第9話

『大変お待たせいたしました。本日は、本館プラネタリウムにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。


 暗くなってまいりますので、お足元のには十分お気をつけくださいませ。』



 天文台のプラネタリウム会場のアナウンスが流れ、だんだんと室内が暗くなっていく。


 右横に陸斗がいることをぼんやりと確認できた。


 陸斗はずっと真上を眺めていた。


 一等星の輝く星達が天井に映し出されていく。


 癒されるオルゴールの音楽とともに、くるくると空が回り始めた。



『北斗七星を作る柄杓の水桶の外側の底の星と縁の星とを結んだ線を5倍ほど延ばした先に、小さな暗い星が見つかります。



北の空の中心となっている北極星です。



北極星を先頭に、小さな北斗七星のような形に並んだ7つ星がこぐま座。



熊の親子にあたる大小2つの星座は、北極星を中心に1年中沈むことなく北の空を回ります。



ギリシャ神話では、おおぐま座とこぐま座は悲しい親子の物語として伝えられているのです。



北斗七星から、うしかい座のアークトゥルスへ延ばした線をさらに延ばしていくと、青白く輝く一等星にたどりつきます。



 おとめ座のスピカです。



 おとめ座はスピカ以外に目を引く明るい星がなく形が分かりにくいのですが、全体に大きなY字形を横に寝かせたような形で、背中に翼をもち、手に麦の穂をたずさえた女神の姿を表しています。



 ギリシャ神話では、大神ゼウスの姉で収穫の神デメテルの姿と言われています。


 また、スピカはアークトゥルスと合わせて「春の夫婦星」とも呼ばれています。



 ここで、私個人的に好きな星がありまして、紹介させていただきます。



 季節は冬になるのですが、南の空に都会の夜空でも一目で分かる明るさのシリウスという星です。



 冬の大三角と呼ばれております。



 おおいぬ座の口元でかがやくシリウスは「焼きこがすもの」という意味があります。



 こちらは全天体でも1番の輝きがある星なんだそうです。



 話が脱線してしまいましたが、今は、春ですので、こちらのうしかい座のアルクトゥルス、りょうけん座のコルカロリ、おとめ座のスピカの春の大三角というものになっております。




 ぜひ、冬の空をじっくりと観察の際にシリウスの説明をさせていただきますので、またのご来館をお待ち申し上げております。



 

本日はご来館いただきまして、ありがとうございます。お足元はお気をつけてーー。』




 陸斗は立ち上がって、バックを背負った。


 紬は涙を流して、動こうとしない。



 会場の電気は既に明るくなっていた。



「紬、どうした? そんなに感動したの? 感受性豊かなんだね。」



「ち、違うよ。コンタクトがゴロゴロして、痛いの。そして、片方のコンタクト無くして…。」



 座席の下を見て探し始めた。


 とても小さいもので、透明な上、見つけにくい。


 陸斗も探し始めたが、パキッと言う変な音がした。



「あ、ごめん。もしかして、踏んだかも…。」



 陸斗の足元から拾い上げて、ティッシュにらくるんでバックに入れた。



「見つかったなら良かった。これ、1日の使い捨てだったから、大丈夫なんだけど。やっぱり長時間は厳しいかも…。」

 


 陸斗は屈んで、紬と同じ目線になった。


 膝をついてペタンと座っている。



「紬、俺はメガネしてても、コンタクトしてても、気持ちは変わらないよ? 無理しなくていいよ。」



 長時間コンタクトをしていて、目が乾き切ったためか、そう言われて感動したからか、涙が止まらなかった。



「目、痛い…。」



 ごまかすように、もう片方のコンタクトも外して、バックに入れておいたいつものメガネを装着した。


 位置を整えて、すくっと立ち上がった。



「オシャレは我慢だから。」



 頬を少し赤くした。


 陸斗は顔を覗き込む。



「わあ!」



「びっくりした。急にどうした?」



「顔近いから…。」



「ごめん。ほら、出口に行こう。」



 陸斗はさっきのことは全然気にせず、紬は言われるがまま手をつかまれて、進んでいく。



 こっちのことはお構いなしで、行ってしまうことに少し不満を感じた。




 自然と手を離して、プラネタリウムから出たところにある展示室の模型をじっくりと眺めはじめた。



 地球と月の位置、惑星の位置が書かれたボードもあった。



「星のこと考えると、人間って本当にちっぽけだよね。この絵で表現すると、指でも大きすぎるし、あらわせられない。」




「そうだな。宇宙人だって、いてもおかしくない広さだし。人間だけが住んでるなんて、変な話だもんな。銀河は無限大だ。」




 陸斗は展示のコーナーにあるボタンをポチッと押すと、月が地球の回りをぐるぐる回り始めた。


 ボタンを押すと動く仕掛けだった。



「冬になったら、夜の山に行って、星観察に行こうよ。寒いけど、さっきのプラネタリウムで言ってた、シリウスがどれだけ眩しいのか見てみたいな。望遠鏡、父さんが持ってたはずだから。」



