不思議な電話
朝川はやと
不思議な電話
真夜中 2:13。
スマホが鳴る。
「もしもし」
「もしもし」
彼女からの電話だ。彼女とは、「交際している女性」という意味ではない。
名前も知らない女性だから、彼女と呼ぶしかない。
ある日突然、今日と同じくらいの真夜中に電話がかかってきた。
不眠症の僕は眠れないままベッドに横になっていた。
番号は非通知で、こんな時間に電話が来るのも不自然だったが、
とりあえず電話に出ることにした。
「もしもし」
「…」
「もしもし」
しばらく沈黙が続いた。
いたずらと思い電話を切ろうとしたその瞬間、
「誰かの声が聞きたくて」
と女性の声がした。高いような、低いような声。
くぐもったような、透き通ったような不思議な声。
老女ではない、しかし若いかどうかわからない、年齢不詳な声。
「どなたですか?」
「…」
彼女は自分から電話をかけておきながら、名前も、年齢も、職業も、居住地も明かさなかった。
その後のやりとりをまとめると、公衆電話から適当に番号を押したらしい。そして僕の番号につながった。ものすごい確率で僕の番号が選ばれたのだ。運命…と呼ぶのだろうか。
どうも怪しすぎる電話だが、彼女に対して何故だか嫌な気分は抱かなかった。きっと僕も誰かと話したかったのだ。不眠症であることは家族にも友人にも相談していなかった。
僕も個人情報は一切明かさないようにしながら、不眠症であることや、とりとめのないことを話した。
「眠りたくても、頭の中が止まらないんです」
「…」
「グルグルと、仕事のこと、将来のこと、考えちゃうんです」
「考える…」
「薬を処方して貰ったんですけど、薬がないと眠れなくなっちゃうのが怖くて」
「薬…」
「飲む気になれないんです」
「…」
「やっぱり飲んだ方がいいですかね?」
「…」
「そんなこと聞かれても分からないですよね。ごめんなさい」
「…。ごめんなさい」
「いや、謝らないでくださいよ。あなたは悪くないから」
「…。」
ほとんど僕が一方的に話しているだけだ。彼女は基本的に黙って聞くか、こちらの言葉を短くオウム返しするかのどちらかだ。助言など一切しない。
けれど、それでよかった。
誰かに話を聞いてもらうだけで、気持ちが楽になった。
一通り話したいことを話すと、
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
と言って電話を切る。
不眠症は、日によって波がある。
ベッドに入って2時間経たないうちに眠れたら良い方だ。
早く眠れた日には、電話は来ない。着信履歴も残っていない。
ひどいときは3時間経っても、4時間経っても眠れない。
そんな時、電話が鳴る。まるで僕が眠れないことを知っているかのように。
「もしもし」
「もしもし」
僕はその日の出来事や、相変わらず眠れないことを話しはじめる。
彼女は静かに聞き、時おり短いオウム返しや曖昧な受け答えをする。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そうやって電話を終えた後、しばらくすると眠っている。
そのことに起きてから気づく。
1つ不思議なのは、彼女の電話の背後から、何の物音も聞こえないことだ。
単に真夜中だからだろうか。どうしても、どこか無の世界に彼女がいるようなイメージが頭に浮かんでしまう。考えすぎだろうか。
彼女が誰なのか。どこから電話をかけているのか。どうして僕の話を聞いてくれるのか。1つとしてわからない。
でも、僕は彼女に救われている。
暗闇で、ひとり外の唸る風を聞くしかない僕だった。
顏も名前も知らない人が、ただ話を聞いてくれた。
今夜は電話が来るだろうか。
その保証はどこにもない。
けれど、夜が来るのが、前ほど怖くはなくなった。
「おやすみなさい」と、また言えるようになった。
不思議な電話 朝川はやと @asakawa2023
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