第10話

先週とは違った朝を迎えた。



ドキドキが止まらなくて

お風呂に入っても、

深呼吸をして、ホットミルクを飲んでも、寝つきが良くなかった。



 結局、朝日が出るまでゴロゴロベッドの上で寝返り打って体を起こした。



 昨日の出来事が新鮮で、温かい手、何気ない会話、仕草、あの時、あの瞬間が瞼を閉じても頭の中で蘇る。


 居心地の良い空間ってあるんだなと紬は思った。


 パジャマのまま全身鏡の前に立ち、自分の顔をマジマジと見た。目の下にクマが出来ていた。


 下唇を右手指で触った。


 昨日を思い出して、

 嬉しすぎて、眠るのが怖かった。


 忘れてしまうんじゃないか。


 同じ明日はないかもしれない。


 夢のような今日はまた来てほしいけど、会えないかもしれないという寂しさ。


 ため息をついた。


 これってなんだろう。



 スマホを眺めた。陸斗とのやり取りのラインのメッセージや、昨日映っていた陸斗の横顔。


 今日は何だか、髪をセットする余裕がないが、化粧はパッチリとアイライナーを入れてマスカラをつけて、みたりした。


 無理せずにメガネを装着する。


 いつもバックに教科書と筆記用具を入れた。


 ハンガーにかけていた制服に着替えた。


 一つのアクションを起こすごとにため息が出てしまう。


 嫌な気持ちになってるわけじゃない。


 どうしたらよいかわからない感情が地に足がついてない状態に満ちていた。


 嬉しいはずなのに。


 自分はどうしてしまったんだろうと自問自答する。


 

