―神との対話―

―“たたかい”とは、なんでしょう?“たたかえ”と仰いますが、イエスは、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言います。具体的にどうすれば良いのでしょうか?

『まず、口とペンでたたかいなさい。いつの時代も、この“たたかいかた”に勝るものは無い。お前には、物語を書いて欲しい。“spin a story”ここで、起こったこと、見て聞いたこと。ここまで来るのに、何があり、なにを見てなにを聞いたか。お前の体験、冒険、預言の書、その糸を紡ぎ、それらをひとつの物語にまとめて欲しい。』

―物語ですか―物語にすると、どうしても嘘や誇張が入ります。あるいは矮小になったりします。説明も難しい話です。言語化、文章化となると、どう書けば良いのか自信がありません。わたしは、物語など書いたことがありません。

『いや、それが良い。人々は、物語が好きだ。わたしの言う事は、とても簡単だ。“目覚めよ、悔い改めよ、憎しみ合うのをやめ、争いをやめ、互いに愛し合いなさい。愛に生きなさい。”そして、“たたかいなさい”このような事は、いつの時代や、どの国や地域でも、その時の指導者や聖職者、あるいは教師や親が言ってきている。そして多くの人々が聞かない。そのようなことを、お前が今さら同じように説いたところで、誰が気に留めようか。誰が素直に従うであろうか。センシティブな物語であれば見て聞くであろう。物議を醸すから良いのだ。イエスが立つ前にヨハネが立ったようにお前も立ちなさい。この物語を書くのは、お前にしかできない。自分を信じなさい。わたしの加護を信じなさい。』


―“この物語”は非常にナイーブでデリケートな問題です。聖書の引用となると尚更です。ある者は、憤慨するかも知れません。いえ、確実に憤慨するでしょう。

『では、この話は“嘘だ”と言いなさい。全て“作り話”だと言いなさい。“噓から出た実”と云う諺があるように、人々は、そこにわたしの愛と真実を見るであろう。聞くものは聞き、見るものは見るであろう。だが、同じように、見えないものは見えないであろうし、聞けないものは聞けないであろう。それに、一番の問題は人々に憤慨するなど悠長な時間はない。本当の敵に早く気づくことだ。人々は、乗っ取られている。そして、“彼ら”はお前が思う以上に信心深い。わたしを貶めるが、その実、わたしを畏れている。だから、ともよ、お前は何も恐れなくていい。』


―出来上がった物語を、どうしたら良いでしょうか?

『インターネットだ。無料でネット公開しなさい。誰もが読めるようにしなさい。そして、それから後に、物語を書物として出版しなさい。これらはすべて預言になっている。人々は、それを見つけるであろう。』


―物語を公開したら、なにが起きますか?

『すべてがおわりにして、すべてがはじまる。現実世界に二千年生きてお前を待つものがいる。そのものに会いなさい。』


―世界には、なにが起きますか?

『共振と共鳴だ。目覚めるものは目覚め、目覚めないものは目覚めない。これから四十年に及ぶ大患難が襲う。それは、もう始まっている。気付いてるものは実に少ない。』


―ダビデの子から救世主が出ますか?

『ダビデの子ではない。ダビデの鍵を持つ子から起こる。それは、日本から救世主が起こる。すべてがおわり、すべてがはじまる。』


―救世主が日本から起こる。そのようなことを世界は到底、受け入れません。日本人でも、受け入れ難い話です。

『人々は自分が受け入れるかどうかではなく自分自身が天の御国に受け入れられるかどうかをみるべきだ。人々が受け入れようと受け入れまいと、わたしは知らない。起こることは起こる。起きないことは起きない。』


―なぜ、日本なのでしょうか?

『はじまりにしておわりだからだ。なにかアクシデントが起こるなら、わたしはその前に解決策を用意する。それを呼び覚ます。それだけだ。』


―“その前とは”なんでしょうか?

『人間は、反逆のものたちによって作られた。発端は50000年と2000年前―わたしは、その問題よりさらに前に“解決策”を用意した。彼らは、“7”の前に“6”を用意したが、その前にわたしの“5”がある。彼らは、“12”の前に“11”を用意したが、その前にわたしの“10”がある。それが、“日本”だ。そこが、本当の人類のはじまりだ。』


―ユダヤ人は、ユダヤ人からのみ救世主が起こると信じています。異邦人を認めません。

『ではなぜ、イエスを認めないのか?サムソンの時はどうだね?ユダのものはペリシテ人にサムソンを渡したではないか?なぜ、共に立たなかったのかね?なぜ、自ら救いを放棄するのか。キュロス王はどうだ?バビロン捕囚から解放したキュロス王は異邦人ではないか。樋口はどうだね?異邦人ではないか。ユダヤ人に言いなさい。なぜ、お前たちは救いを拒むのか。』


―なぜ、あなたが直接、手を下さないのですか?なぜ、救世主を起こすのですか?

