第90話 傍で笑ってくれたはずでした
由良さんが帰った後、精神を乱した俺は白花に連れられ自室のベッドで横になっていた。
頭痛は少し収まったが、心の乱れからくるけだるさで瞼が重い。しかし意識を手放す事は出来ずにただ天井を眺めていると、グラスに水を入れた白花が部屋に入ってきた。
「豊……大丈夫? お水持ってきたよ」
「あ、あぁ……ありがとう」
体を起こし、白花からグラスを受け取った俺は中身を一気に喉へと流し込む。ひんやりとした水が胃の中に流れ込んでいく感覚が伝わる。その清涼感のおかげか心のざわめきが多少収まるのを感じていると、そんな俺の顔を白花が心配そうに覗き込んだ。
「豊……まだお水飲む?」
「もう大丈夫……」
彼女の表情から不安の色は消えない。
気晴らしに散歩にでも連れて行ってやりたいが、生憎外は北海道にしては遅すぎる程の初雪……それも猛吹雪だ。
由良さんは……何故あんな事をしたのだろう?
冷静を取り戻しかけた頭で考えるがもちろん答えには辿り着けない。
あの場所……両親が事故で亡くなったあの場所に触れようするだけでこの
両親が亡くなった当時、俺もあの場所にいたようだが……数年たってもそれ以上の事が思い出せない。医師の言うとおり心が壊れるのを防ぐために脳が記憶を封じ込めたのだろう。
それ以来、不意にあの場所が話題に上がるだけでも体は震え、激しい頭痛に襲われる。
きっとこれは自己防衛本能だ。当時の事を思い出す前に脳が反射的に情報を遮断しているのだろう。
「……前こんな時があった時は、杏が守ってくれたよね」
「……え?」
「ほら、私がこの家に来たばかりの頃だよ。豊と杏がまだ喋れない私を連れて恵花ガーデンに連れて行ってくれたじゃん」
白花の言葉で少し前の記憶が蘇る。
あれは5月、俺と杏は当時、目に映る物全てに興味を持つまるで幼子のような白花を連れて桜が咲き誇る道を通り恵花ガーデンへと出かけた。
たしかあの時、由良さんも恵花ガーデンにいた。彼が不用意にあの場所の事を口にしたせいで今日と同じように動揺した俺を杏が助けてくれたっけ。
「そういえば、そんな事もあったな……」
「うん……でも凄いね杏。豊の事、誰よりもわかったてんいるんだろうな……ちょっと悔しいや」
「悔しい?」
白花はこくんと頷く。その表情は暗く、俯かせたままだった。
「今日だって豊が辛そうにしてたのに私はただあたふたするだけ……こんな時、杏だったらどうしてたのかな? ううん、今日だけじゃない。最近よく思うんだ。私はまだまだ杏には敵わないなって」
すぐに「そんな事はない」とは言えなかった。
彼女の言う事はあながち間違いでは無いと思ったからだ。
俺と杏は生まれた時期も病院も一緒。家も隣で物心つく前から当たり前のようにお互いがそばに居た。一時俺が彼女を遠ざけていた時期はあるが、それでも俺と杏の17年に出会ってまだ半年程度の白花が追いつけるわけない。
しかし、こうも思う。
一緒にいた時間だけが全てじゃない。
そう思った瞬間、白花の頭にポンと手を乗せていた。
「確かに俺と白花は会ってまだ1年も経ってない。それでも、白花に出会ってから毎日が本当に充実しているんだ。こんな素敵な日々が送れるのは白花が我が家に来てくれたからだと思うぞ?」
「……本当? 私のおかげで、豊毎日楽しい?」
「あぁ。家に来てくれてありがとう白花」
わしゃわしゃと白花の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに口角をあげた。
「ありがと豊。でもね、私このままでいるつもりはないから!」
「どういう事だ?」
「豊の事、1番知ってるのは私になれるように頑張るの! 杏にだって負けないんだから!」
白花は力強い目つきで立ち上がる。
「よし! 今日は源さんも杏もいないから、私がご飯作るね!」
「……えっ」
その発想はいろいろ不味い。
白花の料理は尋常じゃない……良くない意味で。
「し、白花……今日は俺が作るから……」
「豊は安静にしてなきゃ駄目だよ! そうだ! 栄養たっぷりの料理を作って杏にも持って行ってあげよう!」
弱った体に白花の料理など口にしたら最後だ。
しかし善意で杏の為を思っている白花に「お前は杏を殺す気か」とは言えない。
「と、とりあえず白花まで感染したら不味いし……杏に手料理をご馳走するのは杏が治ってからにしような?」
「むーそれもそうだね……今回は我慢するか……じゃあ材料買ってくるね! 今日はカレーライスだよ!」
そう告げて白花は意気揚々と買い出しに行ってしまった。またあの不気味に微笑むカレーライスを食べるのかと肩をがっくし落とす。
ふと、窓の外を見ると少し収まった吹雪の向こうの家越しに杏の部屋が見えた。
カーテンは閉められ、中の様子は伺えない。
大丈夫。きっともうすぐ良くなって、インターフォンも押さずに合鍵で家に入ってくるはずだ。
しかし、それから1週間経っても杏が姿を見せる事は無かった。
そして冬休みに突入すると、更なる異変が起きる。
――ある日突然、白花が彼女の白い花を持って姿を消したのだ。
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