「おはよう。」


 かなり早く、目覚めた紬を見て、家族一同立ち上がる。


「え? どうしたの?紬。」


 朝の5時半。遼平とくるみ、拓人の3人はテーブルに座って朝ごはんを食べていた。3人にとってはいつもの光景だが、紬はいつも6時半に起きるため信じられなかった。


 くるみは紬の顔の目の前で手をかざす。


「お母さん、何してるの?大丈夫だって。」


「何か悪いものでも食べたんじゃないの?」


「姉ちゃん、最近、おかしい!」


「えー?みんなそんなに驚くこと? 早く起きたっていいじゃん。早起きは三文の徳でしょう?」


 マグカップに紅茶を入れる紬。くるみは慌てて朝ごはん用のおかずをお皿に盛り付ける。


「紬も起きれるようになったんだな。感心、感心。」


 遼平は食べながら言う。


「はい、紬。ご飯食べな。」


「ありがとう。いただきます。」


「久しぶりに揃うな。朝ごはんに4人なんて。何年振りか…。」


「俺は違和感しかない。何か不吉だからごちそうさま。」


「ちょっと、拓人! 失礼なこと言わないの!おかずも残して!」


 くるみはお皿をのぞいて言う。拓人はそのまま、洗面所の方へ身だしなみを整えに行った。


「紬? 昨日、一緒に出掛けたのって輝久くんではないの?」


「え? 違うよ。別な人~。別に良いじゃん、誰だって~。」


 ニコニコしながら、はぐらかす。


 父と母は、きっと昨日会った人と何かあったと勘づいた。


 笑顔で過ごしているし、幸せそうな様子だったため、それ以上は聞かなかった。


「そうなのね。あなた、今日、ゴミ捨て忘れないでね。」


「はいはい。わかりました。」


 毎週月曜日は燃えるゴミの日だった。いつも手伝わない紬が突然。


「あ、それ、私やるよ。たまには手伝わないとバチ当たるよね。拓人にも僻まれるしー。」


 2人は顔を見合わせる。

 遼平は、笑いが止まらない。


「え、あ。んじゃ、紬、お願いね。台所に置いてたから。」


「これ、食べたら持ってくよ。」


「幸せそうで何よりだよ、紬。」


「へ?何のこと?」


「いや、なんでもない。」


 何かいいことがあると人はなんでもやりたくなるものなのか。


 恋をすると、優しさが増えるのかもしれない。


 ご飯を食べ終わると、紬は鼻歌を歌いながら、ご機嫌に食器を片付けて、ゴミ袋を外に持っていった。


外を出て、近所にある公園の近くにゴミ集積所があった。


 歩いて5分のところだった。


「え?紬?」


 ゴミ捨てに来ている人がもう1人いた。それは輝久だった。


 いつも捨てたことのない紬がいることに目が仰天だった。


「うわ、輝久、おはよう。」


「珍しいね。今日、ゴミ捨て?お父さんじゃないの?」


「別に私がゴミ捨てしてもいいじゃん。」


 ドサっと袋を所定の場所に置く。


「いや、いつもゴミ捨ての時、紬のお父さんに会うからさ。俺、ゴミ捨て当番だし…。」


「へぇ、偉いですね。輝久おぼっちゃま。」


「そんな嫌味言わなくても…。今日はバス乗るの?」


「うん。乗るよ。早く起きれたし…はぁ。」


 早く起きれたと言っても全然寝てないだけで、あくびが何度も出た。


「めっちゃ眠そうだけど?」


「もう、放っておいて~。」


 駆け足で家に戻る。輝久はその様子を終始見ていた。


 昨日の出来事を知っていた輝久は、立ち止まってため息をつく。


「俺じゃ、やっぱダメなんかな…。眠れなくなるほどか…。」


 自信なさげにトボトボと家に戻っていく。


 バス時刻まであと20分ほど時間があった。



紬は準備をし終えると、リビングのビーズクッションに座りながらテレビを見ていた。あまりにもリラックスしすぎて、眠ってしまっていた。夜に眠らなかったぶん、今眠くなり、輝久と一緒に乗るはずだったバスに乗ることが出来なかった。


「紬、何してるの? もう、バス出発したわよ!」


 くるみが背中をポンポンと叩いて起こす。


「あ! 寝過ごしたー。仕方ないからギリギリ間に合う次の便に乗るから。」


 起きてすぐにバックを持って、慌てて靴を履いた。玄関で走り去る横で遼平に声をかけられる。


「走ると転ぶぞー。」

 

と言ってすぐにステンとその場で転んだ。


「ほら、転んでる。」


 遼平はそっと手を貸した。


「転ぶって言わないでよ!」


「よく見て歩かないと。紬は何でもないところで転ぶだろ?」


 膝を擦りむいた。

 バックに入れてた絆創膏をつけて、すぐにバス停に向かう。


「いってきます。」


「行ってらっしゃい!」



 昨日のベンチをゆっくり見てる暇もなく、バスは到着していた。


 後ろから同じようにギリギリで走ってくる輝久がいた。


 一緒にバスに乗り込んだ。


「輝久、さっきのバスに乗ったんじゃないの?」


「乗ろうと思ったけど、忘れ物してて乗り損ねた。」


「何の忘れ物?」


「お弁当。」


 指差して納得すると同時にバスの扉が閉じる。


 そして、紬もバックの中をのぞくとお弁当を忘れていることに気づく。


「あーあ。忘れちゃった。早く起きて準備してたのに、結局忘れ物するんだよね。購買で買うしかないなぁ。」


 バスは通常通りに発車していく。


「へぇ~。優等生の紬ちゃんが購買ですか。珍しいね。いつもお弁当なのに。」


「そりゃあ、アクシデントがあればね。買えるかな。購買戦争毎日起きてるんだよね。」


「俺も滅多に行かないけど、好きなものは1番に行かないと売り切れるらしいよ。メロンパンは諦めた方がいい。」


「まあ、余り物でいいや。何でも食べられるし。」


 そんなことを考えながら、いつもと違う学校の過ごし方になりそうだった。





ーー教室に遅刻ギリギリの時間についた紬は、深呼吸をしてから机に座った。


 走ってきたことをクラスメイトにバレたくなかった。

 