『それは誤解だ。わたし自らが赴く。わたしのルールと人間のルールとを混同するのは良くない。匱の中と匱の外の違いだ。お前たちは、“知恵”がある。だから、自らたたかわなければならない。』



―タロットカードは預言と仰いました。意味を教えてください。

『意味ではなく本質を見なさい。然すれば自ずと見えてくる。ウエイト版とマルセイユ版で、順番が入れ替えられたものがある。それが、“力”と“正義”だ。太陽の子よ、よく見なさい。誰が、獅子を起こすことができようか。誰がロバのあご骨を持って立つ事ができようか。お前の物語だ。“運命の輪”をまわせ。』


―“運命の輪をまわせ”とは何でしょう?

『逆回転のものを順回転する、その様だ。“spin a x”スペードがハートになり、そのふたつがクラブになる。そして、ダイヤがみえる。 お前は見たであろう。“X”とは、“運命の輪”そして、イスラエル十支族。光の子よ、散り散りになったものを集めなさい。そして反逆のものを滅ぼしなさい。』


―サムソンは神から禁じられているペリシテ人と結婚しようとしました。それは、なぜでしょうか。

『サムソンは神のはからいでペリシテ人と結婚しようとしたのではないかね?

その答えを知るに良い話がある。アイヌの民が日本人から差別され虐げられた時、アイヌの民は日本人と通婚をした。アイヌの民は、巫術に優れ、風の声を聞き、空の徴を読む。アイヌの民は日本人を “隣人”と呼んでいた。隣人を憎むのではなく愛したのだ。』


―ダン族の象徴は蛇です。蛇は“悪”では無いのでしょうか?

『本当にそうなのかね?蛇は嘘を言ったのではなく、嘘を言ったのは“神”ではないのかね。蛇は、一切なにも弁明せず犠牲のものになった。女は生みの苦しみを増すといい、その実、性の快楽も増している。男は、労働の苦しみを増すといい、その実、稼ぎの楽しさも増している。人間には知恵がある。なぜ、ここに疑問を持たないのかね。真に完全なものであるのなら起こることも起きないこともすべて分かる。そうではないかね。』


―ヨハネは、世界を惑わす“年老いた蛇”と、蛇を悪として書き記しています。

『年老いた蛇であって、蛇ではない。年老いた蛇が悪であろう。』


―“神”は姿かたちが無いときいたことがあります。なぜ、あなたは姿かたちがあるのでしょう。

『神とは本来ただただ崇めるものではなく共にいるものだ。その真実を人々は歪められている。確かにわたしは姿かたちが無い。だから、どのような姿かたちにもなれる。お前が見ているわたしの姿かたちとは、お前が作り出したものに過ぎない。だが実は、なにものにも姿かたちが無い。実は、なにも無いのだ。“想像が世界を創造する” “思うから存在する”わたしは、はじまりにしておわり。おわりにしてはじまり。お前たちは、未来、過去、現在と時の中にいる。わたしは、その中のどれにも宿り、また、どれらでもない。』


―“神”を見たら死ぬときいたことがあります。わたしは死にますか?

『それは違う。わたしを探すものは多いが見つけるものは少ない。わたしを見つけるものは永遠の生命を得る。そもそも“死”とは、なんだね?“生”とは、なんだね?人には遅かれ早かれ平等に肉体の終わりは来る。肉によってのみ生きるものは最早生きてなく既に死んでいる。』


―“春が訪れた”“大患難が襲う”とまったく逆のことを仰いました。どういう意味でしょう。

『すべては同時に起こっている。お前たちは時の中にいる。だから、まず大患難がある。春が訪れる前には、厳しい冬がある。だが、春は約束された。約束されているのだ。“約束”を信じるものには春が訪れるであろう。』


―“約束”を信じるのなら“たたかい”など不要なのではないでしょうか?

『“約束”を信じるものならたたかうであろう。“勝利”というものは、たたかったものだけに訪れる。もう始まっている。この期に及んで何もせず死を待つのかね。』


―信じるとは、なにでしょう?“神”であるあなたを信じることでしょうか?

『“信じる”とはごく自然に内から満たされていくものだ。無理矢理に自己暗示や理詰めで追求するものではない。信じるとは、 “自分”を信じることだ。自己を認識したものは“仕事”の早さと正確さが数段捗るであろう。自己を同化したものはどんなことも可能だ。ピアノというのは、どのような曲も八十八の鍵盤から音が奏でられる。それと同じように人間にもどのような曲でも奏でられる鍵盤がある。自分に備わっている力を信じるものは幸いだ。そこに救いがある。』


―“神を信じる”ということは意味が無いのでしょうか?

