ウソツキ
ひなみ
SIDE:A
「ねえねえ聞いて。あたし、好きな人ができたんだ!」
学校の帰り道。隣を並んで歩く
宝石のような瞳。もじもじとした仕草で揺れる髪と照れたその表情。それらはいつも私に向けられるものとは異なり彩度が高く華やかで、世界中のどんなものよりも遥かに綺麗だ。
だからこそ、嬉しくて同時に悲しくもある。
「へぇ……その相手って誰なの?」
私は震えてしまわないように恐る恐るできるだけ低い声で聞き返す。
「三年の
わかりきっていた。そのはずだったのに、真正面から脳天目掛けてハンマーを振り下ろされたような衝撃を受けてくらくらとする。
けれど目を輝かせた藍那に手を握られて、ふわふわと柔らかな体温が伝わってくるとようやく我に返った。
「まあね。親友のお願いなんだから当然するに決まってるでしょ?」
「え、それって本当に本当?」
「私が藍那に嘘ついた事なんてあったっけ?」
「そうだよね。わーい優子、だーいすき!」
彼女は腕に抱きついてきた。突然の最接近に心拍数は急上昇の一途を辿って、私はそれを悟られないよう平静を装う事しかできなかった。
「あ、いけない。マフラー忘れてきちゃった。ねえ優子、寒いし一緒に入れてよ~」
「え? あ、うん。大、丈、夫」
「あはは、何でそんな片言なの? お……これすっごい優子の匂いがする!」
「……もしかして臭いとかそういう話?」
「さーて、どうでしょうね~?」
藍那ははぐらかすように言いながらにこにことより近くに寄ってきた。彼女の吐息が聞こえてくるような距離に、汗が流れ落ちて私の目は泳ぎに泳いでしまった。
「で、優子は好きな人いないわけ? そういう話全然聞かせてくれないけどさぁ」
寒空のもと藍那は頬を膨らませた。無愛想と言われがちな私とは違い彼女は誰からも好かれていて、その天真爛漫さが私の暗い高校生活を照らしてくれている。
当然藍那はクラス内外問わず注目を集めている。一方の私はそれを遠くから見上げているだけのちっぽけな存在。私達はまさに太陽と月のような関係に違いない。
だけれど。
「一人いる」
「え、誰だれ? 同じクラスの人? それともやっぱり先輩かな!?」
「隣」
「へ?」
「だから……いつも隣にいる人」
心の中で、いつまでも留めておくはずだった言葉が流れ出てしまい私は口を塞ぐ。
ひたすらに視線を逸らしたままでいると、藍那からはなるほどと声が聞こえてきた。
「あれ、そういう事だったの……?」
彼女の瞳の中には私しかいないわけで、それを意識すれば鼓動は自然と速くなっていく。
「そ、そういう事って、どういう意味かな……?」
「だから、好きな人がいるのは隣のクラスなんだよね? ねえ優子、その人の事こっそりあたしにだけに教えてよ。そしたら全力で応援したげるからさ!」
まあ、そうだよね。
私のぬか喜びはさておいて、キラキラとした満面の笑みは俯きがちの私の心を捉えて離そうとしない。
「……やっぱり言うのやめる」
「どうして~? 一緒に恋愛頑張っていこうよ!」
「どうあっても叶わないからもういいの。そんな事より告白の練習とかしておいた方がいいよ。藍那いつも肝心な時にパニックになっちゃうじゃない」
「むー、それは確かにそうだけど……。そうだ、優子が先輩役やってくれる? ね、お願いおねがーい!」
放課後の教室には私達しかいなくて、窓の外には部活動をしている生徒達の姿が小さく見えた。
向かい合う藍那は何度も深呼吸をしたあと強張った笑顔を貼り付けている。そんな彼女も心から愛おしい。けれど普段とは別人のようにさせてしまうくらいに、先輩の事が好きなのだと思うと複雑な気持ちになった。
「藍那、さすがに緊張しすぎだって。いつもみたいにリラックスしよ?」
「それはわかってるけどぉ。でも、やっぱり、ほら……ね?」