 その様子を珍しいなあと思いながら近寄ってきたのは森本美嘉だった。



「おはよ。紬ちゃん。今朝はギリギリだったね。大丈夫?」


「お、おはよう。うん…。」


 小さい声で話す。やはり、この教室という空間は慣れていなくて、うまく話せない。


「今日の昼休み、一緒に食べよう! 陸斗先輩の話がしたいから、また中庭でね。」


 そう言って有無も言わせずに美嘉は自分の席に戻っていく。


 またしても取り巻きの友達に僻まれていた。


 紬は複雑な表情を浮かべた。


(私なんかより近くの友達と一緒に食べればいいのに)


「美嘉ー、私たちとお昼食べないのー?」


「ごめんって、明日は一緒に食べるから。」


 友達からはモテモテの美嘉だった。


 むしろ、紬はそう言うメンバーとはなるべくだったら関わりたくない性格だった。理由としては、何を話せばいいか分からないからだ。


 クラスメイトとの関わり方もいまいちわからない。


 陸斗の件は全然解決にもなってないし、むしろ美嘉に嘘をついたまま。


 バックの中を確かめて、次の授業の、教科書を取り出そうとすると、青白い顔になった。


 バックに入っているものはすべて火曜日の内容だった。


 唯一、被り教科は国語だけ。


 今まで、授業を受けてきて、こんなミスをしたことのない紬。


 誰かに借りるなんて、思わなかった。


 どうしようと頭の中がパニックになって、とりあえず、世界史の授業だったが、国語の教科書をカモフラージュのように出しておいた。


 チャイムが鳴り、担任が適当に話をして、ホームルームが終わると10分後に、世界史の教科の先生が到着した。


 想像以上に心臓がドキドキした紬。


 隣の男子生徒と今まで一切話したことがない。


 名前もわからないけど、ピンチで、致し方なく、トントンと肩を指で触った。


 この、クラスになって初めて隣になり、一切話しかけられたことがない#田中 竜司__たなか りゅうじ__#は、度肝を抜くくらい驚いてイスをひっくり返すほどだった。


「え。ごめん、なに?」


 クラスメイトは笑い出す。


「田中ー、何やってんの?」


「変なのー。」


 クラスはザワザワし始める。紬に田中の質問が聞こえなかったらしい。


「うっせーよ。ごめん、なに、谷口さん。俺になんか用?」


「あ、…これ。」


 片言で何と言えば分からず、とりあえず、国語の教科書を見せた。


「あ、ああー。そう言うことね。わかった。んじゃ、はい。机つけるよ。」


 話がうまく出来ないっというのは、みんな周知のことだったため、空気をすぐ読めた田中。


 世界史の教科書を机をつけた真ん中に置いた。


 優しい男子だった。


「あ、あ…。」


「どういたしまして。」


 とても小さな声で返事した。


 紬がありがとうと言いたかったことを汲み取っていて、察知能力のある優秀な田中だった。


「ヒューヒュー、優しい男!」


 後ろの方で冷やかす男子がいた。

 それを世界史の先生が。



「こら、静かにしろ。優しくすることを冷やかすな。友達なくすぞ!」


「はい。すいませんでした。」


「それじゃあ、授業続けるぞ。教科書の20ページでーー」


 今までと違う雰囲気だった。



 何故だか、陸斗と接することが多くなって、人との縁が増えた気がした。



 クラスメイトの美嘉に話しかけられるし、今回、教科書を忘れてしまったけど、見せてくれる優しい人がいることに気づいた。



場面寡黙症と言う症状が相まって、会話を拒否続け、殻の中に閉じこもって、輝久が唯一心を開ける幼馴染だったけれど、ここまで、他の人と話すことはなかった。


 殻の隙間から光が見えたように、外の世界の視野が紬にとって広がってきた。


 たくさん話さなくても分かることがあるんだと、段々と、自信に繋がった。



 午前の授業が終わり、チャイムが鳴った。


 今日はお昼ごはんを購買で買わないといけないことを思い出し、バックから財布を取り出した。


 美嘉との待ち合わせ場所は中庭。

 

 購買はすぐ近くにあった。


 既に行列ができていた。

 

