第109話 さよならを告げました

 事件から2日、頭に包帯を巻いたまま病室のベッドで眠りつづける豊の側で私はその青い瞳から涙を流し続けていた。

 

 一通りの取り調べが終わり、事件は常識外れの妄想に捕らわれた由良の犯行として片付けられた。

 願いを叶える花など無い。当たり前だけどそれが警察が出した結論だ。直に私の元へ帰ってくるらしいけど、結局由良はあそこまでして叶えたかった夢の内容は不明なまま。でも、あの場にいた者ならわかる。あの花の力は本物、そして私はその花が作り出した……化け物だ。


 私がいなければ……豊に会わなければ……豊はこんな事にならなかったのに……。

 

 そう考えると胸がズキっと痛む自分に嫌気が差した。こんな事になっても尚、私は豊と一緒にいたいらしい。

 でももう一緒にいられない。いるわけにはいかない。

 私と一緒にいる限り、豊や杏がまた危険な目に遭ってしまうかもしれないから。


 ズキっ!

 

 ……また胸が痛む。

 必死に止まらない涙を袖で拭う。泣く資格なんか私にあるわけ無い。

 すると、病室のドアをノックする音が響く。ゆっくりと開いた扉から病室に入ってきたのは杏だった。


「杏……」

「白花! 豊は!?」


 その問いに私は首を横に振る。杏は「そう……」と言って悲しそうな表情を浮かべながら、私の隣に座った。そんな彼女の肩には大きなカバンが下げられていた。


「杏……その荷物は?」

「あのね……今日は特別にここに泊まってもいいんだって! 院長が許可してくれたみたい」

「えっ本当っ!?」

「うん。だから家から私と白花のパジャマ持ってきたの……お布団は後で看護師さんに借りに行こうね」

「うん! うれし……」


 喜びの声を上げようとした時、またあの胸が締め付けられる痛みが襲ってくる。

 

 そうだ……私、もう2人と一緒にいるわけには……。


「……私はいいや」

「え……?」

 

 杏の無理に繕っていた笑顔が消える。どうやら私の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったらしい。


「どういうこと?」

「豊のそばには杏が居てあげて? 私は……そろそろ帰るね」


 椅子から立ち上がり、杏の横を通り過ぎようとすると杏が私の手を掴んだ。


「い、意味わからないよ! 私、白花が嫌がる事した?」

「ち、違うよ! 杏は悪い事何もしてないよ!」

「じゃあ……なんで帰るの? 豊と一緒にいられるんだよ?」

「辞めてよっ!!」


 耐えられなくなってしまい、つい声を荒げてしまった。そのまま私は杏の反応を伺うこともなく、何かが溢れたかのように次々と胸の内に秘めた思いを口にした。


「私は豊や杏と……源さんや他のみんなと一緒にいちゃ駄目なの! 私なんかいなければこんな事にならなかったの! これから誰にも迷惑かけないように1人で生きていくのっ!!」


 何も言い返さない杏の顔が見れない。それでも手を離してくれない彼女に私は勢いに任せて言葉を続けた。


「もう杏も豊もみんな好きじゃない! だからもういいの! 私がいなければ杏も豊もしあわ――ッ!」


 突如パンっと、鋭く乾いた音が病室に響いた。音の正体は杏が私の左頬を叩いたものだった。

 左頬にヒリヒリとした感触が残る。叩かれた頬に触れながら杏に視線を戻すと、私を睨みつける彼女の目には涙が今にも溢れそうになっていた。


「なにそれ……ふざけないでよっ!!」

「杏……」


 杏には何度も叱られてきた。彼女が怒ったら怖い、怖いのだけれどそのどれもはどこか優しさもあったけど、今は一切感じられない。もちろん叩かれたのも初めてだ。


「白花! 今の言葉、本気で言ってるの!? もう豊と私はどうでもいいの!?」

「そ、それは……」


 何故かさっき言えたはずの言葉が喉から上がらない。そんな私に杏は追い打ちをかけた。


「白花にとって私達ってその程度の存在だったんだね!」


 「うん、そうだよ」……そう言えばいい。そうすれば杏はこの手を離して、私は2人にさよならできる。そうしたら2人に危険が及ぶことは無い。

 よし、覚悟は決まった。あとは精一杯声にするだけだ。


 浅く息を吸って、精一杯声を張った。


「……そんなわけないでしょっ!!」


 頭の中とは正反対の言葉が出る。しかし戸惑う事も無く、そのまま続けた。いや、正確には止まらなかった。


「なんでそんな事言うの!? わかってないのは杏だよ! 本当は2人が大好きだよ! このまま一緒にいたいよ……でも……だめなんだよぉ……」


 溢れ出る思いは言葉は涙となり、もう自分では止められなくなっていた。


「私がいたら……また豊と杏が危険な目にあっちゃうかもしれない……私のせいで2人が傷つくのは見たくない……耐えられないよぉ……だから……今日でお別……っ!?」


 最も口にしたくない言葉を紡ごうとした瞬間、杏が掴んでいた私の手を引っ張り、そのまま私を抱きしめた。


「え……?」

「聞いて白花。私は白花に出会えて本当に良かった。その気持ちは今も全く変わらないよ? あなたがそばにいてくれないと私も……もちろん豊もとっても寂しいと思う」

「でも……でも……!」

「わかってる。相変わらず白花は優しいね……でもね? 自分の気持ちに嘘をつく事はないんだよ」

「うぅ……あんずぅ……ごめんなさいぃぃぃ」

「謝る事ないよ? 私こそ叩いたりしてごめんね? ずっと親友でいようね白花」

「うぅ……ひぐっ……ふえぇぇぇぇん!!!」


 杏の胸の中で、私は安堵と喜びを感じながら気の済むまで泣いた。

 

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