Till Hell Freezes Over
吉村杏
After Walpurgis Night
あたたかな六月はじめの晩のことだった。
「お客人は全員お帰りになったか?」
深みのある声が言った。
声の主は火の入っていない暖炉の前で、安楽椅子に深く身体を預けていた。
室内履きを履いた脚を
「はい」
答えたのは年若い従者だった。二十代前半といったところか。
こちらは六フィートに届くか届かないかくらいのすらりとした体躯を、お仕着せの漆黒のテイルコートに包んでいた。秀でた白い額の左右できれいに切り揃えられた黒髪はマカッサル油で整えられたように艶めき、慎み深く伏せられた双眸も同じ色。
「誰が最初に帰って誰が最後まで残っていたのか当ててみようか、あの頑固なアイルランド男と、東欧の片田舎の伯爵夫人だろう」
あいつらときたらいつも注文が細かいんだ、と口調をがらりと変えて憤懣をぶちまける主人の姿に、若い従者はくすりと
ふたりのいるのは誰に気兼ねすることもない、
「旦那様はあのアイルランドの紳士に冷たくていらっしゃる」
「そうかね」
「そうですよ。あのかたは我々使用人に親切ですよ、どこぞの伯爵夫人とは違って。気前もいい。いつも、到着が遅いのに出立を
「私がいつあの男に意地悪をしたとお前はいうんだね」
「
「さてね。私が言ったのは、あの男の本拠地に送ってくれということだけだよ。たとえ月に住むことになったとしても、あの男が転居通知を送ってくるとは思わんがね」
やさしい若者はやれやれというように小さなため息を
「お前こそいやにあいつの肩をもつじゃないか」
「そのようなつもりでは……」
「いささか妬けるね。あの男とのつきあいは私のほうが長いんだ。あいつは偏屈者なんだよ。アイルランド人のご多分に漏れず癇癪持ちだし、おまけにそれを私の前では何とか隠そうとしているのがなんともいじましいじゃないか。
「ずいぶんな仰りようですね」
「そりゃあ私はあいつらのような生粋のお貴族様ではないからな。多少粗野なのはご容赦願いたいね」
「旦那様こそそうは思っていらっしゃらないくせに」
「どの部分がだね?」
「妬ける、というところですよ」
従者の若者は濃く長い
「あなたは私がお
「そんなことはないよ」
「お前はよくやってくれているよ、ジャック。本当だとも。さあ、夜は短いんだ。くだらないおしゃべりはこのへんにして、いつもの箱をとっておいで……」
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