 

 シリウス。



 全天体の中でも一等星で光る星。



 都会のネオンよりも負けない眩しさ。



 紬もこの目で確かめてみたかった。




「うん。見たいな。見たいけど、暗い山の中をどうやって行くの?望遠鏡も持って行くんだよね。」




「俺が車の免許取るから、誕生日なんだ。もうすぐ、18歳になるし、冬休みには行けるかもしれない。」




「バイクは危ないですもんね。車なら荷物も運べるし、暗くても大丈夫ですね。陸斗先輩、誕生日いつなんですか?」




 突然の誕生日宣言に紬はびっくりして聞いた。




「え、言ってなかったっけ。4月23日だけど…、何、期待してイィわけ?」




「来週なんですね。もうすぐじゃないですか。期待って何すればいいか…。プレゼントは何欲しいんですか?」




「ん? 何もいらないよ。冗談で言ってみたけど、そばでいてくれればそれでいい。物はいつか壊れるし、食べ物も食べて無くなるから…。形無いものが確かに存在していれば、俺はいいかな。」




 気を使わなくていいってことなんだろうけども、紬にとっては超難問だった。


冷や汗がとまらない。




「形無いもの…逆に難しい!」



「うーん。なんでもいいよ。紬が選んだものなら、なんでも。」



「うん。考えておきます。」



 困っている紬が面白かった。


 笑みがこぼれ落ちる。



「紬は?」



「え?」



「誕生日、いつ?」



「1月19日です。」



「1月か。山羊座だね。プレゼントはあえて聞かないよ。まだまだ先の話だし、サプライズでね。」


 何だか楽しそうな陸斗。


 自分のために何かしてもらうことより相手のために何かすることの方が好きだった。


 紬は口角を上げて笑った。

 子どもみたいに喜ぶ陸斗を見たからだ。


 「紬、帰りのバス、そろそろかもしんない。お土産とか買わなくても平気?」


 スマホの時計を見て、バス時刻を思い出す。帰りがけにあったお土産コーナーを指差して、陸斗は言う。


「時間ないんだもんね…。でも記念にちょっとだけ見ていい? Instagramで人気のアースキャンディだけ買って帰りたいから。」


「うん。分かった。あと10分くらいなら大丈夫だよ。」


 紬は足早に売り場へ急ぐ。陸斗は見守るようにゆっくり後ろからついて行く。



「あ、あった。3種類全部買っていこうっと。」


 紬は、アースキャンディの3種類を全て揃えて買った。


 地球と月、オーロラの3つのキャンディだった。

 