 紬は最後尾に並ぶ。



「焼きそばパン1つ!」


「俺、メロンパン!」


 次々とパンが売れていく。


 並んでいると、後ろに背の高い黒い影ができた。

 邪魔にならないようにと避けようとすると、肩をぐいっと横にずらされた。


「どこ行くの? 列からはみ出るよ?」


 まさかの陸斗だった。耳が赤くなる。


「あ…。」


「あ、悪い。しー!」


 周りに話してるのがバレたら騒動になることを、思い出し、尚更、紬は話せない。


 口に人差し指を当てた。



 そのアクションも、際どい気がすると、紬は素知らぬ顔をしたまま、前を向く。


 後ろに陸斗がいると思うと、緊張する。


なんか話すわけじゃないけど、どうしたらいいか分からない。


 今はとにかく、お昼ごはんの確保すると集中力を高めたが、そうと言ってられず、行列に溢れ、ごった返しになり、後ろにぶつかった。


 陸斗の肩に紬の頭が当たる。


 両手で両肩を抑えられた。


「大丈夫か?」


「……。」


 何も言えずにサッサと元の場所に戻る。


 近くを美嘉が通りすぎようとしていた。


「あれ、紬ちゃん!」


 慌てて、両手を引っ込めた陸斗。

 紬は背中にどっぷりと冷や汗をかき始めた。


「今日、お弁当じゃないんだね。パン買うの? ん?あれ、後ろにいるの陸斗先輩じゃないですか!先輩もパン買いに来てたんですか?」


「あ、ああ…。」


 美嘉の気迫に負けて、陸斗は適当に答える。


「いいなあ~、紬ちゃん。陸斗先輩の、近くに並べて羨ましい! でも、私、今日はお弁当なんだ。あ、でも、先輩の話ももっと聞きたいしな。あのー、並んでるところ、聞きたいんですけど、陸斗先輩は今彼女いないんですか?」

 

 唐突に聞く美嘉。


 紬は、つーつーと、そばから離れて遠くに行った。


 美嘉の陸斗に迫るインタビュアみたいで、圧倒される陸斗。


「えっと…それ聞いてどうするの?」


「ここに通う全女子生徒が気になることなんで、私が代表で聞いてるところです!」


「あ、ああ、そうなんだ。君が代表…なのね。俺は今、いると言えばいるし、いないと言えばいないかな。」


「えーーー! すごい曖昧な答えですね。んじゃ、私はまだ望みがあるってことでいいんですかね。」



「えっと…それは…。」


 美嘉は陸斗の返事を待たずに、中庭の方へ行ってしまった。


 陸斗もこういう時、どう答えればいいかわからなかった。


 いると答えると彼女探しをされて、総攻撃するかもしれないし、いないとなると告白してくる女子が増えるかもしれない。


 どっちにしろ、困ることがある。


 興味ない対応の方が嬉しいと感じる。

 

 いつ間にか前に並んでいた生徒がいなくなり、自分たちの番になった2人。結局、横並びに立ち、パンを選び始める。


 人気のメロンパンは売り切れて、残ったのは、あんぱんとうぐいすぱん、そして、隅に追いやれたおかかのおにぎり。


 紬は、うぐいすぱんを手に取り、購買のおばちゃんにお金を渡した。


 陸斗は残りのあんぱんとおかかのおにぎりを買った。

 

 売り切れたからか、後ろには誰も並んでなかった。


 陸斗は、近くにあった自販機で、紙パックのいちご牛乳を買ってまばらにいる生徒を横目にそっと通りかかるふりして、紬に手渡した。


「あ…。」


後ろを向いたまま、右肩横でパタパタと手を振り、何も言わずに立ち去った。


 可愛いピンク紙パックのデザイン。

 好きな飲み物だった。


 いつものいちご牛乳が何倍にも特別な飲み物になった気がして嬉しかった。


 紬は、うぐいすぱんといちご牛乳を持って、美嘉と待ち合わせしていた中庭に足を進めた。

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