


 飲む前から酔っ払っているリリィの乾杯の音頭で祝杯が上がった。

 ゴンッ! と6つのグラスがぶつかり合う音が小さく夜空に響く。

 緩やかに滅びへ向かっていく世界の片隅で、月よりも眩しく彼らを照らす大きな篝火を肴に、魔王討伐以来となる6人でのささやかな宴が始まった。

 墓標代わりに突き立てられた剣にかけられた砕けた2つのペンダントが、淡く輝いていた。


〜Fin〜

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