 限定商品で人気があった。


 残っていて良かったと安心した。



「ほら、見て。これが人気なんだって。」


「へぇー、綺麗な色してるね。」


 すごく嬉しそうな顔をする紬を見て、思わず陸斗はスマホで写真を撮った。


「な、なんで、急に。やめてよ! 恥ずかしいよ。」


「ごめん、ごめん。解像度良いから大丈夫だから。」


「いや、あの…そう言う意味じゃなくて…。余計画質が良すぎると毛穴とかニキビとか写りすぎるんだよ?」


「良いの。そう言うの含めて紬見てたいから…気にしないで。」


「え、ずるい。私も写真撮りたい!陸斗先輩もこのキャンディ持って。」


「やだ。著作権侵害だから、やめて。いや、個人情報保護法で守られてるから…。事務所通してもらえる?」



 手で顔を隠す陸斗。


 どこの事務所にも所属してないのに、あることないこと発言し始める。


 ジャレあっていると売店の店員にジロリと睨まれた。


 2人は失礼しましたと言いながら、その場を後にした。


 少々、おふざけが過ぎたようだ。


 購入したキャンディをバックに入れて、帽子を被り直した。


 ちょうどバスの発車時間が近かったようで、バスが止まっていた。


 そのまま、奥の方へ乗って行く。

 ほぼ貸切に近い。


 外は既に真っ暗になっていた。時間は18時を過ぎていた。



 1番後ろの座席に座った。


「外、こんなに暗くなってたんだね。気づかなかった。」


「そうだね。駅に着いてからのバスの時刻、調べようか?」


 紬はスマホでバス時刻を調べたら、20時代のバスが1本あった。


「大丈夫だよ。ほら、見て。駅着いてから30分くらい待ち時間あるけど…。」


「バスの時間があるなら良かった。結構夜遅いから、今日は最後まで送るよ。一緒に乗ってくから。」


「陸斗先輩は帰りどうするの?」


「気にすんなって。タクシーに乗って地下鉄最寄駅まで行っても良いし、何とかなるよ。男子は大丈夫だって!」


 任せなさいとどんと胸をたたいた。紬はホッと胸を撫で下ろした。


 話を終えて、お店が立ち並ぶ商店街にバスが入ると街頭でキラキラしていた。ぼんやりと窓の外を見つめる。


 横から見ていた紬は、さっき撮り損ねた陸斗の横顔をスマホで撮った。ハッと気づいた陸斗は手で顔を隠す。


「やだ。週刊誌に売る気ですか?」


 自分の体を守りながら言う。女性になった気分になっている。紬は、笑いを、堪えきれなかった。


「売れると良いですね。」


「マジで、気をつけてよ。うちの親、本当に週刊誌載ったことあるんだから。」


「え?そうなの? 陸斗先輩のお父さんって、有名人?」


「外部に漏らさないなら写真保存しても良いよ。」


「友達いないから漏らすところもないよ…。お父さんの話はスルーなんだね。」


 座席を立ち上がって、出口近くの方に歩いて行く。


「あ、待って…。」


 座席に置いていた荷物を持って、紬は着いていく。


「バスの乗り換えしないと、紬の家につけないでしょう。確かあっち側のバス停かな。」


 まもなく終点の仙台駅バス停に到着する。指差す方向にはすでにバスが待っていた。


 チャージした運賃パスカードを運転手近くにある読み取り部分にかざすと、音が鳴り、料金が支払われた。


 使い方を覚えてきた。


 紬も同じようにピッとカードを通して、バスを降車した。


 何気ないバスからバスの移動も、陸斗は紬の手を引いた。


 その様子を歩道を歩く隆介と輝久に目撃されていた。



「なぁ、輝久。あれって、紬ちゃんじゃないの?」


「あ、あぁ。そうかもしれない。」


「隣にいるのって、陸斗先輩っぽくない?やっぱり2人って付き合ってるの?輝久、知らないの?紬ちゃんのこと。」



 隆介は輝久の肩を大きく揺らして言った。輝久は現実をしっかりと見つめ、頬をつねった。




(この間、紬は日曜日にデートするって言ってたのは本当だったんだ。やっぱり、紬は陸斗先輩のことが…。」




 輝久は下を向いて、精神を落ち着かせた。駅に向かおうとする足を止めて、

 反対方向に行く。




「隆介。ちょっと付き合ってくれない?」


 輝久は隆介と一緒に夜の街の商店街へ繰り出した。まだ高校生の2人、行く場所も決まっているが。


「黙ってついてきたけど、またここ?」


 つい2時間前にも来ていたゲームセンターだった。


「ちょっとムシャクシャしてて…。」


 輝久はボクシングのパンチングマシーンの前に行った。すぐに持っていた財布から100円を出して、グローブをはめた。


 深呼吸をして、力を溜める。


「お前も…こう言うのやるんだな。優等生だと思ってたよ…。」


 隆介はボソッと呟く。


 ダンッ!!  