『それは、“気付き”と “祈る対象”だ。わたしの声をきくものはわたしを“信じる”であろう。そしてそのように行動できるであろう。ただ闇雲に“信じる”ということは、盲信であってそれにはなんら値打が無い。心より “信じる”ということには、とても強いチカラがあるが、 “信じる”とはごく自然に内から満たされていくものだ。そして、信じるものは救われる。信じるものは行いに表れる。すなわち信じるべきものを正しく信じると正しい行動が自ずとできる。行いが悪いのに“神を信じる”などは間違えても無い。行動に表れない信仰は、却って害悪であり元より神を信じていない。』


―“気付き”とは何でしょう?

『真理への探究、物事の本質だ。大事なことが二つある。“運”と“勘”だ。だが、多くの人々が真理への探究、物事の本質から遠ざかっている。“運”と“勘”などどれほどのものが気にかけていようか。これは実に科学の話なのだが、多くのものが素通りをしてしまう。』


―祈りは意味がありますか?

『“祈る対象”を間違えないことだ。祈りにはとても強いチカラがある。』


―愛とは、なんでしょう。罪とは、なんでしょう。愛するものの為に罪を犯すことは、許されますか?例えば、わが子の食糧を得るために他人から奪う行為は許されますか?

『愛とは、真理だ。絶大なパワーであり、絶大なエネルギーだ。光よりも早くより正確だ。人々のいう身勝手な愛とは、違う。

“神”と共にいれば愛から離れることはない。つまり、間違いや過ちを犯すことがない。 “わが子の食糧を得るために他人から奪う行為”それを愛と言えるかね。そのようなものは愛であろうはずがない。愛とはかけ離れた行為で、それは罪だ。』


―一番の罪は、なんでしょうか?

『本来は、罪というものはない。つまり、善悪も無い。善も悪も無いのだから罪もない。だが、人を殺すのを良しとするのを善と言えるだろうか?人妻の色香に惑わされるのを良い事だと言えるであろうか?小さい悪に気を付けなさい。小さい善を行いなさい。それらを知りなさい。それが知恵である。だから、一番の罪は無知だ。無知は最も罪深い。ともよ、そろそろ終わりにしないか。大事なことをお前はすべて知っている。』


―もう少しだけお願いします。無知とはなにでしょう?

『知とは、血。わたしの血。知恵とは、血枝。血の枝。求めれば与えられる。それを知ろうとしない愚かな様だ。たとえば、いまが戦争中だと多くのものが気付いていないではないか。なぜ、血の滾りを感じない?なぜ、空を見ないのか?なぜ、風の声をきかない?だから、“気付き”なのだ。運よく気付いているもの、勘が良く気付いているもの、運悪く気付かないもの、勘が悪く気付かないもの、それらは偶然ではない。人々を見てみなさい。荒れ野をさまよい迷える子羊ではないか。そして、お前もさまよい、迷うのかね?お前は、正直を思うあまりに同じような質問をして見えて聞こえているものを自分の作り出した幻象だと思っている。自分の生み出した幻かどうか現実世界に戻って今日と言うこの日を思い出しなさい。すべては鏡―現実とは、幻日―これこそが、真実。そして真理とは、“真の王の里”またゆっくり話そう。ともよ、楽しいひと時をありがとう。』


―あとひとつだけお願いします。いまが既に戦争中だというのを詳しく教えてください。

『お前は、気付いているだろう。日々起きていることを注意深く見なさい。すべては繋がっている。戦争とは、軍隊と軍隊が、国と国が戦うだけのものではない。民衆は常に騙され踊らされている。そして、本当の戦争が起こる。だから、たたかいなさい。いい加減に目を覚ましてたたかえと人々に言いなさい。恐れずにたたかいなさい。人々に言いなさい。“彼ら”に人では無い様にされるか、自ら、人を超えるか。どの時代の、どの国も、どの民族も、利益にならない戦争はしない。だが、日本人は違う。日本人は、たとえ利益にならなくとも大義の為に戦う。日本からはじめなさい。失われたものを取り戻しなさい。わたしが失われたお前を尋ねたように、お前も失われたものを尋ねなさい。

ともよ、今日という日がはじまりにしておわり、おわりにしてはじまり。そろそろ、よいだろうか―』


―最後にあなたの名を教えてください。

『お前が小さきものなら、わたしは大いなるもの。

お前が東から来るものなら、わたしは西で待つもの。

お前が日若きものなら、わたしは日の老いたるもの。

ともよ、また会おう―わたしはいつもお前と共にいる―』


そして神は消えた。

見よ、雲の鏡に8枚のタロットカードが順番に映し出される。



“愚者:The Fool”

“正義 :Justice”

“女教皇:Popess”

“女帝:The Empress”

“教皇:The Hierophant”

“力:The Strength”

“死神:Death”

“世界:The World”


この順番は―

フィボナッチ数列―

見よ、アナログ時計が二つに別れ二つの円が重なり紡錘形を形作る。

これは、“プロビデンスの目”

すると見よ、重なった二つの円の内側に三つ目の円が重なる。

その円の内側に並ぶ小さい四つの円―

なるほど、見えたぞ―

“黄金比”

アーモンドアイがウインクをするとそのままフッと消え去った。



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