【未完】惨禍の迷宮
三二一色
第一章 胎動
第1話 炎と剣
リュミール王国 アンジェ男爵領 トルム村―――
それなりの規模の開拓村であり、幾ばくかの家畜と農地が広がる長閑な場所。
今、村は戦火に包まれていた。
夜空が夕刻のように赤い。
炎は木組みの家々を、収穫前の青々とした小麦畑を呑み込み、黒い灰塵に変えていった。
時折火の塊が右往左往と転がり回るのは、逃げ遅れた村人だろう。
村で唯一、石造りで頑丈な教会は入口を瓦礫で塞がれたうえで、窓から松明をいくつも投げ込まれていた。
中に逃げ込んでいた村人たちも、やがて炎と煙で息絶えるのだろう。
長引く内戦で戦えそうな男の多くが徴用されていた村では、抵抗すら困難だった。
敵兵が子供ですら切り伏せ、女の幾人かがお気に入りとして連れていかれる。
だがそれも多少長らえただけで、遅かれ早かれ尊厳を奪われたうえで殺されるのだろう。
ジョンは、この前4歳を迎えた妹のジェーンを抱きかかえて必死に走っていた。
村の奥にある森の中をただ只管に。
夜の森に入るなど普段であれば絶対にしない。両親に怒られるどころではすまないだろう。
だが両親はジョンの目の前で殺された。
必死に走るジョンの背には、兵が面白半分に射った弓矢が何本も刺さっていた。
それでもジョンは、妹を抱えたまま必死に走っていた。
自分がもう死ぬんであろうことは、少年でありながらわかっていた。
だが妹だけは助かって欲しいという思いだけが彼を突き動かしていた。
「ハァっ!ハァっ!ハァっ!ハァっ……!」
森の中をどれほど走ったかは分からない。
しかし何もかもが限界になったジョンは、倒れるようにへたり込み、激しい息を何度も繰り返した。
猛烈な嘔吐感にえずき、血交じりの吐瀉物を、妹にかからないよう脇に吐く。
「じぇ、ジェーン、がんばった、な、なかずに、えらい、ここなら、安全……」
息も絶え絶えに、必死に笑いかけようとするジョンは、震える手で妹の顔を撫でる。
そしてその笑顔はすぐに、ひきつった。
妹の身体には弓矢が突き刺さっており、彼女は青い目を見開いたまま虚空を見つめていた。
よくよく確かめれば、彼女の身体は冷たくなっていて、息もしていなかった。
逃げることに必死で気が付かなかった。
彼女はもう死んでいた。
「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
彼女の遺体をそっと地面に降ろして、ジョンは絶叫した。
自分がこんな声を出せるのかと驚くほどの声だった。
身体がもし動くのであれば、地面でも木でもなんでも、殴りつけていただろう。
「なんでだよ!!!!!なんでだよおおおおおおおお!!!!!
どうしてジェーンが死ぬんだよ!!!!!
どうして俺たちがこんな目に合うんだよ!!!!!
どうして?! どう……ゲホッ!!ゲボッ!!」
泣きわめくジョンは咳き込み、そして再び嘔吐した。
血の塊がゴボゴボと吐き出される。自分もここで死ぬんだとジョンは、まだ少年ながらに理解した。
「グルルルル………」
「………ひっ……ぐ……」
顔を見上げるジョンは、そしてそれと目が合った。
『
口からはみ出した刃のような歯がギラリと光る。
冒険者や兵が数人がかりで討伐するような存在、ジョンにはどうすることもできない。
腰が抜け、そのまま這うようにベートから後ずさる。
だがベートは、ジョンに飛び掛かってくることはなく……ジェーンの遺骸へと歩み寄った。
「あ、あ、ああ!!あああ!!!」
喚くジョンの目の前で、『
首を一振りすると、肉が引き裂かれる嫌な水音が響き、彼女の中身が飛び散った。
腸を食い破られ、中の未消化物や糞便がまき散らされて悪臭が立ち込める。
「あぼぁぁぁ!!!!あああああああ!!!!」
気が付けばジョンは悲鳴を上げながら、その場を背にして走っていた。
もうこれ以上、見ることはできなかった。
どれくらい走ったのかは、もうわからない。それほど離れていないのかもしれない。
精魂尽き果てたジョンは、ふらついて倒れる。
そこは偶然にも洞窟の入り口で、彼の身体は洞窟の中へと転がりこんでいた。
洞窟の奥で大の字になって倒れるジョンは、呆然とした表情で暗闇を見つめていた。
ああ、暗闇が心地よい。
静かだ。
このまま死ぬのだろう。
死にたく、ない。
そう思っていたジョンはふと、視界の端に光を感じる。
目を向けると、そこには鈍く青色に光る巨大な水晶のようなものがあった。
『―――ければ―――』
不意にジョンは誰かの声を聴いた。
いや、音を耳にしたというよりは、頭の中で言葉が浮かび上がってきたような感覚だった。
幻聴か何かだろうか、それとも死ぬ前に天使か神か、それとも悪魔が話しかけてきているのだろうか。
『汝、死にたくなければ、我に、手を伸ばせ……お前を、助命しよう。ただし、契約を結んでもらうが……』
それはその水晶が語り掛けてきているような気がして……
ジョンはもう鉛のように重く感じる腕を、必死に伸ばした。
次の瞬間には、意識は暗い闇の中に沈んでいった。
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