 赤い的目掛けて力一杯のパンチをした。


 記録は145の数字が出た。


 隆介も続けて、グローブをはめてやってみた。


記録は150だった。


 2人の成績は、どんぐりの背比べだった。


「輝久って、紬ちゃんが好きなんだな。」


 隆介は、ゲーセンの中にある自販機で買ったコーラのジュースを差し出し、ベンチに座った。


「さんきゅ。…なんで、そう思う?」


「だってさ。ヤキモチだろ? 陸斗先輩と一緒にいたの見たから…。」


「そ、そんなことないよ。」


「どっちでもいいけどさ、2人付き合ってるんのかな。あれ、美嘉見たらどう思うんだろ…。俺、どうすれば許してくれるんのかな。」


「うーん、あれは、美嘉ちゃんが隆介への当てつけだと俺は思うけど…。」


「俺、まだ見込みあるかな?」


「それはちょっと…分からないけど…。」


 隆介は輝久の反応を聞いて、一喜一憂していた。

 2人は陸斗と紬を見て、平常心ではいられないのは確かだった。



 ところ変わって、陸斗と紬はバスに乗り換えてまた座席に座っていた。


 今度は2人だけではなく、何人かの仕事帰りの男性や買い物帰りのおばあちゃん、親子連れの乗客がいた。


 窓際の隅の座席に隣同士で、座った。


 周りに見られないように、影の下の方で静かに手を繋いでいた。恥ずかしさもそのまま、お互いに頬を赤くしていた。


 同じ学校に通っていても、四六時中一緒にいることはできない。


 紬の場合は、話すこともままならないし、今、バスという公共の場所も緊張する。


 言葉で話せなくても、手を繋いでいれば、何となく気持ちも繋がっている気がしていた。


 そばにいる安心感。


 

 手の繋ぎ方もシンプルな手のひら繋ぎじゃなく、それぞれの指と指を絡めた恋人繋ぎに変化していった。



 心臓の高鳴りと恥ずかしさが半端なかった。


 言葉を交わしているよりも、黙って手を繋ぐことの方が今の2人には親密度が高いのかもしれない。



 次のバス停で紬がおりることが分かると、手を伸ばそうしたが、降りますボタンを座席から近い陸斗が代わりに押した。


 小さな声で


「一緒におりるから。」


 降りる際には、見られるのが恥ずかしいと思ってか、お互いにパッと手を離した。


 本当はずっと繋いでいたいはずなのに。



 紬の家の最寄りのバス停に着いた。

 雨っさらしで錆びついたベンチがそこにはあった。


「最後まで送るから。はい、手。家ってどっち?」


 紬は家のある方を指差す。

 バス停の場所から左に5分ほど歩いて進んだ先に紬の家があった。


 足元は街灯がなく、真っ暗になっていた。スマホのライトで照らしながら進む。


 お店は既に閉店になっていて、住居側の窓から煌々とライトが光っていた。



「着いたね。安全に家に着いたから俺も心配ない。」


 紬は繋いだ手を離さない。

 家に着いたはずなのに。


「ほら、行きなよ。家族が心配するよ。」


 黙って首を横に振る。


「どうした?」


「まだ帰りたく無い…。」


「明日も会えるから。」


「陸斗先輩、どうやって帰るんですか?」


 名残惜しい紬は、繋いだ手を離そうとしない。


「えっと…タクシー呼んで帰るけど、さっきのバス停のベンチで待とうかなと思って…。」


「一緒に待ちます!」


「ここまで送ったのに?」


 ため息をつく陸斗。頷く紬。


「わかったよ。仕方ないなぁ。」


 陸斗もまんざらじゃない様子で、頭を掻き上げた。


 

 小さな街灯があるバス停のベンチにまた戻った2人。バスは既に終電で終わっており、ほぼ真っ暗な道となっていた。



 夜空を見上げるとちょうど雲もなく、北斗七星が光ってるのが見えた。


「あれがプラネタリウムで見た北斗七星だね。おおぐま座かな。」


「そのまま下の方にたどっていくと、アルクトゥルスとスピカだったかな。春の大曲線だよね。」


 時々走る車のライトが気になった。サァーと走り去った後に、しばし沈黙が続く。


 陸斗は紬をじっと見つめた。

 ぼんやりと薄暗い中、両肩をおさえて目をそっとつぶり、そっと顔を近づけた。紬は抵抗を感じず、同様に目を閉じた。


 星空を背景に、そっと優しくキスをした。


 

 真っ暗な道路に時々走る車のライトが眩しかった。


 鼻と鼻が触れると、お互いに真っ赤に顔を染めた。ベンチの真ん中ではそっとお互いの手が、触れていた。


 陸斗は左腕で顔を覆った。

 紬は帽子で顔を隠した。


 いつの間にか電話で呼んでいたタクシーが到着していた。

 ハザードランプが点滅していた。




「ただいま。」


 どこか寂しげに紬は家のドアを開けた。


「おかえり。遅かったね。バス乗れたの?」

 

 キッチンの片付けをしていた遼平が声をかける。


「うん。友達送ってきたから、ちょっと遅くなった。」


「そっか。女の子なんだから気をつけるんだぞ。」


「はーい。」


 何だか親の約束を破って会ってしまった感覚で父親である遼平をまっすぐに見られなかった紬。


 こんなに誰かと出かけるのにドキドキしたことはなかった。


 帰ってからも心臓の鼓動は激しくなり続けていた。

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