死神よ、ご馳走様

梧桐 光

第1話 作りたかった自宅ディナー1

   1


 安達花穂は目覚めると、見知らぬ喫茶店にいることに気付いた。


「え……? どこ、ここ?」


 黒い木の床に明るい木目調のテーブル。少し古いが洒落た店だ。

 テーブルは三つだが十人も客がいれば狭いだろう。


 一度も来たことはないはずなのに、いつか来たことがあるような気がする、不思議な店だった。


「気付いた?」


 声の主は、店の奥から現れた少女だった。

 白のブラウスに黒のスカートという学校の制服と喪服の中間のような服装で、背中まで伸びた黒髪が美しい。


 この喫茶店のオーナーの娘か孫だろうか。

 容姿は十四、五歳くらいだが、落ち着いた物腰と静かな目がもっと年上に見せていた。


「あの……ここ、どこ……?」


 口にしてから、花穂は変かな、と思った。

 居眠りをした挙句、記憶が無いなど、酔っ払いだと思われても仕方ない。


 花穂は慌てて自分の身なりを確認した。

 腕や胸、足を見回してみるが、汚れている様子もない。

 一見して、二十五歳女性会社員と事実を言えば十分信用してもらえるだろう。

 ベージュのロングカーディガンに白のカットソー、ロングスカートという、春に出勤する服のうちで花穂が一番気に入っている服装だ。

 

 ほっと胸をなでおろすると、一瞬、数年前の記憶が蘇った。


(安達さんな、自分が飲める酒の量は自分で見極めないとあかんで)


 原野先輩から一度だけ仕事のこと以外で説教じみたことを言われたのを思い出す。


(自分の面倒を見られるのは自分なんやからな)


 就職してすぐ母が早死にして、喪が開けてからつい飲み過ぎることが多かった頃の飲み会の後だった。

 道端で介抱されながら、花穂は勇気を振り絞って、


(先輩は面倒見てくれないんですか……)


 そんな言葉が頭に浮かんだが、吐き出したのは酔いに任せたそんな口説き文句ではなく、変わり果てた姿と化した先ほど食べたばかりの物たちだった。


 今じゃない、先輩に想いを伝えるのはこんなシチュエーションなんかじゃない……そう思って、嫌々ながら自分の口を愛の言葉ではなく嘔吐に専念させたものだった……。


 一瞬の間に、出会って間もない頃の彼とのそんな思い出が頭をよぎった花穂に、黒白の服の少女は逆に聞き返してきた。


「ここに来る前のこと、覚えていない?」


「ここに来る前……?」


 店に入った時の記憶は無い。

 嫌だな、まだ若いのに……と苦笑いしながら思い出せる記憶を思い出してみる。


 記憶に蘇ったのは……白い病室。

 皺のよったシーツ。

 点滴。

 看護師たち。

 何と言うべきか困った様子の同期の社員たち。

 花。

 花。

 不定期に誰かが持ってくる花。

 ナースコール。

 規則的に命を刻む心電図の音……。


「……私、死んだの?」

「そ」


 少女の容赦ない態度に、花穂はつい、ははは、っと声に出して笑ってしまった。


 医者や看護師はいつもあからさまに痛ましそうな顔をしていた。

 私はあなたの苦しみに寄り添っている、だから文句を入うな。

 波風を立てるな。

 自分の運命を受け入れろ。

 私たちの健康と残された寿命の長さを恨むな……いつもそう言っているようだった。


「そっか……私、死んだんだ」

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