「とにかくいつでも始めていいから……どうぞ?」
「うん、わかった」
藍那は何度か咳払いをして、その甘い声が鼓膜に響く度に熱を帯びた私の両耳は勝手に反応する。
「
視線が合ったまま、頬を薄っすらと赤く染めた藍那は私だけに向けて欲しかった言葉ばかりを口にした。
その時間が十分以上にも渡るといよいよ心が持ちそうにない。
「藍那! そ、そろそろいいんじゃない? 初めと比べるとしっかり言えるようになってきたみたいだしさ」
「そっか、付き合ってくれてありがと。じゃあ一緒に帰ろ!」
この日の夜は藍那が夢に出てきた。通学路や教室や遊園地の観覧車で何度も告白をされて最後には抱きしめあう。幸せな気分のまま起床した私は布団を蹴り上げていて、現実とのギャップに声をあげて泣いた。
それからはひたすらに心を押し殺したままの一週間が過ぎていき、ついに藍那の告白の日がやってきた。
「よし、行ってくる。優子はここから見守っててよ!」
先輩の部活終わりの時間まで一緒に過ごしたあと、覚悟を決めた眼差しの藍那は私に意気込みを伝えてきた。
遠く離れていこうとする彼女を無理矢理にでも引きとめてしまえばいい。先に好きになったのは私なのだからそう伝えてしまえばいい。それだけの事なのに、本当にばかみたい。ただ力なく手を振るしかできない私はひどく滑稽な存在だ。
藍那の告白は確実に受け入れられるだろう。彼女が戻ってきてから私は上手く笑えるか自信がない。けれど涙が零れ落ちてしまったのなら、嬉し泣きをしたとでも嘘をついてこれまでどおり親友を偽り続けよう。
私の密かな恋心の終わりまで一分足らず。赤く染まりつつある空をぼうっと見ていると、遠くにいたはずの藍那がすぐ近くにまできていた。これで私達の関係がすべての終わりを迎えるのだとしても、ただ変わらず好きでいたい。
「優子」
彼女の浮かべた満面の笑みに、目に力をいれて必死に堪える。拳を強く握り締めるとお揃いの
「藍那おめでと――」
「先輩、付き合ってる人がいるって……」
瞬きをするのも忘れたまま、すべての音がこの世界から遮断されたように聞こえなくなった。力なく膝をついてしまった藍那からは、大粒の涙が零れ落ち地面を濡らしていった。
直後、鼻から息ができずに苦しくなると口から酸素を吸い込んでは吐く。決して見たくなかった彼女の姿はぐしゃぐしゃと歪んだ。
「ねえ藍那。藍那は可愛い。誰が何と言おうと世界で一番可愛い。だから次は絶対に上手くいく!」
私はひたすらに彼女を抱きしめて、これまでに出した事のないくらいの大声をあげた。
「優子はどうしてそこまで思ってくれるの?」
そんなの、好きだからに決まってる。
「私達は……親友、だからだよ」
「じゃあこれから何があってもずーっと隣にいてくれる?」
「いるから、もう泣かないでよ。お願い……」
「そっちだって……泣いてるじゃん」
震えるその声を聞きながら、彼女の頭を優しく撫でると泣き止んだ。こんな状況で想いを伝えられるほど私は図太くない。彼女がいつまでも側で笑っていてくれるのならこの先も道化に徹しよう。
「やっぱりあたし、優子の事大好きだな~」
見つめあう藍那がにこりと笑った。
とっくにわかってる。それは親友としてだよね。
「私も藍那が好きだよ」
私がそう答えると彼女は悪戯っぽく「ありがと」と返した。その表情に不意にどきりとして、今日もまた心を鷲づかみにされる。
「そうだ、ちょっと寄り道していきたいんだけどいいかな?」
先を行く藍那が夢の時と同じように手を差し伸べた。震える手で恐る恐る掴むと、手袋越しだけれどなぜだか体温を感じる。
夕日が差す帰り道、私達は手を繋いだまま学校をあとにした。
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